見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2025初詣・亀戸七福神巡り

2025-01-07 21:33:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇亀戸駅~寿老人(常光寺)~弁財天(東覚寺)~恵比寿神・大黒天(香取神社)~毘沙門天(普門院)~福禄寿(天祖神社)~布袋尊(龍眼寺)~亀戸天満宮

 松の内も今日で終わりだが、今年のお正月は、亀戸七福神を巡ってきた。七福神の寺社の門前には、紫に白抜きの「亀戸七福神」の旗が立っていたが、深川七福神のようにコースの道案内に点々と旗が並ぶ雰囲気はなかった。

 寿老人の常光寺。本尊は阿弥陀如来で「江戸六阿弥陀詣」の6番目の霊場でもある。

 弁財天の東覚寺。本尊は大日如来と阿弥陀如来だが、不動尊が有名らしい。亀戸七福神は、どれも大きなお寺や神社の一画に、添え物的な祀られ方をしていた。

 恵比寿神・大黒天の香取神社。かなり大きな神社で、スポーツ振興や勝負事の神様として人気を集めている。

 毘沙門天の普門院。伸び放題の草木、積もった落ち葉の野趣あふれる風情で、立ち入っていいものか、ちょっとためらってしまった。社務所を覗くと、若いお坊さんがニコニコして「ちょうど住職が戻ったところです」と声をかけてくださった。亀戸七福神のご朱印は、印判だけだと200円、手書きだと300円で、私は印判だけを集めていたのだが、「同じ金額で結構ですよ」(若いお坊さん)と言って、ご住職が手慣れた墨書を添えてくださった。

 なお、門を入ったところには「伊藤佐千夫の墓」という石碑が立っていた。あとで調べたところでは同寺の墓地に佐千夫の墓があるそうだ。伊藤佐千夫と言えば、私が思い出すのは「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」(高校の現国で習った)の歌で、茅場町で牛を飼っていたと本で読んだときは、東西線の茅場町駅のあたりかと思ったのだが、実は本所茅場町と言って、いまのJR錦糸町駅の南口辺に牧場があったらしい。錦糸町駅のロータリーに佐千夫の歌碑があるという情報も初めて知ったので、今度見てこようと思う。

 福禄寿の天祖神社。お正月らしく境内に雅楽のBGMが流れていた。

 ここから最後の龍眼寺に向かう道筋が分かりにくく、私のほかにも数人が迷っていたら、通りがかりのお姉さんが「ここから行くと近いですよ」と言って、マンションの私有地を通り抜ける近道を教えてくれた。

 布袋尊の龍眼寺。萩寺とも呼ばれる。本尊の聖観音菩薩立像は江東区内最古の仏像(平安時代末期から鎌倉時代初期の作)だという。看板に写真が掲示されていたが、秘仏で拝観はできなかった。布袋尊のご朱印は尼僧の方からいただく。

 最後に亀戸天満宮にも参拝して〆めとした。亀戸エリアの商店街は、老舗の和食や和菓子もあれば、ガチ中華もあって、なかなか楽しい。また散歩に来よう。

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古籍、絵画、現代工芸/平安文学、いとをかし(静嘉堂文庫美術館)

2025-01-04 22:54:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『平安文学、いとをかし-国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ』(2024年11月16日~2025年1月13日)

 新年の展覧会参観は本展から。平安文学を題材とした絵画や書の名品と、静嘉堂文庫が所蔵する古典籍から「いとをかし」な平安文学の魅力を紹介する。

 と言っても最初の展示室に並んでいた古典籍は、作品時代は平安文学でも、江戸時代の版本や南北朝・室町時代の写本が中心だったので、まあそうだよね~というゆるい気持ちで眺めた。その中で『平中物語(平仲物語)』は静嘉堂文庫本(鎌倉時代写)が現存唯一の伝本だという。『今昔物語集』は享保の版本が出ていて、室町時代には南都周辺で読まれていたらしいと解説にあった。『うつほ物語』『栄花物語』『大鏡』なども版本があって、江戸の出版文化すごいな、と思った。

 鎌倉時代の文芸評論である『無名草子』(私は藤原俊成女の著作として習った)も江戸の版本が出ていた。壁のパネルの紹介を読んで「歌集の撰者に女性がいないことは残念」という趣旨の記述があることを初めて知った。言われてみればそのとおりで、平安時代は多くの女性文学者が活躍し、勅撰和歌集には女性の和歌も採られているけれど、撰者は全て(21代集まで下っても)男性なのである。それを「残念」と思ったことのなかった私には、ちょっと衝撃だった。『無名草子』、ちゃんと読んでみたくなった。

 続いて絵巻物。『平治物語絵巻・信西巻』は、信西の首級が運ばれ、獄門に晒される場面が開いていた。信西の死は12月なので真冬のはずだが、下級武士たちは、短い甲冑の下は裸の太ももをさらしていて、身軽だが寒そう。見物の群衆には女性が描かれていない(牛車の中は不明だが)。『駒競行幸絵巻』(鎌倉時代)は駒競(こまくらべ)に先立ち、頼道の高陽院に上東門院彰子が行啓した場面を描く。多くの人物が描かれ、さまざまな仕草や表情を見せており、華やかで楽しい。劣化(焼損)が激しいのが惜しいが、このたび『平治物語絵巻』ともども修復が行われたそうだ。

