草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本を護る精神的防波堤は白虎隊や特攻隊の壮絶な最期だ!

2014年05月21日 | 祖国日本を救う運動

 会津といえば白虎隊である。「白虎隊が軍国主義に利用された」という人がいるが、それは一面でしかない。どうしようもない現実に直面すると、人は自分の死の意味を考えようとする。そこで登場するのが、死を美化することである。それは戦争ばかりではなく革命においてもそうである。かけがえのない命を捨てるには、共通した心理が働くのだ。それなくしては、従容として死に就くこともできないのである。時の権力者が白虎隊の精神を押しつけたわけではない。白虎隊を敵とした長州の萩市に地蔵尊堂があり、そこには白虎隊の自刃の図が掲げられている。白虎隊の剣舞や踊りは、全国で行われた時代があったのだ。危機なりせば、国民は精神を奮い立たせなくてはならない。そこで出てくのが、白虎隊精神なのである。「衆寡敵せず」にもかかわらず、敵に立ち向かった勇気を讃えるのである。大東亜戦争においては、それを受け継いだのが神風特別攻撃隊であった。体当たり攻撃は人間の限界を超えている。しかし、その記憶があるからこそ、歴史の事実として記述されているがために、今でも日本を侮ることはできないのだ。いかに戦後の日本人が腑抜けになっても、いざとなれば白虎隊の少年たちや、日の丸の鉢巻きをした特攻隊員のような若者が出現する。それを知っているからこそ、諸外国は日本を恐れているのである。郷土や国家の護るために身を捧げることは立派である。その覚悟が若者になければ国は滅ぶのである。「白虎隊が軍国主義に利用された」のではない。危機的状況においては、白虎隊の精神が日本人に求められるのである。

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の原発輸出や中共の脅威に物申せぬ特定アジアのマスコミ!

2014年05月21日 | マスコミ評

 中共様や韓国様には逆らえない。特定アジアのマスコミは、日本の原発に関しても猛反対。もちろん日本の原発輸出にも大騒ぎ。ところがどっこい韓国の原発輸出にはだんまりを決め込む。日本は悪くて韓国はいい。これこそまさしくダブルスタンダードではないか。韓国に対して苦言を呈すればいいのに。日本だって危なっかしいのに、韓国であればなおさらである。しかし、韓国様には物申せない。それが日本のマスコミなのである。韓国の旅客船の事故を連日報道し、まるで自分の国で起きたようにヒステリックになっている。マスコミにだって日本派もいるはずだが、ほとんど目につかない。その分頑張っているのがネットである。金もない地位も無い国民の方がまともな意見を述べている。夢想家のイデオロギーなど間違っても振り回さない。中共が尖閣諸島を攻めるのは想定内になっており、お花畑とは無縁である。韓国の日本バッシングに対して、身構えるすべを知っている。ずれているのは日本のマスコミだ。特定アジアの走狗になり下がり、そこの代弁者となっている。それがどうしてリベラルなのだろう。自由もない国やすぐにいきり立つ国が、どうしてよい国なのだろう。それでも徐々に色あせてきて、トクアノミクスは評判が悪い。気付かないのはマスコミ村の住人だからだろう。集団的自衛権の行使容認についても、中共や韓国の了解を取れとか。侵略をしてくる国に向かってそれはないだろう。日本のあらゆるマスコミは、中共や韓国の人間が何人いるか公表すべきだ。国益を無視して報道をするのは日本派がいないからだろう。そもそも日本人が少数になっているからではないだろうか。

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国を憂う浪人の心 10句

2014年05月21日 | 川柳

隠遁をするには世界騒がしき

政治屋の手練手管に嫌気さす

右左(みぎひだり)右往左往で理念なし

口だけの政治屋ばかりいつの世も

ネットだけまともな議論風刺あり

口に出す勇気教えしネットかな

真に受けし人につけこむ大新聞

金ありて地位ある人に心なし

国憂う人の暮らしは極貧ぞ

浪人のさみしき心捨て石に

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今こそ国の護り固めん 5首

2014年05月20日 | 短歌

国挙げて護り固めん危機なりしいにしえ人の忠義ありしや

争いの種つきぬ世に国民の命守るが政治家なりし

大君の御盾となりしは大和なる国ぶりなりし神風となる

内戦の恐れ高まる日本に平和もたらす大和心は

民族の勢いそがんと外圧が攘夷のパトス試されしかな

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇陛下への尊敬の念を持つ国民が過去最高に!

