hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

変わる下北沢駅

2019-03-15 05:00:18 | 日記

『鉄道シリーズ』その228。下北沢駅は面白い構造になっている。小田急線と京王井の頭線がぼぼ垂直に交差している。ただ、別な会社の路線が垂直交差することは例えば登戸駅(小田急線とJR南武線)、柏駅(東武野田線と常磐線)のように珍しい訳でないが、下北沢駅の場合は改札を通らず2つの私鉄の駅を行き来する、逆にいうと小田急線下北沢駅と井の頭線下北沢駅の分かれ目がはっきりしていなかったという点は変わっている。

これと少し違うかもしれないが、かつてJR荻窪駅から西船橋駅まで行く際に改札を通らないため、JRを乗り続けても中野駅から地下鉄東西線で行っても同じ改札口を通るため、安い方の運賃(東西線経由)で乗ることができた例もあったが、さすがに現在では改札が別になっている。

下北沢駅に話を戻すが、なぜこんなことが起きているのか、これは井の頭線は元々は小田急の子会社で(一時は小田急帝都線と言われた時期も)あったという戦前の出来事が原因である。

井の頭線は利光鶴松という人が作ったのだが、利光は鬼怒川水力発電の社長でもあり、第2山手線計画、つまり山手線の外を回る東京山手電鉄を企図していた。しかし、昭和恐慌で資金が集まらず、まずはと渋谷急行電鉄という会社を買収、持っていた井の頭線のルートの開発の免許を使い、1934年に帝都電鉄井の頭線を開業する。

その後、鬼怒川水力発電が小田急(当時は小田原急行電鉄)を買収したため、帝都電鉄も合併、小田急となった。戦時の企業統合で東急、小田急、京浜急行、京王が合併していわゆる大東急となったが、戦後大東急が再び分割し、元に戻す際に帝都線が京王の傘下になったのである。このため、井の頭線は戦前は小田急、戦後は京王、その接続駅の下北沢駅内は通り抜けができるという不思議な駅として残されたのである。かなり古い話だが、自動改札機が普及する前は井の頭線の階段上に臨時改札口を設けてキセル乗車の取締りをしたこともあった。

3月16日始発から下北沢駅が小田急中央口、京王中央口をそれぞれの出口に設け、ようやく2つの路線が独立する。このため、改札を通らずに小田急から井の頭線に乗り換えられたのが、一旦小田急の改札を出て、改めて京王の改札を通り、井の頭線に乗り継ぐことになる。

一見不便な点だけかと思うかもしれないが、例えば東京メトロ千代田線表参道駅から乗車して小田急を通り、下北沢駅で井の頭線に乗換え、久我山で下車すると自動改札機が通過出来なかったが、その不便はなくなるのである。(自動改札機は3線またぎ、この場合は千代田線、小田急線、井の頭線は自動改札機が認識できない)

これも下北沢駅の長くかかった工事がようやく完成が近づいたことの証拠のようなものである。3月16日から変わることを忘れないでください。また、新しくなったら訪問する予定です。