昨日付のWSJ日本版は記事「ニューヨークのコロナ対応、何が間違っていたか」で州や市の指導者が重要な予兆を見逃し、住民のリスク拡大し失われなくていい命が失われたと報じた。新興国では悲惨な状況が始まったばかりだが、日本を含む先進国はコロナ対応が一段落し反省の時期に入った様に感じる。
4月中に郷里の実家に戻り新聞を読まずインターネットとテレビ漬けの2ヵ月を過した。その間圧倒的な量のコロナ関連の報道を経て、ここに来て我が国もコロナ感染が治まりつつある。次に来るのは従来生活様式に戻るのではなく「コロナ後の新たな生活」が待っている。それはコロナありきの生活「withコロナ」といわれる。
この小記事はその前に、今迄のコロナ報道を振り返って評価するものだ。というのは、2か月間主にテレビ報道を見続け、それを主にインターネット経由の内外のニュースと比べ、私の長い人生で身に付けた物の見方を適用して評価してみた。というのはテレビに代表されるマスコミ報道に深刻な問題があると感じたからだ。
今までも個別に問題を指摘してきたが、私が見たコロナ報道には将来に禍根を残す恐れがある重大な問題があると思った三点について指摘したい。
1)PCR検査数不足に対する執拗な批判
日本のコロナ感染の数字は諸外国に比べ明らかに一桁も二桁も優れていたのに、本筋の感染状況を示す数字(事実)を無視した。マスコミは海外のPCR検査数を重点的に報じた。PCR検査数が海外より二桁少ないと執拗に報じ日本の取り組みの失敗を印象付け国民の不安を煽り、海外の評価が変わるまで続いた。
専門委員会が提唱した対策は感染者数のオーバーシュートを遅らせ医療崩壊を防ぐのが基本となる目的だったが、具体的な数字を検証して対策が目標に到達するか否か報じなかった。何が大事か全く理解せず間違った方向の議論を続け国民をミスリードし多くの人達を誘導した。ジャーナリスト失格だ。
私が技術者として社会人生活を始めた時、先輩から「データは神聖なり」と徹底された。実験結果のデータを小細工して自分の望む理論に導くことは絶対ダメだと。この頃の報道を見て目の前にあるデータ(事実)を無視してデータに基づかない報道を展開するテレビ報道に驚き怒りさえ感じた。
コロナ感染よりもっと深刻な危険な事態を招く恐れのある安全保障とかでもし同じアプローチをとったら大変なことになる。問題の深刻さを考え個人名を指摘する。目立ったのはテレ朝社員の玉川氏とTBS出演の芸人恵氏だ。会社指示か本人の考えかは不明だが、再発防止のため原因を究明し説明責任を果たすべきだ。
2)匿名社会が生んだ有害情報の伝達役
コロナ感染が認識された初期の段階でSNSで発信された偽情報が一気に拡散され、マスクやトイレットペーパーの買い占めが起こった。お店の棚から商品が消えた状況がテレビで報じられると、全国的にマスクやトイレットペーパーがショートした。多くの人達はテレビ放送をきっかけにお店に走った。
この問題はテレビ放送にだけ責任を転嫁するのは難しい。偽情報の発信元が匿名なのが重要な原因だ。最終的に発信源が突きとめられ処分された。テレビ放送は事実を報じただけと処分を免れた。だが、結果的に国民をパニックに陥れた責任の一端があると思う。今後の課題として責任をもって検討すべきだ。
ネット社会における情報発信は匿名性だけではない。SNSは名もなき個人が発進した偽情報を短期間に拡散する手段を提供したが、それが社会現象になるとテレビは事実として瞬時に全国に報じる。元は偽情報だけどそれが形になって現れると事実を報じたことになる。それが本当に許されるかということだ。
3)守るべきは個人情報か人の命(或いは健康)か
コロナ対策の一環として海外諸国ではITを使って個人の行動を追跡し、感染者と接触したと警告を与えたり感染経路を突きとめ拡散を防ごうとした。その過程で個人情報が政府機関などに把握されてしまう恐れがあったが、実行したのは中国の様な強権的な独裁国だけではなかった。
各国で個人情報を守れという国民の反対の声があがらなかったのは、何よりも最優先で守るべきは人の命という考えで一致してたからと思う。日本では保健所などの人手で感染経路を割り出そうと奮闘し何とかなった。だが、10万円の個人支給では全国の自治体が大混乱を続けている。
これもIT化したといっても自治体のマイナンバーや住民票とか税務署などの個人情報が繋がっていれば即解決した問題だ。マイナンバーを入力すれば全ての個人情報が芋づる式に見え、欧米などの様に即支援金が支給される。あっという間に支援金を貰ったと海外の例を紹介するが、その裏の仕掛けは報道しなかった。
多くのマスコミは従来から個人情報厳守を主張する野党の声を重点的に報じて来た。だが一歩踏み込んで我が国の企業や個人向けの支援金給付の仕組みと手続きを海外と比較して報じれば何が問題か見えて来るはずだ。PCR検査数報道と同じ間違いを犯している様に感じる。これでは非難だけして進歩が期待できない。
最後に私も偏向してるかも
4月中まで購読していた新聞は私の目線を上げる中和剤の役割を果たしてくれていた。それ程テレビを見る時間もなかった。だが、この2か月間のテレビ漬け生活で私の重要なニュースソースはテレビになった。つまりそれだけ真剣にテレビを見てニュースの作り方に問題を感じたが、中和剤不足で偏向しているかもと思う。■
