見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

プライバシーとコミュニティ/団地の空間政治学(原武史)

2012-11-17 23:19:19 | 読んだもの(書籍)
○原武史『団地の空間政治学』(NHKブックス) NHK出版 2012.9

 『レッドアローとスターハウス』(新潮社、2012.9)を購入して読んでいる最中に本書を見つけて、え?どういうこと?と混乱してしまった。あまりにも似通ったテーマで、立て続けに本を出さないで頂きたい…というのは、読者の勝手な立腹である。

 両作品の記述は、著者も認めているとおり、かなり重なる部分がある。だが、『レッドアローとスターハウス』は、西武沿線の政治思想史に重点を置く。ひばりが丘団地、滝山団地で幼少年時代を過ごした著者が、あえて自身の生活史をまじえて、エッセイふうに語っているところもある。それに比べると、本書では、著者自身は遠景に引いて、内容に立ち入らない。また、取り上げられている地域も、大阪、東京多摩、千葉と広範囲にわたる。本書のほうが、一般向けの学術教養書(選書)という媒体を意識した記述になっていると思う。

 本書は、高度成長期にあたる1950年代後半から70年代前半にかけての政治思想を、団地という空間から考察する試みである、と著者は述べている。登場する団地は、まず、1956年に建設が始まり、58年から入居が始まった大阪の香里団地。自治会、婦人会に続いて、香里ヶ丘文化会議が旗揚げされ、メンバーには、多田道太郎や樋口謹一など、京大関係者が名を連ねた。同団地のある枚方市から京阪線の急行に乗れば、京大に近い三条まで34分で行けたのである。へえーなるほど。文化会議と言っても、実質は、政治と民主主義に高い関心を持ち、保育所問題や交通問題に取り組む市民活動体だった。

 東京では、1958年、中央線の豊田駅北口に多摩平団地が完成した。ん~多摩平団地住まいの友人っていたかな…。下町育ちの私には遠すぎて、縁の薄い団地だ。ここでも、自治会とともに「多摩平声なき声の会」という無党派の市民の会が生まれた。同会は、やがて政治的主張を鮮明に掲げる「多摩平平和の会」に転換し、同団地は、徐々に革新政党の地盤となっていく。

 同じ頃、西武池袋線沿線に住む知識人の間でも、無党派の「むさし野線市民の会」が結成された。が、1959年に竣工したひばりヶ丘団地の住人だった不破哲三は、独自に「ひばりヶ丘民主主義を守る会」を立ち上げる。同団地では、こうした共産党系の市民団体に遅れて、ようやく自治会がつくられるが、後々まで共産党、社会党の影響力が強かった。

 千葉県の新京成電鉄沿線には、1960年から61年にかけて、常盤平団地と高根台団地という二つの大規模団地が建てられた。常盤平団地には上田耕一郎という共産党きっての理論家が住みながら自治会を主導できず、党勢を拡大できなかったのに対し、高根台団地では、新日本婦人の会がいち早く自治会に進出し、住民運動をリードした。

 団地は、それまでの日本家屋と異なり、プライバシーが守られた居住空間として、若い夫婦世帯に歓迎されたが、60年代までの団地は、同時に活発な自治会やコミュニティ活動の場でもあった。しかし、70年代にはどの団地でも「私」の生活を優先する個人主義が台頭し、自治会活動は不活発になる。新たに造成されたニュータウンは、初めから「共通の場」づくりを放棄していた。90年代以降は、団地ばかりでなく、ニュータウンでも住民の高齢化と少子化が進んだが、その中で、現在も魅力を失っていない例外的な団地がいくつかある。ひとつは、60年代の自治会の歩みが本書に詳述されている常盤平団地で、「老人が安心して暮らせる団地」として入居者が殺到しているともいう。また、高根台団地やひばりヶ丘団地でも、コミュニティの再生を目指す試みが始まっている。

 というわけで、50年代後半~60年代の自治会や居住地組織の多様な活動は、70年代以降の「私生活主義」を経て、再び脚光を浴びようとしている、というのがまとめになるのだろう。しかし、どうなのかなあ。シェアハウスなど、より開かれた居住空間を好む若者層が出現しているというのは、そうかもしれない。また、現在の高齢者層は、学生運動や市民活動の経験を有する世代だから、退職後に再びコミュニティに帰っていくことに、あまり抵抗感がないのかもしれない。だが、私は、がっつり「私生活主義」の世代なので、時間や空間を共有する生活って…どうしてもストレスにしか感じられない。まあ、これからどうなるか分からないけれど。

 本書を読んで、非常に印象に残ったのは、高度成長期(工業社会日本)において専業主婦たちが、地域で果たした政治的役割の大きさである。これは、もっと評価されるべきものではないかと思った。しかし、70年代以降、次第に進む女性の社会進出、専業主婦の減少は、地域活動の停滞をもたらす主要因となったように見える。政府は、企業の女性活用がまだ足りないと考えているようだが(実際そうなんだけど)、地域に誰も残らないようになっていいのか、とも思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体感する中世/武家の古都・鎌倉(金沢文庫、神奈川県立歴史博物館)

2012-11-17 10:45:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
○世界遺産登録推進 3館連携特別展『武家の古都・鎌倉』

神奈川県立金沢文庫 『鎌倉興隆-金沢文庫とその時代-』(2012年10月13日~12月2日)