 さらに『源氏物語』の世界へ。俵屋宗達の『源氏物語関屋澪標図屏風』はやっぱりいいなあ。人も牛も、松も岩も藁ぶき屋根の小屋も、全てがザ・宗達である。波に浮かぶ船の人の大きさがどう見てもおかしい(小さすぎる)のだが、源氏との身分差に気後れする明石の君の船だと思うと、あれでいいのかもしれない。あと、2台の牛車はどちらも全体に九曜紋が描かれていることを確認。住吉具慶の『源氏物語図屏風』は、「葵」に碁盤の上に立った紫上の髪を切る源氏が描かれていた。室町~江戸時代の『白描源氏物語絵巻・賢木』(小絵サイズ)がユニークで可愛かったことも書き留めておこう。一種のファンアートだと思う。截金ガラス作家・山本茜さんの『空蝉』『橋姫』にも一目惚れした。「源氏物語シリーズ」は54帖全てあるのだろうか(オフィシャルサイトには15点掲載)。

 最後の展示室は平安古筆の名品揃いだが、なんといっても『高野切』(第三種)があって、わずか2行の断簡に目を奪われてしまう。しかも記されているのが「わが庵は三輪の山もと 恋しくはとぶらひ来ませ 杉立る門」(古今982)という私の大好きな和歌。実は最後の1句が読めず(思い出せず)悩んでしまったが、眼福だった。

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2024年12月展覧会拾遺の拾遺

2024-12-28 22:48:33 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 『儒教のかたち こころの鑑-日本美術に見る儒教』(2024年11月27日~2025年1月26日)

 理想の君主像を表し為政者の空間を飾った豪華な障壁画から、庶民が手にした浮世絵まで、儒教のメッセージを宿した日本美術の名品を紹介する。英一蝶など、主に江戸の絵師が描いた孔子像がいくつか出ていたが、帝王の衣裳をまとった袞冕像など、いずれも華やかで、コスプレ孔子様だな、と苦笑してしまった。足利学校の聖廟に祀られているという彫刻の孔子像は、ちょっと人麻呂像に似ていなくもない。かつて名古屋城の二之丸庭園内の聖廟に祀られていた聖像セットは、祠堂のかたちの厨子の中に、周公旦、孔子、堯、舜、禹の5像を納める。15センチくらいの小像だが、堯は純金、他は青銅に鍍金したものだという。キラキラして美しかった(現在は徳川美術館所蔵)。これが江戸の庶民になるとやりたい放題で、鈴木春信の『五常 義』は少女のような男娼二人が「義」について語っているところ。男色は「義」を重んじたというのは、まあ『菊花の契り』を思えばそうなのかもしれない。

戸栗美術館 『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』(2024年10月10日~12月29日)

 伊万里焼や景徳鎮の磁器の人物モチーフに注目し、あらわされた人物は誰か、どのような背景から描かれたのか、などを紐解く。「唐子」は子孫繁栄を願う吉祥文として好まれたが、なぜ日本の子どもでなくて唐子なのかなあ。身近な風景すぎると寓意性や象徴性が薄れるのだろうか。陶磁器の図柄が同時代の版本の挿絵を参考にしているというのは、以前にもどこかで聞いたことがあって面白い。明代の五彩人物文壺には、鴻門の会を描いたものがあったが、この時代、小説『西漢演義』や戯曲『千金記』が人気を集め、項羽と劉邦の逸話が享受されたのだという。風俗ものでは、色絵のういろう売り人形に惹かれた。歌舞伎を題材にしたものと思われ、役者を思わせるいい顔をしている。南蛮人図は現代の陶磁器にも継承されており、母のお気に入りのひとつで、正月のお膳によく並んでいたことをふと思い出した。

日本橋高島屋史料館 『さらに装飾をひもとく-日本橋の建築・再発見』(2024年9月14日~2025年2月24日)

 ずっと気になっていた展示をようやく見ることができた。会場となっている日本橋高島屋の店内の装飾だけでなく、日本銀行本店本館や三井本館、看板建築、ポストモダン、都市のレガシーを引き継いだリノベーション建築など、日本橋エリアの建築を幅広く紹介する。2020年9月〜2021年2月に開催された『装飾をひもとく〜日本橋の建築・再発見』展の続編だというが、前回の展示は全く認識していなかった。案内のお姉さんにそう話したら「コロナの時期でしたしねえ」と残念そうにうなずいていた。

  久しぶりに訪ねた史料館の場所が分からなくて、店内をきょろきょろしていたら、エスカレーターの脇にいたライオンが目に入った。これは! 解説パネルを読んだら、私の記憶どおり、丸石ビルディングのライオンだった。合計4体あって、2体は今でも丸石ビルディングの入口両脇に残され、2体は大洋商会が保管しているとのこと。しかし現役の2体(※写真)にこんな長いシッポはついていたかしら。五分刈りみたいな丸い頭部が、ちょうど大人の胸あたりにくるので、撫ぜてみたいのを必死にガマンした。「日本橋高島屋S.C.装飾スタンプラリー」は年明けにチャレンジ予定。