4月中に郷里の実家に戻り新聞を読まずインターネットとテレビ漬けの2ヵ月を過した。その間圧倒的な量のコロナ関連の報道を経て、ここに来て我が国もコロナ感染が治まりつつある。次に来るのは従来生活様式に戻るのではなく「コロナ後の新たな生活」が待っている。それはコロナありきの生活「withコロナ」といわれる。
この小記事はその前に、今迄のコロナ報道を振り返って評価するものだ。というのは、2か月間主にテレビ報道を見続け、それを主にインターネット経由の内外のニュースと比べ、私の長い人生で身に付けた物の見方を適用して評価してみた。というのはテレビに代表されるマスコミ報道に深刻な問題があると感じたからだ。
今までも個別に問題を指摘してきたが、私が見たコロナ報道には将来に禍根を残す恐れがある重大な問題があると思った三点について指摘したい。
1)PCR検査数不足に対する執拗な批判
日本のコロナ感染の数字は諸外国に比べ明らかに一桁も二桁も優れていたのに、本筋の感染状況を示す数字(事実)を無視した。マスコミは海外のPCR検査数を重点的に報じた。PCR検査数が海外より二桁少ないと執拗に報じ日本の取り組みの失敗を印象付け国民の不安を煽り、海外の評価が変わるまで続いた。
専門委員会が提唱した対策は感染者数のオーバーシュートを遅らせ医療崩壊を防ぐのが基本となる目的だったが、具体的な数字を検証して対策が目標に到達するか否か報じなかった。何が大事か全く理解せず間違った方向の議論を続け国民をミスリードし多くの人達を誘導した。ジャーナリスト失格だ。
私が技術者として社会人生活を始めた時、先輩から「データは神聖なり」と徹底された。実験結果のデータを小細工して自分の望む理論に導くことは絶対ダメだと。この頃の報道を見て目の前にあるデータ(事実)を無視してデータに基づかない報道を展開するテレビ報道に驚き怒りさえ感じた。
コロナ感染よりもっと深刻な危険な事態を招く恐れのある安全保障とかでもし同じアプローチをとったら大変なことになる。問題の深刻さを考え個人名を指摘する。目立ったのはテレ朝社員の玉川氏とTBS出演の芸人恵氏だ。会社指示か本人の考えかは不明だが、再発防止のため原因を究明し説明責任を果たすべきだ。
2)匿名社会が生んだ有害情報の伝達役
コロナ感染が認識された初期の段階でSNSで発信された偽情報が一気に拡散され、マスクやトイレットペーパーの買い占めが起こった。お店の棚から商品が消えた状況がテレビで報じられると、全国的にマスクやトイレットペーパーがショートした。多くの人達はテレビ放送をきっかけにお店に走った。
この問題はテレビ放送にだけ責任を転嫁するのは難しい。偽情報の発信元が匿名なのが重要な原因だ。最終的に発信源が突きとめられ処分された。テレビ放送は事実を報じただけと処分を免れた。だが、結果的に国民をパニックに陥れた責任の一端があると思う。今後の課題として責任をもって検討すべきだ。
ネット社会における情報発信は匿名性だけではない。SNSは名もなき個人が発進した偽情報を短期間に拡散する手段を提供したが、それが社会現象になるとテレビは事実として瞬時に全国に報じる。元は偽情報だけどそれが形になって現れると事実を報じたことになる。それが本当に許されるかということだ。
3)守るべきは個人情報か人の命(或いは健康)か
コロナ対策の一環として海外諸国ではITを使って個人の行動を追跡し、感染者と接触したと警告を与えたり感染経路を突きとめ拡散を防ごうとした。その過程で個人情報が政府機関などに把握されてしまう恐れがあったが、実行したのは中国の様な強権的な独裁国だけではなかった。
各国で個人情報を守れという国民の反対の声があがらなかったのは、何よりも最優先で守るべきは人の命という考えで一致してたからと思う。日本では保健所などの人手で感染経路を割り出そうと奮闘し何とかなった。だが、10万円の個人支給では全国の自治体が大混乱を続けている。
これもIT化したといっても自治体のマイナンバーや住民票とか税務署などの個人情報が繋がっていれば即解決した問題だ。マイナンバーを入力すれば全ての個人情報が芋づる式に見え、欧米などの様に即支援金が支給される。あっという間に支援金を貰ったと海外の例を紹介するが、その裏の仕掛けは報道しなかった。
多くのマスコミは従来から個人情報厳守を主張する野党の声を重点的に報じて来た。だが一歩踏み込んで我が国の企業や個人向けの支援金給付の仕組みと手続きを海外と比較して報じれば何が問題か見えて来るはずだ。PCR検査数報道と同じ間違いを犯している様に感じる。これでは非難だけして進歩が期待できない。
最後に私も偏向してるかも
4月中まで購読していた新聞は私の目線を上げる中和剤の役割を果たしてくれていた。それ程テレビを見る時間もなかった。だが、この2か月間のテレビ漬け生活で私の重要なニュースソースはテレビになった。つまりそれだけ真剣にテレビを見てニュースの作り方に問題を感じたが、中和剤不足で偏向しているかもと思う。■