神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 78 本能寺2

2022年11月29日 17時36分57秒 | 貧乏太閤記
天正10年5月17日、信長は明智光秀、長岡藤孝、池田恒興らに備中で交戦中の羽柴秀吉の後詰に行くことを命じた、出陣は6月2日と定めた
ついに光秀は京での役目を解かれたのだ、信長の怒りは収まりそうにない、まさに「可愛さ余って憎さ百倍」になってしまった
信長の転換気質がここでも出てきたのは光秀の不幸であった、光秀は触ってはならない逆鱗に触れてしまったのだ
そういったところが光秀の欠点でもあった、秀吉や丹羽長秀などはうまく立ち回ってたとえ信長が怒っても懐柔する術を知っている、だが実直でプライド高い光秀にはそれができないのだ、そうだ追放された佐久間信盛も光秀に前例を残したのに光秀は学べなかった

 その点では北陸にいる柴田勝家も光秀に負けぬプライド高い頑固者だ、遠い雪国の北陸に赴任させられたのも、かっては信長に敵対して殺された弟、織田信勝の家老として信長の命を狙った時があったからだ
織田家の筆頭家老という地位にありながら遠い田舎にいるのはそんなわけだ、もし秀吉の人間性を持っていれば勝家は京都守護として畿内にいたであろう
 信長は知らっぱくれていても10年20年前のことでも、いつまででも忘れない特技がある、佐久間が追放された理由の中にはそうした10年以上も前の失敗があった。

 23日、信長との直接的パイプが切れて長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)は信長に逆らう愚かさを思った、(たかが讃岐一国13万石にこだわって国を滅ぼしては元も子もない)ことに気づいた、伊予一国でも35万石あるのだ、10万石しかない土佐の国人だった時に比べれば十分すぎるほどだ、気を取り直して信長の案に従うことにしたが、もうパイプは切れた。
 そこで親戚となった斎藤利三(光秀の家老)に文を送って信長に寵愛されている光秀からとりなしてもらおうと考えたのだ
 しかし、信長と光秀の関係は180度ひっくり返ってしまった、長曾我部はそれを知らない
それでも光秀はこの文を信長に届けた、というか信長は会わないので小姓に預けた、だが信長は読もうともせず「長曾我部の処置は決した、誰の命令にも儂は従わぬ」焼き捨てさせた。

 越後戦線は森長可の軍が活発に動き出した、北信濃の与力の兵を率いて飯山方面から国境の峠を越えて今の妙高にまで進出した
ここまでくれば上杉の本拠地春日山まで10里(40km)もない、1日で行ける距離だ、いよいよ越後危うしとなった。
 越中の魚津城救援に向かっていた上杉景勝もあわてて春日山に戻った、そのため魚津城も孤立して、柴田勝家の与力、佐々成政、前田利家らに囲まれて落城まじかであった。
ここが敗れれば宮崎城、親不知(おやしらず)の天下の険を超えれば越後勝山落水城、いずれも険しい山城、そしてこちらも春日山城まで15里と迫る
信長は相次ぐ勝報の満足した「あとは四国と備中で天下はわがものとなろう」

 森から報告を受けた25日も信長は上機嫌だった、躁鬱で言えば躁状態で、あれだけ怒って叩きのめした光秀に対しても
「光秀には少し灸がきつかったかもしれぬのう、増長した物言いがひどすぎる故、懲らしめたが蹴り倒したのはやりすぎであった、さぞ気を悪くしておるであろう、少し労わってつかわそう、蘭丸、光秀をここに呼べ」
信長は衝動的に光秀に言った秀吉への与力を取り消して、家康の饗応の日には洛中の警護をさせようと思った
(これを聞けば、光秀の機嫌もなおるであろう)
織田信長、若き頃には戦となれば、その身を家臣たちの真ん中に置いて、自ら先頭を駆け出し、そのあとを家臣たちがうろたえて追った
そんな時代が懐かしい、あの頃は光秀、柴田、前田、秀吉などまだ若き強者たちが片時も離れず傍にいた、今はそれらの者たちはそれぞれが一軍を率いて遠くに行ってしまった、49歳になった信長は今や「孤独な大魔王」なのだ
あの頃を語ることができるのは畿内を任された明智光秀だけである、信長にとって光秀は唯一の古くからの友であった。
傍に控える森蘭丸に信長は続けた
「蘭丸よ、儂もかっとして光秀に、あのような仕打ちをしたが、あやつは生真面目で融通が利かぬ男なのじゃ、ゆえに自分に間違いがないと思うと自分の立場も忘れてまっすぐに向かってくる、そなたにも憎しみの目を向けたであろうが、腹の中はさほどでもないはずじゃ許してやれよ」
「はは わかっております」
「そうか、そうよのう、儂が光秀に畿内を任せておるのは何よりも生真面目だからなのだ、命じたことにはいかなる理由があってもやり遂げる、そこが光秀の良いところなのよ、だが近頃は歳のせいか頑固になってきたようじゃ
しかし朝廷との交渉には無くてはならぬ男である、秀吉のような眼鼻が利く者でもなく、勝家のような無骨者でもない、融通が利かぬと言っても長秀などより遥かに柔軟に物事を考えておる、冷静さでは織田家随一なのだ、ゆえに儂も光秀に言いすぎるきらいはある、だがのう、儂はこれから国内平定した後にはこの日本の国を光秀には最も重要な朝廷の接待役として、山城および和泉、河内、摂津、丹波までの支配を任せようと思っている
国内が平定となれば、いよいよ朝鮮から明国を併合する、大将には秀吉、家康、島津を先鋒として競わせるのだ
それらが攻め取っただけ領地として与えよう、それぞれ任せて王とする
細かいことは今からとやかく言っても始まらぬ、まずは毛利と長曾我部を従えるのが先じゃ
明を平定したら、海から陸から四方八方に向かって南蛮人たちとの交易を始める
早く小さいこの国から飛び出したいものじゃ、光秀にも儂の夢をわかってもらいたいのだが、長曾我部がどうの四国がどうのと細かなことを言いおる、これからそれを言い聞かせて、早うにわしの手伝いをさせたいのじゃ
もう少し、あの頑固頭をからかってから儂の大望をわからせようと思って居る、くそ真面目な男ゆえ、何日も悩むであろうが、そのあとで儂の真を知れば喜びも倍増するであろう」