東京国立博物館・東洋館8室 特集『中国書画精華-宋・元時代の名品-』(2024年11月12日~12月22日)

 毎年恒例の特集展示だが、今年は特別内容が濃かったことを書き洩らしていたので、ひとこと書いておく。梁楷、夏珪、馬遠(伝承作品もあるけど)が揃い踏みしているのを見ると、これは日本スゴイと言ってもいいのではないかという気持ちになる。インバウンド需要が復活して、中国系の参観者の姿も多かった。東博では、展示室内でガイドさんがツアー客に説明することを許しているらしい。私が行ったとき、若い男性ガイドさんが、米芾の『行書虹県詩巻』を全文音読してくれて、流麗な中国語音に聞き惚れてしまった。

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2024年11-12月展覧会拾遺

2024-12-25 22:52:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

そろそろ年末の棚卸し。

半蔵門ミュージアム 特別展『小川晴暘と飛鳥園 100年の旅』(2024年9月11日〜11月24日)

 今年の春、奈良県立美術館で開催されているのを見逃してしまったなあと思っていたら、東京に巡回してきてくれたので見に行った。飛鳥園の創業者で仏像写真の第一人者・小川晴暘(1894-1960)とその息子光三(1923-2016)の作品、さらに光三に師事し、現在飛鳥園に所属して撮影を続ける若松保広(1956-)の作品を紹介する。彼らの仏像写真が素晴らしいのはもちろんだが、創業当時の飛鳥園の店先など、歴史を伝える記録写真も面白かった。

神奈川県立歴史博物館 特別展『仮面絢爛-中世音楽と芸能があらわす世界-』(2024年10月26日~12月8日)

 神奈川と深く関わる仮面や、中世の武士たちが親しんだ仮面の数々を集めることで、仮面の背後にある地域に息づく豊饒な音や音楽の存在を発見し、またこうした文化を利用しながら、地域を支配しようと試みた領主たる武士たちの姿をも捉えていく。神奈川以外の地方に伝わる仮面も多く、私は千葉県山武郡の広済寺に伝わる「鬼来迎(きらいごう」(ビデオ紹介あり)に惹かれた。千葉県香取市の浄福寺所蔵で「かぶると3年以内に死ぬ」と言い伝えられている幽霊面も展示されていており、まあ確かに恐ろし気だった。

横浜開港資料館 日米和親条約170周年記念特別展『外国奉行と神奈川奉行-幕末の外務省と開港都市-』(2024年9月21日~11月24日)

 幕末の外国奉行と神奈川奉行にスポットをあて、組織の実態や外交官たちの姿、開港都市横浜の様相を紹介する。Part1「外国奉行-幕末の外務省」(10月20日まで)とPart2「神奈川奉行-開港都市を治める」(10月26日から)の二部構成になっており、私が参観できたのは「神奈川奉行」の展示だった。思ったより複製資料が多かったが、日常勤務を想像させる資料あり、事件記録あり(生麦事件など)で面白かった。

根津美術館 重要文化財指定記念特別展『百草蒔絵薬箪笥と飯塚桃葉』(2024年11月2日~12月8日)

 『百草蒔絵薬箪笥』は、何度か同館で見たことがあったが、本展はこの薬箪笥を主役にした特別展。はじめに作者・飯塚桃葉(初代)の蒔絵作品を展示。 それから『百草蒔絵薬箪笥』の制作背景というべき植物図譜や博物図譜を紹介。肝心の『百草蒔絵薬箪笥』は?と思ったら、内容物を1つ1つバラされて(ガラス瓶、薬の紙包みなど)、広いスペースを取って展示されていた。服部宗賢所持の薬箪笥(杏雨書屋蔵)と緒方洪庵所持の薬箱(壮年期と晩年期の2件、大阪大学適塾記念センター)を見ることができたのは貴重な体験で、『木村蒹葭堂貝類標本』(大阪市立自然史博物館)は眼福だった。

國學院大學博物館 特別展『文永の役750年 Part1. 海底に眠るモンゴル襲来-水中考古学の世界-』(2024年9月21日~11月24日)

 長崎・佐賀県境に位置する伊万里湾の鷹島海底遺跡における水中考古学調査研究とその成果について紹介する。展示品の『てつはう(鉄砲)』や元軍の印、武具や陶磁器は、今年初めに鎌倉歴史文化交流館の企画展『異国襲来』でも見たものだった。水中調査のビデオ映像は初めて見た。もちろん探査装置も使うのだが、最後は潜った人間が、手探りで海底の泥を掻き分けて遺物を探していた。

東京国立近代美術館 企画展『ハニワと土偶の近代』(2024年10月1日~12月22日)

