神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

またまた外を歩けば

2024年03月29日 19時22分18秒 | 散歩道
 27日は久しぶりに午前から晴れ間が出て温かくなった。
昨日の昼はスパゲッティを作って食べ、その前の昼はラーメンを作って食べ、今日は鍋焼きうどんか、カツ定食か?
たまには外で食べたい気分になった、もう外食は2か月くらいやっていないので散歩も兼ねて外で食べようと思った。


外と言うと、やっぱりラーメンを食べてくなってしまうんだよな
食べる回数は三分の一くらいに減ったけど、やっぱりラーメンはうまい
市内のラーメン店は以前の半分以下になった、そのかわり今風の脂こってりラーメン店が増えて来た。

私のお気に入りは「野菜坦々麺」辛いのが好みだ、そこへ行ってみようか
ところが駐車場は満杯、もう一軒の人気店も同じく並ばないとダメ
いくらうまくても並んでまで食べようとは思わない頑固者だから、結局同級生の食堂に三か月ぶりくらいで行ってみた
駐車場には車が一台止まっているだけ、ガラガラだ、余裕だけど逆に何かあるのかな?という危惧が
それでも勇気を振り絞って入ったら、店内にはお客さんが5人くらいいた
同級生マスターが高校野球を見ていた、「おっす!」と言って入って行ったら「おっ!」
「どうだい体の調子は」と聞いたら、3か月前に入院していたマスターは「だめだ、ガタガタ お前は何か薬飲んでるか?」
「薬って?」「血圧とか」
「ああ、そう言うのはぜんぜん必要ない」「いいなあ、おまえは元気でいいなあ」
とりあえず味噌ラーメン注文、フロントのお姉ちゃんも「ずいぶん来て無かったですよねえ」「うん・・・・・」何も言えない。

マスターもすっかり元気がなくなって少し老いてきた感じ、今までのあくの強さが影を潜めた
今は調理のメインになった韓国系中国人シェフも顔を見せて「久しぶりね」
「ああ久しぶり、行って来たんだって?」「ええ、韓国だけだったけどね、二週間だけ」
「二か月くらい行ってきなよ、マスターを仕事させないとボケちゃうよ」
「そうですね、でも来月いよいよ、お兄ちゃんが帰ってくるから」
マスターの息子は県内では有名な回転ずしチェーンの長をやっていたらしいが、一人暮らしになったマスターを心配して退職して戻ってくるようだ
「息子が帰ってきたら安心してあっちへ行かないように気いつけろよ」
「ふふ だいじょぶだよ」

去年の初めころまでは私も、卵とじうどん+中華丼くらい食べていたが、今は味噌ラーメン(並)で充分になった。

店を出たら、あまりに良い天気なので車を駐車場に置いたまま散歩することに
車が来ない長い直線の住宅街を歩いた、まっすぐな道を歩くのは楽しい




やがて川の土手について、土手を歩いて新幹線の側道を逆方向に戻った
大通りに出て少し行ったら、路地の奥に広告・製本会社の支店長の姿が見えた




寄り道して近づいていったら、ブライダル・マッチングの仕事をしている女史もいて「こんにちは」と挨拶してくれた
起業する時に、私の所に相談に来た初々しい彼女も、今はふてぶてしい市会議員一期目だ、全体の三位当選だから立派なものだ。
でもマッチングの仕事は今の時代少なくなっただろうな。

支店長に引きずられて事務所でコーヒーを呼ばれた、ロールケーキも出してくれた。
この事務所に来たのも半年ぶりくらいかな、いろいろ積もる話があった
「今、なんの仕事してるんですか?」と聞くから、「何もしてないよ」
「ええ・・! 何かすればいいのに」「いやいや、楽を覚えたらもう駄目だね」
「体なまってボケますよ」「だからこうして出てくるんだよ、今更仕事はしたくないね、日夜働いて大金もらうより、貧しくても自由にやれる方がいいね
両方やって見て、絶対楽できる方がいいと思ったよ」
「はあ~、それもそうかも」
30分くらい暇をつぶして、家に帰って来た。
 



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 55

2024年03月29日 08時20分13秒 | 甲越軍記
 しばらくして氏康が上段に立ち出でて勘助に対面した
その表情には傲りが現れている。 勘助は平伏して拝し、仰いで傍らを見ると、御簾(みす)をかけた一間があった、中には夜の香鼻を奪うばかりである
そこには数百の女たちが御簾の間、あるいは几帳の間より、勘助と氏康の体面を見んと押しかけていて、のぞいては密かに囁き合っている

対面が終わり、勘助が退く姿は猿が飛ぶ如くに見えて、氏康はつい「クっ」と笑いを漏らした、すると左右の小姓数人も我慢の限界か氏康につられて笑い声をあげた、それを境に同席の士も爆笑し、当然ながら後ろに控えた女たちも一斉に笑い声に包まれた。
さすがに嘲笑に慣れた勘助も、この場のありように赤面して退出した。

氏康は左右を見て「七郎左衛門があまりにも推挙を申す故、会ってみたがこれほどの見にくき姿とは思わなかった、いかに一芸に優れていようとも、あれではさほどの事はあるまい、四体不具なる者を抱えて何の益になろうや」
松田尾張守、大道寺も勘助を見て喜ばず、七郎左衛門は二人に取りついて、様々に諭したが誰も取り上げようとしなかった。

松田七郎左衛門は勘助に会って、城内の無礼を謝り事の顛末を話した
勘助は「某、これまでも諸州を歩き、諸侯にまみえてきたが、これほどに号令厳重ならざる御家は見たことがござらん、このような様ではその国、きわめて危ういと申さざるを得ませぬ
当家の如きは、当国でも一二を争う大家であり、諸将綺羅星の如くひしめく、これを威令をもって治めねば大国を保つのは容易ではござらん
今日の体たらく、勘助の容貌いかに見苦しく笑うに堪えがたいと言えども、大将の御前であれば笑うことなど許されることではない
孫子の曰く『内に大将有りて、外に敵無ければ、これ勝ちという』とはまさこの事なり大将を大将とも思わぬから、このように自ら笑いも出るものなり
また傍らを見れば、多くの侍女の類、御簾の中から我を見物せし、これもまた女色を好む故なり、色を好み威厳乱れるは亡国の兆しである
さようなるときは五十年を待たずして国滅ぶでありましょう」と言った。
そして勘助の言った通り、五十余年を経て北条家が滅んだのは不思議なことである。
その日、勘助は旅支度を整えて次なる地へ旅立った。 北条家でただ一人、松田は勘助の実学に服してとどめたい気持ちはあったが、あえてそれをせず、ただただ主らの慇懃無礼を謝って見送った。