○内田樹、福島瑞穂『「意地悪」化する日本』 岩波書店 2015.12
今年(2015年)の4月から9月、4回にわたって行われた対談だという。安倍晋三総理と橋下徹大阪市長の話題がかなりの部分を占めるが、何しろ多事多端の時期に語られているため、本書では「予測」であることが既に現実になり、現実のほうがずっと先まで進んでいたりするので、時々、読みながらとまどうところがあった。
冒頭の「アベ政治とは何か」は、安倍総理と橋下市長がなぜ支持されるかという問題提起から始まる。内田さんは、だいたい分析を終えていて、福島さんが説を拝聴するかたちになる。自分のことを知識人だと思っている人間は、言ったことの矛盾を指摘されると崩れてしまう。しかし安倍さんや橋下さんは全くダメージを受けない。公人なのに平気で嘘をつき、発言が矛盾しても気にとめず、相手を黙らせるために喋り続ける。これまでの常識やルールが全く通じない相手を前にジャーナリストは「呆然」としており、それを見た一般視聴者は「論破された」と判断する。「確信犯的に首尾一貫性のないことを言う」彼らの戦略に対して、僕たち(対抗する側)は有効な反撃ができずにいる。これに対して福島さんは悔しがるが、内田さんは冷めている。私は、こういう知識人らしい冷静な分析に好感を持つのだが、安倍総理や橋下市長の支持者は、全然ちがう感じ方をするのだろうな。
内田さんの分析で気になったのは、安倍さんは葛藤がないから人と対話できない。たぶん人生のどこかで内的葛藤を切り捨てたんだろう、という言葉。尊敬できるかできないかは別として、普通の人間には到達できない境地にいるんだな、ということはよく分かり、初めて安倍総理という人を恐ろしいと思った。しかし内田さんは、安倍政権の基盤は「株が上がるんじゃないか」「対中・対韓で強腰でいられるんじゃないか」などの「気分」に支えられているので、たとえば、株価が下がるとか、アメリカの信頼を失えば、一気に崩れる可能性がある。そうしてら、あれほど例外的なキャラクターが自民党から再び出てくるとは思えない、というのだけれど、本当にそんなに楽観視して大丈夫なのだろうか。
橋下市長については、最終的に彼に期待した人たちを裏切り、絶望の底に叩き落すのが、彼の偶像破壊計画のゴールなのではないかという分析がとても面白かった。本当にそこまで行ったら拍手してもいいわ。こういう「誰も愛していない」人間が支持を集めるのは、豊かさの中で、日本人が「意地悪」になっているためだという点で二人は一致する。
それから自民党が目指す家族像、道徳の教科化、マイナンバー問題など、公と私、国家による個人の領域侵犯の問題が続くのだが、印象深かったは、二人の著者の自分語り。内田さんのお父さんが、戦後民主主義の中で新しい家族をつくろうとして、しかし、そんなものは見たことがないので、律儀に模索していた姿とか、福島さんが宮崎の田舎で、とりもちのようにベタベタな家族の愛情の中で育った話、その結果として、彼らが選んだ家族のかたちがとても面白かった。
内田さんいわく、1945年から1960年くらいまでの日本には、家族はこうあるべきとか社会はこうあるべきという合意がなくて、その自信のなさが風通しのよさになっていたのではないか。うん、そう、自信のない人間の奥ゆかしさっていいなあと私は思うのだが、これも今時は流行らない考え方かもしれない。
後半は、この夏、安保法案をめぐって登場したSEALDsなどの新しい市民運動について語る。内田さんは「でも僕は、やっぱり『悪は滅びる』と思いますけどね」と語る。盛者必衰の理です、とも。それはそうだろうけど、いつの時点で滅びるかが問題だと思う。この国が焦土となる前に、まともな近代国家に戻ってきてもらいたい。

冒頭の「アベ政治とは何か」は、安倍総理と橋下市長がなぜ支持されるかという問題提起から始まる。内田さんは、だいたい分析を終えていて、福島さんが説を拝聴するかたちになる。自分のことを知識人だと思っている人間は、言ったことの矛盾を指摘されると崩れてしまう。しかし安倍さんや橋下さんは全くダメージを受けない。公人なのに平気で嘘をつき、発言が矛盾しても気にとめず、相手を黙らせるために喋り続ける。これまでの常識やルールが全く通じない相手を前にジャーナリストは「呆然」としており、それを見た一般視聴者は「論破された」と判断する。「確信犯的に首尾一貫性のないことを言う」彼らの戦略に対して、僕たち(対抗する側)は有効な反撃ができずにいる。これに対して福島さんは悔しがるが、内田さんは冷めている。私は、こういう知識人らしい冷静な分析に好感を持つのだが、安倍総理や橋下市長の支持者は、全然ちがう感じ方をするのだろうな。
内田さんの分析で気になったのは、安倍さんは葛藤がないから人と対話できない。たぶん人生のどこかで内的葛藤を切り捨てたんだろう、という言葉。尊敬できるかできないかは別として、普通の人間には到達できない境地にいるんだな、ということはよく分かり、初めて安倍総理という人を恐ろしいと思った。しかし内田さんは、安倍政権の基盤は「株が上がるんじゃないか」「対中・対韓で強腰でいられるんじゃないか」などの「気分」に支えられているので、たとえば、株価が下がるとか、アメリカの信頼を失えば、一気に崩れる可能性がある。そうしてら、あれほど例外的なキャラクターが自民党から再び出てくるとは思えない、というのだけれど、本当にそんなに楽観視して大丈夫なのだろうか。
橋下市長については、最終的に彼に期待した人たちを裏切り、絶望の底に叩き落すのが、彼の偶像破壊計画のゴールなのではないかという分析がとても面白かった。本当にそこまで行ったら拍手してもいいわ。こういう「誰も愛していない」人間が支持を集めるのは、豊かさの中で、日本人が「意地悪」になっているためだという点で二人は一致する。
それから自民党が目指す家族像、道徳の教科化、マイナンバー問題など、公と私、国家による個人の領域侵犯の問題が続くのだが、印象深かったは、二人の著者の自分語り。内田さんのお父さんが、戦後民主主義の中で新しい家族をつくろうとして、しかし、そんなものは見たことがないので、律儀に模索していた姿とか、福島さんが宮崎の田舎で、とりもちのようにベタベタな家族の愛情の中で育った話、その結果として、彼らが選んだ家族のかたちがとても面白かった。
内田さんいわく、1945年から1960年くらいまでの日本には、家族はこうあるべきとか社会はこうあるべきという合意がなくて、その自信のなさが風通しのよさになっていたのではないか。うん、そう、自信のない人間の奥ゆかしさっていいなあと私は思うのだが、これも今時は流行らない考え方かもしれない。
後半は、この夏、安保法案をめぐって登場したSEALDsなどの新しい市民運動について語る。内田さんは「でも僕は、やっぱり『悪は滅びる』と思いますけどね」と語る。盛者必衰の理です、とも。それはそうだろうけど、いつの時点で滅びるかが問題だと思う。この国が焦土となる前に、まともな近代国家に戻ってきてもらいたい。