○三井記念美術館 特別展『松島 瑞巌寺と伊達政宗』(2016年9月10日~11月13日)
東日本大震災復興を祈念し、瑞巌寺国宝「本堂」の平成大修理完成と伊達政宗生誕450年を記念する特別展。瑞巌寺の寺宝のほかに、仙台市博物館等から、伊達家ゆかりの文書や武具・美術品なども出陳されている。
展示室1~2で目についたのは、てのひらに収まるくらいの小さな水晶の五輪仏舎利塔。北条政子が頼朝の菩提を弔うために寄進したもので、寄進状も残っている。線の太い、でも柔らかでおおらかな仮名書きの書で、なんとなく政子の性質を彷彿とさせる。平安時代、松島には慈覚大師円仁の開創を伝える天台宗の延福寺があり、平安末期には見仏上人(!)という仙人のような高僧が滞在していた。鎌倉時代に入ると、北条時頼が延福寺を禅宗の円福寺につくりかえる。開山は発身性西。二世には、建長寺開山の蘭渓道隆が就任した。なるほど~そういうわけで、北条政子の寄進状や蘭渓道隆の頂相が伝わっているのか。
そして、早くも伊達政宗ゆかりの品々が登場。手習いなのか、徒然草の一部を巻紙に書写したもの。墨つきの濃淡の配置を意識した、装飾的で京(みやこ)ぶりな筆跡。しかも「花は盛りに」の段だというのが心憎い。『吉野懐紙』は、秀吉が吉野の花見の折に開いた歌会の記録で、政宗の五首が、本人の筆で書き留められている。最初の一首のみ読めたが「おなじくは あかぬこころにまかせつつ ちらさで花を 見るよしもがな」。おお、ちゃんと伝統を踏まえた和歌になっている! 政宗って勇猛な武将のイメージしかなかったのだが、ずいぶん文化人だったんだなあ。そして、このひとの筆跡、流麗すぎてげんなりするところが(笑)ちょっと乾隆帝を思い出させる。
茶室の模型をつかった展示、さすが伊達家ゆかりの茶道具は趣味がいいなあ、と思って、床の間を見上げたら、三井記念美術館所蔵の『高野切(第二種)』。これは何のサービスかと思ったら、解説によると、天保10年(1839)三井家が仙台伊達家に財政上の便宜を計らったことに対する謝礼として、御紋服とともに拝領したものと思われ、三井家(新町家)に伝わったのだそうだ。もとは伊達家の伝来品だったのか。この由来を知っただけでも、この展覧会、ためになった。
さて、ひろびろした展示室4は、瑞巌寺本堂の障壁画(前後期展示替えあり)に加え、五大明王像(平安時代・10世紀後半)と不動明王三尊像(鎌倉時代)が並ぶ。五大明王は33年に一度開帳される秘仏で、次回の開帳は2039年の予定だという。もとは華やかな彩色があったのかもしれないが、今はかすかに赤や金の色目が残る程度である。熱を帯びたような木の質感が、背景の深い藍色とよく合っている。五大明王像は、いずれも1メートル足らずだが、力強い。一部に鉈彫りのような荒々しさも見られるが、腕と指先の造形が、例外なく繊細で美しい。手の込んだ深い切れ込みで火焔のゆらめきを表現した、おそろいの光背も見どころ。あと大威徳明王の座っている牛は、つい頭を撫ぜたくなる(ガラスがあるのだけど)。不動明王三尊像は、二童子が、そのへんにいる子どものようで愛らしい。
伊達政宗ゆかりの品の中で、『紫羅背板地五色水玉模様陣羽織』(9/10-9/23展示)が見られたのは嬉しかった。むかし仙台市博物館に行った時も、残念ながら見られなかったもの。五色の水玉のランダムな配置が絶妙で、これは何か複製品が欲しくなるよねえ。
なお、毎週土日と土日に連続した祝日には、受付横で五大明王像の特別出開帳のご朱印を頒布しているそうだ。私は飛び石連休の22日に行ってしまったので、GETできず。残念。まあ私は2006年の瑞巌寺開帳に出かけて、御朱印も貰い、五大明王も拝観しているはずなのである(※2006年8月:御開帳ルポ)。しかし、言い訳ではないが、大混雑で押せ押せの御開帳だったので、五大明王の印象はほとんど残っていない。今回、ほぼ初見の気持ちで、ゆっくり拝観することができて、本当にありがたかった。
