NHKの連続ドラマ「おひさま」を毎日とはいかなくとも出来るだけ見るようにしている。戦後生まれの私には鮮明では無いものの、頭の片隅に記憶している風景が出てくるからだと思っている。それは灰色の風景だ。「ゲゲゲの・・・」の昭和30年代の調布近郊はまさに私の青年時代で天然色だが、戦時中の安曇野と戦争直後の四国の田舎の景色はそれ程変わっていないと想像する。
特に気になるのは、主人公が召集令状を受けた蕎麦屋の一人息子と入隊する前日に結婚するくだりで、私の父と重なったからだ。父は滋賀にあった連隊に入隊したまま終戦を迎え、復員したのは28歳の時だった。その後結婚し直ぐ生まれた子が私で、いわゆる団塊の世代だ。
ドラマの夫役は蕎麦屋の一人息子と年恰好がほぼ同じで、父は田舎の役場務めだが農家の一人息子、どちらも戦死すればその家の跡取りがいなくなる境遇だった。ドラマを見て考えた事は、父は国内の連隊に入隊し、ドラマの蕎麦屋の息子は戦地に向かうことになる(多分)、この違いは何から生じたのだろうかという疑問だ。
昔近所のオジサン達が酒席で戦地での苦労や武勇伝を自慢げに話すのを聞き、家に戻り父に聞くと何らの戦地経験がないことを知り子供心にがっかりしたものだ。父は子供のとき自転車から溝に転げ落ち右腕が真っ直ぐ伸びなくなった。そのお陰で、兵隊検査で丙種合格になったからだと聞かされた。だが、見かけ上腕は真っ直ぐに見えた。
父は単に運が良かっただけだろうか。父は30年前に亡くなり、その後数年たってその時の事情を知っていると思われる祖母も死んだ。誰に聞いたか記憶は無いが、母一人子一人の事情を汲んで有力者の口利きで内地入隊になったのかもしれないと聞いた気がする。真っ直ぐに延びない腕はその言い訳に使われたのではないかと。
だがドラマの息子も蕎麦屋の一人息子だ。どこに入隊しどの戦地に向かったかが生き残るかどうかの「運命の分かれ目」だったはずだ。それは偶然だったのだろうか。戦前のシステムは地主階級が優遇された時代だった。父は数町歩の田畑を所有する中小地主の農家の一人息子といったところだが、それが理由で戦争を生き残り私が生まれたのかもしれないと思うと、ドラマがずっと身近に感じられた。■