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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記57 長篠城包囲戦

2022年11月08日 18時08分40秒 | 貧乏太閤記
勝頼は老臣を遠ざけ、若手を取り巻きとして活用し重く取り立てた、そしてついに15000を率いて徳川に奪われた長篠城奪回に向かった
今度の戦には老臣たちもすべて出陣した、それは心が離れた烏合の集団でカリスマ信玄に率いられた日本最強の軍団ではなかった。
武田軍は長篠城を取り囲んだ、長篠を守るのは奥平氏で兵数は僅か500だが天然の要害に囲まれた堅城で容易に落城しない
しかし日々兵糧が減っていく、矢玉も減っていく、援軍の使者を出すがことごとく武田軍に捕えられて切られた

しかしついに鳥居強右衛門(すねえもん)という武士が浜松城の家康のもとにたどり着いた、危機を知った家康は信長に援軍を頼んだ
信長は4万という大軍を自ら指揮して行くから安心せよと伝えた、家康は喜んで鳥居に伝えた、一緒に行こうと言ったが、鳥居は「一刻も早く城方に伝えたい」と一人で戻った、しかし帰りはうまくいかず武田に捕えられた
柱に縛り付けられ「城に向かって『援軍は来ないから開城するようにとの徳川様の命令である』そう言えば、お前の命は助けよう」と言われて
「おお、ここで死ぬかと思ったが、そんなことで命が助かるならば何とでも言おう、武田様の慈悲に感謝いたす」と強右衛門は嬉しそうに言った
そして翌朝、城方の目の前に晒された強右衛門はかっと目を見開き、大声で
「城に籠る、お味方の衆に伝える、皆々様が心待ちにしておられる徳川の殿様と織田様は、すでに5万の大軍で浜松を発たれた、あと一日の辛抱でござる皆々様かならずや解放されまする、降伏なさいますな! それではさらばでござる」城に籠る者たちは歓喜した
驚き怒った勝頼は鳥居を城方が見える場所で処刑した。
時は天正3年(1575年)である、織田、徳川連合軍は5万の大軍で設楽原という場所に陣を置き、持ってきた大量の木材で数キロに及ぶ馬防柵を張り巡らせた。
柵の前には溝を幾つも掘って馬の脚を遅らせる工夫もした、何といっても武田の騎馬軍団は今なら戦車隊のような怖さがある、これを止めることが勝利につながるのである
「援軍来る」の報を受けた勝頼は長篠城に兵を残し、残った兵すべてで設楽原に兵を勧めた。
織田軍の数の優位さを勝頼は認識したが、騎馬軍団の前には無力であると考えた、過去の経験を思い起こしても織田軍の兵は弱く、武田軍の敵ではないと自信を持って言える
一方、信長もまともに戦っては武田に勝てないと思っている、浅井、朝倉、六角などとは別格であると思う、ゆえに3倍もの大軍でやってきたのだ
家康に至っては、三方ヶ原で地獄を見た経験があるから未だに武田に対する恐怖心が消えていない。
武田と織田、徳川、互いに大将自らすべての重臣を率いてやってきているから、これが雌雄を決する大会戦と位置付けている、川中島の決戦、姉川合戦に匹敵する野戦である
「味方の大軍が設楽原の極楽寺山に陣取ったということだ、われらも城の中に閉じこもってはおれないぞ、機を見て打って出ようぞ」
長篠城の守将、20歳のまだ若い奥平貞昌(さだまさ)は勇気100倍になって家来に言った
「敵の大部分は設楽原に向かい、この城を取り囲む敵は1500ほど、今度は自由に伝令を送ることができまする」
「うむ、その通りだ、まずは鳶巣砦を落して敵の背後を突きたいところだが、われらの力では目の前の敵と戦うが精一杯じゃ、まずは徳川様に鳶巣山の敵が手薄であることを伝え、そこを占拠することを勧めるのじゃ、すぐに伝令を放て」

