見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

増築リニューアルオープン/與衆愛玩(荏原畠山美術館)

2024-11-25 22:05:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

荏原畠山美術館 開館記念展I『與衆愛玩-共に楽しむ-』(2024年10月5日~12月8日)

 荏原製作所の創業者・畠山一清(即翁、1881-1971)のコレクションを所蔵する「畠山記念館」は、2019年3月から施設工事のため休館していたが、このたび「荏原 畠山美術館」(半角空けが正しいらしい)に名称を変更し、リニューアルオープンした。ウェブサイトのURLも変わったようだ。

 好きな美術館の1つではあったけれど、あまり熱心には通えていなかった。最後に訪問したのは2016年のようだ(つくばに住んでいた頃だ)。休館中に京博で開催された特別展『畠山記念館の名品』は見ていて、コレクションの質と量に驚いた記憶がある。

 これまでは高輪台駅を使うことが多かったのだが、今回は白金台駅から歩いた。高級住宅街の代名詞みたいな町だが、狭い道がうねうねと入り組んでいて、高い樹木が多く、鎌倉あたりの裏道を歩いているような気がした。そして懐かしい門前。丸に二つ引きの畠山氏の家紋。塗り直された(?)白壁が美しい。

アプローチに沿って進むと、これも以前の面影を残した玄関。

 ロビーには着物姿の畠山即翁の大きな木像が置かれていて、思わず心の中で「お久しぶり!」と声をかけてしまった。チケット売り場のお姉さんが順路を説明してくれるのを聞いて、来るときにチラリと見えたのが、増築された新館であることを理解する。靴を脱がなくてもよくなったのだな、という変更も理解。

 階段で2階へ。片側の壁に軸物が数点。おおお、継色紙(きみをおきて)だ!「きみをおき/て あだし/こころをわ/がもたば/すえの/松山/なみもこえな/む」という、完全に意味を無視した行替えのリズム、全体が左に傾いた不安定さもよい。むかしはこの壁の前は畳敷きの広縁(?)になっていて、上がって展示品に近づいてもよく、お抹茶をいただくこともできたのである。記録のために書き残しておく。その左奥の茶室「省庵」は残っていて、中に上がることができた。床の間には即翁筆「波和遊」が掛けてあった。これ「How are you?」だそうで、川喜田半泥子にも同じ書があるみたい。

 この展示室は茶道具が中心。伊賀花入「銘:からたち」が素晴らしくて息を呑んだんだけど、実は京博でも見ていたことにさっき気づいた。でも京博の人工的な照明で見るより、軽く自然光が差し込む畠山美術館の展示室のほうが、絶対に映えると思う。備前とか信楽とか、長次郎の赤楽茶碗「早船」(赤くない)とか、全体に私好みのやきものが多いなあと思った。

 絵画は『清滝権現像』(鎌倉時代)に驚く。どこかで見たことがあると思ったが、自分のブログで検索したら畠山記念館しか出てこなかった。白地に丸紋の着物、唐風の冠をつけた女神が引き戸を開けて姿を現したところ。手には緑色の宝珠。戸の外側に垂髪・緑の着物に緋の袴の小さな女性が控えている。圧倒的な身長差が、女神の御稜威を印象づける。解説によれば、荏原製作所がポンプの会社なので、水に縁のある女神像をコレクションに加えたという。

 そして、きょろきょろしてしまったが、以前はなかった出口(たぶん)から外へ出ると、新館への渡り廊下がある。廊下は、完全に密閉された空間でないのが面白かった。新館2階には能面と能装束を展示。即翁が実際に能を舞っている写真や動画もあった。いいなあ、このおじさん、東京帝国大学の機械工学科出身で、多数の機械を発明し、製造販売に成功しつつ、この数寄者っぷり。

 地下1階は、即翁の女婿で荏原製作所二代目社長の酒井億尋(1894-1983)の洋画コレクションを紹介。梅原龍三郎、安井曾太郎など。新館ができたことで、ずいぶん展示の幅が広がった気がした。ちなみに基本設計の新素材研究所は、現代美術作家の杉本博司と、建築家の榊田倫之によって設立された建築設計事務所である(実施設計は大成建設)。また来ます!

追記。展示の書画に必ず全文翻刻が添えてあり、表具の説明があるのがとてもよかった。

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美味しそうな色とかたち/福田平八郎×琳派(山種美術館)

2024-11-23 21:38:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展・没後50年記念『福田平八郎×琳派』(2024年9月29日~12月8日)

 斬新な色と形を追求した日本画家・福田平八郎(1892-1974)の没後50年を記念し、同館では12年ぶりに、平八郎の画業をたどる特別展を開催する。併せて、平八郎が敬愛した、琳派の祖・俵屋宗達の作品など、意匠性と装飾性にあふれる琳派の世界を紹介する。

 自分のブログを検索したら、初めてこの人の名前が出てくるのは、2010年の『江戸絵画への視線』展。2012年の『福田平八郎と日本画モダン』も見ている。特に誰かに習ったわけではなくて、主に山種美術館で作品に出会って、徐々に好きになった日本画家だと思う。

 会場の入口に掛けてあったのは『筍』。黒いまっすぐな筍が二本生えており、背景の白い地面には、一面に散り敷いた竹の葉がパターンだけで表現されている。まさに意匠性と装飾性にあふれたカッコいい作品。福田は晩年まで写生を重視したが、写生の結果として、現実よりも自由で美しい色とかたちを生み出している気がする。

