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hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

モミジアオイ

2016-08-11 05:00:47 | 日記

夏になると登場する花に紅葉葵がある。草の癖に向日葵くらいの高さにするすると伸びる。これが成長が早く、梅雨の頃にはその存在がわからないくらいなのにするすると伸びる。

そして赤い5枚の花びらがついた丁度ハイビスカスのような花をつける。これが結構大きな花で存在感が中々。


一つの茎に蕾が10個くらいは付いており、次々と花を咲かせていく。原産国は北アフリカらしく自生していることも多い。フヨウにも似ているが、花びらは独立している。

名前は花がアオイに似ていて、その仲間であるから、また、モミジは葉が切れ込みがあり、5つに分かれているのがモミジの葉に似ているからつけられた名前らしい。



最近は白い花の紅葉葵もあるとのこと。サルスベリのピンクや夾竹桃のピンク、ノウゼンカズラのオレンジ同様、夏の日に映える花である。

京都鉄道博物館訪問記

2016-08-10 05:00:32 | 日記

『鉄道シリーズ』その147。4月にオープンした京都鉄道博物館を訪問する。JR西日本などが運営する博物館でその前身は大阪にあった鉄道科学博物館(2014年4月閉館、大正駅)とこの地にあった梅小路蒸気機関車館(2015年8月閉館)を統合して今年春にオープンした。

梅小路公園から歩くと左側には山陰本線の旧二条駅舎、その右側には1200円の入場料を払い入館する。


すると左からC62、クハ80(3つ窓タイプ)、0系新幹線がお出迎え。ほかにも食堂車や旧マロネフ38型一等寝台車、DD54型ディーゼル機関車、103系大阪環状線の電車などが並んでいる。



さらに建物に入ると新幹線122系、月光のヘッドマークがついた581系電車寝台車、雷鳥のヘッドマークがついた489系電車、さらに230型蒸気機関車、EF52型電気機関車、キハ80など懐かしい車両がオンパレードで一々写真を撮るため、中々前に進まない。

小生は博物館に来ると懐かしい車両と対面するたびに時刻表の表紙や博物館、さらに乗った時の思い出に浸ってしまうのである。中には子供の頃絵本で読んだEH10型電気機関車に連結はされていたコンテナ特急たから号の車掌車などもある。

2階に上がると電車だけでなく、各種鉄道機器の展示や駅弁、修学旅行列車なども展示されている。さらに人気なのはジオラマ、動いてはいなかったが子供たちには人気がある。

2階のデッキに出て旧梅小路蒸気機関車館のおうぎ形車庫には従来と同様に蒸気機関車が20両が並んでいる。動態保存されているC622蒸気機関車がその真ん中にあるターンテーブルに乗せられ、回転しているところに遭遇。

煙を吐いているC622の勇姿をしばらく見ている。そしてこのイベント終了後、蒸気機関車を一両ずつ眺めていくが、一番人気はお召列車の菊の紋章をつけたC53。


小生の好きなC55やカウキャッチャーのついた弁慶号などいくら見ていても見飽きることはない。

その後、トゥワイライトエキスプレスの横を通り、グッズの販売をしている二条駅舎に行く。閉館が近いこともあり、凄い人。とにかく、楽しい鉄道博物館であった。
後ろ髪を引かれながらバスに乗り京都駅に向かうが、渋滞に巻き込まれ何と30分も掛かってしまう。歩けば20分なのに、恐るべし京都駅周辺の渋滞。

ラコリーナ近江八幡で散策

2016-08-09 05:00:23 | 日記

近江八幡といえば近江商人の商家の家並みを歩いたり、掘割を舟で巡るなどの観光が有名だが、新たな名所として今年春にラコリーナ近江八幡が開業し、話題を呼んだいる。この施設を運営しているのは和菓子で有名な『たねや』。ここ数年東京のデパートにも出店し、特にとろけそうな水羊羹は有名である。

ではラコリーナとは何なのかを探るべく早速訪問した。場所は近江八幡市内から10分ほど湖岸道路を走ったあたり、駐車場も広々しているが、平日の3時半というのに車は結構とまっている。駐車場から見えるのは屋根にも草の乗った『草の屋敷』のようなメインショップ。周りは芝生で覆われ、緑一色である。


中に入ると1階はたねやの和菓子の店舗とバームクーヘンの工房。バームクーヘンの形を模した焼き菓子や抹茶のジェラートなどは食べることができる。また、2階は焼きたてバームクーヘンとコーヒーがいただけるカフェとなっている。


30度超えの中、外から入るとやはりジェラートが食べたくなり、すぐさま列に並んで抹茶バームソフトを戴く。ジェラートの溶け具合とやや硬めのビスケットのようなバームの相性も良く、すぐに完食。


