小山田備中は晴信を諌めて言うには「御孝心は道理に叶うことと言えども、今信虎公を廃し、速やかに当家を治めないと申すなら忠臣は去り、百姓は恨みを抱いて他国の侵入に手を貸すでしょう、そうなれば代々続く武田家が滅ぶのは必定であります、その時に至れば御屋形はご先祖に対して不孝を働いたことになります。
それゆえにこれま忠臣が諌めましたが皆お手討ちになり、あるいは家を失うこととなりました
今や誰も御屋形に諫言する者はいなくなり、みな一様に口をつぐんでいます
某らも命を惜しんでいるわけではありませんが、諫言しても効果なく犬死するのも惜しく、国の荒廃を天命に任せてただ見過ごしていることもまた忠臣の行いとしては言えません。
某の家系は累代の御屋形様に仕え過分なる禄を賜って来た者で、いわゆる「世臣」という者であります
世臣は一代の主が無道の者であれば、その主の為とは言え、命を投げ出すことは致しません
晏子が申すところの『君社稷の為に死する時は、臣これに従う(君主が国家の存亡の為に立ち上がる時は、臣もこれに従う)』と申す是なり
無道の君の為に命を捨て、国が倒れるのを待つのは、臣らの職分にあらず
数代の家系の断絶無きよう国を守る、これが職分であります
今日、館の廃去の計略を巡らすのは恐れ多いことではありますが、国家が退廃するのは忍び難く、やむをえず致すことであります
ただいま君の申される通り孝道を守り、子の道を尽くそうとも今後他国により御父君が滅ぼされたなら御先祖代々の墳墓は荒らされ、新羅殿から続く家系は断絶し、信虎暴虐の為に国を滅ぼした、その子の晴信は才智勇気を持ちながら
ただ孝心に縛られて国を亡ぼすとは何ぞや!と後ろ指を指されるでありましょう
また我ら臣下も国家の滅ぶを雁首並べてただ見過ごすとは、武田家に忠良の臣多いと聞いたが計議も行わず、ただ滅ぶに任せたのそしりを受けるでありましょう
君、よく道理を察したまえ」と言えば、晴信は一言も発することなく不機嫌になって立ち上がると障子を荒々しく締めて去っていった。
五人の老臣は互いに顔を見合わせて、この日は仕方なく家路についた。
その後も、五人は時々会っては話しを交わし「今一度、晴信君にお会いして奮起をうながすつもりであるが、この期に及んでも甲斐ない時は我らは職を投げうって他国に参ろうではないか」と決して目通りできる時を待つことにした。