hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

宮地嶽神社

2017-08-21 05:00:37 | 旅行

宗像大社を出て、今回最後の参詣は宮地嶽神社に向かう。道の駅宗像で行き方を聞くが、あまり要を得ない、というのは宗像大社は宗像市、宮地嶽神社は隣の福津市にあるためらしい。

宮地嶽神社は全国にある宮地嶽神社の総本山で参道から少し離れた所に車を止めて神社を目指す。レトロな参道には名物松ケ枝餅を売る店が並んでいるが、気温が36℃もあったため、店の人も日陰に入る始末。ガランとした道を少し行くと階段がしばらく続く。
以前は西鉄宮地岳線があり、宮地岳駅からは歩けたのだが、西鉄新宮〜津屋崎は廃止になったため、現在はバスが頼りである。

階段を登ると次の鳥居がまた出て来るが、これが何回か続き、ようやく楼門に到着。そこからは本殿がよく見えるが、出雲大社のような立派な注連縄(しめなわ)が架けられていて目を惹く。


宮地嶽神社の創建は約1600年前と言われ、神功皇后が三韓征伐に行く前にここに立ち寄り、宮地岳に祭壇を設けて船出したと言われている。

また、奥の院八社と呼ばれる社が本殿裏にあり、一社ずつ回ると大願が叶うとあるため、早速まわりはじめる。ただ、暑さのためか、道を間違えて8番社薬師神社に到着、ここからは逆打ちで行く。水神社(水が湧く龍神)、三宝荒神(かまど・火除けの神)と続くが、人気があるのは5番社恋の宮(淡島神社・濡髪大明神の二本柱)である。


ほかにも万地蔵(子供の守り神)、不動神社(災・厄によけの神)、稲荷神社(食物と米の神)、七福神社(七福神)とあるが、熱風が吹く中、何とか全てに手を合わせた。


本殿からもと来た道を歩いて帰ろうとした際に階段の頂上からまっすぐに海まで伸びる参道を発見。これが年2回だけ光の道として神社から海岸、そして海上の相島が夕日で結ばれるポイントであることを確認。本当に一直線であった。

それにしても今回の旅行では5日にかけてレンタカー850km、そして五島で12教会と1寺院、長崎で2教会、福岡では2つの大きな神社に回り、十分満足できるものとなった。しかし、何かが足りない、そうだ『鉄』なしで終えてしまったのだ。次の旅ではやはり私らしく少しは『駅』『鉄道』『機関車』『鉄道博物館』などに触れる旅を企画したい。

宗像大社におまいりをする。

2017-08-20 05:00:58 | 旅行

旅行5日目は先ごろ世界遺産に登録された宗像大社に向かう。福岡市内を出て、都市高速で香椎東出口で降りて国道3号線経由で向かう。30kmくらいあり、宗像大社駐車場に到着したのが10時少し前。まだ、広大な駐車場はガラガラで最前列に停める。

まずは目の前にある祈願殿で情報収集、朱印をいただき、大まかな位置関係を確認。もう33℃くらいある晴天の中、鳥居をくぐり、太鼓橋を渡って神門を目指す。

太鼓橋の下の心字池には大きな鯉がたくさんいて人が来ると餌がもらえるのではと口を開ける。日陰が少なく、帽子をかぶっていても大粒の汗が滴り落ちる。

神門まで行くと拝殿が見えて来る。その後ろには本殿が見えるが、意外に質素な柿葺の建物である。


拝殿は小早川隆景、本殿は宗方氏が建立したもので、600年くらい経過している。それにしても無駄のない神社で、二ノ宮、三ノ宮が改修中のため、三女神が全てここにいらっしゃるはずと念入りにお参りする。


本殿の周りには22社殿121の末社が鎮まっている。これは九州では宗像大社のみが神郡とされているためで福岡、佐賀の末社の各神社を集合祭祀したものである。


その横の道から歩くと二ノ宮・三ノ宮、右奥に少し歩くと高宮斎場になる。


高宮斎場は宗像三女神が降臨した土地であり、今は有数のパワースポットとして知られている。ただ、奈良時代以前は社のないところに結界を結び、そこを聖なる場所としているため、少し石で囲まれ、高くなっただけである。もちろん中に立ち入ることはできない。

次に本殿の裏を通り、神宝館に向かう。ここには沖ノ島の沖津宮から発掘された宝物を中心に他の宮なども含め5世紀から9世紀までの祭祀に使われたものを集め、保管されている。まずはビデオで沖津宮のことを見て1階の展示から見始める。