 本展は美術を中心に、文化史の舞台に躍り出た「出土モチーフ」の系譜を、明治時代から現代にかけて追いかけつつ、ハニワや土器、土偶に向けられた視線の変遷を探る。東博の『はにわ』展が、素直に見て楽しみ、驚く展示だとすれば、こちらは、さまざまな歴史的情報を考慮に入れて、読んで考える展示だった。埴輪(はにわ)と土偶では、ハニワブームのほうが早い。戦前のハニワは、万世一系の歴史と、皇室に従う純良な日本人を象徴していた。戦後、考古学が実証的な学問として脚光を浴びるとともに、「日本的なるもの」の探求が盛んに行われた。一方、1970-80年代にはSF・オカルトブームの影響を受け、先史時代の遺物に着想を得たキャラクターが量産された。とても面白いので、どなたか、このテーマで新書の1冊くらい書いてほしい。

大倉集古館 特別展『志村ふくみ100歳記念 -《秋霞》から《野の果て》まで-』(2024年11月21日~2025年1月19日)

 染織家・志村ふくみ(1924-)の100歳記念回顧展。志村さんといえば、私は桜や花のイメージを持っていたのだが、1階展示室は青系統の作品が多くてちょっと意外だった。解説を読んでいったら、志村さんは近江八幡の生まれだそうで、ああ琵琶湖の青だ、と合点がいった。「夭折の画家である兄・小野元衞」という紹介もあって、名前に覚えがあったので自分のブログを検索したら、倉敷の大原美術館でこのひとの絵を見た記事が出てきた。志村さんは新作能「沖宮」の衣裳を制作したり、クラッシック音楽やリルケの詩に着想を得たり、多彩な人である。

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しばらくお別れ/トプカプ宮殿博物館・出光美術館所蔵 名宝の競演(出光美術館)

2024-12-22 23:58:42 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 日本・トルコ外交関係樹立100周年記念『トプカプ宮殿博物館・出光美術館所蔵 名宝の競演』(2024年11月2日~12月25日)

 休館前の最後の展覧会は、日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して100周年を迎えた本年にあたり、両国の友好を記念する特別展。

 冒頭にはトルコのトプカプ宮殿を彩った工芸品、金銀や宝石をふんだんに使った香炉や水指し、コーヒーカップなどが並ぶ。華麗で愛らしくて、高級チョコレートのパッケージを思い出させるものが多かった。驚いたのは水晶製の水指しおよび蓋付きカップ。完全に透き通っているので、どう見てもガラスだろうと思ったら、一塊の水晶を加工したものだという。また乳白色の玉から、複雑な浮彫り・透かし彫りのある鉢や皿を彫り出したものもあって、これは産地が中国になっていた。実はトプカプ宮殿には、中国の工芸品が多数伝わっており、特に今回、中国陶磁の名品を請来しているのである。

 最初に登場した浅めの青磁鉢(元時代)は、見込みの中心に菊花形の貼り付け装飾があって、こんなの見たことないぞ?と思ったら、出光美術館所蔵の青磁鉢(元時代)にも同じような装飾があった。大型の鉢の場合、焼成に耐えられるよう底に孔をうがち、それを隠すために貼り付けたという解説が付いていた。壺や瓶の場合も、共土で別に作った円盤状の皿を落とし込んで底にする場合があるらしい。図録には、青磁瓶を横に倒した写真が載っていて、底部を下から見るとよく分かる。

 青磁・青花は、まさにトプカプ宮殿博物館の至宝と出光美術館の名品の競演。両館の持っている青磁瓶(元時代、龍泉窯)はとてもよく似ていた。中国陶磁に大皿が登場するのはイスラム文化の影響だと言われているが、今回の展示品でいちばん大きかったのは、出光美術館所蔵の青磁皿(明時代初期)で直径68.5センチ。これを超えるものがあれば見てみたい。

 青花は出光美術館の名品が惜し気もなく並んでいた。休館前の最後の展覧会なのに、なぜ「トプカプ宮殿」なの?と思っていたけど、ちゃんと自館コレクションの粋を見せてくれて嬉しかった。明代の草花文の大皿(2種)は、藍色の発色が美しい。元時代の躍動感ある魚藻文の大皿も好き。解説に、トプカプ宮殿にも本作と類似する青花の大皿がある、と書いてあったけれど見たかったなあ。トプカプ宮殿コレクションでは、大きなひょうたん型の青磁瓶(元時代)が、表面をフラットな牡丹文で覆っており、英国のテキスタイルみたいで可愛かった。麒麟を描いた青花鉢(明時代)は、崩れた表情が民窯ぽくて、これも好き。あとで壁の年表を見たら、オスマン帝国(1299-1922)は、中国でいうと元時代から中華民国までをカバーするのだな。

 本展には日本陶磁も登場する。トプカプ宮殿には、古伊万里の色絵蓋付瓶(ゴージャスな金襴手!)や染付瓶も収蔵されているのである。中国磁器とは異なるテイストで世界に売り出そうとした古伊万里の例として、和装美人を描いた色絵蓋付壺(江戸時代中期、出光美術館)も展示されていた。

 あと珍品というか、ピンクや黄色のポップな色調で楼閣山水を描いた五彩皿(景徳鎮窯、清時代)も気に入った。最後に出光美術館が所蔵するトルコのタイルや陶器が展示されていたが、こちらは宮殿美術とは異なる民窯の世界で、バラやチューリップの造形がひたすら可愛い。

 休館前の最後の展覧会、私の大好きな「陶磁器の国際交流」をテーマにしてくれてありがとうございます。いちおう、先日公表された建替計画には出光美術館の存在が明記されていたので、少し安心した。

※三菱地所:(仮称)丸の内3-1プロジェクト(国際ビル・帝劇ビル建替計画)始動(2024/12/16)

陶片室は残るよね。入口で警備員のおじさんがエレベーターを案内してくれるシステムは、好きだったんだけど、なくなっちゃうかな。

それでは、さよーなら、またいつか!

