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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 45

2024年03月18日 20時37分37秒 | 甲越軍記
 一陣、二陣と敗れ去り、小笠原勢は船山から押し下って攻め寄せる
第三陣は小笠原の士大将、雨森修理亮、その勢二千、矢先を揃えて矢を少々射ると槍ぶすまを揃えて龍虎押し寄せる勢いで攻めかかる
武田方の第三陣は小山田備中守の勢二千余騎、東西に開き、南北に挟み込むように攻めかける。
戦いは、いよいよ真っ最中と見えた頃、丘で戦況を見ていた晴信は三度三百の精兵を押し出した。

またしても先鋒をかけるのは例の七本槍、敵勢に挨拶もなく突入する
小幡織部正大半月の前立物を被り「われこそ一番槍」と名乗り、目の前に現れた騎馬武者を一突きに突き落とし、大音声で吠えるさまは前にも増して十倍の勇気をみなぎらせているので、敵勢は誰一人として立ち向かう者がいない
原美濃守も兵卒の勇気奮い立たせながら、獅子奮迅の働きで傍若無人の戦ぶり
この時、小笠原の足軽大将二木源左衛門という者、刃渡り四尺の大長刀を水車の如く振り回して戦っていたが、原美濃守と出会い、すぐに渡り合う
原の槍術、昔の趙雲の再来の如し、一方の長刀を振りまわす二木もまた昔の関羽のごとき働き
二木は長刀を振りかざし、原の足元を薙ぎ払うが目測誤って地にめり込ませた
原はこれを見て一突きで二木を突き伏せた
多田三八、横田備中、鎌田五郎左衛門、皆敵五騎、七騎と討ち取る首は数知れず、晴信の奇兵に打ち破られた雨森勢は戦場を逃げ去る

これを見た総大将小笠原長時は、自ら率いる第四陣三千三百余騎で台ケ原に押し出した、一方武田の第四陣は板垣駿河守信方の勢二千余騎
すでに戦い疲れた三陣の小山田勢は西方に引き、晴信の奇兵も丘の間道途中にて休息をとっている

台ケ原では、この一戦にて劣勢を挽回して晴信の首を取らんと小笠原勢奮戦すれば、板垣勢もまた此度は晴信の力を借りず、小笠原を攻め滅ぼさんと欲すれば、両軍互角の戦いを展開する。
一息入れた晴信は、味方の数の少なさを危ういと見て四度戦場に突き入れた
しかし小笠原勢は新手の三千三百、強兵と言えども一日中戦い続けた奇兵三百に疲れが寄せる、それでも互角に渡り合っている。

その頃、南に退いた諏訪、小笠原の三陣もようやく疲れが抜けた
今朝卯の刻から今に至るまで戦は続いたが、両軍ともに「明日は無し、今日の内に決着をつける」と思えば互いに引くことならず
特に大将自ら敗退した諏訪頼茂は面目躍如を誓って、奮い立ち「武田軍はもはや疲労の極限に在り、我らは気力を取り戻し敵に倍する勢ならば、これより高台から攻め下り、武田勢一人残らず討ち取り、晴信めの首を取ろうぞ!」と勇み立った。
雨森修理亮を一番に、西条、諏訪頼茂と五千七百の勢「いまこそ」と高台より錐の如く長形になって攻め寄せる
信州、上州の地侍、野武士も今が稼ぎ時と、諏訪、小笠原に与力して攻め寄せる、その数三千
武田勢二千三百に対して信濃勢は一万二千余騎、圧倒的な兵力差となる

これを韮崎村穴観音を背にして休息していた武田方の三隊も気づき
「すわ当家の危機なり、味方も総懸かりにして今こそ最後の決着をつけようぞ」と飫富、甘利、小山田の隊合わせて四千八百余騎、戦場に向かう
信州勢は寄せ集め、一方武田勢は今日三戦三勝の勇み立つ兵である上に、皆心一致しており、戦上手の晴信の采配に従い、攻めては守り、引いては押す戦ぶりは小勢であっても倍する敵に少しも負けず、逆に攻め立てる有様だった

小笠原の士大将、木村又次郎と名乗る武者とって返し、馬上より大太刀伸ばして武田の軍兵六、七人を切り伏せる
小幡織部正虎盛は今日は四度の戦い、一番槍、あるいは晴信の馬前にて徒で戦い、今は月毛の荒々しき馬にまたがり、敵中に入り三尺五寸の大刀で討ち取る敵の数は知れず、ついには木村と対峙する

互いに一歩も引かぬ武者であり、「ならば」と互いの得物を投げ捨て、馬上同士の組打ちとなる
木村は元来勇気の若者であり、小幡も剛力の武者ゆえ正々堂々と組みあい力の限りを尽くして戦えり、ついに小幡の怪力が勝り、馬の鞍に木村の顔をねじ伏せて首を掻き切ろうとしたところへ、「主を討たせてなるものか」と木村の郎党二名駆け寄り、小幡の馬を槍でしこたま打ち据えたが、小幡は慌てず木村の首を掻き切った。
小幡の郎党もかけつけて、木村の郎党を討ち取った。 小幡は今日も既に兜首三つを挙げ、更に木村の首も取り四つの首を馬鞍に括りつけて、なおも敵を求めて戦場に入る。
その体には七ケ所の手負い、馬も六か所の傷を負い、互いに体を朱の血潮に染めていた