かぶれの世界(新)

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東京郊外の風景(3)

2019-02-19 11:01:13 | 社会・経済
最寄りの駅前の商店街の閉店が続いている。昨日午後に買い物に出掛けると、私もよく利用する総菜屋とMOSバーガーの灯が消え後始末作業が始まっていた。私には予告なしの突然の閉店だった。ビルの1階は食品スーパーとドラッグストア、コーヒーショップに花屋だけになってしまった。シャッターが閉まり異様な風景だ。

どちらの店も少なくとも私が通り過ぎた時は何時もお客が絶えない様子だった。昼時の総菜屋には弁当を買うサラリーマンの姿(多分東芝の社員)を良く見かけた。ネット情報だと全国的にファーストフード店の閉店が続いている感じがする。

家内もそれを聞いて驚いた様子だった。一体何が起こっているのか未だに分からない。一方、昨日は近くの東京競馬場で重賞(G1レース)があり注目の女性騎手が走るとあって、6万人を超える観客でごった返していた。このアンバランスはどう理解すればいいのだろうか。

先に投稿したツタヤはビジネスモデルの変更が原因と報じられている。MOSについては店主が高齢化して後継者が見つからず閉店する例を聞いたことがある。これも人出不足が別の形で現れたということだろうか。一方、駅の北側の商店街は閉店しても時間をおかず別の店が入って来るのだが。?■
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サイレントマジョリティー

2019-02-16 11:55:55 | 芸能ネタ
何時ものシリアルに果物とヨーグルトの朝食を取ながらニュースと市場をチェックしていた。トランプ大統領の国家非常事態宣言発令とNYダウが400ドル以上の上げを見て、CATVのカラオケランキングにチャンネルを切り替えた。最近はぶっ飛ぶニュースを見ても驚かなくなった。

ところがテレビから流れて来る楽曲の歌詞を見てぶっ飛んだ。アイドルには不似合いな灰色の制服っぽい衣装を着た欅坂46が歌う、「黙って群れの中にいては何も起こらない、孤独を恐れるな、声を上げてNoと言おう」みたいな過激な歌詞を聞いて驚いた。「サイレントマジョリティ」(物言わぬ大衆)というアイドルが歌う曲らしからぬ題名だった。

家内に誰が作詞したのか聞くと「アキモトでしょう、それ以外はありえない」と冷静な返事。ネットで調べるとその通りだった。しかし、非常にメッセージ性の強い歌詞でアイドルが歌うのかよと思った。だが若い頃聞いた反戦フォーク歌手のメッセージソングよりやけに説得力があった。そうか、こういう手があったか。

ネットでは「サイレントマジョリティ」は「奇妙で怖い」という意見が散見された。灰色の制服っぽい衣装とダンスが全体主義的なイメージを醸し出し、その中で勇気をもってNoと言おうと歌う。だが、もし強権的で言論の自由がない体制下で歌えば、直ちに国家反逆罪で獄に繋がれる姿を想像をした。

今でもそういう国がある。例えば中国だ。多分この歌は中国では発禁になるなと先走った想像をした。もし中国にいたら欅坂46は逮捕されるか国外追放になるだろうと想像した。ネットで「奇妙で怖い」と感じる意見が出たのは、そう言う想像があったのではないかと思う。■
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東京郊外の風景(2)

2019-02-15 21:31:09 | 社会・経済
一体どうしたのだろうか。市内の駅前の店が今年になってどんどん閉店しているのだ。我が家は京王府中駅と府中本町駅、分倍河原駅の三角点の中にあるので、これら三つの駅前の商店街で買い物や食事をすることが多い。たまに散歩で3駅を経由することもあるが全て変なのだ。

昨年11月に半年ぶりに帰京して街の風景が微妙に変わった様に感じた。京王府中駅前の高層ビルの周りに幾つかの高層ビル工事が進んでいる一方で、駅周辺の商店の多くが閉店しシャッターが下りていたり、閉店を予告する張り紙が表示されているのだ。

高層ビルの殆どは住宅用で人口は増えているはずなのだが、商売という点ではプラスになっていないようだ。京王府中駅周辺では市のシンボルの百貨店伊勢丹が撤退し、新宿側のガード下の洒落たレストランは1店を除き全てシャッターが下りてしまった。

分倍河原駅周辺では新規開発された駅南側の商店街ミナノは我家から近く、時折スーパーや100円ショップなどを利用する。その近くの中華料理店、鶏肉惣菜店、靴屋、レンタルショップ蔦屋が閉店した。府中本町駅周辺は競馬場の人出を避けて余り利用してないが、ここもシャッターが下りたままのお店が目立つ。

共通するのは閉店後の百貨店を含めて、替わりにどんな店が来るのか分からない、どうも決まって無い様なのだ。この街は高層ビルが建ち人口が増えているはず、高齢者ばかりになった多摩ニュータウンとは違うはず、なのに何故というのが私の疑問。一体何が起こっているのだろうか。■
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私も民主党政権時代は悪夢だった

2019-02-14 17:53:27 | ニュース
安倍首相の党大会発言「悪夢のような民主党政権」に対し岡田元副総理が反発し激論になった。岡田氏は政党政治で頭から相手を否定しては議論が成り立たない、撤回せよと迫った。対して安倍氏は言論の自由を盾に撤回を拒否し、当時の経済状態をあげて民主党を批判したと報じられた。

