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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記50 朝倉滅ぶ 

2022年11月01日 18時15分11秒 | 貧乏太閤記
柴田勝家が岡崎に到着して間もなく、野田城の武田軍が一斉に岡崎に向かった、勝家は言われた通り沓掛城まで撤退した
その翌日、野田城はもぬけの殻になっていた、せっかく占領した城に兵も残さずいなくなった。
まもなく武田軍が信州目指して戻っていくのが確認された、家康は二俣を攻めて取り返した。
信長も尾張の戒厳令を解き、再び矛先を湖南から京に向けた軍政を再開した
武田軍が戻ったのは、浅井朝倉、本願寺が頼りにならぬと信玄が怒ったからだという噂が流れた
将軍義昭は落胆した、せっかくの大きな機会を逃してしまった、
「朝倉はいったいどうしたのじゃ、頼りにならぬ者どもよ、こうなれば毛利を頼るしかないのか」
一方信長はいつ義昭が宣戦布告してくるか注目している、同時に今度こそ浅井を滅ぼし、勢い朝倉も滅ぼす準備を怠らない
まずは最前線の秀吉軍を強化することである、横山城、虎御前山の規模を拡大強固に築き上げた。
「信玄が再び、野心を持たぬうちに周りの雑魚どもを片付けておかねばならぬ」
信玄の撤退を確認した信長は、義昭が「裏切った松永や三好義継や本願寺、武田信玄、浅井朝倉に承諾もなく信長打倒の檄文を送ったのはいかなる考えか」と詰問状を出したが返事がないことを理由についに京へせめのぼった。
都の数か所に放火して義昭を脅かすと、たちまち二条御所は降参して、将軍側近の細川藤孝、摂津の武将荒木村重が味方になることを申し出た。
義昭は大坂へと逃げた、しかし立てこもった槙島城も信長の大軍によってたちまち落ちて、義昭は捕えられた。
もはや将軍の権威はなく、一介の落ち武者同然だった、信長も主従関係を解消していた。
「義昭よ、儂が助けて将軍につけてやったのにこのざまはなんじゃ、恩を仇で返すとは高貴なお方らしくもない、いったいどう始末をつけるつもりじゃ」
「信長、このようなことをして天罰は免れぬぞ、さっさと首を刎ねるがよい、そなたも同族平氏と同じ悲惨な最後を迎えるであろうよ」
「ははは、さすがは一時でも将軍の座に座った男よのう、減らず口もなかなかじゃ、だが儂はお前を殺したりはせぬ、追放にとどめる故、都を離れどこにでも行くがよい」
「覚えておれ、儂を追放したこといつか思い知らせてやる」
義昭は大坂の若江城主三好義継を頼って落ちて行った、これで京、山城も信長が統治することになり、摂津(大阪府西部と神戸付近)、和泉(大阪府の一部)も信長支配となったが、ど真ん中には反抗勢力の摂津石山本願寺が、ドーンと居座っている、これから長い年月、本願寺と一向一揆に信長は悩まされる。
「機は熟した」横山城で小谷城を睨む秀吉は半兵衛にそう言った。
「畿内を平定したお屋形様が次に向かうのは、いよいよ浅井であろう、われらはここで到着を待っていては大目玉を食らうぞ」
「さよう、手土産がいりますなあ、それでは拙者が探してまいりましょう」
「頼んだぞ半兵衛」「ははっ」
それから10日も立たぬうちに半兵衛は虎御前山と睨み合う山本山城の阿閉貞征(あつじさだまさ)を口説き寝返りさせることに成功した。
これで虎御前山の活用は数倍も強化された、これを岐阜に伝えると信長は上機嫌で「出陣じゃ、秀吉めまたも道を開いたぞ」と言って動員令を出した。
信長出陣を聞いた浅井長政は、直ちに越前朝倉に救援の使者を走らせた。
朝倉軍1万が前回同様大嶽山に陣取った。
織田軍は佐久間、柴田、丹羽の家老衆を先頭に諸将が向かう、その総勢は5万とも6万ともいう、それに横山城、虎御前山を預かる秀吉軍が小谷山城を取り囲んだ。
信長も馬廻り衆を引き連れて浅井方の小城を攻め落としながら小谷山に向かった、
その勢いに恐れをなした朝倉の家臣は、いつの間にか朝倉陣営からいなくなり逃げた者、秀吉に投降する者などが相次いだ。