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色とかたちの新鮮さ/中国陶磁展(松岡美術館)

2024-12-21 22:55:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

松岡美術館 『中国陶磁展 うわぐすりの1500年』『伝統芸能の世界-能楽・歌舞伎・文楽-』(2024年10月29日〜2025年2月9日)

 この数年、同館には足繫く通っている。特に中国美術関係の展覧会はおもしろいものが多い。本展は、後漢から明までのおよそ1500年間における陶磁器を、うわぐすり、つまり釉薬に着目して展観する。

 はじめに「低火度釉」と「高火度釉」という分類を紹介し、低火度釉から見ていく。後漢時代の緑釉の壺と酒尊が出ていたが、どちらもあまり緑が鮮明でない。と思ったら、緑釉には、一定の条件の土中で長い年月をかけて風化すると「銀化」という現象が起こるそうで、これが緑釉陶器の見どころの1つなのだという。

 北斉(6世紀)後期から白釉陶器が登場する。『三彩蓮弁八耳壺』は、背の高い宇宙船みたいなかたちで、白地に茶色と緑の釉薬がうっすら流れている、不思議なうつわだった。唐代には鉛釉が本格的に登場。酸化鉄を加えると褐色や黄色になり、酸化銅を加えると緑、コバルト(西方産)を加えると藍色になるというのは、どこかで聞いた気がするが、ここにもメモしておこう。細身で小さな『三彩婦人』が可愛らしかった。鉛釉は流れやすいというのは、名品といわれる唐三彩を思い出してなるほどと思う。同じ三彩でも、金代の磁州窯系のやきものはみんな絵柄が可愛い。『緑釉劃花鳥文枕』は、クッションみたいにでかい陶枕だった。そういえば、最近の中国ドラマは服飾や什器の再現に凝っているけど、陶枕の再現は見たことがないなあ。

 続いて高火度釉のやきもの。灰釉陶器は、焼き締められた丈夫なつくりで、明器や日常使いの器に用いられた。植物などの灰がうつわに降りかかり、ガラス化することは殷時代には発見されていたという。MIHOミュージアムの『古代ガラス』展で学んだ話だ。後漢時代の『灰釉双耳壺』は、備前を思わせる肌合い、平たい宇宙船(うつぼ船)みたいなかたちで面白かった。

 そして青磁、澱青と続く。『澱青釉紅斑瓶』は、本展のポスターには、わざと全体像が分からない写真が使われているのだが、一見の価値あり。梅瓶をきゅっと細くしたような独特のかたちで、四方に(と言っていいかな)異なるかたちの紅斑が浮かぶ。なので見る位置によって印象ががらりと変わるのだ。まるで現代美術のようなセンスだが、金~元時代の作品だという。驚いた。

 展示室5と6では『伝統芸能の世界-能楽・歌舞伎・文楽-』を開催。「歌舞伎」のセクションは武士を描いた絵画が多くて楽しかった。前田青邨の『鎮西八郎』は、背後に一人従者を連れ、弓を横たえてかしこまる烏帽子姿の若武者。鎮西八郎為朝なのだが、ニキビ面のヤンキーみたいな風情で噴き出してしまった。小堀鞆音の『忠臣楠公父子図・孝子小松内府図』は、右幅の小松内府に注目。画面いっぱいに描かれたのは武装した郎党たちの集まる清盛邸。左下に、悠然と門をくぐる小松内府重盛が描かれている。

 展示室6は「文楽」特集。実は同館の創立者・松岡清次郎は素人義太夫の愛好者だったそうで、今回、松岡愛用の見台(台本を置く台)も展示されていた。十数件の絵画のほとんどは、宮前秀樹氏の作品だった。どれも描かれた戯曲世界がよみがえってくるようで、文楽ファンには至福の空間だった。『近松の人々』は三組の男女が描かれているけど、お初徳兵衛(曽根崎心中)、小春治兵衛(心中天の網島)、梅川忠兵衛(冥途の飛脚)で合っているかな。摂州合邦辻の玉手御前を描いた『玉手五姿』もよかったが、女性を描いた絵画が多かったのは、画家の趣味か、それとも蒐集家の趣味だろうか。

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浄楽寺の運慶仏出開帳/運慶展(横須賀美術館)

2024-12-18 21:49:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

横須賀美術館 企画展『運慶展 運慶と三浦一族の信仰』(2024年10月26日〜12月22日)

 2022年に特別展『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』を開催した横須賀美術館で、また運慶展が開催されていると聞いたときは、ちょっと戸惑った。しかしまあ、運慶と言われれば、行かないわけにはいかないので、出かけてきた。

