所用で松山に出かけた時、都合で小一時間の待ちが出来、灼熱の太陽を避けて近場のスタバに入り休憩した。店員に聞くと最近オープンしたばかりの「坂の上の雲ミュージアム」はそれほど遠くないというので見物することにした。
その博物館は建物としては、私はこの分野は不案内だが、著名な建築家によるもので、三角形の建物を斜面の通路を時計回りに回っていくと順路になるという斬新なアイデアに満ちたものであった。歩いているとトリック芸術みたいに少々平衡感覚が怪しくなる。
しかし、順路を辿って行けども行けども展示品が陳腐で「ミュージアム」の名に耐えるものではなく失望した。ミュージアムのテーマは私も愛読した司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」を題材にし、正岡子規と日露戦争の英雄となった秋山兄弟の生涯を紹介したものだ。
「坂の上の雲」はあくまでも小説であり、あえて言うなら司馬遼太郎的史観に基づく壮大な物語であり、史実ではない。そこにミュージアムの位置づけの難しさがある。文学か史実のどちらにフォーカスするのか。
展示物は司馬遼太郎の原稿もなければ3人の主人公が直接間接に関わった史料も殆どない。私の印象では、ミュージアムを作った人が小説を解釈してそれに基づき作者が理解しただろうという明治時代の背景説明をしているように思える。
既に子規記念館は松山市の別の場所にあり、そこには子規と彼が提唱した新しい俳句に関わる貴重な史料等が展示されていた記憶がある。そうするとこの博物館の狙いは軍人秋山実之と子規がどういう関係だったのかということにならざるを得ないはずだがそれも極僅かだ。
個人的に言うと司馬遼太郎が何故「坂の上の雲」的解釈をするにいたったのか、具体的にどういうものに触発されたのか、そういうものに興味がある。もしかしたら、これを機会に各地に散逸した史料が発掘され展示されることにより、いつか隠されていたメッセージが見えてくるかもしれない。
そういう期待でもしないとこのミュージアムは観光案内に一行付け加えられる名所古跡の一つ程度の意味しかなくなる。■