建物の反対側から外に出ると一面の田んぼに穂が出かけた稲の緑が映え、周りを取り囲むように回廊がある。所々に盆栽のように石が置かれ、松などの木が植わっている。まるでジブリのような雰囲気である。

さらにメインショップの隣には7月15日オープンのカステラショップがあり、焼きたてのカステラも購入可能。また、食べることもできる。


また、7月21日に出来たばかりのコンテナショップではクラブハリエキッズという子供に安心して与えられるクッキーやドリンク、リーフパイ、グミなども販売、西内としお氏がイラストを描いているサルやリュウなどのキャラクターの箱に入れてギフトにもできる。他にも食べ物や飲み物をテイクアウトできる店やパンのショップなども広々とした中にある。


自然とお菓子を融合し、農を真面目に考えているフラッグシップ店を目指しているようだが、まだ発展段階。フロアにある未来予想図を見ているだけで期待できそうである。

小生はもともとここの水羊羹や葛の菓子が好きだからかもしれないが、センスも良く、中にいるだけで楽しくなれる場所である。まあ、少なくとも女性を連れてきたらウケること間違えなしである。

湖東三山を巡る(3)〜百済寺

2016-08-08 05:00:04 | 日記

湖東三山最後は百済寺に参拝する。百済寺(ひゃくさいじ)は寺伝によると聖徳太子が光る木を見つけ、これに十一面観世音を刻んだところから植木観音と呼ばれたとのことであるが、歴史に名が出てくるのは11世紀のことで聖徳太子とはやや時代が合わないのかもしれない。その後百済寺300坊と言われるほど栄華を誇ったが、織田信長に焼き打ちされ、堂宇は全焼し、ようやく江戸時代に再興された。

百済寺の入口で拝観料を納めるとかつて参道として使われていた苔むした石段に出る。そこには五木寛之が百寺巡礼の際の文が書かれていて、ふとその段を読んだことを思い出した。

これを左に上がっていくと本坊の喜見院があり、その横には立派な池のある庭に出る。回廊式庭園は周りに松と紅葉を配し、紅葉の頃は素晴らしいだろうことが容易に想像がつく。飛び石に気をつけながら池を回るがその風景が変わるのが面白い。

一段が少し高さのある石段を登ると目の前に本堂が見えてくる。檜皮葺き本堂は堂々としている。ただ、他の湖東三山である西明寺や金剛輪寺は内陣まで入れ、さらに仏像もそばで鑑賞できたが、ここはガラス越しのため、よく見えないのが残念である。


横には五重塔跡、さらに鐘楼もあり、鐘をつくことができる。小生も鐘を鳴らし、蟬しぐれの中に響く鐘の音を楽しんだ。

夏は季節外れなのか、確かに体力はいるが、静かに佇む名刹を回るには良い季節なのかもしれない。

湖東三山を巡る(2)〜金剛輪寺

2016-08-07 05:00:21 | 日記

西明寺の次に訪れたのは金剛輪寺。名神高速道路の湖東三山スマートICを降りて直ぐの所に寺はある。このお寺は聖武天皇の意を受けて行基により建立されたもので湖東三山の真ん中の寺と言われる。開山は741年で本堂は鎌倉時代を代表する建築物として国宝に指定されている。

寺の入口は駐車場の下の方にあり、大きな提灯が目印。受付を終えると階段が現れる。これをしばらく登り、左手に名勝庭園がある。門をくぐると池があるが、ここにはシオカラトンボをはじめ色々なトンボが飛んでいる。



縁側に座り、住職のテープを聞きながらのんびりと庭を眺めると癒される。直ぐ前にはキキョウが沢山の花をつけているが、よく見ると八重咲きのキキョウである。いや、これは初見である。本当は回廊式だが、枯れ枝が落ちた影響から道が通れず、元に戻る。

目の前に豆の木茶屋の氷の暖簾が揺れるのを見ながら先を急ぐ。左右には千体地蔵が並んでいるが、結構その参道が勾配もあり、また、500mある。

右へ左へ道は曲がりながら石段を登る。ようやく先に二天門が見えてくるが、その手前にまた石段。もう少し涼しければよいが、真夏の太陽の下くたびれる。ようやく、二天門を越して目の前に本堂。これは国宝、さらに左手には再興された三重塔。


本堂にはいるとさっきまで拭き掃除をしていたおばさんが仏像のことにつき、教えてくれる。残念ながらここも本尊は秘仏で住職1代一回限りの開帳のため、厨子の中。お前立ちを見ながら色々と教えてもらう。昔は内陣に入れなかったが、今は裏まで入れ、そこには不動明王や十一面観世音像など重文の仏様が多く並べられている。これらを十分堪能し、満足であった。