 たとえば何度も描いている『鮎』の黒っぽい背中と尾びれの黄色、『桃』の赤みがかった黄色を見ていて思った。これは和菓子の色に似ている。現実にあるものを真似ながら、現実よりも愛らしくて美味しそうな和菓子の色。『竹』にアップで描かれた3本の竹の幹は、緑・黄色・オレンジのビタミンカラーに塗り分けられていて、駄菓子屋のラムネ菓子を連想した。晩年の『鴛鴦』にはオス3羽、メス2羽が描かれているが、ひな祭りの砂糖菓子(金花糖)みたいに華やかな色をしている。『紅白餅』は明るい水色を背景に白いマルとピンクのマルが並んでいて、夕焼け雲?と思ったら餅だったので笑ってしまった。前述の『筍』もだんだん羊羹かチョコレートに見えてきて、まあとにかく美味しそうな作品が多かった。

 琳派は、伝・宗達筆『槙楓図』、抱一筆『秋草鶉図』、其一筆『四季花鳥図』と、3つの屏風が並んだところは圧巻。この中では其一の屏風が色数も多く華やかで好き。王朝物語を踏まえた、抱一の『宇津の山図』、其一の『高安の女』も面白かった。宗達の墨画淡彩『軍鶏図』(個人蔵)は初めて見たかなあ。縦長の画面いっぱいの大きな軍鶏が、全身「たらしこみ」の技法で描かれている。トサカと顔のまわりに薄く朱を用いる。

 最後の「近代・現代日本画にみる琳派的な造形」も面白かった。見てすぐ、確かにこれは琳派だよねと分かる作品もあれば、え?これが?としばらく考えるものもあった。橋本明治の『双鶴』は、2羽の鶴の頭部を並べて描いたもの。琳派の絵画というより蒔絵デザインに通うものがあるかもしれない。安田靫彦作品のそばに、靫彦が宗達を大絶賛した言葉が添えてあって、一瞬、安易な「日本スゴイ」論かと警戒したのだが、よく読むと言いたいのは「宗達(だけが抜群に)スゴイ」であることが分かる。宗達は、4-500年間何人も顧みなかった、否、解することができなかった古大和絵の中から、同時にこれと骨肉の間柄である古い工芸、殊に蒔絵などの中から、自己の新しい生命を発見したのである、という。

 私の大好きな小野竹喬『沖の灯』がここに並んでいたのも嬉しかった。年配のおばさまたちが「88歳の作品ですって」「その年齢でこんな新しい表現をねえ」と頻りに感歎していた。福田平八郎も絶筆とされる『彩秋遊鷽』は79歳のときだし、奥村土牛の例もあるし、彼らの作品を見ると、まだまだ私も老け込んではいられないかな、という気持ちになる。

 第2室にあった牧進『寒庭聖雪』は、白一面の屏風に、うっすら大きな雪の結晶を浮かび上がらせ、下の方に小さなスズメと赤い実をつけた百両を並べる。この屏風の前でクリスマスディナーを食べられたら素敵だろうな。そしてこの意匠性と装飾性は、やっぱり琳派の遺伝子なのかもしれない。

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表具に仕覆に舞楽衣装/古裂賞玩(五島美術館)

2024-11-19 01:02:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 特別展『古裂賞玩-舶来染織がつむぐ物語』(2024年10月22日~12月1日)

 古裂愛玩といえば、まず思い浮かぶのは茶道具を包む「仕覆」だが、私はあまり関心がないので、今回の展覧会は行かなくてもいいかな、くらいに思っていた。それが、行ってみたら、展示室の壁にさまざまな墨蹟や唐絵の軸が掛けてある。え?どういうこと?と思ったら、これら書画の名品の表具に着目し、よく似た名物裂を収めた裂帖や裂手鑑が下に置いてあった。これは嬉しい。私は表具を見るのが大好きなのだ。展覧会の図録に表具の写真が載らないのを、いつも残念に思っている。

 墨蹟の表具は全体に控えめだけど、一部にキラリと華やかな布を使っていたりする。織物に型紙を当てて糊を引き、金箔・金粉を置いたものは印金というのだな。紺など地色が暗いほうが金色の模様が際立つ。伝・牧谿筆『叭々鳥図』は何度も見ているはずだが、「紺地大黒屋金襴」の天地と「白地牡丹文金襴」の中廻しの華やかさに、しみじみ見とれてしまった。MOA美術館の伝・牧谿筆『叭々鳥図』(枝に止まっている)は、同じ「紺地大黒屋金襴」を一文字に使っているみたいだった。

 本展には、書画も茶道具も、他館所蔵の名品が多数出陳されている。徳川美術館所蔵の伝・胡直夫筆『布袋図』と伝・無住子筆『朝陽図』『対月図』もその一例で、室町時代の三幅対の表装のありかたを伝えているということだった。五島美術館所蔵の『佐竹本三十六歌仙絵・清原元輔像』は近代に表装されたものだが、大柄な模様の「鳳凰蓮花文金紗」がめっぽう華やか。ちょっと歌人の元輔に合わない気もするが、所蔵者の熱烈な思い入れが伝わる。

 展示室の入口には大きな平台の展示ケースが置かれていて、東博所蔵『赤地花菱繋文金襴裲襠』(舞楽衣裳、「散手」と墨書あり)と円覚寺所蔵『縹地花卉造土文金紗座具』(敷物?)が出ていた。名物裂を集めた裂帖・裂手鑑のうち、最も大部な(木箱入り)『前田家伝来名物裂帖』は九博の所蔵だった。現存最古の名物裂手鑑と見られる『文龍』は個人蔵だった。B5版くらいの小型サイズで、貼られている裂も小さく、丸や三日月形など多様な形をしていた。