入口近くに5世紀頃のものと言われる金の指輪が置かれている。大陸から渡ってきたものであろうが、その美しさ、細工の細かさは素晴らしい。他にも金製の飾りや沢山の青銅製の鏡や馬具、後期に祭祀に使われたと言われるミニチュアの数々。

特に機織の道具など実際に布を織ることができるのには驚嘆した。これらを出光佐三などが中心となり、ここまでの研究を行なったことにも頭が下がる。私が言うのも変かもしれないが是非一度は見ておくべき日本の至宝の1つであろう。

大観峰と鍋ヶ滝

2017-08-19 05:00:06 | 旅行

黒川温泉に泊まった翌日は雨かと思えば晴れてくる何とも山らしい天気。せっかく阿蘇近くにきたのならばと車で25分ほどのところにある大観峰を目指す。ただ、車を走らせて直ぐに雨が強くなり、雲がどんより垂れ込めてくる。

すると自衛隊基地に向かうのか自衛隊のトラックの後ろにつく羽目になる。途中、小国街道から瀬の本高原を右折してやまなみハイウェイを通るが、牧場の前をいくつも通るが、このあたりには肝心の牛はいない。しばらく走り、自衛隊のトラックとも別れ、左折。駐車場に車を止めて大観峰を目指す。

車を降りると風も強く、時折雨が降る中歩き始める。
売店の隣にある坂を登っていくと途中電波塔があり、その先には『大観峰』の石碑がある。


雲はようやく少し切れて、青空も顔を出す。下の田畑はくっきり見え、山のてっぺんも丁度雲の少し下に位置することから何とか稜線は確認できた。風が吹くと草が波のようになり、その雄大さに改めて驚く。

その後は小国町にある『鍋ヶ滝』に向かう。実は前回の九州旅行の途上で大分県豊後大野市の原尻の滝(日本のナイヤガラとも言われている滝)を知って以来、九州の滝の豪快さに感銘を受け、今回は『鍋ヶ滝』を知り、行くことにした。鍋ヶ滝は 熊本県阿蘇郡小国町にある落差10m、幅20mほどの滝、滝の裏側に回る、つまり『裏見の滝』が見ることが珍しいもの。大観峰からは30分くらい車を飛ばし、到着。

駐車場も整備されている。町がその管理をしており、遊歩道を8分程度降りたところにある。

夏のためか水量も多く、ダイナミックな姿を見ることができる。さらに滝の裏側に廻る道があり、そこからみる風景は中々異空間。

某お茶のCMで使われて以来来場者も増加しているとのこと。まあ、かなり不便なところだが、普段見れない滝の風景を楽しむことができる。


黒川温泉 山みず木 に泊まる

2017-08-18 05:00:41 | 旅行

五島から長崎を経て無謀にも黒川温泉を目指す。あまり、地図も見ない計画で、やはり九州の温泉なら黒川温泉と決めたのだが、長崎〜日田は直線距離で 127km、さらに日田から黒川温泉までは山間の道をひたすらトラックの後ろを40km、考えてみれば長崎→佐賀→福岡→大分→熊本と九州7県のうち5県も通るのだから遠いのは当たり前。

肥後小国駅跡にある道の駅小国まで来てホッとした。黒川温泉は杖立温泉よりさらに奥にある静かな温泉郷、宿も何となく『山みず木』とした。

最後は1.5車線の細い道を行くが、急に開けて車を止めた。建物は古民家風の2階建、車を止めるところからそのサービスの良さには舌を巻く。玄関に入り、宿帳に名前を書き、部屋に案内してもらうが、とにかく雰囲気がよい。また、ちょっとしたところ、例えば階段の踊り場にも花が活けられ、ゆったりした気持ちになれる。

部屋は入って直ぐに洋室、メインは和室、奥には化粧スペースと2人で利用するにはやや広い。座ると屋根の向こうに空が見える。


温泉もまずは石をくりぬいた湯船、そしてヒノキ風呂、これらは透明な湯。しかし、露天風呂は茶褐色の湯で直ぐそばに小川、奥には小さな滝が見える。温度も源泉の近くは温度が高く、熱い湯が好きな私としては嬉しい。

他の宿の人もこの温泉には入れるが、脱衣所は別で来ている浴衣の柄で直ぐ分かる。露天風呂では小雨に降られたが、それも心地よい。ゴロッと横になりながら風呂に浸かるが、滝の音だけが聞こえる静寂は何ものにも変えがたい。



