「小菊」が咲くと、本当に秋も深まり(否、冬の訪れ?)を感じます・・・何故か、菊の香りが好きですね
友達自作の野菜販売用スタンド
遊び仲間の同級生が始めた野菜つくりの収穫物を、畑の一角で、無人販売を始めたと言って、わざわざ連れ出して見せてくれた。
友達は、この春に、完全リタイアをしたので、十分ある時間を無駄にせず、前向きに過す為に、いろいろ考えたらしい。
借り受けたというこの畑は、草茫々だったと言う。
それを綺麗に使って貰えるのは、地主さんにも喜ばしい事だが、友が、あれこれと、これからの計画を話す姿が、直接、手を下すのは私ではないが、何より、楽しいし嬉しいもの。
この畑が自宅からも近いのは、我ら、高齢者(と言うと、友からは文句が出るかも・・・)にとっては、打って付けだ。
野菜に限らず、何かを育てるには、日頃から目を掛ける事が大切だと思うからだ。
毎朝、散歩がてらに畑を見回り、あれこれと農作業の段取りに思いを馳せる事は重要だし、まず楽しい。
エラそうな事だけは言っても何もしない私だが、そんな私でも、農作業に没頭している時間は嫌いでは無かったし、諸々の思いを整理できる、大げさに言えば「瞑想」の時間にも似ていたと思っている。
ひたすら地べたを見つめて、あれこれ妄想し、時折、見上げる空の大きさの中に、クダラヌ思いを解き放ち・・・農作業を終えた時には、心と頭とが、スッキリ、空(クウ)になるような感覚だった。
ただ、惜しむらくは、「忍耐と根性」が、そして、「食」に対しても関心が無かった。
自家製野菜は、確かに美味しいと思うけれど、すべてを、そこに投入できない私だったのだ。
それでも、自然に添って作る食べ物は無駄にはしない・・・という考えは身に付いたと思う。
たとえキャベツの芯であっても、使える方法を探して、使い切りたい。
まぁ、世間には、「ケチな人」と呼ばれる範ちゅうかもしれないので、「これが、私のポリシーだ」と叫んでも、ご賛同は得られないだろうな・・・と納得している。
でも、今朝、偶々、見ていたTV番組で、かの立川談志氏は食べ物を大切にする人で、食べ残しなど許さなかったし、自身でも、高座の前に舐めていた飴も、ちゃんと皿に残して置き、食べきった・・・という話をしていた。
事実は知らないけれど、何だか、自分のポリシーに箔が付いたような気分になった。
と、まぁ、毎度、あれこれ、いろいろと、「瞑想」ならぬ「迷走」をしながら、ボトボチと、古希を歩み始めている私である。
これが菊だ!という典型的な花型であるが、元々、懸崖用なのか、やたら、茎が長~く育つのですよ