神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

なんかいろいろあった昨日

2024年03月22日 20時20分19秒 | ドライブ
 昨日は、朝5時に目が覚めてトイレに行って寝なおしたら目が覚めたのが7時45分、8時45分発で長野へ行く日だったので昼食のお弁当(2人分)を作るのに大慌て、朝食も食べなければならないし
でも慣れたもので、息子用の肉、野菜入りの焼きそば二人前と、自分の三食おにぎりを25分で完成させた。

この日の長野県北部は大雪予報で、身構えていったのに国道8号から海岸沿いはずっと青空、上越市直江津地区へ行ったら急に道路にも屋根にも雪が多くてびっくり
18号も新井道の駅くらいまでは晴れていたが、中郷あたりから急に雪が降ってきて、その先は晴れたり、降ったり滅茶苦茶な一日になった。
そんな時、関東でM5くらいの地震発生の情報が入り、上越、北陸、長野新幹線が運行停止になったとのニュース
信州は深夜から降ったようで、諏訪から北の方では35~40cmの積雪、まだまだとても春とは言える景色ではなかった。
とにかく信州は寒い、最低気温はどこも軒並みマイナス5度前後だ
まだまだ北信濃の春は遠い








今日の当地は久しぶりに陽がさした、軽い散歩の後で
帰り道は近道に非農耕地を突き抜けてきたが、春の日差しに誘われて蛇が日向ぼっこに出ている気がしたが、案の定1.5mほどのなかなか立派な茶色い奴が、逃げるでもなく私と顔を見合わせた、たぶんシマヘビなのか青大将なのかわからないが、私は毒蛇以外なら、むしろ見ていて飽きない方だから予想通りの出会いを喜んだ。

家に戻ってテレビをつければ大谷選手の水原通訳の解雇の真相が次第にわかってきて、テレビも、このニュース一色、だがどう転ぼうが私には関係ないこと、この件に限ってはいらぬ口出しはしないことに決める
百年に一人の、それも日本人青年の偉業に水を差したくはない、行けるところまでの実績をこの目で見られる奇跡の幸せを見守っていきたい。


一昨日は二度目のリース作りに挑戦した、春をテーマに作ったら結構我ながら、お気に入りの一品が完成した、貼り付け作業だけで2時間半かかった、布地の切断まで入れれば4時間くらいはかかりそう。





夜のストレンジャー、Strangers in the Night」フランク・シナトラ、Frank Sinatra

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 48

2024年03月22日 07時52分41秒 | 甲越軍記
 このような有様であったが、なぜか板垣駿河守信形は音を沈めて、いかなる行動も起こさない。
甲斐国西郡に友夢居士という者が在り、詩の名人と聞き、信形は友夢に師事して同年九月下旬より病気と称して三十日ほど引き籠り、その間に起承転合など詩の稽古に励み、五言七言絶句などを作るようになったので、十一月朔日に行われる例の詩会、詩を旨とする禅僧十余人、そのほか近士の輩集まり、各々御前に出て詩を披露するが、その多くは晴信に取り入ろうとする者たちであった。

そこに板垣信形がまかり出て申すには「近頃、御屋形様は詩を好まれると聞き、某も御家人として、それを学ばぬのは不忠と思い、早速に師を得て詩づくりを学び、ようやく絶句の一編くらいは曲がりなりにも作れるようになりました
お許しくだされば、某も隣席いたし一句作ってご披露いたしたく存ずるしだい」
これを聞いた晴信は喜び、「武辺者の信形が詩を学んだとは、誠に喜ばしい」と言い早速に信形を招いた
信形は末席に座り、人々と同じく題をたまわり七言絶句の詩を作り晴信に披露した、晴信はその出来栄えに喜び、「風情細やかにして意味備わっている、まことに良き出来栄えである」と同席の者どもにも披露すれば皆口をそろえて信形の詩を褒めたたえた。
晴信は「一芸に優れ才を持つものは万能に通じるかな、信形は武の道の達人であるが、その力量は全ての芸に通じるものであるのか、まことに恐れいったことじゃ」と称賛した。

信形は、それを聞くと人々を押し分けて晴信の膝元に進み出て、なぜか畳の上にハラハラと涙を滴らせ「紀貫之とやら申す者の和歌の序に『力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも感ぜしめ、猛きもののふの心をもあわれと思わせ、男女の仲をも和らぐるは和歌の徳なり』と書いたが、上古の事は知らないが、今の戦乱の世には長槍を振り回して攻め寄せる雑兵一人の心さえ変える力もありませぬ
そのような時節に詩や和歌を吟ずるなど一朝一夕の戯れに過ぎず、深くこの道を究めずとも、おおよその体を知れば、そこそこに楽しめるのではないですか

戦国の急務は他国の侵略を防ぎ、領民が安心して暮らせるように努めることであります、武の家が文をもてあそび無為に過ごし家を滅亡させたのは、平清盛の子孫であります
平家は、その昔は武家でありながら、殿上の許しを得て風雅のみに心を奪われ、腰折れ歌などを吟じて武辺を忘れ、公家の真似などをしてみても所詮は猿真似、それなのに「武家の振る舞いは卑しい、無骨である」などと言って弓馬を捨て、歌に詩にのぼせ上り、行き着くところは源頼朝卿の為に都を追われ、最後は海の藻屑と消え去り、魚の腹を満たせただけのこと
こうなったのも学ぶべきことを学ばず、己の正しき道を怠ったからであります
今、信州には小笠原、諏訪、木曽、村上あり、更に上州には倉賀野、松井田
相州には北条があり、我らの隙を伺い、いつ攻め寄せてくるかも知れぬこの時に、詩や和歌にうつつを抜かす暇に、奢侈を禁じ、倹約を守り、武を講じて武器の手入れを怠らず、賞罰を明らかにして仁政を第一として民をいたわり、親しみを給うことこそが当世の肝要であります
風雅を好むところから始まり、美女を集め、詩に没頭し、これ奢りなり、奢りは国を亡ぼす始めであります、幾度も諫言しようと思いましたが、御屋形が詩に没頭して聞く耳持たぬことを知り、我も詩を知らぬままに諫言するのも失礼と思い、心ならずも30日の間、二四不同、二六封の法度は覚え、義理のわかるほどには学び、どうやら御前に出向く程度に達しましたが、武芸を三十日学んだところで武芸者一人を切ることもおぼつかず、急に学んでも達することの難しいのは武の道です
信形、今日これを諫言申し上げます、美女に暇を取らせ、詩の会の御催しを禁じられぬならば、信形この場において、この佩刀で腹を掻き切り五臓六腑を引き出して、座席を汚すだけでなく人をまねる薄汚き禅僧らの頬にこの血のりで朱に染め、長く詩を妨げる霊鬼となって末代当家に詩を用いる者を悩み殺すでありましょう