 中央列の平台ケースは、茶道具の仕覆や包み裂が多かったが、更紗がまとまって出ていたのが嬉しかった。五島美術館の更紗包み裂コレクションは大好きなのである。展示室2には、個人蔵の更紗袱紗もたくさん出ていて眼福だった。大名家に伝わった裂手鑑にも、かわいい更紗を貼っているものが散見された。忘れられないのは『鹿手更紗袱紗』。唐草模様の間に、よく見ると小さな鹿が遊んでいる。奈良のお土産物に復刻してほしい。

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展覧会芸術の三兄弟/オタケ・インパクト(泉屋博古館東京)

2024-11-16 23:46:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 特別展『オタケ・インパクト 越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズム』(2024年10月19日~12月15日)

 尾竹越堂(おたけ えつどう 1868-1931)、竹坡(ちくは 1878-1936)、国観(こっかん 1880-1945)の三兄弟を東京で紹介する初めての展覧会。名前を聞いても全く作品の浮かばない三人だったので、怖いもの見たさみたいな関心で見に行った、三人は、明治から昭和にかけて文展(文部省美術展覧会)をはじめ、様々な展覧会で成功を収め、「展覧会の申し子」として活躍したという。

 展覧会制度の導入によって変質した日本絵画を、やや批判的に「展覧会芸術」と呼ぶことは、確か2023年の同館の展示『日本画の棲み家』で私は学んだ。しかし尾竹三兄弟は、積極的に「展覧会芸術」の枠組みに乗り込んでいったようで、豊かな色彩で精緻に描き込まれ、見栄えのする大作がたくさん並んでいた。

 最初の一周では三人の差異がよく分からなかったが、二周目は作者名をチェックすることで、それぞれの個性が少し分かった気がした。末弟・国観は、小堀鞆音に師事したというのも納得で、歴史画・人物画の名品が多い。『油断』(東近美)は、敵の来襲に慌てる武士の群像(屋敷の奥に女性たちもいる)を描く。特定の歴史的な事件を想定せずに構想したものだというが、背景の幔幕には木瓜紋。甲冑や馬具が細部までリアルで、古絵巻の画像にはない躍動感がある。『絵踏』は禁制のキリシタンを見つけるための踏絵を描く。立ち上がろうとする女性を見守る群衆の中には南蛮人や清国人(官服姿)も描かれている。この作品は、展覧会に出品されたが岡倉天心との衝突によって撤去され、所在不明となっていたもの。2022年に国観の遺族から同館に寄贈され、修復を経て公開となった。

 次兄・竹坡は作風も性格も一番エキセントリック。特に岡倉派と袂を分かったあと、大正末年(1920年代)には未来派に接近して、前衛的な日本画を生み出す。第2展示室の入口にあった『月の潤い・太陽の熱・星の冷え』3幅対は、SF小説のカバーデザインみたいで度肝を抜かれた。でも本質は川端玉章に学んだ円山四条派の写生と、やわらかな色彩にあるように思う。晩年の『梅』と『山つつじに双雉図』がとても好き。あと『ゆたかなる国土』は、福富太郎コレクション展で見たことを思い出した。

 長兄・越堂は歌川派の浮世絵を学び、売薬版画や新聞挿絵など「生活(たつき)のため」の絵画を多数手がける(弟たちも同様)。三兄弟の中では文展デビューが最も遅く、評価もあまり高くないように見えるが、私はけっこう好みだ。文展落選の『徒渡り』は波立つ広々した水面を主役に、さまざまな姿勢の人物を小さく配したもの。福田平八郎の『漣』を思い出したが、福田のほうが遅いのだな。福島県立美術館所蔵の『[失題]』は不思議な作品で、神話的な男女と2羽の青い鳥(カワセミ?)を描く。晩年の『赤達磨』『さつき頃』もよい。三兄弟と親交のあった住友春翠の仏前に捧げられたという『白衣観音図』の生真面目な宗教性も好き。

 作品の所蔵館を見ると、富山・新潟・福島・宮城など地方の美術館・博物館のほか、個人蔵が非常に多い。この展覧会を逃すと、次はなかなか見る機会がないだろうなあと思うと、後期も行ってみたくなっている。

 参考までに自分のブログを検索したら、尾竹国一(越堂)の名前は太田記念美術館の『ラスト・ウキヨエ』で出て来た。また『芸術新潮』2013年6月号の特集「夏目漱石の眼」によれば、漱石は尾竹竹坡の『天孫降臨』に対し「天孫丈あって大変幅を取っていた。出来得べくんば、浅草の花屋敷か谷中の団子坂へ降臨させたいと思った」という皮肉な美術批評を書いているらしい。『天孫降臨』は本展には出ていないが、見てみたいものだ。また、調べているうち、竹坡が目黒雅叙園の室内装飾に関わったことも分かった。今でもレストラン渡風亭には「竹坡の間」があるそうだが、10-14(17)名様用で室料24,200円か。うーん、利用の機会はなさそう。

※富山県博物館協会:尾竹竹坡の画業における目黒雅叙園室内装飾について(遠藤亮平)

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2024年11月関西旅行:東大寺、春日大社、東寺他

2024-11-10 17:32:38 | 行ったもの(美術館・見仏)

