既に夜半となり、武田勢はかがり火を盛んに燃やして鹽川(しおかわ)の向こう岸に陣を構えて動かざるかのように見せかけながら、まずは暗闇の中を迂回した第一陣飫富兵部少輔一千余騎が先陣として川を渡り陣を構えた。
そして敵が来るべき道筋に二手に兵を分けて待ち構える、これは万一気づいた敵が攻め寄せた時に、後続が川を渡るまでの時を稼ぐためである。
しかし小笠原、諏訪の兵はこれに気づかず押し寄せることもなく、二陣、三陣と越えて台の上に上陸して南に向かい、一夜の闇の内に丘に上がる道をつけたのであった。
一方の小笠原、諏訪勢は武田方が既に鹽川を渡ったことなど露知らず、明け方には鎌梨川を押し渡って鹽川を渡ってくる武田勢を河原にて待ち構え、流れに難儀する武田軍を一網打尽に殲滅するという計画を練っていた。
秋の夜長しといえども、まだ初秋の二十日ばかり、ほがらほがらと明け行く空に月も雲井に残りつつ秋のしるしの朝霧に、東西さらに朧げにて定かにそれとは見えないけれど、北の方を見れば武田の諸軍、既に鹽川を渡り超えたらしく武田の軍旗が風になびいている。
すでに武田の軍勢、隊伍整然として船山に向かってくる様子に、諏訪、小笠原の軍勢驚き上を下への大騒ぎとなる
しかしさすがは小笠原長時、諏訪頼茂、老巧錬磨の大将である、少しも騒がず味方の隊を四段に構えて、まず先陣は諏訪の侍大将西条式部頼景一千五百、二番は諏訪信濃守頼茂二千二百、二隊合わせて三千七百余騎、鐘太鼓ならして押し出す。
遥かに下がって、三階菱の旗押し立てて小笠原勢は侍大将、雨森修理亮二千余騎、二番は大将小笠原大膳大夫長時三千三百余騎、合わせて五千三百
陣足を並べて打ち出したり。
武田方先陣、飫富兵部の隊八百余騎、豪雨の降る如く激しく高台より円陣にて攻めかかる、受けて立つ西条式部の一千五百、互いに弓鉄砲降る中を入り乱れての会戦となる。
この時、晴信は鹽川の向こうの本陣にいるように見せかけて割菱の旗を立ておいて、その実、既に台ケ原の高き丘に、自ら精兵三百騎を率いて突撃の頃合いを計っていた。
すでに両軍の先陣の戦いは半ばを過ぎた、このとき晴信は時来たる時は赤字に八万大菩薩の旗を押し立て、侍大将の如く、小幡織部、原美濃、横田備中、安間三右衛門、鎌田五郎左衛門、多田三八、今井市郎など鬼を酢で食らう猛者を左右に引き連れて横合いより奇兵となって突きかかる手筈、宵の内に作った高岸の道を一気に駆け下りる機運を見定めて待つ。
上から攻め寄せる飫富勢八百騎を包み込まんと西条勢一千五百、二倍の兵を鶴翼の陣で待ち受けるところへ、飫富勢は魚鱗の陣で真ん中を突き崩さんと攻め寄せる、互いに血煙立てて相戦い疲れが見えた頃、今がその時と晴信は三百騎の奇兵をもって台の上から逆落としに攻めかけた。
西条の軍勢の横合いより十文字に突入して、鋭い錘のように突き進む
小幡織部正虎盛、一番槍と名乗り、たちまち敵兵三騎を血祭りにあげて、血潮滴る槍を振り回して更に敵勢に突きかかる。
小幡を後方より助け、今井市郎生年二十歳と名乗り、続いてかけ入り、よき武者二騎を突き倒す、その他馬回りの勇士五人も当たる敵を突きまくり、一人で五人三人を下ることない敵を討ち取る
この勢いに西条勢たまらず逃げ出せば、これを追いかけて次々と敵の首を取ることおびただしい数である。