夕食はやはり山のものが中心、奇をてらったものはないが、冬瓜と鱧の煮物、トウモロコシの茶碗蒸し、鮎の塩焼きなど付け合わせや敷いてあるランチョンマットがわりの紙の絵まで優しく、心地よい。


部屋に戻ると備え付けのサーバーでコーヒーを飲んで次の日の行動を考える。さらに改めて湯に入り、早く就寝。ここまで来ると阪神タイガースの勝ち負けも気にならない。


やはり都会に暮らす者にとっては静寂が異空間であることを実感。サービスの良さも予想を上回り、心静かで満足のいく一晩を過ごすことができた。

山みず木
熊本県阿蘇郡南小国町黒川温泉
0967440336

出津教会、大野教会

2017-08-17 05:00:49 | 旅行

『五島・長崎教会巡りの旅』その6。奈良尾発17時20分のジェットホイルで長崎港に入り、長崎に泊まる。翌朝は出島を見に行くが、出島は以前来た際に比べ多くの建物が再建され、江戸時代の街並みを彷彿させる。


その後、再びレンタカーを借りて西彼地区にある教会巡りをする。駅に近いレンタカー事務所から飽の浦にある三菱造船所の前を通り、国道をひた走り。この道はサンセットロードと名付けられるほど夕日が美しい道路らしい。

市内を出てから約50分ほど走ると外海地区に入る。まずは『出津(しつ)教会堂』を目指すがここは頭ケ島教会同様に世界遺産候補のため、県の案内センターに電話をいれる。その際に駐車スペースが限られているため博物館の駐車場に車を置くよう指示され、そこからテクテク坂道を登る。しかし、炎天下のため、わずか15分ほどだが結構つらい。周囲には畑に混じり、キリスト教系の老健施設などもあるが、その先に白い教会が見えた時には正直ホッとする。

この辺りの教会はド・ロ神父の指導のもと建設されたもの。出津教会も1882年に造られ、その後増築され、1909年に現在の姿となった。外観は白亜の建物であるが、これは漆喰で固められ、屋根は瓦葺き、長方形平面の三廊式でド・ロ神父の設計による。内部の天井は低く、質素な造りである。

地元の人により管理されており、訪れた際も車を止めて歩いて来たこと話すと、『車で来たなら停めることもできたのに』と優しく言ってもらった。『天井が低いのはこの辺りは風が強く、壊されないようにこうした造りとなった』と教えてもらう。沢山の外海の人たちが今も集う教会で、周りには田や畑、さらに授産施設などもあり、本当にキリスト教に根ざした地区であることを実感。

ついで『大野教会堂』を目指すが、これが分かりにくい。車で出津から5分ほどだが、なんとか標識を探し、登るのをためらうほど細い山道を登ると駐車スペースを発見。ここから10分ほど山道を歩いて登ると小さな教会に出会える。

この教会にもセンターから連絡があり、地元のお爺さんが待っていてくれた。遅れを詫びると優しく赦して頂く。この教会もド・ロ神父が1893年に建築した独特の工法。近くで採れる石を砕き、赤土と石灰をこねたものをセメントがわりに積み重ねて造られている。当時、この地区には26世帯がいたが、この信徒たちの手作りの教会で天井もまるで日本家屋のようである。ただ、今は信徒が9世帯に減り、維持をするのにも苦労が絶えないとか。

鬼瓦に十字架がなければ教会と気づかない建物だが、長い間の信徒の思いは十分知ることができた。ただ、世界遺産登録にあたり、この秋にICOMOSの担当者からの聞き取り調査があるのだが、地元の人もかなり心配しているようである。もし、指定されても沢山の人が来たらどうなるのか、それも心配。

これで教会巡りは終了。五島で12、長崎で2の教会を見て来たが、何れの教会も信徒が大切にしてきた、また、今後も大切にして行く施設であり、その手入れが行き届いていたのには正直驚いた。青い海・緑の山という豊かな自然の中で祈りの島と言われている五島、古くから厚い信仰のある外海、キリスト教を信じるのに大変なめに会いながらもキリスト教に救済を求め続けた人々の生き方を垣間見られた気がした。残された島、教会にも是非行きたくなる。

