○九州国立博物館 黄檗宗大本山萬福寺開創350年記念 九州国立博物館開館5周年記念 特別展『黄檗―OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風』(2011年3月15日~5月22日)
さて、黄檗展である。隠元禅師倚像前の巡照朝課が終わったあと、入口に戻って、ゆっくり展示を見始めた。入口に設けられた朱塗りのギザギザした透かし窓は、氷裂式組子(ひょうれつしきくみこ)のデザインである。反射的に、万福寺だ!と思ったけど、調べたら、長崎の興福寺のデザイン(※写真)を模したものらしい。その中央に掲げられた明朝体の「黄檗」の、微妙に左右のバランスを崩した文字がオシャレで、いかにもこれから異空間が始まる、という期待感を感じさせる。
第1章「はじめての黄檗」は、黄檗って何?という人のための入門コーナー。隠元禅師(和尚)の来日、和尚が持ってきた中国文化(いんげん豆、すいか、たけのこ、明朝体、1行20字の原稿用紙など)を紹介する。パネルのイラストが、ものすごくかわいい! 『仏像のひみつ』の挿絵を描かれた川口澄子さんの作品である。中国の版本(というか、黄紙大蔵経?※写真)を模したパネルのデザインもいい。これ、欲しいな~と思ったら、ちゃんと図録に全点収められていて、嬉しかった。黒い防火扉(たぶん)の前に「何か音が聞こえてくるよ!」というパネルがあって、にぎやかな梵唄(ぼんばい)が流れている。思わず、扉の内側で本当に演じられているのではないか、と耳を澄ませてしまった。野菜や普茶料理のサンプルもよくできていて、この展示に対する九博の意気込みがよく分かる第1室である。
続いて、第2室正面の丸窓には、大きく口を開け、相好を崩した弥勒菩薩(布袋像)が待っている。万福寺の?と思ったら、長崎・聖福寺の布袋様だった。この布袋様に向けて、床に菱形をつないだ一本道が表現されていたが、これも黄檗様式の敷石(龍の背中の鱗をあらわす)を模したもの。芸が細かくて、どんどん嬉しくなる。
第2章「唐人たちの長崎」は、主に長崎の唐寺(とうでら)の仏像を紹介する。紅殻(べんがら)の赤で統一された円形空間の中央には、興福寺の韋駄天立像。胸の前で剣を水平に横たえて合掌する様式だ。頭上の八角吊り燈籠にも注目。周囲は全て中国・明清様式の仏像に囲まれ、少なくともふだん九州以外で暮らしている人間には、(いい意味で)異様な非日常空間が出現している。興福寺の関帝像、媽祖堂など、現地で遠目に拝観したことはあるのだが、こうして間近に、明るいライトの下で対面すると、その迫力は圧倒的である。こんなに精緻な衣の文様が刻まれ、金箔が残っていたとは。ふくらかな頬、細く釣り上がった目が、中国の近世的「美形」意識を強く感じさせる。あらためて、范道生ってすごい。その范道生に学んだ京仏師・友山の存在は初めて知った。
崇福寺・釈迦如来像の像内納入品、銀製の内臓模型(初公開)は、パンフレットにも取り上げられていて、私は嵯峨野の清涼寺釈迦如来像の五臓くらいの大きさを想像していたら、ずっと小さい。携帯電話のストラップになりそうなくらい。見逃さないでほしいのは、これも小さな、久留米・福厳寺の誕生仏および灌仏盤。腹がけ(?)をした芥子坊主みたいな誕生仏である。
続く狭い通路のようなところから、第3章「隠元渡来」が始まり、隠元隆倚像(万福寺)、左に即非如一倚像(福岡・福聚寺)、右に木庵性瑫倚像(愛知・永福寺)が祀られている。「展示されている」というより、「祀られている」といったほうがピッタリくる構成である。隠元和尚は、目尻を下げ、唇の端を上げて、明らかに笑っている。衣は褪色しているが、お顔だけは、油で拭われてきたのだろうか、つやつやと黒光りして、健康そうだ。「生きているような」という形容が、これほど似合う肖像彫刻もなかなかないだろう。范道生の作。
左右の2人(隠元の高弟)もなかなか異相だが、これは、むしろ後に続く画幅の数々を見て感じた。即非像の黒い頭は帽子なのかな?と思ったのだが、神戸市立博物館蔵『隠元・木庵・即非像』三幅対を見たら、この和尚、黒々した髪をマッシュルームカットにしているのである。ええ、どういうこと? 剃髪なんて、やってらんねーよ、ってこと? 隠元和尚も、彫像では帽子を被っていて気づかなかったが、町工場の親父みたいな短髪である。あらためて絵画資料を見ると、長い(長すぎる)杖とか、赤い袈裟に赤い靴など、黄檗僧の風体は、当時にあっては、けっこう衝撃的なニューウェーブだったんじゃないかと思った。
