神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 61 秀勝の死

2022年11月12日 18時23分42秒 | 貧乏太閤記
「これは3年や5年では終わりますまい、これがお屋形様の越えねばならぬ試練になりましょう、ここを超えれば一気に道は中国へと開けましょう
天敵となった足利義昭は中国の毛利に匿われて、鞆の浦から本願寺を扇動しているとか」
半兵衛が秀吉に言った。 越前が片付き、秀吉も今度の本願寺攻めに動員されることが決まった
「本願寺を攻め落とすとなると、まずは周囲に展開する数十の砦を落さねばならぬ、そしてようやく本願寺が見えてくるが、これもまた厄介な城のような寺じゃ、そこに鉄砲上手の雑賀衆が数千挺の鉄砲で立ち向かってくる、確かに容易に落ちるものではないな」
「いかにも、そのようでございます」
「半兵衛なら、どのようにして攻め落とす」
「いかに考えても攻め落とす術はありませぬ、もしどうしてもと言えば20万以上の兵を持って人海戦術で力攻めしかありますまい、下手すれば半分は死傷するでありましょう」
「では長島の時のように兵糧攻めはどうじゃ」
「これもまた多くの兵を二重三重にして行わなければ水が漏れるように、どこからでも出入りされます、かりにそうしても木津川が厄介です、ここは船で大坂湾につながり瀬戸内で毛利や四国にまで広がっていますからなあ、これを止めるには湾にも水軍をできるだけ多く配置して出入り口を塞ぐしかありませぬ」
「ふうむ・・・」「最終手段は講和しかありますまい、それも最良の条件を出すか、逆に向こうから出させる状況を作るしかありますまい」
そう言いながら、何度も半兵衛は軽い咳を繰り返している、この頃少し具合が悪そうなのが気になる。
悪いことは続く、嫡子秀勝の具合が良くない、2か月前からせき込み、今も寝たままだ

信長の不穏な動きを察知して本願寺も守備固めに奔走した、畿内全域から門徒衆を呼び寄せ、四国の三好一派、紀州の雑賀一党、本願寺派の土豪も集めた
本願寺周辺の砦にも人数を入れて備えている。
織田軍が動いた、大軍で攻め立てて本願寺周辺の砦の大部分は占領した
だが「ここまでじゃ、本願寺は容易に落ちまい、周りに付け城をいくつも築いて坊主どもが出入りできぬように見張れ、兵糧攻めにしてやる」
まさに竹中半兵衛が秀吉に言ったことが現実になった
そして信長は柴田勝家の北陸方面軍に続き第二の方面軍団を作った
「佐久間信盛を摂津.河内方面軍の軍団長に任ずる、近江、および山城、摂津、河内、大和の兵を与力とせよ」
そして本願寺を厳重に取り巻いて敵が出てこぬ限り戦はするなと言い置き、信長は秀吉軍を引き連れて京に戻った。
びっしりと、とり囲まれた本願寺には僧侶や兵士が凡そ2万人いる、一日に消費する米だけでも相当な量が必要だ
それでも2年間は持ちこたえた、だがやがて米や野菜などが尽きてきた、本願寺顕如は毛利や三好、播磨の味方に食料の運び入れを要請する使者を闇夜に紛れて送った、
陸上は全くダメだが、川筋からは容易に外に出ることができる。
中国の毛利に使者が着いた、すでに元将軍足利義昭が毛利の援助を受けて信長を倒し、京に再び復活を夢見ている。
毛利は配下の瀬戸内水軍に食料の本願寺への運び込みを依頼した。
日本で最強、最大を誇る瀬戸内水軍はネットワークを駆使して600艘の大軍団を結成した、7月早々戦船に守られた輸送船が出発した
途中から播磨の水軍も加わり数はさらに増えた

「お屋形様、毛利の水軍が大坂に向かっています」京に伝令が来た
「その数は700艘を下らぬとのことです」
「佐久間はいかなる手を打ったか?」
「大坂、和泉、摂津の水軍を数百艘集めて木津川河口を固めて迎い討つとのこと」
「よし、ぬかるな、本願寺へは米一粒運び込ませるな、陸上は今のまましっかり固めるように申せ」「ははー」

夕刻に再び伝令が来た
「申し上げます、わが水軍は大敗して敵は河口から本願寺まで入り込んで、続々と物資を送り込んでいます」
織田方の水軍は本願寺に続く木津川河口をびっしりと埋め尽くして、毛利水軍の運搬船の侵入を阻止した
毛利水軍はこれを見て戦船を先頭に織田水軍の中に突っ込んだ、毛利の大船は織田の大船よりも倍もある大きさで、上から見下ろすほどである
その優位さから火矢を織田軍船に射かける、織田軍はなすすべもなく次々に燃え上がった、そこに大船が体当たりすると破壊された織田船は沈み、あるいは味方の軍船に乗り上げて燃え上がる
一刻もかからぬうちに織田水軍はほぼ全滅した、毛利船はただの一艘も失われれぬ完勝であった
食料に弾薬を満載した輸送船は軍船に守られて次々と河を上って本願寺に運び入れた

