先陣が敗れ去ったのを見た諏訪頼茂は、二陣の本陣を率いて台ケ原に突撃を開始した
これを台の上の丘より見た晴信も、味方の二陣に出撃の合図を送る
武田勢の二陣は甘利備前守、その数二千余騎、韮崎穴の観音を背に忽然と押し出す。
両軍互いに一歩もひかずせめぎ合う、諏訪頼茂は背後に控える小笠原勢の手前、一歩も引くことならじと攻めあがる
甘利備前も、これが館の戦はじめと思えば敵に押されて引くこと不吉なリと、ことらも力攻めに押し返す。
互いに命の限りを尽くして戦うその頭上には、炎天の日差しが鎧兜を照らして一滴の潤いもなく、砂埃を上げての激しい攻防となる
流れるは汗ばかりで既に両軍の兵、疲れ果てて敵味方声も上がらぬ様となり、ただ無言のうちに抑えて首を取り、首を掻き切る者あり、いつ終わるとも知れぬ泥沼の決戦を繰り広げる
この時、台の丘より戦場を見渡していた晴信は「今こそ勝負の時ぞ、こころしてかかれ、皆の者」と采配振り落とせば、真っ先の小幡、原、横田、教来石、多田、安間、鎌田七人槍を揃えて突き入り、またも小幡織部正虎盛が一番槍
にて諏訪の勇士、千野七蔵を討ち取り、続いて四人まで突き伏せる
あとに続く旗本三百騎も思い思いに敵勢に突きかかり、数多首を取る
正兵、奇兵合しては離れ、離れては合して十文字に諏訪勢を切り崩せば、たまらず諏訪勢は南に下がる
諏訪頼茂、馬上に立ち「逃げるな!押し返せ」と自ら馬頭を武田勢に向けるが、潮が引くように逃げ戻る味方の敗兵に押されて引くより仕方ない仕儀となる。
そんな中にも諏訪勢の勇士あり、渋江内蔵助、藤森三郎左衛門という二人
内蔵助は三郎左衛門を招き、「味方の崩れ落ちるさま見苦しい、これでは小笠原勢の物笑いになり当家の恥である、横槍を入れて来た隊の中に大将らしき姿を見た、年齢若輩だが采配を振る姿は、あれこそが武田晴信であろう
某、晴信の鎧兜の姿を覚えたからには、敵の中に紛れ込み、晴信に近づいて必ずや首を上げて討ち死にできれば、これこそ冥途の土産にふさわしいではないか」 と言えば、三郎左衛門もにこりと笑い「いかにも」とうなづく
二人は傘印を投げ捨てて、顔に血を塗り、それぞれに首を一つぶら下げて武田勢の中に紛れ込んだ。
晴信は「敵は逃げ去った、深追いするな次に控える小笠原は大敵なり、引き揚げて備えを厳重にせよ」と引き鐘を命じた。
武田勢の正兵二千騎は韮崎の方に引かせ、晴信の奇兵は再び台の上の丘に引き上げる、その中に渋江、藤森の両名も紛れ込み、次第に馬上の晴信の近くにすり寄って行った。