陽はすでに西に傾きつつあったが戦は果てることなく、敵味方入り乱れての決戦は続いている。
この会戦始まる前に晴信は北の小高き山の上に、三百の兵を選び日向大和守、今井伊勢守の両名を大将として「大将軍」と書いた旗を預けたまわった。
そして「汝ら、味方が以下に不利に見えたとて決してここを動かず、いかにも晴信の本陣ここにありと見せかけよ、決してここを動くこと許さぬ」と言い置いた
しかし晴信勢、今朝より四度の合戦におよびいかにも疲労の度は増して見える
今は味方の大事と思い、晴信に救援の遣いを出すが、いかなる心底か晴信はついに、それを許さず、両将は歯噛みして手に汗握り、戦場を見下ろすばかりであった。
甲府の城には御舎弟左馬之助信繁、それを助けて原加賀守を残しておいた
原加賀守は信繁に「今度の戦は当家の命運をかけた大一番、何としても勝たねばならず。御屋形を救いまいらせん」と申し出て、一つの計略を披露した
甲斐国東郡、西郡より二十歳から五十歳までの者を全て集めて
「我、汝らとこれより韮崎に駆けつけ館の後詰を致す、だが汝らには戦はさせぬ、また少しの傷もつけることはない、寺々、社々から金太鼓を借り受けて、おのおの再度ここに集まる様に」と命じた
彼らに古鎧をつけさせ、竹槍、鎌槍を持たせ、白旗五六百を造らせて持たせ
それを先頭に押し立てて戦場に駆けつけた
元来甲州人はその気質強壮であり、ましてや晴信の国政は信虎とは打って変わって民を哀れみ善政を敷いたから、民も商人も皆、その恩を忘れず少しも躊躇なく皆、加賀守に従いついて行く、その勢は一万にも膨れ上がった
原加賀守は戦場の東、勝山という小高い峯に進み、戦場を見渡せば合戦は今や最高潮に達したと見えた、幾分わが方が有利と見えて、これは我らが勝利と安堵した、そして壮民に向かい「汝らはここに居て、某が山を下り敵陣に突き入れたならば一斉に鐘、半鐘を叩き、紙旗を揺らして大音声で鬨の声を挙げよ
敵勢、これに驚いて慌てふためき逃げ腰になったら、汝らも山を下り敵を遠巻きにせよ」と指示を与えた。
加賀守、手勢三百を率いて敵勢の右寄り襲い時の声をどっと上げれば、山の上でも万余の兵が旗なびかせ大音声を挙げて津波の如し
これを見た、小笠原、諏訪の兵は苦戦中であり、さらに武田の大軍を目にして
「すわ、敵の後詰がやって来たぞ」と大騒ぎになり、しかも万余の敵は二手に分かれて信州勢を囲い込むように押し進んでくる
これを見て日向大和守、今井伊勢守も命じられるままに戦見物をしていたが
「たとえ大将軍の許し無くとも、いかにここに留まっていられようか、我らもせめて雑兵首の一つも取らねば戦場に来た甲斐なし」と三百の新手引き連れて
北の山路を急ぎ駆け下りて敵に突きかかった、信州勢総崩れとなり我先に逃げだした
晴信は「今こそが勝つ時ぞ、雑兵、端武者に構うな、長時、頼茂の首を取れ」と采配を振る。
味方勢、今や備えを崩して逃げ惑う敵を追い、片っ端から討ち取っていく
信州の兵どもは馬を捨て、鎧兜を脱いで山中に逃れて二十里の向こうまで一目散に逃げかえった。
晴信は夕日の山に隠れるさまを見て引き金を鳴らした
この日の戦で信濃勢から取った首数は二千七百四十八級という、小が大を打ち破ったのはひとえに晴信の奇兵の軍立ちによるところである
是より韮崎にて敵の逆襲に備えて三日間逗留したが、その気配なくついに甲州館へと凱旋したのである。
これまで信虎の恩義を感じて、晴信を恨んでいた家臣たちもこの度の智勇兼備の姿を見て、恐れ心腹するようになった。