かぶれの世界(新)

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インテル: 先行指標の役割低下か?

2004-09-14 11:48:30 | 株式
9月初めインテルは第3四半期の業績見込みが7月の予測を大きく下回ると発表した。従来控えめな予想をし、その後予想を上回る実績を出すスタイルをとってきたので、予想を下回る実績見込みは投資家が嫌うサプライズとなり、NASDAQ低迷の原因となった。 インテルは理由としてIAアーキテクチャ(CPUと思えばよい)の需要減と棚卸水準の悪化を上げている。

ハイテック調査会社であるGartnerやIDCも7月時点で世界PC市場は年率13%成長を予測をしていたが、その後市場は減速した。 日本のPC市場は5月連休の商戦頃から前年売上を下回るようになり世界市場に先行して減速が始まっていた。インテルはバックツスクールの需要(9月)が弱く在庫が踏みあがると報告しているが、実際には7-8月の売上に異変が出て下方修正せざるをえなくなったと思われる。

ところが、NASDAQ株価は先週後半に盛り返しハイテック比率の高い日本市場の株価も連動して回復してきた。 回復は直近の半導体需要が堅調で、IT企業の足下の業績が良く、原油価格が40ドル前半で落ち着いてきたことが上げられる。 しかし、中期的に見ると回復は楽観できず、株価回復は短期リバウンドであると見られている。 今回の市場動向変化を考察するに、インテル業績は常に先行指標として投資家の注目の的であったが、その圧倒的な役割が弱まりつつあることに注目してみたい。

世界のハイテック市場において代表的な商品の年間売上は、PCは1億2千万台、ディジカメは6千万台、携帯電話は6億台である。 5年前迄は殆どPCが占めていたがディジタル化が爆発的な速度で進むにつれ市場牽引車としての役割が低下した。 日本の半導体各社はPCに依存しないビジネスモデルに転換した。 半導体の技術開発は数量の多い携帯電話に焦点を当て、その後他製品に展開する構造に変化した。 この構造変化への対応に遅れたのが、インテルの株価に素直に反映されたのではないかと私は考える。

インテルは最近製品開発の中止や遅れが相次いでいた。 今まで会社存続の根拠であったムーアの法則が揺らいでいる。 これ以上早いCPUを作ろうにも技術的にも限界が見えてきた上に、投資を回収できる需要も期待できない。 この模索の中、後2ヶ月でポール・オッテリーニ社長がクレーグ・ベレット氏の後を次いで最高経営責任者となり新しい舵取りを期待されている。 ポールは70年半ばの創世記に入社しCPU事業の本流を歩いてきた。営業責任者、社長と階段を上がりCPUパワーを高めるより通信や表示機器等の周辺回路の取り込みに重点をおいた商品の転換に成功させた。 しかし、これはもともと圧倒的に有利なインテル独占のビジネスモデルが確立しているPCの世界での戦いであった。 

挑戦は成長しているディジタル化商品の世界でインテルが意味のある地位を獲得することができるかである。 業界はPCのビジネスモデルを適用させない決意であり、インテルには今までになく困難な挑戦であるといえる。 ポールとは95年に営業責任者になった前後に数回会った事があるが、インテル技術者の醸しだす独特な雰囲気がなくタフなアメリカン・ビジネスマンという印象が残っている。 離婚歴があり子供もいるが、アメリカのビジネスマンは砕けた感じの人が多い中で、家庭の事を一切話さず一寸変わっているという記憶がある。 彼なら長年のインテル独占のビジネス構造にどっぷり漬かった文化を変えて新たな発展の基礎を作ることができるかもしれないとの期待があるのであろう。


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ロック・スケート

2004-09-08 14:33:38 | スポーツ
95年から3年間仕事の都合で米国に単身赴任しシアトル郊外に住んだ。1年の9ヶ月は雨が降るという土地だが、夏は乾燥して過し易く週末になるとハイキングやバックパッキングに出かけた。レニア山は海抜4000mで富士山より一回り大きい裾野に無数のハイキングコースがあり、特に南側にある登山口から8合目あたりのキャンプ・ミュア迄のコースは人気があり通算して20回ぐらい通った。 早朝起きて車で2時間かけて登山口に着き、登り4時間、降り2時間、計6時間かけてハイキング、夕方までに戻り馴染のセラピストと雑談しながらマッサージを受けるのが毎週末の楽しみであった。 

緯度が高いのでハイキング・コースは登山口から雪に覆われているが比較的なだらかで踏み固められて判り易く、2000m以上になると平らな氷河の上に降った雪の上を歩くのでコースを外れない限り難しくない。 富士山と違って車中からも歩き始めてからも景色は素晴らしい。3000mに近づくと空気が薄く息苦しくなるが、少し頑張るともうキャンプ・ミュアである。 これ以上は本格的な登山技術を身につけた人でないと登れない。 ガイドブックは9時間かかるといっているが普段運動をしている人なら6時間程度で往復できる。 私は転勤した最初の2年間は毎週地元の高校の体育館でバドミントンの練習をし、州や市のトーナメントにも参加していたので6時間で往復し、車での移動に4時間かかっても夕方には帰宅することが出来た。 