東日本大震災復興を祈念し、瑞巌寺国宝「本堂」の平成大修理完成と伊達政宗生誕450年を記念する特別展。瑞巌寺の寺宝のほかに、仙台市博物館等から、伊達家ゆかりの文書や武具・美術品なども出陳されている。
展示室1~2で目についたのは、てのひらに収まるくらいの小さな水晶の五輪仏舎利塔。北条政子が頼朝の菩提を弔うために寄進したもので、寄進状も残っている。線の太い、でも柔らかでおおらかな仮名書きの書で、なんとなく政子の性質を彷彿とさせる。平安時代、松島には慈覚大師円仁の開創を伝える天台宗の延福寺があり、平安末期には見仏上人(!)という仙人のような高僧が滞在していた。鎌倉時代に入ると、北条時頼が延福寺を禅宗の円福寺につくりかえる。開山は発身性西。二世には、建長寺開山の蘭渓道隆が就任した。なるほど~そういうわけで、北条政子の寄進状や蘭渓道隆の頂相が伝わっているのか。
そして、早くも伊達政宗ゆかりの品々が登場。手習いなのか、徒然草の一部を巻紙に書写したもの。墨つきの濃淡の配置を意識した、装飾的で京(みやこ)ぶりな筆跡。しかも「花は盛りに」の段だというのが心憎い。『吉野懐紙』は、秀吉が吉野の花見の折に開いた歌会の記録で、政宗の五首が、本人の筆で書き留められている。最初の一首のみ読めたが「おなじくは あかぬこころにまかせつつ ちらさで花を 見るよしもがな」。おお、ちゃんと伝統を踏まえた和歌になっている! 政宗って勇猛な武将のイメージしかなかったのだが、ずいぶん文化人だったんだなあ。そして、このひとの筆跡、流麗すぎてげんなりするところが(笑)ちょっと乾隆帝を思い出させる。
茶室の模型をつかった展示、さすが伊達家ゆかりの茶道具は趣味がいいなあ、と思って、床の間を見上げたら、三井記念美術館所蔵の『高野切(第二種)』。これは何のサービスかと思ったら、解説によると、天保10年(1839)三井家が仙台伊達家に財政上の便宜を計らったことに対する謝礼として、御紋服とともに拝領したものと思われ、三井家(新町家)に伝わったのだそうだ。もとは伊達家の伝来品だったのか。この由来を知っただけでも、この展覧会、ためになった。
さて、ひろびろした展示室4は、瑞巌寺本堂の障壁画(前後期展示替えあり)に加え、五大明王像(平安時代・10世紀後半)と不動明王三尊像(鎌倉時代)が並ぶ。五大明王は33年に一度開帳される秘仏で、次回の開帳は2039年の予定だという。もとは華やかな彩色があったのかもしれないが、今はかすかに赤や金の色目が残る程度である。熱を帯びたような木の質感が、背景の深い藍色とよく合っている。五大明王像は、いずれも1メートル足らずだが、力強い。一部に鉈彫りのような荒々しさも見られるが、腕と指先の造形が、例外なく繊細で美しい。手の込んだ深い切れ込みで火焔のゆらめきを表現した、おそろいの光背も見どころ。あと大威徳明王の座っている牛は、つい頭を撫ぜたくなる(ガラスがあるのだけど)。不動明王三尊像は、二童子が、そのへんにいる子どものようで愛らしい。
伊達政宗ゆかりの品の中で、『紫羅背板地五色水玉模様陣羽織』(9/10-9/23展示)が見られたのは嬉しかった。むかし仙台市博物館に行った時も、残念ながら見られなかったもの。五色の水玉のランダムな配置が絶妙で、これは何か複製品が欲しくなるよねえ。
なお、毎週土日と土日に連続した祝日には、受付横で五大明王像の特別出開帳のご朱印を頒布しているそうだ。私は飛び石連休の22日に行ってしまったので、GETできず。残念。まあ私は2006年の瑞巌寺開帳に出かけて、御朱印も貰い、五大明王も拝観しているはずなのである(※2006年8月:御開帳ルポ)。しかし、言い訳ではないが、大混雑で押せ押せの御開帳だったので、五大明王の印象はほとんど残っていない。今回、ほぼ初見の気持ちで、ゆっくり拝観することができて、本当にありがたかった。