 世界遺産への登録を目指す「武家の古都・鎌倉」を共通テーマに掲げ、神奈川県立歴史博物館、神奈川県立金沢文庫、鎌倉国宝館による三館連携特別展が開催されている。まずは、金沢文庫から訪ねてみた。

 展示室に入って、ああ、久しぶりに金沢文庫らしい企画だな、と思った。仏像や仏画もいいけど、こういう歴史資料をじっくり読み込む展示も嫌いじゃない。文書だけが並んでいるわけではなくて、俗人の肖像画、彫像、工芸、仏像・仏具など、古道具屋の店先かと思うほど、バラエティに富んでいる。『一遍聖絵』は、山口晃さんが著書『ヘンな日本美術史』に、絹本は”白”がいのち、と書いていたのを思い出しながら眺めた。称名寺所蔵の古幡残闕、玉簾(ガラス棒を綴じ糸で編み結んだもの)、玉華鬘(水晶玉を刺し連ねたもの)など、あまりこの文庫でも見たことのないお宝が並んでいた。

 文書では、鎌倉時代の「日本図」(ただし西半分のみ)が面白かった。日本の周囲を、蛇体らしきものがぐるりと囲んでいる。ただし、対馬と隠岐島はその外側にある。戦国時代の「日本図」(千葉・妙本寺所蔵)はもっと素朴。中世には、知識人でもこの程度の世界認識だったんだから、固有の領土とか言ってもしょうがない、と思うのに…。

 称名寺聖教(金沢文庫古文書)には、元朝の太祖テムジンからの国書や高麗からの国書の写しも残されていて、当時の「アジアの中の日本」をめぐる想像が刺激される。一方には、美しい青磁、宋版漢籍が伝えた知識と思想、世界とつながるということは、善美なものも流入するけど、脅威や災厄も避けられないということなんだな、と思う。図録(後述)の写真はあまり大きくないが、印刷がいいので、これらの文書の本文を、ゆっくり手もとで読むことができるのは、とてもありがたい。

 文書類は、ほとんどゴミみたいな切れ端からも、いろいろ重要なことが分かるとか、権門僧侶の堕落を諷刺した『天狗草紙絵巻』の詞書が、それと分からないような表題で収蔵されている、というのも面白かった。展示室の外のケースにあった「金沢文庫印」の紹介では、こんなに種類があるのか、と驚く。古文書の価値をあげるために作られた偽物もあると知って、苦笑。

神奈川県立歴史博物館 『再発見!鎌倉の中世』(2012年10月6日~12月2日)

 引き続き、横浜に移動。チラシには「掘り出された中世都市鎌倉」のサブタイトルがついているとおり、出土文化財が多い。完璧な姿のまま、大切に尊ばれて、人々の手を渡ってきた伝世品の武具や磁器に比べると、赤さびた鎧の小札、刀装具、磁器や漆皿の断片、さらには折烏帽子(!)、下駄、箸など、生々しすぎて、悲鳴をあげたくなるものもある。材木座遺跡出土の人骨(東京大学総合研究博物館所蔵)も展示されているので、覚悟をして出かけたほうがいい。いや、噂に聞いたことがあるだけのものを見ることができて、貴重な機会だったと思うけど…。

 めずらしいところでは、歴博の『前九年合戦絵詞』が出ている。それから、あ、これ称名寺の青磁だ、と思うものや、鎌倉国宝館でよく見る境内絵図がこっちに来ているのを見つけた。逆に金沢文庫には、県立歴史博物館所蔵の北条時頼像が出ていた。見慣れた作品でも、場所が変わり、一緒に並ぶものが替わると、なんだか新鮮な感じがする。

 また、三上次男氏、赤星直忠氏、八幡義生氏、沢寿郎氏など個人名とともに展示された出土遺物、古写真群が大量にあった。いずれも鎌倉の文化財研究と文化財保護に力を尽くされた方々で、赤星直忠氏、八幡義生氏の出土遺物コレクションは、県立歴史博物館が保管しているという。それ以上に感銘を受けたのは、両氏の調査資料で、丁寧な筆跡、内容の綿密さもさることながら、書籍の外箱やデパートの包装紙で補強された手作りノートの外観を眺めていると、研究者人生の醍醐味がしみじみ伝わってくるように思った。

 私は短期間だけ逗子市に住んだことがあるのだが、あらためて航空写真や地形図で眺める鎌倉、明治から戦後の宅地開発に至る古写真も面白かった。昭和8年以降の「勝長寿院跡」の写真を見て、今年、源義朝と鎌田正清の供養塔を探しに行ったことを思い出した。こんなのんびりした田園風景は跡形もないが、山に囲まれた谷戸のかたちや曲がりくねった細い道は、今も面影が残っているように思う。

 かなり厚い図録は、3館連携で1冊。歴史博物館で購入。鎌倉国宝館はまた後日の予定だったが、図録を見たら、かなり珍しい作品が出ている。鎌倉だけでなく、京都・奈良・静岡・愛知などの寺院からの出品も。点数の多さにハッとして、国宝館のホームページを見に行ったら、前後期×1~3期という煩瑣な展示替えが組み込まれていて、すでに展示が終わっているものも多かった。がーん。この展示替えって、ありがたいんだか何だか。

※参考:武家の古都・鎌倉-世界遺産登録を目指して
神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市の「世界遺産登録推進委員会」が運営するサイト(らしい)。2013年6~7月頃、第37回ユネスコ世界遺産委員会において登録可否の決議が行われる予定とある。切通の写真を見ていたら、また鎌倉のあちこちを歩きたくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする