恒例三島楽寿園菊花展にて・・・これを見ないと、1年の締め括りが出来ない
11月8日(火)毎日新聞の「見死不救、不可」という見出しに引き寄せらる。
「見死不救」の横には、ルビがふられて「死にそうな人を助けない」とあった。
記事を読むと、中国広東省で、2歳の女児がひき逃げをされたのを、18人の市民が通り過ぎたのに、誰も助けなかった上に、通報もしなかったという事件が起きたのだそうだ。
この事件をきっかけに、若者を中心に、「薄情社会からの転換」を求める声が上がり始めている・・・というものだった。
私が、初めて、中国を訪れた時には、物珍しい人間(私たちです)を見たさに、どこででも、大勢の人々に囲まれ見つめられたものだが、こんなに無関心になったしまったのかと、悲しい気持ちになった。
中国の非政府組織(広東省)の見解では「歴史的に戦乱が繰り返されてきた中国では、自分の身をいかに守るかという考えが根深い。社会保障基盤が脆弱だから・・・助ける方もリスクを避けようとする」と述べられていた。
しかし、ちょっと振り返って、我が国、わが身を考えると、そう、中国を非難は出来ないと思いあたる事がある。
私自身、事故に出くわした場合、どこにも通報しないという事は考えられないが、誰かが通報しているならば、きっと、そのまま通り過ぎると思う。
先日、駅のホームで車座になって群れていた子供たち(小学性と思われるが・・・)に出合った。
この行為は注意するに値しないのか、周囲の大人たちが、誰もなにも言わない。
「お前たち、こんな場所に座り込んで迷惑だよ。それで事故でも起きたらどうするの・・・ほれ、ごみが落ちてる、拾いなさい」と、思わず口から出てしまった。
やさしい言葉で話が出来ないのは、私の短所であると認識しているから、多分に、相手を見ながら、判断しての注意ではあることは認める。
でも、「あなた、今に刺されるから、注意しなさい」と、よく忠告されるが、自分の係われる範囲でのおっせかいは、必要だと考えている。
世の中、どんな風に進化(という言葉は嫌いだが)していくのか、もう、想像もできないが、どんなに変わっても、人間が生きていくことに変わりはない筈だ。
「人間らしく生きる」というのは・・・「心」を無くしてはいけない・・・という事と信じている。