IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「島田市 ばらの丘公園」で・・・

2011-06-08 09:12:40 | 小さな旅への誘い

[写真と文:NTさん提供]





6月3日。島田「ばらの丘公園」に行ってきました。

河津のバガテル公園ほどは広くはありませんが、種類が豊富にあります。

珍しい緑色のバラもあるし、紫色もあります。


(MAP:島田市ばらの丘公園HPより引用)



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「卯の花」と「新じゃが」と

2011-06-07 18:14:15 | 晴耕雨寝



ユキミグサ(雪見草)
一般名 空木(ウツギ)  万葉名 卯の花  雪ノ下科




先日、ハイキング(ウォーキング?)中に遭遇した花で、私は知らなかったのですが、仲間から、「卯の花」だと教えられました。
彼は物知りだなぁ・・・という事を、認識しました。
で、卯の花の匂う垣根に~・・・と、歌ってしまいそうなのですが、卯の花は香りません。「匂う」は美しく映える状態のこと・・・だと、これは、ネットを検索して知りました。
でも、「卯の花」が「雪ノ下科」というのも、ビックリというか、発見というか、認識不足というか、「へぇ~」と目が覚める思いでしたね、全然、似てないもの・・・「雪ノ下」は、一応、知っているんですよ(と、思いますが)。
いやぁ、何時もボーッとしているだけのハイキングも、時には勉強になるという事も発見できました。


「卯の花」ばかりに心を取られてもいられず、そ~なんです、雨が降りそうなんですね。
「じゃがいも」の葉が黄ばみ始めてきているし、中には茎が腐っているようなものもあるので、土が乾いている内に収穫することにした。
2回に分けて植えたうちの、先に植えた分(全体の半分です)を掘ってみる。
まぁ、素人が、訳も分からずしていることなので、出来が良いのか悪いのか、皆目、判断は付かないが、我が家と、姉と、妹の家との3家族に、近所の親戚へも分けられたのだから、自己評価で「上出来」ということに落着する(させる?)。
早速、夕食に「粉ふきいも」をつくり、胡椒をたっぷり振りかけて食した。


しばらくは「雨」の日が続いても、安心していられそうです




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「韮山史跡めぐり」と「ホタルまつりin伊豆の国」

2011-06-05 08:58:17 | 三六趣味の会便り

     


          韮山駅から歩いて蛭ケ小島→韮山城跡→江川邸→本立寺等を周った後、
          反射炉特設会場へ行き「ホタルコンサート(*)」を楽しむ

          (*) 出演予定はキヨミ・ジャズダンス・スクール、フォークソング・グループ「大小」、
              トロンボーンカルテット「EN]

          (企画持ち込みはOTさん)



今回の36同好会の催しは、前回、雨で流れた「韮山史跡めぐりハイク」と市のイベント「ホタルまつりコンサート」に便乗しました。

6月4日 梅雨のような雨が続いてましたが、本日は、天気快晴少し風あり。
「ハイク」なのか「ウォーク」なのかは、各自、それぞれだろうが、久しぶりに、良い運動になり、心地よい汗をかきました。
汗をかいた後の一杯の(スミマセン、地ビールを2杯の飲みました)ビールは最高!です。

何時ものように「飲み物・つまみは各自持参」方式で、最終目的地「反射炉」で「喉を癒し、ストレスも癒す」予定でいたのが、「反射炉」は国の史跡(?)だとかで、飲食禁止でした・・・残念で~す
またの機会ということで、皆さん、良い企画を見つけて置いてくださいね。
で、「ホタル」の乱舞は見られたのでしょうか・・・。


     

以前は「蛭が小島」と言っていましたが、今は「蛭が島」だそうで・・・何故?
  

ハイク途中の「池(名前を忘れてしまいました)」と「卯の花(と、STさんが教えてくれました)」
   

「江川邸」(NHK「篤姫」の撮影場所だったとか)と「きささげ」の花
   

「江川邸内天井梁」は、800年前の形が残された貴重なものと言ってましたね
   

「反射炉」会場で、宴会を始めたのに注意されてしまった私達です




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衝動買いしました!

2011-06-02 10:43:26 | 晴耕雨寝



2・3年前に、母が、鉢植えの「ミニばら」を買ってきたのを、地面に移して置いた。
今年は、丈が50センチくらいに伸びて、結構、見栄えのする「ミニばら」になった。
何をもって「ミニばら」と命名するのか・・・丈、花?。



ピューリツァー賞を受けた報道写真で、少なからず、衝撃を感じたものがあった。

アフリカの内戦(だったと思うが)の中、今にも死にそうな少年の傍で、ハゲタカがその死を待っているような無常感漂う写真である。
なんと言葉を発していいのか・・・何という現実なのだろう、子供が可哀相だ、何の意義があっての戦争なのか・・・でも、ちょっと心を掠めたのは、報道写真とはいえど、人間として、こんな状態の現場で、シャッターを押せるものかな・・・という疑問だったのを覚えている。
でも、場所は日本から(私の生活から)は、遠くく離れたアフリカの事、どこかで「他人事」と忘れ去っていた。
写真を撮ったケヴィン・カーターは受賞した3ヶ月後に自殺したそうだ。
彼は、自殺を選択する程、世間の批難か、己の行為かを、苦しんだのだろうと想像できる。





毎日新聞5月29日付「今週の本棚」欄を眺めていた時、「報道を受け止める側のまなざしを問う・・・有名な一枚の写真が紹介される。今にも死に至りそうなやせ衰えた・・・」という文字に目が留った・・・あの写真の事?。

「A・クライマンほか著、他者の苦しみへの責任」 みすず書房
「他者の苦しみへの責任」と言われても、何のことかすんなりとはわからない・・・この本では、たとえば、ハイチで貧困とエイズの苦しむ若い女性・・・政治や経済や制度による力によって生み出されている人々の「苦しみ」が扱われている。またその苦しみを見る他のまなざしも扱われている・・・日本とは遠いようだが、実は本の随所に、今の自分の立ち位置を、考えさせるポイントがある・・・(小西聖子評抜粋)

聖人になれと言われてなれなかった時、人は自分を恥じるのではなく、聖人を批難することで自分のふるまいのアリバイを作る・・・ケヴィン・カーターの写真は実際ピューリツァー賞に値する名作だった。われわれの置かれた状況を見事に説明していた。見るものは惹きつけられると同時に居心地の悪さを覚え、苛立ち、それを写真家にぶつけた。この光景をみよ、と示す指に歯を立てた・・・(池澤夏樹解説から抜粋)



「読みたい」と思った。「読まなくては」とも思った。
すぐに、「Amazon.co.jp」で発注する。
6月1日、単行本が送られて来た。
早速、本を開いて、「うーん、読めないかも・・・」、活字が小さいのだ。
私の衝動買いは、活字の大きさだけで沈没しそうであるが、これは、意外と、大事なことだと思う。
まぁ、何時ものように、ボチボチと読んでいくつもりではあるが・・・。


コメント (4)
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