東大寺・三月堂、二月堂、大仏殿裏

 三連休最終日、正倉院展は昨日の参観で満足したので、朝から東大寺境内を散歩する。大好きな三月堂をゆっくり拝観し、二月堂でご朱印をいただく。女性の方に書いていただくのは、昨年に続いて二度目。前回は男性の方と同じ太筆だったが、今回は細筆の繊細な「南無観」をいただいた。

 大仏殿の裏手では、この数年、ずっと整備工事(のようなもの)が行われている。「東大寺 講堂・三面僧房跡整備事業」という案内版によると、ここには講堂と、東・北・西をコの字状に囲む三面僧房が建っていたとされており、講堂跡の礎石がよく残っている。しかし講堂跡の北側を流れる川による遺構の浸食が進んでいるため、護岸工事をしているのだそうだ。

 遺構の北側には正倉院があるのだが、まわりは高い塀で囲まれており、開門は10時だというので見学はあきらめることにした。

東大寺ミュージアム 特集展示『捨目師の作った伎楽面』(2024年10月18日~2025年2月7日)+特集展示『理源大師聖宝と東大寺東南院』(2024年10月18日~11月20日)

 特集展示では、奈良博との連携で伎楽面5件を展示。また東南院の初代院主である理源大師聖宝については主に文書の展示だったが、このひと、宇治拾遺物語「聖宝僧正、一条大路を渡る事」の登場人物だったのか。初めて認識。

春日大社国宝殿 秋季特別展『春日漆の国宝と雲龍庵の漆芸-世界が認めた超絶技巧-』(2024年8月11日~12月13日)

 春日大社の国宝の漆芸品と、現代の漆芸として世界的に高く評価されている雲龍庵・北村辰夫の作品を同時に展示する。北村辰夫氏は石川県輪島市の生まれで、今年1月の能登半島地震で輪島市の工房が被災したため、金沢市に工房を移して作品の制作を続けているという。繊細で愛らしい作品が多くてうっとりした。私には一生縁がなさそうだけど、高級な漆芸品、ひとつくらい身近に欲しい。

 帰路、春日野で古風な装束姿でボール遊びをする集団を見かけた。一瞬、蹴鞠かと思ったが、ふつうのボール(サッカーボール?)で遊んでいた。

 興福寺の五重塔は、明治時代以来120年ぶりとなる大規模な保存修理工事を実施中でこの状態。完了は令和13年(2031)3月の予定だという。長い!

花園大学歴史博物館 秋季企画展『100年遠諱記念 南天棒』(2024年10月7日~12月24日)

 京都へ戻って気になっていた展覧会へ。南天棒の異名を持つ中原鄧州(1839-1925)ゆかりの品々を展観する。私は『雲水托鉢図』を好んで描いた謎の禅僧くらいの認識しかなく、活躍年代も曖昧だったのだが、意外と近代の人物で、乃木希典や児玉源太郎とも交流があった。

東寺宝物館 『東寺観智院の聖教をまもり伝える-真言宗の勧学院-』(2024年9月20日〜11月25日)、国宝 五重塔『初層の特別公開』(2024年10月26日〜12月8日)、観智院

 この三連休は、さすがに帰りの新幹線を予約しており、まだ少し時間があったので、東寺に寄っていくことにした。講堂・金堂と宝物館を見たかったのだが、前者には五重塔、後者には観智院がセットになっていたので、久しぶりにフルコースの参観となった。

 金堂の須弥壇の背後に入り込めるようになったのはいつからだろう? いわゆる立体曼荼羅を全方向から見ることができて嬉しかった。尊格を支える象や水牛のお尻がかわいい。

 宝物館の展示では、江戸時代に観智院聖教を守った杲快、賢賀の事蹟が興味深かった。聖教を守ったといっても、裏打ちなどの修理をしたり、保存箱を作成したり、新しい表紙を付けたり、詳細な奥書を記したり、地味なのである。しかし、こういう堅実な作業があってこそ聖教が伝わったのだと思う。

 最後に観智院へ。宮本武蔵が描いた襖絵と、唐の長安から請来した五大虚空蔵菩薩像を拝見。しかし、もうひとつ私の記憶に残っていた「空海の帰国の様子を表現した石庭」がない。白砂を敷き詰めたお庭は見せてもらったのだが、船や怪魚に似せた石組みはなかった。帰り際、お土産品売り場に古い写真集があったので、パラパラめくってみると石庭「五大の庭」の写真が載っていた。勇気を出して受付の若いお姉さんに「この写真の庭はどこか別のところにあるのでしょうか?」と聞いてみたが、定かには知らない様子。後ろにいたお兄さんも「2017年に改修をしたので、だいぶ変わっていると思います」と言っていた。

 まあ「昭和の作」と言っていたから、そんなに古いものではないのだが、森浩一さんの『京都の歴史を足元からさぐる』にも取り上げられていた庭なので、少し残念である。京都も奈良も、こうして少しずつ変わっていくのだな、と思った。

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2024年11月関西旅行:法然と極楽浄土(京博)、正倉院展(奈良博)他

2024-11-09 23:28:14 | 行ったもの(美術館・見仏)

洛東遺芳館 令和6年秋季展『めでたい絵展』+特別展示『応挙の日記と写生図』(2024年10月1日~11月3日)