 その前に、12月1日(日)に「ニコニコ美術館」でこの展覧会が取り上げられた。朝8時から横須賀美術館の『運慶展』の紹介があり、夜19時から金沢文庫の『運慶-女人の作善と鎌倉幕府-』(2024年11月29日~2025年2月2日)の紹介があったので、どちらも視聴した。なお今回の運慶展は、鎌倉国宝館の特別展『鎌倉旧国宝展-これまでの国宝、これからの国宝-』に付随する特集展示『鎌倉の伝運慶仏-教恩寺 阿弥陀如来及び両脇侍立像 修理完成記念-』(2024年10月19日~12月1日)を含む3館連携展示であると、12月1日朝のニコ美で知ったので、その日が最終日だった鎌倉国宝館の展示も、慌てて見て来た。鎌倉ゆかりの名品(旧国宝)が勢ぞろいする豪華な展示だったが、「鎌倉の伝運慶仏」として、初めて見る教恩寺(鎌倉市大町)の阿弥陀如来及び両脇侍立像が出ていたのが珍しかった。

 さて横須賀美術館は、2年前と同様、京急線の馬堀海岸駅からバスに乗り換えて訪ねた。運慶展のチケットを買って入口を入ると、「特集:かながわ散歩」を掲げた所蔵品展示の回廊に誘導される。廻廊を進んでいくと、厚いカーテンで隠された、秘密めいたエリアの入口があって、そこが運慶展の第1展示室になっている。横長のひろびろした展示室には、芦名の浄楽寺所蔵の阿弥陀如来坐像、両脇侍、不動明王、毘沙門天の計5躯。全て運慶仏と考えられている。私は、今年3月に久しぶりに浄楽寺で拝観しているのだが、お寺さんよりもゆったりした空間で、時間制限もなく拝見できるのは、大変ありがたかった。背景の壁の色は、アクアマリン、あるいはターコイズブルーかな? 海の見える横須賀にふさわしいしつらえだったと思う。仏像との距離も近くて、手を伸ばせば触れるというより、阿弥陀如来の手が自分のほうに伸びてきそうな気がした。阿弥陀三尊の頭髪は、かなり青色が残っている。両脇侍(特に向かって右)はお腹のあたりの金箔が剥げているのに初めて気づいた。

 もう2つ、展示室というか展示コーナーがあって、1つには清雲寺の観音菩薩坐像がいらしていた。「滝見観音」とも呼ばれる、リラックスしたポーズの観音様である。両手とも指が長く、縦に長い手のかたちが優雅に感じられた。

 別のコーナーには、三浦市・天養院の薬師如来坐像と両脇侍がいらしていた。かなり古風な雰囲気の薬師如来(平安時代)で、和田義盛ゆかりの寺院・仏像である。本尊の前面に大きな亀裂が入っているのは、和田合戦の折、義盛の身代わりになったためと伝えられている。ニコ美で、金沢文庫の瀬谷貴之さんが、義盛は、いつぞやの大河ドラマで描かれたような武辺者ではなく、もっと教養人だった、ということを残念そうに、繰り返し強調していたのが面白かった。

 以上、浄楽寺阿弥陀三尊の像内納入品(の複製)を入れても、全10件という小規模な展示だが、見に行って損をした感はなかった。金沢文庫はまた別の日に、じっくり見にいく予定である。

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東京長浜観音堂(閉館)に感謝!

2024-12-04 22:05:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京長浜観音堂 『十一面観音立像(長浜市高月町渡岸寺 向源寺(渡岸寺観音堂))』(2024年11月1日~12月1日)

 日本橋の東京長浜観音堂がついに閉館することになった。最後の展示は、国宝十一面観音で有名な渡岸寺(向源寺)から、像高39センチの、檀像ふうの小さな十一面観音がおいでになった。やや横に広いお顔立ち、肉付きのよい肩幅だが、背後にまわると、腰高でほっそりした印象に変わる。襟を広げたうなじが美しい。左の脇腹に引き付けるように水瓶を持ち、右手(くっきりした掌の皺)は下に垂らす。着衣のあちこちには華麗な截金が残る。現地でお会いした記憶がないのは、収蔵庫でなく、本堂に安置されている(本堂はあまり熱心に参拝していない)ためか。もとは国宝十一面観音のお前立ちだったそうである。撮影禁止のため、施設に貼ってあったチラシから。

 最終日の12月1日は、夕方から薩摩琵琶の「さようならコンサート」が開催されたのだが、万一、行き逃すと悔いが残ると思ったので、朝のうちにお別れをしてきた。展示室となりのイベントスペースでは、写真家・駒澤琛道氏による長浜の仏さまと観音の里風景の写真パネルが展示されていた。渡岸寺の国宝十一面観音の写真も見ることができて、嬉しかった。あと、いいなあと思ったのは、和蔵堂(善隆寺)の十一面観音、多田幸寺の薬師如来。洞戸の地蔵菩薩は、大きな鞘仏と小さな胎内仏が、親子みたいで愛らしかった。