ある時、出遅れて登り始めたのでセラピストとの約束に間に合わせ様として降りを急いだがバランスがとれず上手く歩けなかった。最初は下り坂で転ばないように踵に体重をかけて歩き滑って後方に転んだ。何度か転ぶうちに、つま先に全体重をかけやや前のめりになりながら滑るように歩くと、雪の上をスケートのように滑りながら歩ける様になった。 後ろを振り返って見ると1~2mの滑った足跡が交互に続いていた。 慣れてくると走る感覚で滑り降りることが出来るようになり、何度か繰り返すうちに熟練してきて1時間あまりで登山口に戻れた。 歩き方だけでなく普段から膝や足を鍛えておき、リュックは軽くしておかないと難しいかもしれない。 当時高校生の娘を連れていった時、登りは私より強かったが、急坂の雪の上を走り下る恐怖感で腰が引け上手くいかなかった。 しかし慣れてくると私はこの「スノウ・スケート」が毎回ハイキングの楽しみとなった。

これには20年以上前の高尾山での経験が元になっている。長雨の後高尾から陣馬まで歩いた時、影信から先の赤土の道が所々ぬかるんでひどく滑りやすくなっており降り坂で何度か尻餅をつき泥だらけになった。 まだ先が長いので色々歩き方を試してみて、滑らないように歩くのではなく逆につま先に体重をかけわざと滑らせて歩くと、体のバランスが取れて滑るけれども転ばない歩き方が出来ることに気が付いた。以降これを「マッド・スケート」と命名して雨の日やぬかるんだ道を気にせず歩けるようになった。 雪と泥の摩擦係数に差はあるものの理屈的には同じ歩き方だったので、基本的な技を身に付けていたのかもしれない。

2年前の夏息子とカナディアン・ロッキーに行った時、予想もしないところでこの技が役に立った。 バンフ市の象徴といわれているランドル山に登った時のことである。 天候が安定していなかったので、登る前にレーンジャー・ステーションに相談したところ、登山許可がでなかった。 ランドル山は3000m弱の険しい山で道具を使わないで登れる限界の山であると説明を受け、過去どのような天候の時どこで遭難が起こったか解説つきの地図で助言を受けた。 翌日天候が回復し許可をもらい早速登り始めた。 2000mを越えたところで急坂になりすぐに森林限界に達し、岩場になりコースが曖昧になった。 所々に小岩を積んだケルンを頼りに登っていくのだが、ドンドン急坂になりどこもかしこも砕石で覆われ、徐々に砕石が大きくなり、その層が深くなり足下が不安定になった。 龍の背と呼ばれているところは尾根が痩せており怖い思いをして恐る恐る登った。はるか下から追いついて来た若いパーティに追い越されるという、私にとってはめったにない屈辱も経験した。 やっとの思いで頂上に立ったとき360度の眺望は素晴らしく、苦労は報われた。登ってきた尾根の反対側はほぼ90度で1000m以上急落している絶壁であった。 バンフ市の象徴言われる所以である。 しかし絶景を楽しみながらも、ザイルも何もなしでどうやって下山するか考えるだけで頭の中は一杯だった。

昼食を済ませ下山を始めるとどこを通ってきたかルートがはっきりせず、一歩踏み出すごとに足下の砕石が崩れ、ズルズル滑っていく。しかし腰を引かず直立していると急坂でも数十センチ滑って止まるので、そこで次の一歩の場所を決めて踏み出すというようにすると楽に歩けることが判った。 その時スノウ・スケートの歩き方を思い出し、つま先に体重をかけ手でバランスを取りながら思い切って急坂に向かって滑るように歩くと見事に決まった。 摩擦係数は雪や泥に比べて大きいが原理は同じである。 及び腰の息子に要領を教えるとすぐにコツを掴み、後は二人でキャーキャー言って楽しみながら下っていった。 何故か龍の背も怖くなかった。 先に下山を始めたパーティも全て抜きさった。 登りの時元気の良かった若い米国人ペアも急坂を用心しながらへっぴり腰で下っており、あっという間に追い抜いていった。 すれ違いの雑談で凄く楽しそうにスケートをしながら降りて来るように見えるとその女性(ちなみに金髪)が言ったので、これは私が発明したロック・スケートだといって年甲斐もなく自慢して説明してしまった。 連れの男性がかなりへっぴり腰だったのも気をよくした。