 先週末11月3日の続き。秘仏ご開帳の六波羅蜜寺に参拝したあと、五条大橋の東南にある同館に初訪問。9月のお伊勢参り旅行で立ち寄った石水博物館(津市)で、たまたま「洛東遺芳館所蔵名品展」をやっていて、京の豪商・柏屋(柏原家)の伝承品を所蔵・展示するこの施設の存在を知ったのである。1、2階の小さな展示館のほか、旧柏原家住宅も見学できる。今季の展示は、吉祥画題の絵画と調度品など。浮世絵も少し出ていた。

 1階には応挙の日記を貼り付けた屏風と応挙の写生帖を貼り付けた屏風が1隻ずつ。これは同館の所蔵品ではなく借りものだそうだ。私が応挙の日記にまじまじと見入っていたら、受付にいた女性の方が「お好きですか?」と声をかけてくれた。日記は天明8年(1788)8月から1年ちょっと。応挙はもっと前から日記をつけていたと思うが、天明8年1月の大火で失われたのではないかと考えられている。大火の後ということもあってか、天気と風向きの記録が詳しい(毎日、日中と夜の風向きを記載している)。この期間、最も多く注文を受けている画題はやはり仔犬。なぜか東寺から幽霊画の注文も受けているそうで「ほら、ここ」と教えてくれた箇所に「東寺漢幽霊(?)」の文字が読めた。うれしくなって「あ~東京には、毎夏、幽霊画の展示をしているお寺があって、そこにも伝・応挙の幽霊画があるんですよ!」などと話してしまった。

 そうしたら「展覧会とかよく行かれますか?それなら」とおっしゃって、サントリー美術館の次回展『儒教のかたち こころの鑑』の招待券を2枚もいただいてしまった。「貰ったんですけど東京じゃ遠くて」とのこと。ありがとうございます。無駄にせず、使わせていただきます。

※参考:川崎博『応挙の日記 天明八年~寛政二年:制作と画料の記録』(思文閣出版、2024.7)

京都国立博物館 特別展『法然と極楽浄土』(2024年10月8日~12月1日)

 今年の春に東博で見た展覧会の巡回展だが、やっぱり京都のほうが充実しているという印象を受けた。『浄土三部経』(清浄華院)4巻のうち阿弥陀経は後白河院が読誦したものであることが紙背に記載されていたり、『迎接曼荼羅図』(清凉寺)は熊谷直実が所持した者と伝えられていたり、『源空証空自筆消息』(清凉寺)には源空が武蔵国の直実に宛てたものだったり、その時代に生きていた人々の関係が立体的に浮かび上がってくる感じがした(もっともこれらの資料は東博にも出ていたらしいので、私は展示替えで見られなかったのかもしれない)。二尊院所蔵の『浄土五祖像』(南宋時代)は東博に出ていなかったもの。浄土教の正統性の主張に使われていく。仏像は知恩院の八角輪蔵に据えられた八天像の4躯(江戸時代)が来ており、見せ方がとても魅力的だった。 

大和文華館 特別展『呉春-画を究め、芸に遊ぶ-』(2024年10月19日~11月24日)

 寺院の襖絵などの大作を交えて、呉春(1752-1811)の画業を振り返り、理想を目指して洗練されていく画風の変化を見ていく。前後期で47件(呉春以外の作品も含む)の展示リストを見ると、大和文華館所蔵は画帖が1件だけで、あとは他館からの出陳で、しかも美術館や博物館だけでなく、大乗寺、草堂寺、妙法院、醍醐寺などの名前が並ぶ。応挙寺と呼ばれる大乗寺(兵庫県美方郡香美町)に呉春の『群山露頂図襖』『四季耕作図襖』があるのは知らなかった。大乗寺の襖絵は天明7年(1787)頃と寛政7年(1795)頃の2回にわたって整備されており、呉春は2回ともかかわっているらしい。

 呉春ははじめ蕪村に絵画を学び、ついで応挙に写生や空間構成、輪郭を描かない没骨技法を学ぶが、最後は誰の模倣でもない独自の境地に至る。本展がその象徴として取り上げるのは『泊船図屏風』。当時の生活の身近にありそうな、なんでもない小船が、ほかに何もない空間に大きく描かれていて、とてもよい。醍醐寺三宝院にあるようだ。

奈良国立博物館 特別展『第76回正倉院展』(2024年10月26日~11月11日)+特別陳列『東大寺伝来の伎楽面-春日人万呂と基永師-』(2024年10月1日~12月22日)+特別陳列『聖武天皇の大嘗祭木簡』(2024年10月22日~11月11日)

 夕方16時頃に奈良博に着いて「奈良博メンバーシップカード」を購入。これがあると予約なしで正倉院展に入ることができる。今年のメインビジュアルは『黄金琉璃鈿背十二稜鏡(おうごんるりでんはいのじゅうにりょうきょう)』。唐三彩を思わせる色調の七宝装飾の鏡である。図録によると鏡胎は銀製だという。全く記憶がなかったのだが、2000年の正倉院展、2009年に東京国立博物館に出ているとのこと。2000年の正倉院展は来ているかどうか分からない。2009年の東博は『皇室の名宝』展だと思うが、記憶に残っていない。

 『紫地鳳形錦御軾(むらさきじおおとりがたにしきのおんしょく)』は肘おきと説明されていた。蘇軾の「軾」には肘おきの意味があるのか~。2004年の正倉院展に出ているらしいが記憶になかった。