 長浜市のこの事業、上野・不忍池の東畔に「びわ湖長浜KANNON HOUSE」がオープンしたのは2016年3月である。当時、私はつくば在住で、2017年に東京に引っ越したが、仕事が忙しくて、なかなか同館に足を向けることができなかった。2020年10月に「KANNON HOUSE」が閉館(このときの記事に渡岸寺の小さいほうの十一面観音の写真あり)、その半年後、2021年7月に「東京長浜観音堂」がオープンした。私自身がリタイアモードに入ったこともあり、自宅から徒歩圏という気軽さもあって、こちらでは全企画を拝見させていただいた。コロナ禍の間も展示を継続していただき、本当にありがとうございました。

 長浜市の学芸員さんが交替制でおいでになっており(一時期は常駐)、フランクなお話を聞けたのがとても楽しかった。今後もしばらくは、前を通るたびに思い出すだろうな、八重洲セントラルビル。

 来年2月に東博でファイナルイベントがあると聞いているので、絶対に行きたい。長浜にもまた必ず行きます。

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ふくやま美術館、広島県立歴博→六波羅蜜寺ご開帳

2024-12-01 23:55:09 | 行ったもの(美術館・見仏)

ふくやま美術館 特別展『ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念』(2024年10月12日~12月15日)

 金曜は広島で仕事があり、西条に泊まった。土曜の朝、西条酒蔵通りに心惹かれながら、かねての予定どおり、朝イチで福山へ移動し、駅前の美術館を訪ねた。同館は、福山市、府中市、神石高原町の3市町による広域圏の美術館だという。本展は、明王院(福山市草戸町)本堂本尊「十一面観音立像」が33年に1度の御開帳を迎えることを記念し、福山市内の約20ヶ寺に安置されている貴重な仏像、仏画など40件余りを展示するもの。

 仏像では1件だけ、鞆町・安国寺の阿弥陀如来及び両脇侍立像(鎌倉時代)が撮影可だった(顔出しパネルにもなっていた)。いわゆる善光寺式阿弥陀三尊像だが、ほぼ等身大という異例のサイズ感。

 また鞆町・地蔵院の十一面観音立像は唇の間に上歯4本を見せているという。よく見えなかったが、おお、日本にも「露歯菩薩」がいらっしゃるんだ!と感心した。鞆の浦に、また行ってみたくなった。

 2階の第2会場は明王院の特集展示になっていて、十一面観音立像のほか、弥勒菩薩坐像及び両脇侍(不動・愛染)坐像(南北朝時代、彩色が派手)、不動明王立像(室町~江戸時代)及び矜羯羅・制吒迦2組(江戸時代)がいらしていた。秘仏の十一面観音は平安時代前期の作だというから、安芸国に縁の深い平家の人々も拝んでいるかしら。心もち右足を踏み出し、顔と身体をやや左(向かって右)に傾けている。また左足の親指だけがかすかに上がっている。水瓶を持った左手は胸に引き付け、長い右手を身体の側面に垂らす。正面から見ると、眉をしかめたような厳しい表情だが、横から見ると印象がやわらぐ。小柄だが無駄のないしっかりした肉付きで、働き者の少女を思わせる。徐々に思い出したのだが、私はたぶん33年前(1991年?)のご開帳を見ていると思う。明王院の現地を訪ねたことを覚えている。しかし次の33年後は無理だろうなあ…と思って、よくよくお姿を目に焼き付けた。

ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館) 開館35周年記念・秋の特別展『源氏物語の世界展』(2024年9月27日~12月1日)+常設展

 常設展が見たくて立ち寄ったら、特別展をやっていたので軽い気持ちで見ていくことにした。紫式部が身を置き、また『源氏物語』の舞台ともなった平安時代の文化を貴族社会の衣食住を中心に、模型や人形で立体的・具体的に再現する。

 これは、身長30~40センチくらいの人形で再現された「紅葉の賀」の情景。青海波を舞う源氏と頭中将の隣りで、多くの官人が垣代(かきしろ、円陣)を組んでいるところ。

御簾の下から華やかな女房装束の袖口が見えていたのに、裏にまわってみると首なしでびっくり。これは打出(うちいで)と呼ばれるつくりもので、重ねた装束を几帳の柱を支えにして、あたかも人が座っているように見せるのだという。

袞冕(こんべん)=天皇の礼服。この装束のお雛様があったら、欲しい。

等身大のマネキンさんもいた。平安初期~中期の公家女房。遣唐使停止を機に国風化したというが、後世の装束に比べれば、まだ唐風。私は嫌いじゃない。

平安中期になると、よく知られた女房スタイルが確立する。

 さて、同館に立ち寄ったのは、常設展の「草戸千軒展示室」が見たかったためだ。前回来たのは33年前の明王院本尊ご開帳の折だったのではないかと思う。中世の家並みを大規模に復元した展示室で、当時としては、かなり先進的な取り組みだった(1989年開館)。

補陀落山六波羅蜜寺 国宝秘仏十一面観世音菩薩御開帳(2024年11月3日~12月5日)