頭ケ島大橋、若松大橋

2017-08-16 05:00:47 | 旅行

『ぶらり橋巡り〜五島編』五島列島、特に中通島は複雑な地形をしているため、島を結ぶ橋が色々なところに架けられている。その中で強い印象を持った2つの橋をご紹介したい。

まずは頭ケ島大橋、これは中通島東北端にある頭ケ島と中通島の間にある孕瀬戸を挟んで全長300m(海上148m)を結ぶ赤い鉄橋で1981年に上五島空港開港に合わせて整備されたもの。

海はもちろんエメラルドグリーンであるが、岸壁に注目すると海食崖がよく見え、また、丘の上にはわずか800mの滑走路しかない上五島空港を臨むことができる。


頭ケ島からの帰り道に車を止めてじっくり見たが、エメラルドグリーンの海の色、海食崖がよく見える。上五島空港が使われていないため、殆ど車も通らず、中央部まで徒歩で行くことができるがそのダイナミックな風景はめったに見れるものではない。


もう1つの若松大橋は中通島と若松島の若松瀬戸を挟んで建設された海上トラス橋で長さ522m(海上472m)と規模も大きい。橋は若松島に入りすぐに園地が造られており、ここから橋を眺めると良い。海面まで降りる道もあり、海面から橋を眺めればさぞよかったのだろうが、暑さと厳しい階段に断念した。

ただ、橋が長いため、土井ノ浦教会に向かう海岸沿いの道からの方がその全景を見ることができ、大変美しい。

なお、今年は中央部頭ケ島塗装工事のため、一部幌が架けられているのは残念であった。この橋は2001年8月に完成したものである。若松大橋は頭ケ島大橋に比べ規模も大きく、海上部分が長い。さらに高さも高いため、存在感がある。車もトラックを中心に頻繁に行き来がある。

普段から東京での橋巡りをしているが、これらの橋は川や水路を渡るのではなく、島と島をつなぐ人で言えば動脈のような重要性を持つ。さらにその風景には思わず魅了されてしまうものである。

土井ノ浦教会、高井旅教会

2017-08-15 05:00:27 | 旅行

『五島・長崎教会巡りの旅』その6。中通島から隣の若松島には橋が架かっており、自由に行き来ができる。橋を渡り、海岸沿いをしばらく行くとまた湾があり、漁港となっている。ここに建てられているのが土井ノ浦教会。

この教会は1892年に最初の建物が造られ、旧大曽教会(1879年築)の建物を建て替えに伴い、移築したものである。


木造の建物は外装はその後手が入れられているが、昔の骨組みのままで、内部はドーム状の白い天井、ステンドグラスが美しい。

ほぼ海岸からすぐに階段となり、教会の建物が土井の浦を見下ろしている。

本来であればこの先の有福教会、手前の桐教会にも行きたかったが時間の都合で諦め、五島最後の教会として奈良尾近くにある高井旅教会を訪れる。奈良尾港に入る船からはよく見える赤い屋根が特徴の教会。信徒は外海集落から逃げてきた者が多く、1938年に山口師に帰依した隠れキリシタンは100人に登ったと言われている。

そして今の教会は1961年に建てられたものである。もう4時前ではあったが、太陽に照らされ見事な姿を見せてくれた。

中通島・若松島では6つの教会を巡ったが、中通島に29、若松島に2、有福島に1と32の教会がある中ではかなり限られたものになった。やはり最低でももう1日滞在できればより満喫できたであろう。(以下、長崎編)

五島うどんの里〜五島ランチグルメ

2017-08-14 05:00:37 | グルメ

五島に来るとランチを食べる店が探せないことが多い。初日は何とか道の駅で食べたが、団体がいたため、1時間待つ結果に。中通島に来て『五島うどんの里』に行くことを決めてから頭ケ島教会を見に行く。この店は有川港の中心にあり、土産物屋なども併設している。

五島うどんは遣唐使が連れて来たとも言われ、中国浙江省岩担地区にある『索麺』の製法を伝えたものと考えられている。特徴は塩と小麦をよくこね、熟成させて生地をつくる。この生地を地元特産の椿油で伸ばして作る。また、出汁は焼きあごを使い取ったものを使う。

12時半ということもあり、混んでいたが何とか席を2つ確保、本来ならば名物地獄だきを食べるべきであるが、額から汗が滴る中、これはやめてウドンと刺身茶漬がセットになった『朝どれ海鮮うまか漬定食』(800円)にする。