これが、下り坂の摩擦係数が小さく(滑り易い)、靴底が硬く頑丈な場合の歩き方のコツである。 ロック・スケートは私のオリジナルではないかと思っているのだがどうだろう。


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テロは何故起こるのか

2004-09-06 12:14:28 | 国際・政治
ロシア南部、北オセチア共和国で起こった学校占拠事件の犠牲者は、今朝方の報道では500人以上に登るという見通しになった。そのうち大半が子供という悲惨な結末を迎えた。  9.11やイラク戦争などテロは既に日常化してしまった。 ブッシュ大統領をリーダとしてテロとの戦いを始めたが、事態はむしろ悪化しているように見える。 このところ私は悲惨な事件が起こるたびに、人は何故テロを起こすのかという基本的な疑問が毎日のように湧いてきていた。 今日現在の結論を言うと、グローバリゼーションの進行速度の地域的な偏りによる地球規模での富の再配分と敗者救済の仕組欠如が原因であると考える。
 
テロとは暴力や恐怖によって政治上の主張を通す事で、反対する政治家の暗殺や国民を強権で脅す事により目的を達しようとする。塩野七生さんの大著「ローマ人の物語」では、「テロ行為とは、文明が未熟だから起こるのではない。選挙による落選という手段が奪われているから、やむを得ずテロに走るというのでもない。権力が一人に集中しており、その一人を殺せば政治が変わると思えるから起こるのである。」と言っている。 最近の事件を見聞きするにこの定義では説明しきれない事態になっていると思われる。

テロは昔からあった。 紀元前のシーザからケネディまで政治権力者の暗殺や、日本でも戦前の2.26などの要人暗殺、戦後の浅沼書記長暗殺、連合赤軍やオーム真理教のテロ等連綿と続いている。 特に9.11以降テロのグローバリゼーションが鮮明になってきた。 今回のロシアの学校占拠事件でもアラブ人が加わっており、国際テロリストネットワークとしてのアルカイダの関与が注目を集めている。 これらは塩野さんの定義を大きく逸脱している。 現状が絶望的なまでに変えられない状況において、原理主義を貫き通してあるべき姿の実現を全てに優先して追求するという組合せがテロの発生する必要条件となっている。 しかし十分条件ではない。 例えばユダヤ教は極めて厳格で原理主義的であるが、悲惨で困難な状況でもテロを生まなかった。 かといってイスラム教徒だけがテロを起こしているわけでもない。 アイルランド独立テロは基本的には民族及びキリスト教徒の宗派間の紛争において弱者の戦いの手段であった。

冷戦集結後、急激なグローバリゼーションの進行は冷戦時の構造を大きく変化させ、世界規模で新しいルール(基本的には公平で自由な競争による金儲けのルール)のもとで経済競争を行い富の再配分が進んだ。 結果はアメリカの一人勝ちといわれているが、マクロで見ると欧米やアジア諸国が配分を増やしたといってよい。 この競争の勝組みが彼等の論理で政治もしくは経済的に圧倒的に強い仕組を作り、その仕組みの中で富の偏在が嘗てないほどに進み、かつ負け組みに富が配分されず彼等の論理から見て許容出来ないほどに理不尽で非寛容であった場合にテロが起こっていると思考する。 

先進国では敗者に対する生活を保障する仕組があり全体としてバランスをとりながら経済成長していくよう国家運営がなされるが、地球規模で見ると金儲けのルールのグローバリゼーション化だけが先行し、敗者に対する救済が決定的に遅れておりそのギャップは益々大きくなってきた。 しかも勝ち組みだけが富を得ているという情報は、勝ち負けに関わらず平等に世界中に瞬時にリアルタイムで共有される。 政治家は国内なら定期的に選挙があり負け組みの(既得権益を守る)票は必須であるから、富の配分には非常に敏感に反応してしかるべき政策を遅滞なく立案実行するが、世界規模でタイムリーになされる仕組などないに等しい。 殊に技術の進化による情報認識の速度が飛躍的に高まった現代、情報と実行の時間の遅れは相対的に益々大きくなり事態はとめどなく悪化しているという絶望的な捉え方をしても不思議ではない。 

パンドラの箱は既に開けられた。 ブッシュ大統領やケリー大統領候補にこのような認識はない。 これから数年事態はもっとひどくなるというのが私の予想である。 軍事的に抑えても、今回のロシアのように別の弱い所からもぐら叩きのようにテロが出て来るだろう。 プーチン大統領は国家に対する戦争であると宣言したが、更なる困難なテロが起こるのを恐れないではいられない。 底流に流れる本質の正確な把握と冷静な対応のみが問題の解決に繋がる。 先にアジアカップ(続)で述べたが、中国が一国内に経済成長の巨大な偏在を抱え、かつ独立志向の強いチベット民族等を抱えた多民族国家であり、その舵取りが注目される。 しかし、基本的に船頭は一人でやり易いが、地球規模の舵取り不在の難しさに例えることは出来ない。 残念ながら悲観的にならざるをえない。