 『瑠璃魚形(るりうおがた)』はガラス製の魚形飾りで、深緑・浅緑・碧・黄がある。これは大好きなので、前回2003年にも話題になったことを覚えている。今回は、奈良時代の製法で再現した各色の模造品も出ていた。碧・黄の『琉璃小尺(るりしょうしゃく)』も模造品あり。なお魚形の碧はブルーだが、小尺の碧はグリーンである。『琉璃玉原料(るりたまのげんりょう)』も興味深く、板谷梅樹のモザイクの原料を思い出してしまった。くしゃくしゃした紙に包まれた『丹(たん)』は、鉛ガラスの原料や釉薬などに使われた顔料。半分固まりかけた橙赤色の粉末である。今回初出陳。

 伎楽面が複数出ていたのも嬉しかったが、いずれも1960年代以来、久々の出陳らしい。酔胡従の面には「捨目師作」の墨書あり。仏像館の特集陳列では、個人蔵・東大寺所蔵の「春日人万呂作」「基永師作」の伎楽面が展示されており、作者たちに思いを馳せた。

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2024年11月関西旅行:六波羅蜜寺秘仏本尊ご開帳

2024-11-07 21:25:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

補陀落山六波羅蜜寺 国宝秘仏十一面観世音菩薩御開帳(2024年11月3日~12月5日)

 今回の関西旅行の最大の目的はこれ。12年に一度の辰年には、ご本尊十一面観世音菩薩のご開帳が行われるのである。初日の11月3日は、午前9時から開扉法要、さらに午前10時から開白法要が行われ、先着500名は「淵龍」の護符がいただけるというので、8:20頃には現地に到着した。ところが、すでに門前には大行列。南門から北へ並んだ列は、松原通りで南へ折り返している。私はこの2折目に並んだが、あっという前に再び折り返した列が北へ伸びて行った。「いま何名くらいですか?」と気にするお客さんもいたが、列の整理に当たっていたお寺の方は「すみません、もう数えられなくて」と答えるばかり。

 8:30頃にアナウンスと太鼓の音がして、先頭の一団が境内へ入っていくのが見えた。順番に列が進んだものの、私は松原通りに近いあたりで止まってしまった。今頃、お厨子の扉が開いているのかなあ…と思いながら、50メ-トルほど先の境内の様子は全く窺えず。9:20頃にようやく再び列が動き出し、南門を入って正面の弁天堂で「淵龍」の護符をいただけたのは10:00近くだった。今年の「淵龍」は白色。私は12年前に紫色、24年前に緑色をいただいている。検索したら12年前の護符の写真を掲載していたので、今回の護符も記録しておこう。

 ちなみに旅行の直前、友人と飲む機会があって、六波羅蜜寺の辰年ご開帳の話をしたら「たぶん24年前に一緒に行きましたよ」と言われてびっくりしてしまった。私の見仏歴も長くなったものである。

 拝観料はいつどこで支払うんだろうと思っていたら、無料で境内に入れてもらえた。そして本堂の前に10数名ずつ区切って並ばされ、順番にお堂に上がる。スタッフの方々は、背中に空也上人のシルエット入りのちゃんちゃんこを着ていらした。

 ご本尊の厨子の前でお焼香(1回にしてください、との指示)をしたら退出。システマティックな誘導で感心したが、ご本尊のお姿を拝めたのは数分程度。内陣では読経が行われていたが、気にするヒマもなかった。御朱印には長い列ができていたのであきらめる。

 いや~でもここのご本尊は大好きなので、なんとかご開帳中にもう一度来て、ゆっくりお姿を眺めたい。12年前も24年前も(初日でなかったからか?)こんな騒ぎではなかったのだ。

 一方で、お厨子の中の観音様の気持ちを想像してみると、12年ぶりの世の中、まあまあ平穏そうで、安堵されたのではないかと思う。誰も神仏の参拝に来られないような、厳しい状況になっていなくて。次の12年後はどんな世の中になっているのだろう。そして私は参拝に来られるといいなあ。

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2024年11月関西旅行:和歌山県博、近美、市博

2024-11-05 22:35:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

 10月に続いて11月の三連休も関西に出かける計画を立てていたのだが、実際にどこへ行くかは直前まで悩んでしまった。結局、初日は和歌山まで足を伸ばすことに決めて新幹線に乗った。ところが土曜日は大雨の影響で朝からダイヤが大混乱。乗って来たのぞみが京都駅で止まってしまい「復旧の見込みは不明」とのアナウンス。これは計画を変更して京都で観光するか、と思って降車。しかし在来線は動いているというので、大阪へ向かい、当初予定の30分遅れくらいで南海・和歌山市駅に着いた(早めの新幹線に乗っていたのがラッキー)。

和歌山県立博物館 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展『聖地巡礼-熊野と高野-. 第III期:人・道・祈り-紀伊路・伊勢路・大辺路をゆく-』(2024年10月12日〜11月24日)

 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年を記念する特別展の第3期。熊野三山や高野山といった霊場をつなぐ道を取り上げ、沿道に所在する寺社・霊場とその名宝の数々を紹介する。街道の村や宿場で守られてきた、素朴で小さな神像や仏像が印象的だった。記録文書も大量に残っていて、解説によると、寺社や為政者が巡礼者の保護に気をつかっていたことが覗える(原文資料を全く読めないのが悔しい)。草堂寺の『群猿図屏風』『虎図襖』、成就寺の『唐獅子図襖』など、大好きな蘆雪の作品を見ることができたのは予想外の余得。

