画像は、拙い冊子に綴り込む。鴨志田義康著、「赤いイノシシ、いわきの伝説50選」の中から、「祐天は修行を積んで上人に」は、伝承地が、当地方四倉町上仁井田で生まれ、お寺での修行は、鈍感で物覚えも悪く悩んでいたとか。ある時、七日間の断食を、成田山へ行き、断食修行をして、満願のの夜に、不動明王が現れ、大願がかない、修行を続けたとか。後に、正徳元年[1711年]芝増上寺三十六世貫主となったと読んだ。もう一つの「百反淵 主のウナギの たたり火事」は、伝承地は、好間川今新田、平字久保町とある。若いお坊さんが、釣りに行き、ある時、いっぱい釣れたなぁと、喜んだが、魚籠には一匹もいなくなった。大ウナギが魚籠をかき回して、魚を逃がしたとか。若いお坊さんが、憎き大ウナギめと、火あぶりにしたとか。大ウナギは暴れしてあたりを燃やし、お寺まで燃えひろがって、その時、激しく風が吹き荒れて、当たりの家屋を燃やし、平の街並みも燃やし、火の粉は、下神谷から四倉までも、飛んだとか。そのお寺の跡地は、荒れ地になっているとかと、読んだ。百反は、夏の縦書きかもとか。下好間字渋井辺りとか。著者は、取材には、テープレコーダーを担ぎ、その目的地には、その地のタクシーに乗り、運転手さんから、年配の方がおられるところを聞いて、云い伝えを、伝承地の場所を、聞いていたという。小生は、出歩くことは、なくなった。仕事で、当地方を走行していた時は、伝承地辺りを通ると、昔し話を思い出していた。