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イラクの韓国軍

2004-09-02 23:21:40 | 国際・政治
 韓国は米英に次いで三番目に多い3600人の軍隊をイラクに派遣しているが、その動静が殆ど聞こえてこない。 最新号のタイムがこの疑問に答えてくれた。 
 韓国政府はテロリストに情報を与えることになる韓国軍についての報道を慎むよう新聞及びTVネットワークに要求し、メディア各社がそれに応え殆ど報道されてない為である。 韓国軍はイラク北部のクルドが住むアルビルに進駐しているが、取材に訪れたTVプロデューサは基地内への移動を強制され、外出はクルド兵の付き添いが必要で、6月到着以来一度もTV報道されていないと嘆いている。 特に民間通訳が殺害されて以来締め付けが厳しくなった。 韓国内でもイラクへの派遣は国民的な争点となり政治問題化したが、報道の自主規制が政治論争を沈静化した形になっている。 一部で万が一不幸な事態が起きたとき国民に伝えることが出来ないとして反対する動きもある。 オンラインニュース配信の主任編集である朴氏は、実質検閲であるとして規制を拒否した。 実際のところ、クルド配下のアルビルではイラク南部の混乱は起こりそうもないのだが。

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景気動向と在庫循環

2004-09-01 17:46:26 | 社会・経済
4-6月のGDP成長率が予想を大きく下回る前年同期比1.7%に留まり、原油価格の高騰や雇用回復の遅れ、ハイテク市場の先行き需要停滞見込み等による米国経済成長のスローダウン予測と併せて日本経済は調整に入ったという見方が増えている。 この1年経済回復はつかの間の夢だったのか、果たしてこれは調整なのか、更なる回復の道を歩む手前の踊り場なのか多くの人の関心事であり、下期始めに当り私なりに考えを整理しておきたい。

昨年半ばからの景気回復はディジタル家電を中心とする輸出及び設備投資の増加によるものであった。今年に入り国内消費の回復も見られ、今年半ばには失速すると予測された景気見通しが2005年前半まで続くという見方があった。GDP成長率低下は牽引力となる設備投資が伸び悩んだ事が大きく、楽観的な予測に冷水を掛けた結果となった。ここで景気と裏腹の関係にある在庫循環の重要な変化について考察しておく。

4年周期で繰り返す景気循環は通常在庫変動を主要因とする。 ところが、在庫循環をIT財と非IT財に分けて見ると、90年後半から異なる動きをし始めた。 即ち、非IT財はカンバン方式やPOSシステムが精緻化し、日米ともに在庫率(在庫残高/出荷比率)が抑制され4年周期で繰り返された在庫循環が消滅した一方で、3年から4年の周期を持つ残りのIT財の在庫循環が、IT財の設備投資循環と一体化した。 加えてグローバリゼーションを通じて日米のIT設備投資サイクルが連動した結果、通常設備投資サイクル(10年程度)の下で副次的に扱われたIT財の変動が相対的に影響度が高めた。 IT財だけの在庫率循環を見ると依然円形を描く傾向にあるが、ここに来て出荷比在庫率が高まってきており冒頭の先行き弱気な見方の根拠となっているわけである。このIT在庫循環の先行指標として需給バランス(BBレシオ)が低下しており弱気な見方を裏付けている。  

それでは悪いニュースだけかというとそうでもない。原油のスポット価格は既にピークを打ち大幅に下がった。石油の高騰はイラン、ロシア、ベネズエラ等産油国の政情不安に付け込んだ投機的な動きであり、投機が一段落した今後徐々に40ドルを切る適正値に戻っていくだろう。中国政府の経済舵取りは一時の過熱状況から混乱から脱しつつあるように見える。若干不透明なのは米国経済の6割を占める消費支出であり雇用等景気指標を見守る必要があるが、大統領選の最中では悪くとも現状レベルに留まるのではないかと予測している。GDP成長率減速の原因となった日本のIT設備投資は関連指標を見ると依然需要は堅調であり需給のバランスは崩れていない。

このような状況の中、海外のアナリストには最近投資先として新たに「日本買い」を明言するところが出てきた。世界的に回復速度の乱れ・減速が心配されている中、「比較的悪くはない」日本買いを薦めており、消去法的な選択というきらいはあるものの前向きに捉えてよいと考える。 構造改革を断行した結果IT企業の足下の業績は概して好調であり、景気の成り行きに耐えられる余力を持ちながら更なる構造改革が進むと予想されるためである。 総合すると今後の日本経済は若干速度を緩めるものの、設備投資と輸出、国内消費がバランスして2005年中まで継続して回復を続けるものと予想する。


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