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 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 37

2024年03月10日 19時31分48秒 | 甲越軍記
 天文七年二月十五日、義元は庵原(いおりはら)、朝比奈の武功の老臣を相手に兵法の討論をしているところに、甲州より今井市郎という使者が来たことを告げられた。

義元が対面すると、今井はまず甲州の情勢を話し、それから穴山伊豆守ら老臣の書簡を差し出し、次いで信虎からの書状をもさし出した。
義元は、それら二通を見比べてから左右の者どもを下がらせて、今井を膝元に招いて「これについて、もっと事細かに話して見よ」と言った。

市郎は老臣たちの謀を事細かに告げて「もし信虎公を欺いて貴国へ遣わした時に、貴館に押し込めて隠居させることが出来れば、武田家の断絶は免れるでしょう
そうなれば晴信君はもちろん老臣たちも当家の厚恩を感じ、甲州の民も苦しみから逃れることこれ天の道理であります
みなみな今川公の広大な仁恩に感謝いたすでありましょう」
聞き終えて義元は今井の聡明と老臣たちの心計を感心して、「予は日頃から信虎公の残忍なる所業と忠臣を殺害するとのことを風の便りに聞いていて、実は武田家の前途を危ぶみ嘆いていたのだ
長臣らの思い着いたところは至極当然のことである、たとえ千里離れていても、老臣たちの思いと予の思うところは一致しておる
義元、老臣等の謀計に加担して、信虎公を押し込め隠居させて他国へは決して出すことはない、速やかに信虎公を謀って当国へ送ってよこすがよい」
穴山、板垣には謀の実行を書いた書簡を、また信虎にも晴信押し込めの偽書簡を書いて今井市郎に持たせて甲州に帰した。

市郎は勇んで馬に鞭をあてて急ぎ甲州に駆け戻った
義元は今度の話を聞いて大いに歓喜した、庵原安房守を呼び寄せて
「真に信虎を、当国に隠居させると言うことは当国にとっての幸いである
それは武田家がいま危急の時であり、晴信や老臣の頼みを聞き届けてやれば
予が上洛の兵を挙げた時には、晴信も今度の恩義があればこそ援軍を出すことは当然である。
其の二は、たとへ不和とはいえ、晴信に孝心あることは疑いない、その父を当家に質としてあるに等しく、当家に背くことはないであろう
即ち、武田家はわが家の旗下に等しい」
庵原安房守、義元の遠計を知ってその知謀に感心した。




1945年3月10日

2024年03月10日 08時11分59秒 | 日本史
 毎年、毎年3月10日「東京大空襲」記事を書いている
昭和20年3月10日の東京大空襲は、半年後の広島や長崎への原爆投下の伏線で、降伏しなければ日本人は一般人でも皆殺しにするぞというメッセージだったのだ。 現在進行中のパレスチナ戦争に似ている。

先日、例の如しで映画を見た「戦場の教室」ナチスが占領地のユダヤ人(当時は国家無き放浪の民)を集めて来ては集団虐殺する映画、その中でペルシャ人に成りすまして生き延びた男の話(実際には600万人ものユダヤ人が無抵抗のまま銃や毒ガスで殺されたそうだ)
イスラエルの人々は、こうした皆殺しの危険から生き延びて国を作った
そして地域最大の軍事力を持ち、今やパレスチナ人を虐殺している
人間とは自分の痛みは当然知っているが、人の痛みに置き換えることができない生きものなのか? 考えさせられる

広島、長崎の被爆を知らない人は少ない、若い人でも知っている、けれども東京大空襲も広島、長崎と同じ10万人以上が犠牲になったことを知っている人は割と少ない。
現在の東京23区の東半分、日本橋、上野、浅草、両国、 本所、深川、亀戸、砂町一帯にサイパン、テニアン、グァムから325機のB29爆撃機が1665トンの焼夷弾を投下して焼き尽くした。
焼夷弾とは爆発の破片で破壊や殺人をする爆弾と違い、家を焼き尽くすための油と火の爆弾だ。

1万mを飛べるB29は僅か2000mまで下って、確実な命中精度で爆撃した
日本軍も迎撃機を発進させたが、数も少なく高度が低いのが逆に災いして、高射砲も効果が薄れた、そのため確実に撃墜されたB29は2機だけだったと言われる。(被弾したり、海上に不時着した機は数十機あったようだが)

この時、19歳の父は調布の高射砲陣地から真っ赤に燃えている東京を見ていた
その下には自分の家があり、両親がいるのだ
行くに行けず、ただ見ているしかないその気持ちは、どうだったのだろうか。

翌日、特別休暇をもらって行ったが、亀戸は焼け野原になっていて、いたるところに死体が転がっていた。
十間川では浮いている遺体を竿にひっかけて陸に上げる作業が行われていた
焼け残った浅草松屋近くの防空壕には遺体が折り重なって、苦悶の表情で天を見上げていた
高熱で窒息あるいは蒸し焼きになったようだ、父の生涯で一番怖い光景だったと言っていた。

自宅もわずかに柱が残って、まだくすぶって煙を上げていたという
この空襲で、亀戸両親、浅草の叔母さん、帝劇で働いていた隣家の美人おねえさんも亡くなった
遺体は見つからなかった、たった2時間で10万人以上を殺した空襲
人間とはいったい何者なのだろうか? 
                                                                    合掌