湖東三山を巡る(1)〜西明寺

2016-08-06 05:00:42 | 日記

前回の滋賀旅行で見逃した湖東三山を回ってみる。まず、湖東三山とは西明寺、金剛輪寺、百済寺のことを言う。この3つのお寺はいずれも天台宗の名刹で比叡山延暦寺の末寺にあたる。室町時代には敏満寺、大覚寺とともに湖東五山と呼ばれていたが、いずれも信長らの焼き討ちに合い、衰退した。その後、敏満寺以外は江戸時代に再興されたが、紅葉が有名な三寺が湖東三山として今もその名前を残している。

最初に訪れたのが西明寺。別名、池寺とも言われている。場所はちょうど名神高速道路を越えたところに立派な駐車場、そして寺に向かうと苔の緑にまず気がつく。


受付で朱印帳を預け、石段を少し登ると左手に庭園の入口が現れる。手入れが行き届き、松が印象的な庭を歩くが、不断桜が植えられている。不断桜とは冬桜の一種で春だけでなく、秋、冬にも花をつける。


この蓬莱庭には池もあり、中島には折り鶴を模した石や亀を模した石も置かれている。さらに回廊式で少し石段を登ると上から全景が見ることができるが、これも見事なもの。


さらに石段を登ると重文の二天門。その先には国宝の本堂と三重塔がある。本堂では担当の方が説明してくれるが、本尊は萱の一木造の薬師如来だが、秘仏であり、さらに住職1代に一回限りの開帳しかできない決まりで前回平成17年に52年ぶりに行われたばかりのため、次回はかなり先になるとのこと。

また、重文の日光月光菩薩のうち、月光菩薩は修復のため、日光菩薩のみであること、十二神将も鎌倉時代のもので自分の守り十二神将に拝むとご利益があることなどを丁寧に説明してくれた。もちろん、仏も素晴らしいが、本堂自体も素晴らしい名刹である。

また、本堂の外に出ると右手には立派な三重塔、これも当時のまま残されていた。とにかく見どころの多い西明寺であった。(以下、次回)

多賀大社

2016-08-05 05:00:32 | 日記

今年の夏旅行は滋賀・京都・奈良を巡る旅。米原駅でレンタカーを借りてスタート。最初は彦根城はスルーして多賀大社に向かう。全く知らなかったのだが、8月3〜5日は万灯祭が開催されている。丁度、その最中ということもあり、大鳥居をくぐると沢山の提灯がぶら下げられており圧巻である。


『お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる』と謳われるようにお多賀さまはお伊勢さまのご祭神天照大御神の御親神である伊邪那岐大神・伊邪那美大神を祀る神社である。それほどの神社を知らなかったとは。全国にある多賀神社を束ねるのがこの多賀大社である。

参道を行くと直ぐに太鼓橋があるが、これが中々のもの。段一段を登るのも中々大変である。


これを超えると御神門がある。その先には荘厳な本殿がある。本殿にお参りをした後は左右にある幾つもの分社は色々な神様が祀られている。




例えば瓊瓊杵命(高千穂に降臨された神)、木花佐久夜毘売(安産の神様)、秋葉大権現(火伏の神様)などである。


さらに社務所のうらには奥書院、さらに立派な庭園があるが、それをのんびりと見る。真夏だが、涼風が吹いてくる気がする。池は浅いが鯉が元気よく泳いでいる。こうして広い境内を歩く。


神社の人に聞くと、やはり一番の季節は紅葉の時期だが、苔が美しい新緑の季節もいいし、万灯祭の夜も素晴らしいとの事、まあ、蝉の声を聞きながら青空の下歩くのもいいものである。

築地駅

2016-08-04 05:00:17 | 日記

『メトロに乗って』その38。今回は東京メトロ日比谷線築地駅で降りてみる。築地にはこの駅と都営地下鉄大江戸線築地市場駅があるが、築地市場や朝日新聞、国立がんセンターなどは築地市場駅が最寄りのため、築地駅周辺、特に築地2丁目を歩いてみた。


築地駅から上がるとすぐ前に築地本願寺の異国情緒漂う建物、その向かい側に築地小学校がある。



築地小学校は中々立派な造りで前には児童のブロンズ像がある。その斜め向かいあたりに桂川甫周の住居跡を示す案内板があり、今は三菱UFJ銀行に姿を変えている。桂川甫周は幕府御典医であり、杉田玄白らの解体新書作成にも貢献したことで有名である。


また、築地小学校の一本先の道にみずほ銀行があるが、その並びあたりに戦前の新劇の拠点であった築地小劇場の跡を示すレリーフがある。土方與志が小山内薫らに働きかけて関東大震災後の大正12年に作ったゴシックロマネスク様式の劇場であった。しかし、その後、劇団は解散、劇場は続いたが、昭和20年の東京大空襲で焼失してしまった。