夕刻近くなって光秀がやって来た、緊張した面持ちでいつもより硬い
「光秀まかり越しました」
「うむ、大儀である、気分はどうじゃ」
「なんの気分でございましょうや?」
「なんであると思う」
「さて、わかりませぬが、長曾我部のことか、備中のことかと」
「そのとおりじゃ、備中への出陣は取りやめじゃ」
「それは、ありがたきお言葉、されど四国攻めの取りやめはいかがでありましょうや」
「まて日向、今は備中取りやめだけでよかろう、四国攻めは言うな」
「そうはいきませぬ、四国攻めとなればこの光秀の信用が地に落ちまする、お屋形様には元親がお屋形様の示した条件すべてを呑んだ旨の文を送りましたが、いかがでありましょうか? まさか・・」




あやしい彼女 「束の間の夢」

2022年11月29日 09時44分19秒 | 映画/ドラマ/アニメ
急に映画を見たくなった
HDDにためてある中から「あやしい彼女」を選んで見た、今日が二回目なので大雑把な内容は覚えている
韓国映画だったと思って見て見たら、日本映画だった(おかしいな?)
たしか韓国映画だったはずだが、調べたらオリジナルが2014年に韓国で、それを中国、日本でもつくったらしい、日本版は2016年
口も態度も悪くて、近所でも評判の嫌われ者の73歳のおばあさん(倍賞美津子)が、謎の写真館で20歳の娘(多部未華子)に変身、人生が変わる
小説「リプレイ」同様、悔いのある人生、満足できなかった人生やり直しドラマだ

戦災孤児だった彼女は苦労をしながら生きて、結婚したが夫は死に幼い娘を背負って貧しさに耐えながら、何とか生き抜いたが若い時代は貧しく、なんの楽しみも経験しないで年老いた。
生きるためには時にはずるいこともした、今でもケチで口が悪いばあさんだと、誰もまともに相手にしない
だが同じ戦災孤児だった年下の次郎だけは、二人で助け合って子供時代を生きて来たから、彼女の苦労は知り尽くしている、そして今も好意を抱いているのだ。
そんな時、彼女はシングルマザーの娘と喧嘩をして家出、そして若返ったというわけだ。
そして「住む家がない」と嘘を言って、次郎の家(風呂屋)に居候する
それからはカラオケ大会で歌って、イケメン音楽プロデューサーとバンドで一人前になりたい孫の両方からスカウトされる
そして、彼女の現実の人生で味わえなかった楽しく、華やかな青春と恋を満喫する、プロデューサーと恋に落ち、デートの日々
だが孫が交通事故に遭って輸血が必要となるが、アールHマイナス型の血液がなく、彼女だけがそれだった
地を抜けばまた元の婆さんに戻ってしまう、せっかく憧れの青春を得たのに、それをあきらめなくてはならない
すでに彼女が婆さんであることを知った、娘と次郎は反対するが、孫のために迷いもせず「神様が私にくれた束の間の休日だったのさ」と笑って病室に入っていった。
退院した孫は、プロデビューしてめでたしめでたし、彼女と娘もお互いを理解できて仲の良い親子になり、めでたしめでたし
次郎も例の写真館で若返って婆さんに戻った、彼女をバイクに乗せて遊びに行くのでした、めでたしめでたし。

自分の人生に照らし合わせて見て、いろいろ感じるところがありました
秀逸の空想人生ドラマ、青春ドラマでありました。
自分も取り戻したい時代と言うのは今でもありますから。