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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記64 松永久秀大爆発!

2022年11月15日 18時22分02秒 | 貧乏太閤記
松永久秀、機を見るに長けた男であった、今までどれだけの裏切りを繰り返しただろうか
足利義輝の宰相だった天下二分の雄、細川晴元の家臣三好長慶が将軍と細川氏に背いたとき、松永久秀も三好に従って将軍と細川氏に対抗した
松永の出自は、秀吉同様に上級武家の出ではないようだ、謎多くその才覚でのし上がり三好の片腕となって活躍したのも秀吉と同じだ
この二人、異常な女好きでとぼけた面もあるのも同じだ、年齢こそ親子以上も離れているが、同じような道を歩いている
松永はやがて、力が衰えて来た三好長慶に愛想を尽かして信長の陣営に与したものの、信長から大和守護に任じられながら今度で二度目の謀反を起こしたのである。
信長はそれでも松永を慰撫した、許すというのだ、それは松永が茶道楽の一面もあって茶道具にはとことん金をかけていた、そのため天下の名品が信貴山城には数多あるという
その中には信長が喉から手が出るほど欲しがった「平蜘蛛(ひらぐも)の釜」という天下一の名品があった、これと引き換えに命をとらぬというのである
それを信じるほど松永久秀は純粋でないし、今更命を惜しむ年齢でもない
城は織田信忠を総大将に、明智、羽柴、丹羽が従い、佐久間の一部も参戦してびっしりと取り囲んでいる、もはやどうあがいても松永は助からぬ
その大軍が見ている前で信貴山城に火の手が上がった、あわてて織田の軍勢が攻め寄せた時、天守で大爆発が起こった
戦後にわかったことだが、天守に上がった松永久秀は、回りに名品を積み上げ、平蜘蛛の釜を抱いて火薬を仕掛けて家臣に点火させて、自分は名物共々あとかたもなく木っ端みじんに飛び散ったのである
戦国の梟雄(きょうゆう)と言われた松永にふさわしい死にざまであった

京にいる信長の落胆は見るも哀れであった、恋焦がれた天下の名品が自分の手に渡らずに消え去った
手に入らぬものなどない地位に上り詰めたのに、ままならぬものがあったということを知ったとき打ちのめされた。
この戦は、明らかに松永久秀の勝利であった。 あの世から信長をあざ笑う久秀の姿が見えるようだ。

時を少しだけ戻す
昨年7月、毛利水軍に大敗した後から、信長は時々二条御所にスペイン商人のロドリゲスと言う男を招き入れるようになった。
この男を紹介したのは摂津高槻城主の高山右近という武士であった、信長が畿内の各所でイエズス会によるキリスト教布教を許してから、大名や武士でさえも信者になるものが出て来た。
高山右近は生真面目な男であったから信者になるとキリスト教にどっぷりとつかったのである、支配下の民衆にもキリスト教を広め、キリスト教を排斥しようとする旧来の寺社を破壊することもあった
信長自身、本願寺などとの戦いで仏教に対して良い気持ちを持っていないから見て見ぬふりをした

ロドリゲスはインドのゴア、マカオ、上海、ルソン、堺を渡り歩いて交易をする貿易商で、織田への火薬、弾になる鉛、最新式の鉄砲などを優先的に運び入れている。その利益はイエズス会にも流れて布教の資金源になっているらしい
もともとはスペイン艦隊の上級士官であったというロドリゲスは海戦に詳しく、大坂湾で敗れた信長に相談されて、いろいろとノウハウを教えているらしい。
今は毛利と本願寺に占拠されている大坂湾だが、信長はこれを取り返す並々ならぬ闘志を燃やしていた。
10月になると、毛利水軍が数百艘の船を揃えて、本願寺にまた大量に物資や兵員を運び入れて織田軍に攻撃を仕掛けそうだ、という間者からの報告が入った。
信長は監視を強め、逐次報告をするように命じると、どこかに遣いを出した

11月「毛利の村上水軍が5日内に出港するらしい」との情報が入った
信長は摂津.和泉の水軍に命じて大坂湾にいる敵の小さな軍船を陸と両方から駆逐させた、今は安心して僅かな軍船しかいなかったので摂津の水軍でも何とか勝つことができた、大坂湾はしばし織田が抑えた
だが600艘ともいう瀬戸内の大船団がやってくれば元の木阿弥だ、織田の諸将は誰もがそう思った
「無駄なあがきじゃ」本願寺攻撃の大将佐久間信盛は側近にそう漏らした
一方、京にいる信長の元には伊勢の滝川一益からの使者がやってきた
「手筈は無事整いました、明日に出発いたします、滝川様も一緒に出向くそうです」
「うむ、上々である、将監(滝川一益)にはくれぐれも落ち度なきようにと伝えよ」「ははー」

明智光秀、蜂屋頼隆、羽柴秀吉、丹羽長秀ら諸将に佐久間の援軍に向かうよう申し渡した、毛利水軍の襲来で本願寺勢が連動して動くのを牽制するためである
「来たぞ、毛利水軍がやってきた」堺の番所の海防係が大坂に向かう大船団を発見した
「あれはなんだ?」毛利水軍の巨大戦艦安宅船(あたけぶね)より更に二まわりも三まわりも大きく見える、しかも木造船ではないようだ
「毛利はまたしても大船を作ったのか、これでは海岸の味方も攻撃されてしまいそうだ、だがこの巨体では木津川には入れまい」
番所役人は恐れおののいた、「すぐに佐久間様に伝えよ」
巨大な軍船は全部で7隻、更に安宅船も10数隻加わり、関船、小早船もあり、その数は数百艘であった。
「おい、おかしいぞ、旗印を見て見よ」「あっ! あれはお味方だ、滝川様の旗印と九鬼様の旗印じゃ」
「これは頼もしい限りじゃ、和泉や摂津の船とは全然違う、これなら毛利の安宅船とも互角に戦えられるじゃろう」
「さすがは九鬼水軍じゃ、見事なものじゃのう」
九鬼水軍は伊勢志摩を拠点とする海賊衆の末裔と言われ、水軍の強さは瀬戸内の毛利水軍に引けをとらないと言われている
大将は九鬼嘉隆(くきよしたか)で織田が伊勢を制圧して以来臣従している、長島攻めでも繰り出して長島から海への出口を封鎖して活躍した。

2日後、ついに毛利水軍600隻が大坂沖に現れた、それは勇壮な眺めであった
既に木津川口をびっしり固めている九鬼と滝川の水軍も勇ましい
互いの小早船、関船が先行して動き出した、その中央に両陣営の安宅船がゆったりと動き出した
船足は毛利の方が早い、さすがは熟練されている、前回の勝利の時と同じように安宅船から火矢と石火を織田方の関船に射かける、たちまち数艘に火の手が上がった、「またしても負けるのか」陸から見ている織田兵はハラハラしている