八十路徒然なるままに

すざまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日のあまりの空こそ、心ぼそきものなれ。徒然草より

静寂閑雅

2024年09月27日 12時01分49秒 | Weblog

画像は、21日の写経会の折に撮った。閼伽井嶽薬師、常福寺の鐘楼。画像の奥に本堂があり、祈祷の読経と太鼓の音が、響いていた。辺りの樹木は、ちょっと秋色になっていた。樹々の梢には、雨雲が漂って、カシャッとしたすぐ後に、秋霖になった。写経場に入り、墨を摺り、用紙をひろげてて待った。勤行式のあと、「三歸禮文」についての法話になった。佛の教えを聴くのはありがたいこと。ひたすら、お経を唱える。また、多くの人々と、経を唱える。先ずは、この三つのことが、大事になるとの、法話だった。表題の、「静寂閑雅」ーせいじゃくかんがー「静かでひつそりとしていて、みやびやかな風情のあるさま」ー、ぽつりぽつりと、秋霖が降りはじまり、本堂での祈祷の読経がおわり、参詣者の話し声も、石段の下の方に動いて、静か静かの境内になった。樹々は、秋へのめぐりは、急ぎになるようだ。突然ですが、「人手が足りないので、○○するとかけて、秋の末ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーぼしゅうー募集ー暮秋ーです」。「暮秋」は、陰暦の九月のこと。毎々、喉元ばかりです。

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