2014年05月19日 | 思想家

 日本が世界に誇るべきものは皇室であり、日々国民のために、自らを無にして御祈りを捧げておられる天皇陛下の尊い存在であられる。いかなる政治勢力にも利用されることもなく、超然としておられることで、国民は心の平安を保つことができるのである。戦前のように各家庭に天皇陛下の御写真が掲げられているわけではない。しかし、災害に見舞われたりすれば、真っ先に御出かけになられ、我々国民と悲しみを共にされる御姿に、日本国民は心を打たれるのである。NHK放送文化研究所が昨年10月に行った調査によると、天皇陛下に対して尊敬の念を抱いている人が過去最高の34%に達した。即位されて25年が経ったことや、東日本大震災での熱心な御活動があったからと見られている。それと同時に日本人は、日本人としての根本に、天皇陛下がおられることを、無意識のうちに感じているからだろう。明治天皇の御製に「わが國は神のすゑなり神祭る昔の手ふり忘るなよゆめ」という御歌があられる。神を祭る古くからのならわしを忘れてはならぬ、「夢忘れてはならぬ」と御自らに言い聞かせておられるのである。そのならわしが行われなくなれば、日本は日本ではなくなるのだ。欧米流の立憲君主制ではない、もっと奥深い精神が日本には脈打っているのである。日本の古典といわれる書物は、古事記、万葉集から始まって、ほとんどが天皇陛下を中心とした記述がなされている。その大本を守ることこそが日本国民の使命なのである。とくに最近の日本の危機を思うときには、天皇陛下の御心にそうことがより大事になっている。西郷隆盛も「皇国の國體に歸れ」と叫び続けた。それをもう一度私たち日本人は思い起こすべきなのである。

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤紘一が属せし宏池会はリベラルにあらず池田勇人は天皇絶対!

2014年05月19日 | 政局

 だから自民党は駄目だったのである。だから日本派の政党が誕生して、保守を名乗る自民党に揺さぶりをかけなくてはならないのだ。赤旗の紙面に、元の自民党の幹部が次々と登場している。権力闘争に敗れた政治家は、晩節を汚すのが常だが、あまりにも異常ではないだろうか。彼らは一応に自民党内のハト派を名乗り、安倍首相の安全保障政策を批判している。しかし、彼らが自民党の中枢に陣取っていたから、北朝鮮の拉致事件もなかなか表沙汰にならなかったのである。そして、憲法改正も先送りされてきたのだ。世の中は宏池会と言えばリベラルと思っている節があるが、それはあまりにも一方的だ。池田勇人にしても、本当は経済優先主義者ではなかった。天皇絶対であり、臣下としての礼を尽くすのは、吉田茂と同じであった。池田の後を継いだ前尾繁三郎も、典型的な保守の政治家である。前尾を追い落とした大平正芳あたりから事情が変わってきた。中共に歩み寄るようになったのは、田中角栄と大平が盟友であったからだ。加藤紘一、古賀誠は恥を知るべきである。安倍首相はそうした古い自民党と、真正面から対決するしかない。影響力を失った彼らは、世の中からちやほやされたいのである。そこに共産党が付け込んだのだ。現在の自民党内にも、彼らの息のかかった政治家があまりにも多い。安倍首相を支えているのは、自民党の国会議員ではなく、ネットを中心にした国民の保守大衆なのである。自民党はとっくの昔に耐用年数を過ぎている。そこしかないのが日本の不幸なのである。日本派の政党が名乗りを上げれば、自民党だって今のままではいられないはずだ。

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狼少年のようにすぐに徴兵制を持ち出す枝野元官房長官を嗤う!

2014年05月18日 | 自衛隊

 枝野幸男が官房長官だったときに、彼は何を口にしただろう。「ただちに影響はありません」ではなかったか。その枝野がこともあろうに、またもや寝ぼけたことを言っている。個別的自衛権では志願制でいいが、集団的自衛権が認められれば、必ず犠牲者だ出るから誰も志願をしなくなる。そうなれば徴兵制になるしかない。枝野の論理はそうなのである。弁護士らしい屁理屈だ。安倍首相が限定的であるのにこだわったのは、そんな意見が出てくることを、あらかじめ予想していたからだろう。枝野は福島県民を被曝させた責任を感じていないばかりか、意味不明なことを述べては、またもや世の中を混乱させようとしているのだ。国を護るためには、国民はいざとなれば武器を取るべきである。中共はベトナム国境に大軍を集結させており、懲罰行動と評して、見せしめに攻め込む可能性が強い。これに対して、ベトナムは一歩も引かない構えであり、そこは立派である。アメリカを撃退したベトナム人の愛国心は、今も変わらない。徴兵制を否定しようとは思わないが、そんなにたくさんの軍隊を持つ理由が日本にはない。それよりも社会への奉仕ということで、福祉施設で一年間働くのを義務付けた方がいいだろう。軍隊は専門的になっており、一年や二年程の訓練では、使いものにはならない。そんなことをしなくても、日本には消防団という組織がある。それを充実させて自衛隊や警察を補えばいいのである。さらに、自衛隊は軍隊として、栄誉の大権を天皇陛下から与えられるべきで、誰でもいいわけではない。死を厭わない集団として、ときには捨て石にならなくてはならないのである。現状の兵力を維持すれば、兵器の進歩で十分に対応できる。数だけ増やして無意味なのである。

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特定アジアに与する新聞に対抗するのはネットの保守派だ!