 「伊勢路」のセクションには『伊勢参宮図屏風』(神宮徴古館)や、四日市市・善教寺の阿弥陀如来立像(快慶ふうの端正な像)と像内納入文書などが出ており、9月のお伊勢参り旅行を思い出した。中世の伊勢路は利用が多くなかったが、江戸時代になると、お伊勢参りのあと、熊野にまわる巡礼者が増えたという。熊野市・木本神社の獅子・狛犬(室町~江戸時代)がかわいかった(特に大口を開けてるほう)ことを記録しておこう。

 博物館に入ったのはお昼過ぎで、まだ雨の降り始めだったが、次第に館内にまで雨風の音が響くほどの悪天候に。意を決して、隣りの近代美術館に移動する(4~5メートル先だが屋根がつながっていない)。

和歌山県立近代美術館 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年記念特別展『仙境 南画の聖地、ここにあり』(2024年10月5日~11月24日)

 南画(なんが)とは、中国絵画に影響を受けて江戸時代に成立した、主に山水や花鳥を描く絵画をいう。多くの南画家が和歌山をめぐって作品を描いており、和歌山はいわば南画の「聖地」だった。本展は、江戸期の和歌山、そして明治から戦前期までの関西を中心とする南画の展開をたどる。

 昨年、静嘉堂文庫の河野元昭館長が、江戸絵画ブームというが南画は全く人気がない、という話をされていたことを思い出す。まあ正直、私も熱狂的に南画がいいと思ったことはないが、近代初期の否定のされかたを聞くと、そこまでクソみそに言わなくてもいいんじゃないかと思う。私は伝統的な画風の墨画淡彩が好きなので、谷口藹山『雪中独騎図』や内海吉堂『桟道高秋図』などがよかった。水田竹圃『山水図』は金屏風の墨画に、一部だけ強い著色を用いた変わった作品。矢野橋村の墨画『湖山幽嵒』は、むくむくした生きものみたいな山塊を描く。大阪中之島美術館の『大阪の日本画』で見た画家であることをすぐに思い出した。

 そうこうしているうちに雨が小降りになったのを幸い、南海市駅そばの市立博物館へ向かう。

和歌山市立博物館 令和6年度特別展、和歌の聖地・和歌の浦誕生千三百年記念『聖武天皇と紀伊国 旅するひと・もの』(2024年10月5日~11月24日)

 神亀元年(724年)に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸し、その景観に感動、この地の風致を守るために守戸を置き、玉津島と明光浦の霊を祀るよう詔を発した。そこで今年、和歌山市では「和歌の聖地・和歌の浦 誕生千三百年記念大祭」が開催されているのである。聖武天皇の行幸と言われてもピンと来なかったが、山部赤人が「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る」を詠んだ機会を聞くと、なるほど、と納得がいく。

 展示は、聖武天皇に関係する文物を各地から集めてあって面白かった。奈良博からササン朝ペルシャのガラス切子碗2点とか、正倉院宝物の模造とか、伎楽装束(迦楼羅、呉女)など、正倉院展への期待が盛り上がって、ちょうどよかったように思う。紀三井寺の帝釈天立像や毘沙門天立像もおいでになっていた。

 そして南海線とJR在来線で京都に戻って宿泊。私のスケジュールに大きな狂いはなかったが、新幹線ダイヤは西から東まで終日大混乱だった模様である。

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2024年9-10月展覧会拾遺

2024-11-01 22:53:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

書いていない展覧会がだいぶ溜まってしまったので、思い出せるだけ。

山種美術館 特別展・没後25年記念『東山魁夷と日本の夏』(2024年7月20日~9月23日)

 名作『満ち来る潮』『京洛四季』をはじめ、同館が所蔵する魁夷作品を全点公開するとともに、夏をテーマにした名品を紹介する。海を描いた日本画の名作は数々あるけど、土牛『海』(1981年)はいい。セザンヌの山みたいに確固とした写生の海である。92歳にして「これ程思い出楽しく描いた絵はない」と言える境地がすばらしくいい。

松濤美術館 『111年目の中原淳一』(2024年6月29日~9月1日)

 イラストレーション、雑誌編集、ファッションデザイン、インテリアデザインなどマルチクリエイターと呼ぶべき多彩な活動で知られる中原淳一(1913-1983)の全貌に迫る。私は、明治や大正の少女画に比べると、中原は時代が近い分だけ逆に「古さ」を感じて好きになれないところがある。もっと若い世代は違う感じ方をするかもしれない。

文化服飾博物館 『世界のビーズ』(2024年7月19日~11月4日)

 ヨーロッパのきらびやかなビーズ刺繍のドレス、象徴的な意味を持つアジアやアフリカの各民族の衣服や装身具など、約40か国のビーズを紹介する。江戸時代の珊瑚のかんざしが出ていたが、日本で珊瑚が採取できるようになるのは明治以降で、それまではほとんどが地中海産のベニサンゴを輸入したものだというのに驚く。いろいろ調べて、日本珊瑚商工協同組合のサイトを探し当ててしまった。

サントリー美術館 没後300年記念『英一蝶-風流才子、浮き世を写す-』(2024年9月18日~11月10日)

 英一蝶(1652-1724)の没後300年を記念する過去最大規模の回顧展。私は一蝶の絵、たとえば名品として名高い『布晒舞図』もそんなに好きではなかったのだが、落ち着いて眺めると、細かく描き分けられた人物の表情に、じわじわと愛着が湧いてくる。一蝶は罪人として三宅島で12年過ごした末に赦免されるのだが、本展には、三宅島および新島、御蔵島などに伝わる一蝶の作品が多数出陳されていた。流罪になる一蝶を見送ったのは宝井其角で、この二人の友情は面白い、と思ったら小説にもなっているのだな。一蝶が江戸に帰還後、一時寄寓した宜雲寺は清澄白河にあるらしい。今度、行ってみよう。