 福山から新幹線で東に向かい、京都でまた途中下車。まっすぐ六波羅蜜寺に向かう。11月3日、秘仏本尊十一面観音のご開帳初日に参拝したにもかかわらず、ほとんどお姿を拝めなかったので、もう一回来てみたのだ。相変わらず人は多かったが、外陣の最後方で賽銭箱にもたれるようにして、しばらくお姿を眺めることができた。もともと肉厚でがっしりした観音さまだが、錦の幕を張り巡らせたお厨子の扉が小さくて、十一面の高い頭部がよく見えないこともあって、妙にいかつい体型に見えてしまう。

 ご開帳初日にはいただけなかったご朱印もいただくこともできた。白色の「淵龍」の護符が売られていたので「次回は何色ですか?」と聞いたら、赤色とのこと。「頑張らなくちゃ」と言ったら「まだまだお元気でしょう」と笑ってもらえた。そうねえ、12年後はなんとかなるかな。24年後の黄色に手が届けばうれしいが、欲張らないことにしよう。幼い子供連れの参拝客や、身体の不自由を押して参拝にいらしたお年寄りを見て、いろいろ感慨深かった。宝物館(令和館)はまた次回。

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王の墓の守護者/はにわ(東京国立博物館)

2024-11-26 22:52:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 挂甲の武人国宝指定50周年記念・特別展『はにわ』(2024年10月16日~12月8日)

 埴輪(はにわ)の最高傑作とも言える『挂甲の武人』が国宝に指定されてから50周年を迎えることを記念し、東北から九州まで、全国約50箇所の所蔵・保管先から約120件の至宝が集結する特別展。なかなかの人気で、連休に出かけたら、入館まで小1時間待たされてしまった。私はあまり埴輪に興味を持っていないので、会場内の混雑ぶりに、見に来たことを後悔しかけたが、ゆるい気持ちで見ていくと、いろいろ発見があって面白かった。

 冒頭には2体並んだ『埴輪 踊る人々』。東博の公式キャラクター「トーハクくん」のモデルにもなった有名作品である。意外と小さい。出土地が埼玉県熊谷市であることは初めて認識した。私の場合、埴輪と聞くと、この「踊る人々」が浮かんでしまうのだが、実は一口に埴輪と言っても、単純な円筒形や壺形から、人物・動物・魚(!)・船・家など、多種多様な造形が残されている。

 埴輪は、古墳時代の3世紀から6世紀にかけて作られ、王(権力者)の墓である古墳に立てられた。はじめに奈良県、熊本県、群馬県などの古墳から出土した副葬品の刀剣や武具、金属製の沓などを展示。続いて、王の墓に立てられた埴輪が登場する。奈良県桜井市のメスリ山古墳からは、高さ2メートルを超える巨大な円筒埴輪が出土している。展示室の壁いっぱいに、古墳の全景写真が掲示されていたのはとてもよかった。あとで場所を調べたら、聖林寺に近いあたりなのだな。大阪府堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)は大きさばかり注目されがちだが、愛らしい『埴輪女子』や水鳥形、犬形の埴輪も出土していることを初めて知った。

 埴輪の造形で特に気に入ったのは、三重県松阪市宝塚1号墳出土の船形埴輪。縄文の火炎型土器みたいにいろいろな装飾がくっついた姿がゴージャスで、呪力を感じさせる。展示は模造品だったが、よくできていたので問題なし。珍しかったのは椅子形埴輪(群馬県伊勢崎市)。椅子に座るべき人物を表現しないのが面白い。

 後半の始まりは『挂甲の武人』の特集だった。東博が所蔵する『挂甲の武人』(埴輪武装男子立像)は群馬県太田市で出土。これと酷似する完形の武人埴輪は4例あり、本展には5件の『挂甲の武人』が勢ぞろいした(うち1件は米国シアトル美術館から里帰り)。いずれも頬宛てのついた衝角付冑(しょうかくつきかぶと)を被り、小札甲(こざねよろい)をまとう。大刀(たち)に手をかけていることはすぐに分かるが、よく見ると短い弓を持っており、多数の矢を収めた靫(ゆき)を背負っているのが興味深かった。やっぱり古代の武人は、剣より弓矢だったのではないかな。

 人物埴輪には、武人以外にも、盾を持つ人、琴をひく男子、力士など、多様な姿が写し取られていた。驚いたのは『ひざまずく男子』(群馬県太田市)。中国の跪拝俑は知っていたが、日本にもあるんだ~と興奮した。

 馬形埴輪には、どれも鐙(あぶみ)が付いていた。最近、松岡美術館の展示で、唐代の三彩馬は鐙を表現することが珍しいという解説を読んだので、比較すると面白いと思った。

 さまざまな動物埴輪をパレードふうに並べた展示は、中国の博物館でも見たことがあった。牛・馬・犬・猪(豚)・水鳥など、だいたい登場する動物の種類は似通っていたが、羊はいなかった(推古天皇紀に献上の記録はあるらしい)。魚形埴輪(千葉県芝山町)には笑った。こんなの、後世のフェイクだと言われたら信じてしまう。

 あと、親子の愛情を表現した埴輪はわずかだが関東限定で出土するという解説があった。むかし、奈良の百毫寺に向かうルートに、子供を背負ったお母さんの埴輪が立っていたのだが、あれも後世の模造品だったのかなあ、と懐かしく思った。

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