2014年05月18日 | マスコミ評

 朝日新聞を中心にして、特定アジアに与する新聞は目白押しである。集団的自衛権の行使容認に関しては、あることないこと書きたてている。毎日新聞、東京新聞、神奈川新聞、北海道新聞などである。団塊の世代の後ろの方に続いていた世代が、編集権を握っているからだろう。ステレオタイプな言論活動しかできない弊害が、今出てきているのだ。日教組がいくら偏向教育をやっても、ネットで情報を仕入れている子供たちの方が上である。床屋政談ではないわけだから、物事は一刀両断になどできない。見方や考えも一つや二つではない。そこで討論が必要になってくるのだ。朝日を始めとしたトクアノミクスは、一応の単純な思考しかできないのが特徴である。現実にどう対処するかよりも、進歩はぶって発言すれば、それで国民が付いてくる。そう勝手に思い込んでいるのだ。しかし、ネットを使えない層にとっては、唯一の情報源は新聞である。それに頼らざるを得ないわけだから、振り回されることになる。後10年も経たなければ、日本はまともな国家にならないのだろうか。「軍靴の音が聞こえてくる」とオオカミ少年のようなことをやってきた新聞は、同じことを繰り返すなかで、影響力をどんどん失ってきた。行き着く先は見えているのだ。言論というのは自由でなくてはならない。ネットでの論争を見ると、露骨に相手を罵倒するのはサヨクである。「右翼」とかのレッテルを貼って物笑いの種にしようとしている。戦後の日本の言論空間は、あまりにも歪められてきた。それを正常に戻す力があるのは、マスコミではなくネットの力である。ネットの保守派といっても、簡単には括れないものがある。ただ、言えることは、サヨクのような教条主義でないことだ。柔軟なのが保守派なのである。

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月の会津 5首

2014年05月18日 | 短歌

さりげなき君のメールよ風薫るどこもかしこも若葉なりし

風立ちぬ水が満々棚田にも会津は全て水瓶のなか

田に水が飯豊連峰神々し降臨せしか先祖神も

ゆく春や旅への思い空の雲身のほど知らず浮かれ心よ

さみだれや会津川の名もゆかし水の流れに人恋しかり

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国共産党と一心同体の創価学会を嗤う!

2014年05月17日 | 政局

 さっそく創価学会が集団的自衛権の行使容認に噛みついてきた。創価学会の牙城となっている創価大学には、中共の留学生が大挙して押しかけており、そこを拠点にして日本の学界、マスコミ、法曹界への働きかけを強めている。中国共産党と創価学会は蜜月の仲なのである。中共の侵略を想定し、それを防ぐための政策に反対するのは、至極当然のことである。どちらも個人や党に権力が集中する点でも、そっくりの組織である。開かれたオープンな組織ではないから、鶴の一声で全てが決まってしまうのである。その創価学会を引っ張り出してまで、安倍首相を批判したい日本のマスコミも、愚かである。創価学会はもはや中共の第五列でしかなく、日本の公安当局がマークしなくてはならない団体なのである。にもかかわらず、そこを母体としている政党が、自民党と連立を組んでいること自体が異常だ。しかも、国土交通大臣の職にあるのは由々しきことであり、看過することはできない。海上保安庁の情報が中共側に筒抜けになっているのではないか。ここは安倍首相も眦を決して立ち向かうべきである。創価学会が重視しているのは法華経であり、それは日本の民衆に広く受け入れられてきた。そこにあるのは日本人の素朴な信仰心である。日本の風土に立脚しており、北一輝も宮沢賢治も法華経の徒であった。それを一方的に歪曲し、中共と結託するようなことが許されてよいわけがない。日本が危機に瀕しているときに、何もしなくてよいのだろうか。日蓮がこの世にありせば必ずや憂国の言葉を吐いたはずだ。今の創価学界の特定アジア重視は、日蓮の思いとはあまりにもかけ離れている。

   ↑

応援のクリックをお願いします

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

    ↑

応援のクリックをお願いします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする