見もの・読みもの日記

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煩悶青年からテロリズムへ/帝都の事件を歩く(森まゆみ、中島岳志)

2012-11-10 23:39:53 | 読んだもの(書籍)
○森まゆみ、中島岳志『帝都の事件を歩く:藤村操から2・26まで』 亜紀書房 2012.9

 東京散歩の本はいろいろ読んできたが、変わったテーマの本だと思った。文学散歩でもなく、グルメ散歩でもなく、いわゆる路上観察物件探しの散歩でもない。散歩人は、戦前の右翼、保守、ナショナリストを研究テーマとする若き政治学者の中島岳志さん。中島さんが案内人に指名したのは、雑誌『谷根千』で知られる森まゆみさんである。

 大阪生まれの中島さんと、浅草育ちの母、芝育ちの父から昔の東京の話を聞いて育ったという森さん。親子ほど歳の違う二人が、戦前の日本の進路を決めた、さまざまな「事件」の痕跡を求めて、東京をめぐり歩く。目次は以下のとおり。

1、煩悶青年を生み出した本郷
2、右翼クーデターは江戸川橋ではじまった
3、東京駅はテロの現場
4、隅田川と格差社会
5、田端と芥川龍之介の死
6、日本橋と血盟団事件
7、永田町とクーデター

 この章立ては、近代日本の青年たちが歩んだ軌跡を、だいたい時代順に追っている。日露戦争(1904-1905年)以降、藤村操、岩波茂雄、三井甲之のような煩悶青年がさまよい歩いたのが本郷。自我と普遍の合致を求める青年たちは、1910年代後半から政治的なものに目覚めて、江戸川橋、さらに神楽坂に進出していく。1920年代、不況、貧困に直撃され、今でいうロスジェネ状態になった彼らが、テロという手段を選び取ったのは東京駅から。

 1927年、「ぼんやりした不安」を抱いて芥川龍之介が自殺したことは社会に衝撃を与える。1932年2-3月、血盟団のテロ事件の舞台となったのが日本橋。最後は、1932年の5.15事件、1936年の2.26事件の痕跡を求めて永田町を歩く。

 各章には、二人が歩いたルートMAPつき。いずれも、そさくさ歩けば、数時間で踏破できる程度のエリア(ルート)が設定されている。また、各章は、現場で交わされた会話「散歩編」と、その後のフォロー対談「おさらい編」から成っている。この構成は、ちょっと煩雑で読みにくいが、「散歩編」のライブ感を活かそうとすると、仕方なかったのだろう。

 本書に登場するエリアは、どれも比較的、私には馴染みのあるエリアだった。しかし、本郷で樋口一葉の菊坂や石川啄木の喜之床は訪ねたことがあっても、血盟団事件の井上日召や小沼正が住んでいたとは知らなかった。東京駅なんか、何十回、何百回と乗り降りしているのに、浜口雄幸暗殺現場の床に、いまもプレートが嵌まっているなんて、考えたこともなくて、衝撃的だった。

 東京駅や日本橋、それに永田町が、意外と戦前の日本を保存していると感じられたのに対し、対極は赤坂、青山である。今の東京のおしゃれスポットは軍の関係だった施設が多い、と中島さんが語っているけれど、赤坂サカスは近衛歩兵第三連隊、ミッドタウンは歩兵第一連隊だったそうだ。その変貌ぶりは「陸軍の将校もびっくりだな」(中島)というくらい、跡形もない。かつての「帝都」とは、多くの軍人の駐留する都市だったのだ、ということを、あらためて思い出した。

 最後の散歩を終えた対談で、二人は、いまの日本に、戦前の日本と同じようなことが起きるのではないか、という心配を語り合う。既成政党への絶望やシニシズムが蔓延している中に、不況、貧困、震災などの問題が起こり、疎外されている人たちの鬱屈がたまっていく。しかし、非合法な暴力は、合法的な暴力を強めることにしかならない。戦前、「2.26事件」の後に残ったのは、むき出しの暴力国家(合法的な治安維持権力)だけで、戦争への道を止めるものはなくなってしまった…。

 だから、今、血盟団事件について書きたい、という中島さんの発言を読んで、むしょうに著書を読んでみたくなった。戦前の右翼テロリストたちは、狂者でも愚者でもなく、また英雄でもなく、私たちとよく似た道を歩んだ隣人であると思えてきた。
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