やってきたのはすこし小さなウドンと丼に醤油につけた朝どれの白身の魚(カワハギ、ブリ、カンパチ、タイなど)のタレに漬けた刺身が乗っていて、出汁が別の容器に入ってくる。

まずはうどんから。天かすとかまぼこが1枚、うどんは細くツルツル、喉越しがよい。つゆはかなり熱いが、アゴ出汁がよく効いて美味い。

刺身の乗った丼は琥珀色の刺身はぷりぷりしていてご飯との相性も最高。半分くらい残し、これにワサビを載せ、出汁をかけて食べるがこれも美味い。これで800円は安い。この店はうどん単体ではそれほど安くないが、セットメニューは生姜焼き定食、トンカツ定食などすべてうどん付きで800円代である。店は待ち人が出るほど大入り満員だが、その訳もよく分かる。ごちそうさまでした。(天候や気温もあるのか地獄だきを食べている人はいなかった。)

五島うどんの里
長崎県新上五島町有川郷428ー31
0959422655

鯛ノ浦旧教会堂、真手ノ浦教会、中の浦教会

2017-08-13 05:00:51 | 旅行

『五島・長崎教会巡りの旅』その5。頭ケ島教会を後にして昨日食べ損ねそうになったランチは五島うどんの里でしっかり頂く(詳細別掲)。気がつくともう13時前になっており、長崎への船が17時発だから、あと4時間である。

まずは鯛ノ浦旧教会堂に向かう。わずかに走り到着、少し小高いところにあるが、隣には修道院もある。旧教会堂は1881年に初代の建物が建てられ、その後1903年に建て替えられたもの。ルルドも備え、旧聖堂の鐘楼はは長崎原爆で被爆した浦上天主堂の煉瓦が用いられている。


また、新しい教会堂は少し低い位置に1979年信徒の寄付により建てられたものでこちらは白亜の教会である。漁民が中心のこの教会は自らの不漁のため厳しい生活を強いられた信徒が1人あたり80万円もの寄付をしたことはその信仰の強さを示したものである。


真手の浦教会は土井の浦に面した丘の上にある白亜の教会で長崎市に近い外海地区の信徒が移住してきた者が多く、1956年に造られた比較的新しい教会である。海を見ると海上石油備蓄基地がよく見える。

続いて訪れた中の浦教会は湾になった向かいからもよく見える美しい眺めの教会堂であり、1925年に建設、1966年に増改築されている。

この地区の信徒は1869年明治維新後に行われた『五島崩れ』という激しい迫害を受けた地区でそれだけに信徒の『五島で最も美しい教会』を願って建てられたもの。

確かに対岸からは海に浮かぶように造られ、内部も白地に赤い椿の花が配された美しい教会であった。(以下、次回)

井持浦教会、玉之浦教会、大瀬崎灯台

2017-08-12 05:00:17 | 旅行

『五島・長崎教会巡りの旅』その3。大宝寺を出て、福江島西端に向かう。県道とは名がついているが、道は狭い。しかし、滅多に会わない定期バスに出会い、バックしてなんとかやり過ごしながら先を急ぐ。

左手に井持浦教会、ここは日本で最初にルルドが造られた教会として知られている。ルルドとはフランス南部にある泉が湧き出る地名であり、1858年に聖母マリアが現れ、聖泉を示されたという故事に由来するキリスト教の聖地であり、この水を飲んで難病が治るという奇跡が信じられている。


その模型の製作を1895年にペルー神父により提唱、造られたものである。教会自体はロマネスク調の比較的大きな建物だが、確かに裏にはマリア像が建ち、その前に水が湧き出ているように見える。思わず手を洗い、その奇跡を祈ってしまう。


次に最も外れにある玉之浦教会に足を運ぶ。この辺りは前はずっと海で周りは住宅地、その中にちんまり収まったような白亜の教会。中もこじんまりしており、手作り感を感じた。


そして、最西端にあるのが大瀬崎、ガイドブックにもここから望む夕日が美しいと書かれているが、近くに寄ってもどこにあるのかがわからない。灯台までは1.2kmの藪の道があるばかりでこれはパス。灯台がよく見える展望台まで山道を15分くらい、ようやく看板を見つけ登るがもう4時近いのに直射日光が暑く、汗がダラダラ。ようやく周囲が開け、灯台が見えた。


その先には大海原が広がり、日の入が拝めればよかったのだが、ホテルの夕食を優先してしまった。それでもここは絶景である。初日は教会を6つ、福江島12教会の半分を回ることができた。(以下、次回)