頑固者と言えば、本願寺の受け取りに失敗した総大将佐久間信盛もそうだった
信長は最後まで仕事をやり遂げず、このような事態を起こしたのは信盛だと、二条城に呼びつけて叱責した
ところが佐久間は、「10年にもわたり、某が苦労を重ねてようやく開城したのでござる、いかほどの苦労だったか褒められても叱られるいわれはありませぬ」と口答えした、それでも信長は老臣ゆえ耐えて聞いていた、すると
「そもそもお屋形様は・・」
「佐久間殿、天主さまでありますぞ」と森蘭丸が言うと
「無礼者! こざかしい若造が何様のつもりじゃ、わしはお屋形様に諫言申し上げているのだ、だまらっしゃい」
「無礼とは、どちらでござるか」詰め寄ろうとする蘭丸を信長は制止して
「続けるがよい」
「はは、天主などと南蛮人にかぶれていかがいたしますか、我が国には我が国の神道もあれば仏教もござる、それなのに寺社をないがしろにして洛中まで南蛮寺を作らせて、ようも平気でおられまするなあ、帝も朝廷も腹の底では泣いておりまするぞ、家中の心あるものも怒っております、高山右近などデウス教にかぶれる馬鹿者さえ出てきて、この国はいったいどうなりましょうや、この前のお屋形様の南蛮の装いを見て、情けなくて涙が出ましたぞ」
「いうことはそれだけか、佐久間」
「いえ。まだ・・・」と言いながら信長の目を見た
佐久間はぞっとした、悪魔の目とはこれなのかと思った、背筋が凍った
そして何も言えなくなった
「帰るがよい、ひと月以内に本願寺を接収せよ、できぬ時は覚悟を決めよ」
その翌日、今度は信長の背筋が凍ることが起こった
それは秀吉が満面の笑顔で訪れて話し始めた時であった
「天主様、お喜びください」「おお、いつ戻ったいったい何事じゃ」
「黒田官兵衛が生きておりましたぞ、なんと伊丹城の地下の狭い水牢で、溜水と藻と昆虫を食べて生きておりました」
「なんと、水牢じゃと」
「はい、高さは4尺ほど、幅も一間×一間の岩に囲まれた湿気だらけの暗い牢でありました」
「それでは裏切りではなく、捕えられていたのか」
「そうです、もう少し長引けば命はなかったかと」
「そうかすまぬ、わしが・・・」
「いえそうではありませぬ、あまりにも官兵衛が軽はずみであった故、叱っておきました」
「取り返しがつかぬ、儂は官兵衛の息子を罪もないのに殺してしまった」
「ご安心ください、息子の松壽丸は生きております、儂が天主様の命に背いて寺に預けて僧として匿いました、どうか拙者をお手討ちにしてくださいませ」
「なんと!生きて居ったか 手討ちなどバカを申すな、誰がそのようなことをできるのだ、筑前この通りじゃ、お前にいくら感謝してもしきれぬ、おかげで官兵衛に顔向けができる」
「なんともったいない、お顔を、お顔を上げてくださいませ」
「官兵衛には都にて名医をつける故、こちらに運んでまいれ、そしてすぐにも息子に会わせてやれ」
「ははあ、早速に手配をいたします」
しかし官兵衛が監禁されている間に秀吉にとって起こった痛恨事、竹中半兵衛の病死である
以前より寝込むことが多くなり、秀吉は戦場を離れてゆっくり養生せよと言ったが半兵衛は「拙者は畳の上では死なぬと決めております、いくさばで死ぬれば本望でござる」そういって戦場から離れず、ついにそこで死んだ
救い出された官兵衛にも伝えた、信長の命に背き、官兵衛の息子の松壽丸の命を救ったのが半兵衛だと聞かされると官兵衛は人目はばからず大声で泣いたという
「わしは自分が天才策士とうぬぼれていたが、半兵衛様の前では大人と子供ほども差があった、ずいぶんといろいろ教えられた、これからは儂が半兵衛さまに変わって殿様をお助けしなくてはならない」
各地の戦線が織田に有利なまま停滞している
