○佐藤卓己『キングの時代:国民大衆雑誌の公共圏』 岩波書店 2002.9
日本で初めて100万部を突破した伝説の国民雑誌「キング」の誕生から終刊までを追い、「雑誌王」とも「野間氏(ヤマシ)」とも呼ばれた野間清治と、講談社文化が、大正~昭和の「大衆社会」に果たした役割を検証する。
私はもちろん「キング」を読んで育った世代ではない。しかし、私と同じ1960年世代の著者が「あとがき」に書いているとおり、「キング」の臆面のない英雄崇拝や熱血感涙調は、「高度経済成長期のテレビの雰囲気によく似ている」ように思える。先だって読んだばかりの永井荷風なら、徹底して嫌悪した、空疎で薄っぺらで、大衆動員的・大量消費的な「近代」の表象。しかし、私はその空疎な「近代」を嫌悪し切ることができない。心のどこかで、安息の匂い、甘い懐かしさを感じてしまう。
大正13年(1924)12月、「大衆」の登場と、大量印刷時代の幕開けを背景に、大日本雄弁会講談社(講談社の前身)から創刊された雑誌「キング」は、総ルビを付した誌面、なりふりかまわぬ宣伝戦略で、女性、少年、労働者、農民、青年団、軍隊から、帝大生、旧制高校生まで、幅広い読者を獲得した。
満州事変、日中戦争と続く国民総動員体制下にも、大衆雑誌の黄金時代は続いた。「雑誌報国」を掲げた講談社は、ファシズムに追随したとされるが、実際のところ、野間イズムに特定の政治的な普遍的価値は存在せず、時々の政権を支持しつつ、成功と繁栄と安定を求めるのが「キング」の信条であった。
しかし、戦局の激化とともに、誌面はファナテッィクな天皇中心主義に覆われ、「おもしろくて為になる(実益娯楽)」を掲げた「キングの精神」は「玉砕」して終戦を迎える。戦後はテレビジョンの普及が、かつての国民雑誌に代わり、雑誌は細分化・習慣化が加速し、昭和32年(1957)「キング」は終刊となる。
「キング」と講談社文化に対しては、さまざまな批判が存在する。最も単純な図式は、講談社文化=昭和ファシズムと戦争協力に対して、岩波文化=大正デモクラシーと市民社会を対置させるものだ。しかし、岩波がエリートをつくろうとする「教育文化」であるなら、講談社は、庶民のための「教育文化」である。両者は、立身出世主義において通底し、相互に補完しあっていたとも言える。
デモクラシーは、自覚的な市民が公開の討論によって公論を形成していく「市民的公共性(圏)」を基盤している。しかし、この場合の「市民」とは、財産と教養を有する成人男子であり、女性、労働者、未成年という「大衆」はあらかじめ排除されている。だが、「大衆」も、公論に参加したいという要求を持っている。「キング」の人気を支えたのは、「財産と教養」を条件とした市民(=読書人)的公共性に対する大衆の反逆ではなかったか。「言語と国籍」を条件とする国民的公共性への参加(共感)要求ではなかったか。
以上が、おおむね、本書の結論であるが、2006年現在の日本社会にも、そのまま重なるような気がした。ナショナリズムは、国籍さえあれば参加(共感)できる、垣根の低い公共圏である。だから、疎外されているという不満を抱く人々は、最終的にここ(大衆=国民的公論形成)に集まってくるのだ。そのとき、「財産と教養」という特権に支えられた市民的公共圏に、最後まで対抗を通すだけの力はあるのだろうか。
日本で初めて100万部を突破した伝説の国民雑誌「キング」の誕生から終刊までを追い、「雑誌王」とも「野間氏(ヤマシ)」とも呼ばれた野間清治と、講談社文化が、大正~昭和の「大衆社会」に果たした役割を検証する。
私はもちろん「キング」を読んで育った世代ではない。しかし、私と同じ1960年世代の著者が「あとがき」に書いているとおり、「キング」の臆面のない英雄崇拝や熱血感涙調は、「高度経済成長期のテレビの雰囲気によく似ている」ように思える。先だって読んだばかりの永井荷風なら、徹底して嫌悪した、空疎で薄っぺらで、大衆動員的・大量消費的な「近代」の表象。しかし、私はその空疎な「近代」を嫌悪し切ることができない。心のどこかで、安息の匂い、甘い懐かしさを感じてしまう。
大正13年(1924)12月、「大衆」の登場と、大量印刷時代の幕開けを背景に、大日本雄弁会講談社(講談社の前身)から創刊された雑誌「キング」は、総ルビを付した誌面、なりふりかまわぬ宣伝戦略で、女性、少年、労働者、農民、青年団、軍隊から、帝大生、旧制高校生まで、幅広い読者を獲得した。
満州事変、日中戦争と続く国民総動員体制下にも、大衆雑誌の黄金時代は続いた。「雑誌報国」を掲げた講談社は、ファシズムに追随したとされるが、実際のところ、野間イズムに特定の政治的な普遍的価値は存在せず、時々の政権を支持しつつ、成功と繁栄と安定を求めるのが「キング」の信条であった。
しかし、戦局の激化とともに、誌面はファナテッィクな天皇中心主義に覆われ、「おもしろくて為になる(実益娯楽)」を掲げた「キングの精神」は「玉砕」して終戦を迎える。戦後はテレビジョンの普及が、かつての国民雑誌に代わり、雑誌は細分化・習慣化が加速し、昭和32年(1957)「キング」は終刊となる。
「キング」と講談社文化に対しては、さまざまな批判が存在する。最も単純な図式は、講談社文化=昭和ファシズムと戦争協力に対して、岩波文化=大正デモクラシーと市民社会を対置させるものだ。しかし、岩波がエリートをつくろうとする「教育文化」であるなら、講談社は、庶民のための「教育文化」である。両者は、立身出世主義において通底し、相互に補完しあっていたとも言える。
デモクラシーは、自覚的な市民が公開の討論によって公論を形成していく「市民的公共性(圏)」を基盤している。しかし、この場合の「市民」とは、財産と教養を有する成人男子であり、女性、労働者、未成年という「大衆」はあらかじめ排除されている。だが、「大衆」も、公論に参加したいという要求を持っている。「キング」の人気を支えたのは、「財産と教養」を条件とした市民(=読書人)的公共性に対する大衆の反逆ではなかったか。「言語と国籍」を条件とする国民的公共性への参加(共感)要求ではなかったか。
以上が、おおむね、本書の結論であるが、2006年現在の日本社会にも、そのまま重なるような気がした。ナショナリズムは、国籍さえあれば参加(共感)できる、垣根の低い公共圏である。だから、疎外されているという不満を抱く人々は、最終的にここ(大衆=国民的公論形成)に集まってくるのだ。そのとき、「財産と教養」という特権に支えられた市民的公共圏に、最後まで対抗を通すだけの力はあるのだろうか。