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今も役立つ異文化交流教育

2018-04-21 18:34:08 | 日記・エッセイ・コラム
30才前後に受けた社員教育「異文化交流」は未だに役に立っている。中でも上司が言った言葉「相手の言葉で自分の主張を説明し理解を得よ」と「交渉相手が自分の組織に戻り認められる合意を目指せ」という教えが鮮明に記憶に残っている。1970-80年当時、海外の会社とのビジネスが増え交渉する状況を想定して社員教育を計画したものと思われる。

それから数年後に私も管理職になり海外の企業や社内部門と交渉する立場になった。その件については別の機会に紹介するとして、本記事では仕事以外の私生活の局面でこの教えが役に立っていることを紹介する。この教育の効果だと思うのだが、私は大抵の場合どんな人とも比較的早く打ち解けて仲良くなれる。老若男女、国内外の誰とでも気にすることなく話しする。

私は国が違わなくとも人は多少とも異文化圏にいると思って接している。田舎にいると誰でも見かけると、挨拶し、知人なら近況を聞き、冗談の一つでも言って笑わせる。17日に投稿したように集落で孤立している再婚女性と土地の情報交換する中になり、彼女の愚痴を聞き何故馴染めないか聞き出した。それを頭に入れて徐々に集落に溶け込めるように助力したいと思っている。

彼女の様に孤立しているか、或いは口数の少なく難しい人もいる。前回紹介した老境に差し掛かった独身男性が数年前から仕事をしなくなり周囲を心配させている。数日前に地区の元班長にうつ病で精神科にかかっていると聞いた。今日散歩の後彼の家の前で会った時、元気かと声をかけると彼自ら「職場環境の変化でやる気を失い医者にかかっていた。先生はもう大丈夫、あせらず時間をかけて新しい環境に慣れよ。」と言われたそうだ。私は「皆、気にしてくれてるよ。何でも相談してね。」と勇気づけた。これまでは何で仕事もせずブラブラしているとしか思ってなかったが合点がいった。

田舎の集落内の人達も話してみれば夫々に異なる背景の下で暮らしている。先日紹介した犬連れの夫人はこの地域の人達の「大洲人気質」そのものが馴染めず嫌な思いをしている様子だった。私も彼女と同じような体験をしていたのでその悩みが理解でき、その理解を基に悩みを聞いてあげるとすごく喜んでくれた。これはもう善悪の問題ではない、文化の違いだと理解しないと対応が難しい。

米国シアトルで暮らした時には庭の手入れや洗濯はヒスパニックと呼ばれる中南米からの移民に頼んだ。滅多に顔を合わせることもなく、籠かなんかに支払の小切手を置いておくと翌日なくなっている関係だ。カリフォルニアに移った時は工場内の掃除を就業時間後にヒスパニックがやっていた。遅くまで残業した時、私は彼等を見つけるとニコニコ笑って挨拶しねぎらいの言葉をかけた。普通そういうことはしないらしいが、皆夫々の場で自分の仕事をしていると思えば私には同じだった。

銀座でフリーハグ運動をしている若いお嬢さんを見つけたら躊躇なく抱き着くのも同じ。美人だけ特別声をかける訳ではない。車椅子で買い物をしている女性を見つければ手助けが必要か申し出るし、交差点にいるお年寄りを見つけたら信号が切り替わる前に渡りきれそうか様子を見る。田舎で外国人観光客を見れば下手な英語で楽しんでるか声をかける。知らないオジサンに声をかけられても大人も子供もあまり警戒感を見せないのは、長年の習慣でそうなったのかもしれない。

やたら誰にでも声をかけ相手が何を欲しているのか理解しようとするのは、遡れば40年前受けた「異文化交流」教育がその後の環境で身に着いたからだと思う。その私が最近驚いたことがある。小2の孫に比較的複雑な言い回しである抽象概念を説明した時、一瞬にして私の言おうとした要点を理解したことだ。私の異文化交流教育が一瞬にして乗り越えられた気がした。■

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