神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

今日の事

2024年03月25日 17時10分08秒 | ライフスタイル
 今日は約3週間ぶりに船長に頼まれて手伝いに行って来た
昨日の夕方、急にメールが入ってちょっと考えたが、魚との対面はやはり削りがたい、すぐにOKを出したが、入船が朝5時と言うので、急にせわしくなった。
5時だと3時半には起きるから、逆算して21時には寝なければ寝不足になる。
まあ、その時間でベッドに入ったのだが、最近の花粉症気味なのは大きな痛手
起きていると、くしゃみ鼻水、横になると鼻づまりで寝苦しく、なかなか寝付けない、そんなうちに22時を過ぎ、なんか寝ているのか起きているのかわからない。
結局、一番寝られたのは午前1時頃からで、それでも深い眠りに入ったので3時半起きでもすっきりしていた。
台所へ行って、粥を作りながら、洗面してそれから食べて身支度をして4時半には港に着いた。

昨日までは、ごろごろしている時間が長くて体がかえって疲れていたが、今日は半日仕事をして、とても気分の良い疲労感を感じている。

帰ってから、やはり眠かったが、もらってきた魚を干物にするために一時間ほど魚を捌いた。
とにかく作業着を着ているうちにやらないといけないので、一休みもできない
仕事を済ませたら、昼ではあるが風呂に入る、これをやらないと部屋でくつろぐことも、昼寝することもできない
ところが市の水道局から電話が来て、前にいた家で漏水しているので、家の中に入れてほしいとのこと、元栓が家の中にあるらしい。
行ってみたら隣の駐車場に水が流れ込んでいた、1年半前に水道の契約は解除して停止中だから、特に問題はないのだが、これは元旦の地震の影響で、液状化が起り家の中は30cmも盛り上がり、あるいは逆に下がったところもあってひびも入り、凄いことになっている。
ただ、もう空き家になっていて所有者も変わっているからあえて災害申請はしていない、所有者には連絡しておいたが。

やっとこれも済ませて家に戻った、妹と女房殿の兄上の二人が時間差で訪ねて来た。 結局風呂に入ったのは16時半、今上がってさっぱりしてブログを書いている。
これから夕食のおかずを作る、ご飯も冷や飯があるのでバターチャーハンを造ろう、結局昼寝はできなかったが、やっぱり料理を作るのが好きなんだと思った。

今日は久しぶりにロックで一杯飲もうかな。

 

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 51

2024年03月25日 12時01分24秒 | 甲越軍記
 小幡日浄のこと

日々多少の書籍に目を通すが博識というわけではない、されどもその見識眼は確かであった。
もとは遠州(静岡県西部)の国人の生まれで、18歳の時、甲州にやって来て、武田信綱、信虎、晴信の三代に仕えた、忠義は怠りなく武辺は人を超え、戦功数回に及ぶ、今、死の床にあって晴信に「任」の一言を残したのは、彼に一抹の不安あったからである。

晴信は稀代稀なる英雄豪傑であるが、人を見て任ずることが無く、例えば一郡、一村の小城一つ攻めとるにも、自ら采配を振って人に任せず、それゆえ一代休まることなく、村上がごとき人と戦い、また長尾謙信と長き年月を戦い無為に年月を過ごしてしまった、ついには天下を手にする思いにすら届かなかった。
晴信の才知には織田信長と言えども遠く及ばなかった、しかし織田信長公は生まれつきの大器であり、人を選んでことを任せた
柴田を持って北国の管領と成し、滝川を関東、秀吉を中国のなどなど器を見て任を授けられる、これぞ大器という。

日浄は既にこれを見透かして、晴信に諭し、晴信もこれを素直に聞き入れたが、持って生まれた性は簡単には入れ替えることができない
あの孔明のような才気ある人でさえ変わることができなかった
晴信は山本勘助のような兵法武勇が萬人に優れた者、高坂、馬場のごとき者たちにさえついに采配を任せることができなかった。
だから後に三州(三河)沼田(野田)の小城を攻めた時には先頭に立ち、敵の矢玉によって傷を負い、それがもとで亡くなってしまうとは運命とは言えども性分を変えることが出来ず、これ天に定められた宿命であったのだろう。