何といっても信長本人が戦に飽きてきたことが大きい、今、日本で盛んに戦が行われているのは九州と奥州であろう、それ以外は織田と国境を接する者が多いから織田が動かねば戦線も動かない
秀吉はじめ、織田の指揮官も多くは安土城内の屋敷に戻っている
ようやく8月になって本願寺問題は解決した、教如が再三の説得に応じてようやく石山を去ったのだ、ところが織田家臣が本願寺に入ってみて驚いた
伽藍の所々が憂さ晴らしのように破壊されていたのだ
当然、信長は怒った、そのままの姿で引き渡す約束になっていたからだ
しかし教如は既にいずこへ去ってわからなかった
、割を食ったのは蓮如であった、教如が余計なことをしなければ新天地での寺院建立を全額織田家もちでする約束が、教如の違反で無くなってしまったのだ。
そのようなことがあって間もなく佐久間信盛のもとに上使(信長の使者)が訪れた、親子共にかしこまって上意を受けるようにとの沙汰である
使者は佐久間信盛の不手際や不忠を、古いことでは何十年も前のことまで読み上げた、そして地位も財産もすべて取り上げて高野山への追放を命じたのである、一切弁解は聞かず、即刻立ち退きを命じたので裸同然で織田家から追放された、このことは信長の近年の奇行を批判していた家臣を黙らせるには充分であった。 織田家の一二の地位にある古参の家臣を信長は簡単に切り捨ててしまったのだ。
「佐久間は信秀様からの古参であることを鼻にかけて、天主様が自分に遠慮があると勘違いしていたのだ、それでいい過ぎて逆鱗に触れた、それだけのことである」秀吉は長浜に束の間戻って留守居の浅野長政に語った
長政の妻は、秀吉の妻ねねの妹だから、二人は義兄弟と言うことになる
長政は34歳まだ中堅の武士であるが、秀吉は将来自分を支えるものとして手ごたえを感じている。
戦場にある姫路城に比べて、ここ長浜城は風光明媚であるし周辺には戦の匂いが全くしない、久しぶりに緊張感がほぐれて気持ち良い
信長が言うように、この国から戦が無くなれば毎日がこうなるのか、だが「これではいかん」と思う、そうなれば朝倉や今川と同じになって、また新たな戦好きの餌食にされてしまう、やはり武士である以上、虎となって毎日爪を研いでいなければならぬと思うのだった。
そう思うと戦場を世界に広げようとしている信長には尊敬の念がわいてくる、本願寺との戦も無くなり、信長が臣従を求めるのはどの大名なのか、考えてみた。
まずは力の衰えが著しい越後の上杉、信濃と甲斐の武田、徳川は同盟者であり北条は信長と戦う気はないであろう、そうなればその先の佐竹か、あとは四国の貧しい大名たち、これはすぐにも臣従するだろう、やはり難敵は毛利だ、九州は北半分は既に同盟者になっていて、残るは日向の伊東、薩摩の島津くらいか
ずいぶんと大名の数も減った気がする、それはそうだこの20年で弱者は滅ぶか強者に吸収されたのから
こう考えると、もはや敵対するのは毛利だけとも思える、武田さえも信長に尻尾を振ってきたのだという、だが信長は武田勝頼を生かしておかないだろう、抵抗しそうな大名への見せしめにする気なのだ。
毛利を制すれば島津も抵抗を止めるはずだ、案外日本の平定は近いかもしれない、織田家の領地は既に、越中半国、加賀、能登、越前、若狭、丹後、丹波、但馬、近江。山城、伊勢、美濃、尾張、摂津、河内、和泉、播磨、大和の17か国半にもなっている、その石高たるや600万石にもなる
これに徳川、宇喜多の同盟者のものも加えれば国内の半分を占めたようなものだ、織田家独自の兵の動員可能数も20万になる。
しかも南蛮渡来の大砲、鉄砲、鉄甲船と日本で最も進んだ兵装だから向かうところ敵なしだ、これで武田を滅ぼせば、信濃、甲斐、飛騨、駿河も手に入ってくる、それから上杉を滅ぼす、また越後と越中と佐渡の完全支配となる
こうなれば毛利も佐竹も屈するしかあるまい、奥羽については全く敵にならぬであろう。