このような歴史的な場所があちこちにある築地であるが、その先には築地玉寿司やすし鮮などの本店がならぶ。


その先には人形町同様、関東大震災以後はやった看板様式、特に銅板を正面に貼った店が今も現役で頑張っている。特に角地にある宮川食鳥鶏卵は立派な店構えである。



その先の通りを曲がると昔ながらの魚屋と八百屋が並んで営業しており、すぐそばには築地安達屋(豆腐屋)も盛業中。さらに洋食屋(東京スイス)の洋館風の粋な店があるが、残念ながら建て直されるようである。

さらに路地に入るとまだ木造建築の懐かしい家が結構頑張っている。中にはレトロな照明のついた大きな家もあるが、これは鉄板焼きの店として活用されている。


ただ、本来の住居として利用されている家屋もまだまだあるが、10年後にはもうないかもしれない。

表通りにはビルが林立する神田にしても人形町にしても築地にしても一本裏に回るとまだまだ古き良き街角を見ることができるのが街歩きの楽しみである。

丸の内仲通りのアート

2016-08-03 05:00:59 | 日記

現在、丸ビルでは第10回アートアウォード東京丸の内2016が開かれている。三菱地所はこうした現代アートへの協力を積極的に行なっており、新進気鋭の若手現代アート作家たちの作品が多数並べられている。小生はあまり詳しくはないが、作品を見て、勝手に楽しむのはいいものである。

同様に丸の内仲通りには三菱地所が所蔵する沢山の作品が並べられているが、今まで気を留めてみたことがあまりない。


まず、丸ビルの前には白い虎の像があるが、目が可愛らしく、小生のお気に入りである。三沢厚彦という彫刻家の作品だが、以前見た村上隆の白虎によく似ている。そうというと怒られそうだが、なかなかインパクトがある。

また、現代アートではないが、丸ビル横にはリーフデ号の彫刻も置かれており、最近はポケモンGOのスポットにもなっているためか、周囲に人が多い。リーフデ号は1600年に今の大分県に漂着したオランダ船であり、乗船していたのが、ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)である。この像は1980年にオランダの首相が日蘭の友好の象徴として寄贈されたものである。


仲通りに戻り、日比谷方向に歩くとすぐに小さなシロクマ像。シロクマは陸上最大の哺乳類で実物は恐ろしいが、この像は小さく可愛いい。この作品も三沢厚彦の作品である。



少し先には穴が空いたオブジェ、上にヘタらしきものがついているが、題名は『われは南瓜2013』、しかも草間彌生作である。なるほどといえばなるほど、しかし、小生には南瓜には見えない。


もう少し歩くと今度は大きなオブジェ。ジュリアーノ・バンジという人の追憶という作品。よく見ると女性の顔があった。


普段は忙しく歩き、気もつかないが、丸の内仲通りをゆっくり歩くと結構面白いアートが並ぶ素敵な通りであることが再確認できる。


最後におまけだが、晴海通り近くに立つ電気ビルの前には小さな神社がある。この神社は有楽稲荷神社でこの地に江戸時代に置かれたものあるが、明治41年東京市電気局が設けられた際に改修されたもの。そのご利益か関東大震災で周囲が焼失した際も類焼を免れた神社がある。ここまでくればもう日比谷駅はすぐ前にある。

人形町せともの市

2016-08-02 05:00:15 | 日記

毎年恒例の人形町せともの市がスタートした。これは蛎殻町と浜町の瀬戸物問屋が1954年に瀬戸物の供養の神事を行なうため始めたもの。今年は8月1日〜3日の開催。8月1日の朝から人形町通りには露店を店開きする人が集まり始めていた。


昨日は忙しかったので帰りに店をひやかしたが、焼き物はもちろん、箸や包丁・お椀など生活用品を売る店、グラスやタンブラー、江戸切子などガラス用品を商う店など瀬戸物以外を扱う店も多い。

また、焼き物と一言でいうが、瀬戸焼・有田焼・伊万里焼など磁器を扱った店、小鹿田焼・瀬戸焼・砥部焼・笠間焼・萩焼など陶器を扱う店など産地も多種多様。


さらに一本50円の木のサジから68万円する今右衛門焼の壺まで本当にピンからキリまであるが、やはり1枚500円均一の皿や一つ300円の弁当箱などが人気の様子。写真にある18000円の招き猫、いい顔をしている。見ていると品物を見極めているおじさんを店主と間違えて『これ、いくらならまけられる。』というおばさんに、『私も客だよ』と困り顔のおじさん。面白い風景である。

小生は昨年は贈り物のひょうたんのついた片口、一昨年は口の形が面白い瀬戸物の片口を購入した。毎年値切るがあまり成功しない。今年は小鹿田焼の庶民派の片口など面白いものもあったが、買うのは最終日と決めている。もちろん、売り切れ御免であるが。まあ、人形町夏の風物詩、3日までやっています。