神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 39

2024年03月12日 20時14分14秒 | 甲越軍記
信虎の一行がいよいよ今川領に差し掛かると、今川義元自ら護衛の兵を引き連れて舅の出迎えに来ていた。
今川の先導で無事信虎ら一行は駿府の今川館に到着した。

さっそくに信虎を迎える饗宴が開かれて、信虎は歓待に満足げであった
宴が終わると、信虎は一間に案内された、そこは襖から障子、衝立に至るまで竹の絵が配されており、武田館の信虎の「竹の間」を思わせるものであった。
信虎はこれを見て、義元の歓迎ぶりを改めて認識した。

ところが翌日になって見れば、いつの間にか、この部屋に軟禁されていることに気づき「これは如何したことじゃ、無礼にもほどがあろう」と叫ぶと、義元がやってきて言うには「甲州での舅殿の人を人とも思わぬ悪行に臣も領民も皆怖れていることは聞き及んでおります、また長子晴信は際立った才を持ち、且つ孝心にも厚い御曹司であるものを、これを廃去して二子信繁に家督を相続させるのはいかにも大きな過ちでございましょう
このままでは甲州に大乱が起ること間違いなく、某も親戚のこととて危惧いたしました
今日のこの企ては、老臣たちが途方にくれた末のことです、こうなった以上、帰国の念は捨てて舅殿には駿府にて、ごゆるりと余生を過ごし下さい」

義元の、落ち着き払って理路整然とした意見を聞いて、信虎は思いを巡らせて首を垂れた。
異国の地に取り込められて、初めて信虎は我が身を振り返って冷静かつ客観的に己を見つめることが出来た。
そして思うに(孝子である晴信が親を捨てる不孝を行うとは、よくよくのことであっただろう、老臣ともども予を見限ったのは、これこそ身から出た錆、どの面さらして甲州に戻られようか、もはや騒いでみてもむなしい)
そう思うと流石は甲信に名をはせた胆力ある剛勇の大将、きっぱりと今の境遇を受け容れると同時に甲州への未練も断ち切ったのである。
それ以後は甲州での信虎は何であったのかと思うほど大変身を遂げて、心穏やかになり禅宗の僧侶らと交わりを持って禅瞑想にふける日々を送った。
後に今川義元公が桶狭間にてお討ち死になされた時には、晴信が何度も信虎を「甲府にお戻りください」と誘ったにもかかわらず、彼は、それを断り京に上って菊亭(大納言晴季)の基で暮らした。
信虎は長命を保ち、晴信(信玄)が亡くなった翌年に80歳で生涯を終えた。

甲府では、この大事件で騒然としたが、晴信の堂々たる態度、老臣たちの一致した深慮に、まず典厩信繁が歩み寄り兄晴信に臣下の礼を取ると、信虎股肱の臣もまた晴信の家督相続を認めて背く者はなかった。
それらの主だった重臣は晴信御舎弟孫六信連(のぶつら)、小幡織部正虎盛、浅利式部少輔信音、諸角豊後守昌清、教来石民部景政、小山田弥三郎、皆晴信に目通りして忠誠を誓った。
甲州の民も皆これを喜び、これより晴信は武田家第十九代の家督相続を給う
晴信御年十八。


雪降る中のドライブ 北信濃

2024年03月12日 10時11分38秒 | ドライブ

 3月9日、昨日だったらよかったのに、天気だけはどうにも自分の力では変えられない
国道8号沿いの海岸部では富山にしろ新潟にしろ、ほとんど雪を見ることがない
ところが今日の天気予報は長野市周辺は雪のち曇り、松本市付近は晴れのち曇りだったので、長野県に行くなら148号沿いが良いと思って、そっちに回ったが新潟、長野県境の平岩温泉あたりから、どんどん雪が降ってきて道路はもうわだちが出来ている。
これではスタッドレスタイヤでなければ通行不能だ、気が早い人は2月下旬の春の陽気続きの時に履き替えてしまった。
私は毎年3月いっぱいは換えない、何度か痛い目に遭ったことがあるからだ。


長野県の小谷村から白馬村にかけても道路の除雪はまだ始まっておらず、車のわだちを頼りに走った。
時々、片側だけ除雪している場面に出会ったが、不意打ちの感があって間に合わない様子だった。
なにしろ148号は平岩から白馬の間は峠が多い上に道が狭く曲がりくねっているから除雪もままならない
ただトンネルやスノーセットも多いから、その分は救われる


長野へ向かうオリンピック道路と大町に向かう148号の分岐の交差点では、赤信号で停車中の車が追突されて、3台の玉突き事故
雪降る中で、運転手らしき若い男性が数人外に出て、処理の話なのかしていた
スタッドレスだろうが四駆だろうが、スピードが出ていたり、前方不注意で急ブレーキをかければスリップしてすぐには止まらない
最近の車は性能や設備がととのっていて、なかなか事故が起こりにくいが雪に慣れていないと、こんな事故は起きる。

我々世代は、安全性能の低い車で今より遥かに多い雪の道を走っていたから、何度も痛い目に遭って、雪道の走り方を身に着けた。
だから雪道を早く走ろうという気持ちにはならない、軽くブレーキを踏めば止まる速度を意識して走る。





オリンピック道路に入って、小川村まで行ったらもう道路には雪が無くて快適に走れるようになった、路肩や田畑は真っ白だが。
19号に出ると、もう全然心配がない、長野市まで行ったら晴れ間も見えてきてもう148号のあの雪景色が、夢を見ていたのではと思うほど違っている。
だから予報は逆になった、長野市方面は晴れたり曇ったり、148号は大町付近までは雪であった。

長野市の茶臼山まで行って、恐竜公園で散歩しようと思ったが、外に出たら寒すぎる、気温はせいぜい2度くらいしかなさそうだ


それでもう家に帰ることに決めて、千曲川を渡って松代へ出て、須坂経由で帰って来た。




信越県境まではスムーズに来たが、新潟県に入って妙高高原辺りからまた雪が降って来た、但し道路の雪は見事に除雪されていて走るのに全く支障がなかたった。
中郷から高速に入ったが、入り口でタイヤの点検をしていた
上信道から分かれて北陸道に入ったら、もう天気も晴れや曇りになっていて、雪の心配はなかった、もっとも上越市から富山県の朝日町までは約70kmの間に36本のトンネルがあって、雪の心配はほとんどしなくてよい。