急に思い立って、「花壇」周りの落葉清掃に行く。筋向い「マック」で、しば~し、憩う。
美容院で「清々カット」をしながら、鏡に映った自分の顔が、やけに老けた!と感じた。
毎日、洗顔の後に見る小さな鏡では、映し出されない表情に、我ながら驚いた。
まぁ、これが現実だろう・・・と、すぐ受け入れてしまう自分に、やはり、気持ちにも老いが来ているのだと思う。
そんな時、職場の上司だった方の訃報が届いた。
享年80歳だったと言う。
そうなんだよねぇ、後10年か・・・「死」が、急に、わが身に接近して来たような、動揺(ざわめき感?)がする。
これまでだって、自分と同年齢もしくは若年齢の方の訃報を聞いていたにも拘らず、これ程、「死」を身近に感じた事はなかった(母を見送った時には、次は自分だという思いはあったけれど・・・)。
つらつら思うに、故郷に戻って早10年、今、感じる事は、10年間の「短さ・速さ」だろうか・・・10年の道すがらには、いろいろ感じた事はあった筈なのに、全く、その実感が残っていないのだ。
振り返って見れば、職場を去った記憶だけ、それも、思い(気持)だけで、風景が思い出せない。
私にとっては、仕事を離れる事が、人生の一大事であったのだろう。
そんな希薄で、速かった10年間からは、この先10年も似たようなもの・・・という判断が自ずと引き出されるのだと思う。
この先の10年に向かって、どう生きたらいいのか、どう死と向き合ったらいいのか・・・もう、漠然としたものでは無い事は明らかである。
まぁ、私の事だから、当然、深刻な思いでは無いが、ぐっと、身近になった「死に様」に、留意して行こうという思いに至る。
花壇の清掃が済んでから、「マック」に寄り、100円珈琲(美味くない!)を啜りながら、我が「花壇」を眺めて、現在、自分が係わり合っている様々な事の「有終の美」について、自分に都合のイイ仕舞い方に、妄想を巡らしている私なのである。
田植えの頃に咲き始めた「コスモス」が、随分、ガンバッテ咲き続けている・・・周辺では、もう、稲刈りも終わりになった。