私も民主党政権時代は悪夢だったと今でも思っている。多分、多くの国民はそう思っているはずだ。リーマンショックに起因する最悪の経済情勢や東日本大震災と原発事故など不運もあり、政権担当経験のない民主党にとって厳しい政権運営を強いられたのは同情するが、それでは困る。

時々の政権がベストの解を徹底して追求し実行しなければいけない。それが政治だ。残念なことに当時も今も経済が分かり経験を積んだ野党政治家は非常に限られている。それが安倍岡田論戦の中でも感じられ、一部マスコミを除き多くの国民の共感を得られなかった印象だ。

鳩山首相時代の迷走ぶりは論外で、その後遺症を癒す為に多大な労力が強いられた。まだ終わってない。いまだに沖縄の基地移転問題はこじれたまま、大震災救援で高まった日米同盟の信頼関係を傷つけ、以後の政権は修復に多大なエネルギーを費やした。注目を浴びた事業仕分けも報じられない小さな後遺症が各地に残っている。私から見ると悪夢は終わっていない。

民主党が分裂しいまだに当時の支持を取り戻せていないのは、政権当時の失敗(悪夢と言いたくなければ)をキチンと反省して国民に示すところから出直さなければならない。なのに何時まで経ってもしっかり反省せず、与党批判と野党間の主導権争いばかりやっていると見られているからだ。

国会審議を見ても山積する問題に対応する重要政策に対してケチをつけて反対するのみ。それではどうしたいのか代案を示して議論しないものだから、一体どうしたいのかよく分からない。政権担当の学習効果ゼロだ。これでもう一度野党に国政を任せようという気にはならない。私はそう思う。

一方、こう言う状況を国民に知らせるマスコミも問題発言もしくは失言報道で忙しい。残念ながら報道の本質を忘れて重箱の隅をつつくようなニュースを時間を使って報じている。来年度予算の国会審議が始まったというのに、テレビやネットなどは予算案の狙いとその問題点は何か、それに対して何が審議されているかまともに報じているようには感じられない。

蛇足

関連して桜田五輪相の「がっかり発言」報道はもっと酷い。大臣が謝罪すれば済む程度の失言をマスコミは時間をかけて執拗に報じているように私は感じる。「がっかり」というのは多くの人が感じたと思う。メダルの数を気にしてる?しかし、これって国会で議論すべきことかい?

マスコミは普段相手にもしないスポーツでも日本が強くなると突然時間を割いて中継を始める。それと「がっかり」発言は表裏一体の様に私は感じる、少なくとも真のスポーツ愛好ではないと私は考える。日本の勝ち負けに拘るスポーツ愛国主義者の振る舞いだ。皆そうだけど、大臣も。■
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安価であることの問題

2019-02-12 12:13:08 | ニュース
昨日の日本経済新聞が掲載した記事「消費財も再利用する時代」(Financial Times 2/7)は示唆に富んだ内容だった。技術や経営の革新的な進歩で製品が安くなり「使い捨ての消費習慣」を引き起こしたが、その持続可能性が疑問視して再利用する動きが出て来たと指摘している。

世界は地球規模で「良い商品を安く作って安く提供する」競争をし、消費者に安価な商品を提供してきた。これが経済成長を促し人々が豊かになるシンプルで基本的な考え(或いは信仰)であった。今も変わらないビジネスの基本だ。

だが、人々が豊かになる一方で商品が一線を越えて安価になった時、多くの人々は次々と商品を買い使い捨てするようになった。記事によると世界は毎年1000億着(一人当たり15着)の衣料品を生産し15年前の半分の期間で使い捨てされるという。1人当たり年間約10トンの原材料が全世界の消費・生産活動に使われ、製品の大半は再利用されずに捨てられるという。

欧米企業にはこの消費行動の持続可能性に疑問を抱き始め、例えばイケアは家具のリサイクルに加え今年から机や椅子などのレンタル事業も始めるという。こうした一連の動きはインターネットを活用した自動車や自転車のレンタルや民泊などの循環型経済の一環として捉えるべきだろう。

ファストファッションの表側は常に最新の衣服を安価に購入して着る、一方その裏側は去年まで着た古い衣服はタンスの肥やしになりやがて捨てられる、いわゆる「使い捨て」消費の典型的な例だ。上記のように廃棄されるまでの期間が短縮され、メーカーは売り上げを伸ばしていくビジネスモデルだ。

上記の新たな循環型経済トレンドはファストファッションの様な「使い捨て」消費のビジネスモデルに大きな影響を与え見直しを強いることになるだろう。既に彼等はその日が来ることを認識して準備しているだろうが、何時実行に移すか走りながら考える難しい対応を迫られると予測する。

私はこのような世の中の変化から、多分2周遅れの生活をしている。子供の時から「良いものを買って長く使う」よう躾けられた。私自身徹底して「無駄な買物を絶対にしない」と心がけて来たので、安価になっても不要なら買わず衣類に限らず子供達の「お上がり」を擦り減るまで着ている。

子供達がどういう消費スタイルなのか私は良く知らないが、二人の息子は必要な時のみ車を借りて利用し、女性達も子供服や礼服などは融通し合って利用している。私の節約した分は結局のところ子供や孫達に先送りされる。彼等がどう使うかは彼等の価値観に基づいた消費スタイルに依存するだろう。

本題に戻ると安価になったが故に世界的な問題が起こるというのは、現代から未来への逆説的な警鐘であるとともに昔気質の私には本末転倒の様に感じる。進歩必ずしも進歩ならずとまでは言わない。今後どのような展開を見せるか注目していきたい。■
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