朝倉義景も、こうした状況に驚き、とても勝てるものではないとさっして闇に紛れて大嶽山から撤退して越前に逃げ出した。
それは、川中島の戦で妻女山から武田軍に気取られず妻女山を抜け出した長尾政虎にも負けぬ鮮やかさであった、しかし長尾政虎は信玄との決戦のためであったが、朝倉は戦場離脱という情けないものであった。
織田軍で真っ先に朝倉の撤退に気づいたのは秀吉の家臣、堀尾吉晴であった、秀吉は直ちに信長に知らせた。
信長は勇み立ち、「義景め、自ら墓穴を掘ったぞ、直ちに越前へ追撃する」自ら先頭に立ち諸将を引き連れて越前へ向かった。
小谷城包囲に残ったのは、秀吉と丹羽の軍団、加えて稲葉等美濃衆で凡そ2万。
信長は、先般家臣に加わった元朝倉家臣の前波や浅井の旧臣磯野らに道案内をさせて木の芽峠を越えた、木の芽峠の西から若狭にかけての朝倉方の土豪は信長を恐れて、ほとんどが織田家に降った。
しかも姉川で敗れ、皆の前で恥をかかされた朝倉景健、一族の長老朝倉景鏡など一族一門衆まで裏切って信長に投降して先陣となった。
景鏡などは、追い詰められて逃げて来た義景に詰め腹を切らせ、その首を持って信長に投降したのだ。
天正元年8月半ば、越前守護斯波氏を追放して守護になった朝倉氏も5代で滅びた、主人を裏切って生き延びた朝倉一族の諸将はもはや牙のない獣になり下がった、信長はあえて家臣をおかず、朝倉旧臣前波に越前支配を任せ、朝倉一族の命も助けて前波の下に置いた。
そして直ちに近江に戻り、孤立無援の浅井を攻撃に向かった。
浅井攻めの総指揮官は木下秀吉に任されている、朝倉が滅びて今度の決戦が浅井との最後の戦になることは敵も味方もわかっている。
既に残るは本丸だけとなって、びっしり取り囲まれている。
秀吉は浅井長政に降伏の勧告を何度もしたが、長政はかたくなにそれを拒否した。
面倒なのは長政に嫁いだ信長の妹、市姫のことである、姫も3人、嫡男もいるという、これをいかに助けるか、それが秀吉を悩ませる。
戦国時代であるから市は妻であり人質ともいえる、信長はあきらめていた、と見えるが内心は誰にもわからない。
できるなら無事に市姫と子を救い出したい、秀吉は決心した「儂が行く」
秀吉は白旗を高々とかかげ、家来僅か5人だけ連れて大手門に立った
「備前守殿(浅井長政)に申す、拙者は横山城の木下秀吉でござる、攻城の大将でござる、ご存じか!」大声が敵の城中まで響き渡った。
長政が大手の楼に立った「名は聞いておる、なるほど猿面冠者よのう」城中で笑い声が響いた。
「まさに、その猿面冠者でござる、長政殿には度々の降参を勧めたが、さすがに豪勇の殿様でござる、城を枕に討ち死にを決断なされた、あっぱれでござる」
「そなたも丸裸で城門まで来るとは、なかなかの武者ぶりじゃ褒めて遣わす、今からでも儂の家臣にならぬか」
「ありがたきお言葉慣れど、拙者は敗軍の将にはお使いできませぬ、まだまだ命が惜しゅうござる」
「ははは、ようもゆうたわ、鉄砲一発で直ちに死ぬる状況とゆうに、まあよい、話はなんじゃ」
「備前守様には我らと心置きなく思い残さず戦っていただきたい」
「おうさ、そのつもりじゃ」
「いいや、心残りはござろう、奥方と姫までも殺して心残りないとは思えませぬ、儂が奥方と姫を迎えに参りました、無事にわが主のもとに送り届けましょう、それから思う存分にわれらと最後の大戦をいたしましょうぞ、戦場は男のものでござる」















里山の秋

2022年11月01日 07時25分58秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚
町から20kmほど山間部に入った標高400mの村へ行って見た
地滑りで2年ほど交通止めになっていたが、ようやく一部片側通行で行けるようになった
2集落で30軒ほどあるが廃屋が多い、冬になると大雪になるので(昔、積雪8mで孤立したこともある)冬は1~2軒だけが越冬しているようだ
今はまだここで数軒が暮らしているような様子だった、この村は昭和20年代に父が魚の行商をして歩いた村でお得意様も多かった
今でも、それらの家の前を通ると屋号を思い出す。