奥平家はかって武田信玄がこのあたりを制圧した時から武田方に味方した土豪である、しかし信玄の死が確実になったころに勝頼を見限り、徳川に寝返ったため、今度の危機が訪れた。
既に遠江の高天神城や東美濃の徳川、織田方の城は逆に武田に寝返った、そんな中で奥平氏だけが頑固に抵抗している、すでに武田に送ってあった人質の家族は殺された、「これで心置きなく武田と戦える」と貞昌は自虐的な笑みで家臣に言った、武田に対する恨みはいっそうつのっている。

奥平からの伝令を受けた家康は信長に相談した
「それは上々、三河殿の兵の中から道に明るいものを選抜して一部隊を送って確実にその砦を占拠してしまえ、勝頼は退路を断たれることを恐れて浮足立つであろうよ」
家康は信頼できる三河以来の智将酒井忠次に3000の兵に鉄砲500を与えて、夜明け前の闇の中から鳶の巣山に出発させた。
そして夜が明けた設楽原で戦闘が始まった、先に動いたのは武田方であった、武田軍の伝統である足軽石礫(つぶて)隊が馬防柵に籠る織田連合軍に100mほどまで迫って一斉に石を投げた、殺傷力はないが敵をひるませるだけのハッタリにはなる、熟練した投げ手は100mの遠投をなんなくやってのけた。
連合軍も黙ってはいない、弓矢で応酬した、石つぶて隊は悠々と自陣に引き上げた。 連合軍が出てこないとみるや武田方は槍隊を投入した、その後ろには鉄砲隊と弓隊が続く
槍衾(やりぶすま)を作って柵に近づいていくと、連合軍から弓矢が再び放たれた、武田軍の三倍もいるから半端ない数の矢が飛んでくる
武田軍は先頭に盾を並べて矢を防ぎながら、弓矢と鉄砲で応戦した、連合軍からは鉄砲の音は聞こえない、弓矢だけが飛んでくる
長槍隊が柵に迫ると、ついに連合軍も柵の間から長槍隊が続々と出てきて槍合戦が始まった、やはり熟練した武田軍が優勢である、連合軍はたまらず柵内に逃げる、追いすがる武田兵に連合軍が弓と鉄砲を撃ちかけると、数十名の武田兵が倒れた、一瞬ひるんだすきに連合軍の長槍の新手が繰り出して攻撃する。
武田軍も引き金を鳴らして、次の部隊を繰り出して交代させながら攻め寄せる
こんな戦いを2時間ほど続けた、まだ騎馬同士の戦いは始まらない
武田軍も機を見て、一気に片を付けるために最強の騎馬軍団を温存している
まずは邪魔な馬防柵を取り除くのが先決なのだ。
攻めあぐねる武田軍は足軽隊が鉄砲戦を続けるだけで、次に打つ手が見えない
連合軍は数で圧倒的に有利であるから急いで攻めようとせず、柵の中でこちらも鉄砲戦を応戦しているだけだ。
大軍が向かい合うままで戦場は沈静化してしまった、戦闘が始まってすでに4時間近くが経過した、互いに大きな損害は出ていない、しかし本国が遠く数的にも少ない武田軍が不利な状況であることは間違いない。
しかも勝頼は短気さでは信長に負けない、さらに古老の重臣たちが常に先代の天才信玄と自分を比べて見る目に不快感を感じている。
偉大なる親父と比べられる二世ほど哀れなものはない、うまくやっても「先代が作ってくれた路線に乗っているからだ」と言われ、失敗すれば「やはり先代にはとても及ばない凡人だ」と蔑まされる。
勝頼には、そんな嘲笑に反発する自尊心が高いだけに(見てろ!儂が父以上に優れていることを見せてやる)という気負いがある
(親父殿さえ落とせなかった高天神城も儂が落とした、なのに老人どもはそれさえ父の根回しのおかげだという、死んだ者になにができるというのだ)














高原へ紅葉を見に行く

2022年11月08日 09時01分57秒 | ドライブ
河川敷へは夕方に行ったけれど、昼には山の渓谷に入って紅葉を見てきた
出る時は陽が差していたけれど、山に着くとどんどん曇って来た
せっかくの紅葉も晴れなければ色もくすむ
外に出ると寒いくらいだ、長居は無用、さっさと撮って、さっさと帰って来た