大倉集古館 企画展『寄贈品展』(2024年9月14日~10月20日)

 近年の寄贈品を紹介。王一亭(王震)の書画、保坂なみの刺繍、森陶岳の備前焼など。大倉喜八郎の嗣子・喜七郎が収集した近代日本画がよかった。酒井三良『豊穣』が好き。

三井記念美術館 特別展『文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰-ガンダーラから日本へ-』(2024年9月14日~11月12日)

 バーミヤン遺跡の石窟に造営された、東西2体の大仏を原点とする「未来仏」である弥勒信仰の流れを、インド・ガンダーラの彫刻と日本の古寺に伝わる仏像、仏画等の名品でたどる。5月に京都の龍谷ミュージアムで見た展示の巡回展。京都では、日本の調査隊による調査資料が印象的だったが、今回は、日本の弥勒信仰を示す仏像・仏画が見どころで、よくこれだけ集めたと感心した。野中寺の弥勒菩薩半跏像(白鳳時代)や四天王寺の如意輪観音半跏像(平安時代)、個人的に「末法」の弥勒菩薩立像と認識している像(鎌倉時代)も出ていた。

日本民藝館 生誕130年『芹沢銈介の世界』(2024年9月5日~11月20日)

 来年生誕130年を迎える染色家・芹沢銈介(1895-1984)の作品と蒐集品を展示し、芹沢の手と眼の世界を紹介する。芹沢の作品は、民藝のようで、やっぱり土着の民藝品にはないシャープなセンスを持っているところが好き。のれん『御滝図』(一目で那智の滝だと分かる)に見とれた。あと型染め(?)の物語絵シリーズが好き。屏風に仕立てられていた『極楽から来た』は法然上人の一代記で佐藤春夫の新聞小説なのだな。今回、静岡市芹沢銈介美術館の所蔵品がたくさん来ていて、珍しかった。

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長安人の衣食住/長安・夜の宴展(日中友好会館)

2024-10-31 22:03:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

日中友好会館美術館 2024年特別企画『長安・夜の宴~唐王朝の衣食住展~』(2024年10月11日~12月1日)

 前稿で記念講演と映画の話を書いたので、あらためて展示内容について。中国・唐王朝の衣食住、および娯楽文化を中心に、当時の服装やアクセサリー、食器や茶道具、書画や楽器など、古代遺物と複製品約130点を展示・紹介する(無料)。複製品が主であることは、事前に聞いていたので特に問題はなかった。衣類とかアクセサリーは、なかなかよくできたものもあった。

 繭山龍泉堂さん所蔵の古美術品もいくつか出ていた。これは、唐(7世紀)の黄釉加彩婦女騎馬像。加彩から三彩に移行する過渡期につくられたとのこと。

 唐代のファッションを再現した舞踊・古楽演奏のビデオも楽しかった。唐代と一口に言っても(300年もあるので)時代によって変化がある。初唐の女性の髪形はお団子ヘアが基本だったが、中晩唐には高く結い上げたり、付け毛で膨らませたり、どんどん奇抜になっていく。でも武則天時代は女性の社会進出が進んだので、時間のかからない髪形が好まれたという。唐の末期は社会不安と混乱の中で、やはりシンプルに戻っていく。中晩唐のメイク(眉の描き方など)は、ほんとに呆れるほど奇抜。

 食べものについて、役人の給与は現物支給(毎月、羊〇頭)だったというのが面白かった。日本は米だが、唐ではヒツジなんだな。また、当時は豚の飼育技術が未発達だったため、豚肉は生臭く、食べにくい肉だった。ほとんどの豚肉は油の精製に用いられていた。鉄鍋はまだ普及しておらず、料理といえば、煮る、蒸す、炙るで、炒める調理法が登場するのは宋代からだという。

 飲みものは、初唐の頃は乳製品飲料が主だったが、中唐からお茶が普及していく、初期のお茶は、ネギ(?)やショウガ、ナツメなどを加えたどろどろした飲みものだったらしい。また、唐代は温暖な気候で、夏の長安は非常に暑かったので(そうだろうなあ)、氷室の氷を活用したアイスドリンクが好まれた。お酒は緑色の酒粕の浮かんだ濁り酒が一般的だったが、四川省では、灰汁を加えて煮詰めた清酒「剣南春」がつくられ、朝廷へ献上されていたことは「新唐書」に記載があるという(へえ!)。

 …などなど、勉強になったが、一番気になったのは、長安都城の図。A0版のパネル(ポスター)に、模式化された条坊と邸宅がびっしり描かれており、ところどころ、人物やラクダの姿もあってかわいい絵図なのだが、近寄ってみたら、小さな活字で「白居易宅」「賀知章宅」という注記があるのだ(これは東市の南側の宣平坊)。ほかにも高力士宅(これは大明宮の門の前)とか太平公主宅とか李賀宅とか…。この絵図は、残念ながら図録には掲載されていない。案内のお姉さん(学生さんかな?)に「どこかで入手できないでしょうか?」と聞いたら、すまなそうに「写真を撮っていってください」と言われてしまった。

 妹尾達彦先生が講演の中で、文書をつきあわせると、誰がどこに住んでいたかがかなり分かる、8世紀や9世紀でこんな都市はほかにない、とおっしゃっていたと記憶するので、どこかにデータがあるんだろうな。欲しい~!

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