以下、続く。
さて、黄檗展である。隠元禅師倚像前の巡照朝課が終わったあと、入口に戻って、ゆっくり展示を見始めた。入口に設けられた朱塗りのギザギザした透かし窓は、氷裂式組子(ひょうれつしきくみこ)のデザインである。反射的に、万福寺だ!と思ったけど、調べたら、長崎の興福寺のデザイン(※写真)を模したものらしい。その中央に掲げられた明朝体の「黄檗」の、微妙に左右のバランスを崩した文字がオシャレで、いかにもこれから異空間が始まる、という期待感を感じさせる。
第1章「はじめての黄檗」は、黄檗って何?という人のための入門コーナー。隠元禅師(和尚)の来日、和尚が持ってきた中国文化(いんげん豆、すいか、たけのこ、明朝体、1行20字の原稿用紙など)を紹介する。パネルのイラストが、ものすごくかわいい! 『仏像のひみつ』の挿絵を描かれた川口澄子さんの作品である。中国の版本(というか、黄紙大蔵経?※写真)を模したパネルのデザインもいい。これ、欲しいな~と思ったら、ちゃんと図録に全点収められていて、嬉しかった。黒い防火扉(たぶん)の前に「何か音が聞こえてくるよ!」というパネルがあって、にぎやかな梵唄(ぼんばい)が流れている。思わず、扉の内側で本当に演じられているのではないか、と耳を澄ませてしまった。野菜や普茶料理のサンプルもよくできていて、この展示に対する九博の意気込みがよく分かる第1室である。
続いて、第2室正面の丸窓には、大きく口を開け、相好を崩した弥勒菩薩(布袋像)が待っている。万福寺の?と思ったら、長崎・聖福寺の布袋様だった。この布袋様に向けて、床に菱形をつないだ一本道が表現されていたが、これも黄檗様式の敷石(龍の背中の鱗をあらわす)を模したもの。芸が細かくて、どんどん嬉しくなる。
第2章「唐人たちの長崎」は、主に長崎の唐寺(とうでら)の仏像を紹介する。紅殻(べんがら)の赤で統一された円形空間の中央には、興福寺の韋駄天立像。胸の前で剣を水平に横たえて合掌する様式だ。頭上の八角吊り燈籠にも注目。周囲は全て中国・明清様式の仏像に囲まれ、少なくともふだん九州以外で暮らしている人間には、(いい意味で)異様な非日常空間が出現している。興福寺の関帝像、媽祖堂など、現地で遠目に拝観したことはあるのだが、こうして間近に、明るいライトの下で対面すると、その迫力は圧倒的である。こんなに精緻な衣の文様が刻まれ、金箔が残っていたとは。ふくらかな頬、細く釣り上がった目が、中国の近世的「美形」意識を強く感じさせる。あらためて、范道生ってすごい。その范道生に学んだ京仏師・友山の存在は初めて知った。
崇福寺・釈迦如来像の像内納入品、銀製の内臓模型(初公開)は、パンフレットにも取り上げられていて、私は嵯峨野の清涼寺釈迦如来像の五臓くらいの大きさを想像していたら、ずっと小さい。携帯電話のストラップになりそうなくらい。見逃さないでほしいのは、これも小さな、久留米・福厳寺の誕生仏および灌仏盤。腹がけ(?)をした芥子坊主みたいな誕生仏である。
続く狭い通路のようなところから、第3章「隠元渡来」が始まり、隠元隆倚像(万福寺)、左に即非如一倚像(福岡・福聚寺)、右に木庵性瑫倚像(愛知・永福寺)が祀られている。「展示されている」というより、「祀られている」といったほうがピッタリくる構成である。隠元和尚は、目尻を下げ、唇の端を上げて、明らかに笑っている。衣は褪色しているが、お顔だけは、油で拭われてきたのだろうか、つやつやと黒光りして、健康そうだ。「生きているような」という形容が、これほど似合う肖像彫刻もなかなかないだろう。范道生の作。
左右の2人(隠元の高弟)もなかなか異相だが、これは、むしろ後に続く画幅の数々を見て感じた。即非像の黒い頭は帽子なのかな?と思ったのだが、神戸市立博物館蔵『隠元・木庵・即非像』三幅対を見たら、この和尚、黒々した髪をマッシュルームカットにしているのである。ええ、どういうこと? 剃髪なんて、やってらんねーよ、ってこと? 隠元和尚も、彫像では帽子を被っていて気づかなかったが、町工場の親父みたいな短髪である。あらためて絵画資料を見ると、長い(長すぎる)杖とか、赤い袈裟に赤い靴など、黄檗僧の風体は、当時にあっては、けっこう衝撃的なニューウェーブだったんじゃないかと思った。
以下、続く。