「佐久間はどうしておるのだ、阻止しているか?」
「はい、兵を出しておりますが、運び入れている場所までは遠く、途中で雑賀の鉄砲隊に拒まれて被害多く、撤退しました」
「うううう なんと! 頼りにならぬ!」みるみる信長の顔は青ざめて癇癪筋が浮き出てきた
毛利水軍は無傷のまま瀬戸内深く戻っていった
それ以後も自由に毛利と本願寺を往来して物資を運び込んでいる、織田方は指をくわえて見過ごすしかなかった
こんな不利な中、山城守護に取り立てた塙直政までもが一揆との戦いで討ち死にしてしまった、

秀吉が呼び出された
「藤吉郎」羽柴筑前守秀吉となっても、信長は二人だけの時は「藤吉郎」と親しんで呼ぶ
「昨夏の海戦でわれらは大敗した、藤吉郎は敗因をどう見る」
「はは まずは船戦の経験度がまったく違ったこと、瀬戸内の来島水軍、村上水軍はわが国でも「海賊の中の海賊」と呼ばれ、瀬戸内などに収まらず、遠く朝鮮から明国までも荒らしまわっております
それに比べ、和泉や河内の水軍は船も小型の上、実戦経験もほとんどありません、この差が一番大きいでしょう」
「ならば、どう戦う?」
「鳥羽の九鬼を中心とした伊勢水軍を配下にして織田水軍の中心に戦うほかはありますまい、九鬼の働きも瀬戸内の海賊衆に劣りません」
「だがそれだけで勝てるか」
「勝てませぬ、同じ数の船を用意しても負けるでありましょう」
「ならば、どうする」
「さて? 拙者の頭ではここまででござります」
「うむ、ははは、サルめ! あいかわらずとぼけた大猿じゃ、あとは儂に考えろと言うか、利口な男よ、まあよいわ」
「へへー」秀吉は床に頭をこすりつけた、(お屋形様は、すでに答えが出ているのだ、それで儂に確認したかったのであろう、おそらく儂と同じことを考えているのだ、それまで言ってしまえば、おもちゃを取り上げられた子供に戻って不機嫌になってしまう)
「藤吉郎、何を考えて笑って居る、もう一つおまえに用があるのだ」
「ははあー 何なりと」
「毛利を叩かぬ限り本願寺は倒せぬ、いよいよ中国攻めを始めるぞ、羽柴秀吉、その方を中国方面軍の司令官として夏には播磨に遣わす故、いまから摂津、播磨の地ならしをしておけ」

新たな命令が秀吉に下された、秀吉は信長から新地の開拓を命じられたことに興奮した、数ある重臣を差し置いて司令官に命じられたのはこの上ない名誉である。
だが、良いこと起これば、悪いことも起こる。 10月になって秀勝の様態が急変して、とうとう亡くなった、7歳であった。















国営長岡丘陵公園

2022年11月12日 09時59分43秒 | ドライブ
先月は連休に行って、駐車場1km手前から渋滞で動かず、3時間かけて行ったけど入場を断念して帰って来た
今回は七波が小休止してから、どっと増えた日曜を避けて、木曜日に行った
なんとまあ! 平日と休日ではこんなに違うのか!
広い駐車場には20台くらい、広い園内に入っても客は10人くらいしか見えない、花も終わったのか鉢物が少し並んでいるだけで、園内はあちこち改修工事中
まあ今日の目的は山歩きだから、それでもいい
広場の周りの小さな山を一周する5kmほどの散策コースだ、最高地点は小倉峠219m?で標高差は150mくらいだろうか
結構なアップダウンの連続で、ふくらはぎはパンパンになったが息も切れず1時間半ほどゆっくりと歩いてきた、天気もまずますで良い運動になった
72歳まだまだ歩きは大丈夫そうだ。

後ろの橋がスタート地点だ








すぐに森に入る上り

上ったり下ったり、平らなところはほとんどない

森は気持ちいいが、熊だけはご勘弁 熊からの逃げ方の標識あり





とうとう終点に到着 なんちゃらの丘?
南北朝時代からここに豪族の城があったという、上杉謙信亡き後、後継者争いがあり、ここの城主は負けた方に味方したため妻子を殺して、自分も討ち死にしたそうだ 合掌




帰りは435段の石段を下って駐車場へ


広場のメインシンボル