○国立科学博物館 企画展『没後100年記念 田中芳男-日本の博物館を築いた男-』(2016年8月30日~9月25日)
企画展といっても常設展エリアの展示である。確か始まっているはずだと思って行ったのだが、館内に入ってしまったら何も案内がなくて、どこでやっているのかよく分からない。慌ててスマホを取り出して「日本館地下1階、多目的室」であることを確認し、ようやく会場を見つける。
田中芳男(1838-1916)は、幕末から明治期に活躍した博物学者・植物学者。蘭方医伊藤圭介に学び、新政府の官僚として、パリやウィーンで開催された万国博覧会に参加し、内国勧業博覧会の開催を推進し、数々の著作を残し、農林水産業のさまざまな団体、東京上野の博物館や動物園の設立にも貢献した。国立科学博物館の「設立者ともいえる人物」であるところから、没後百年を記念して、田中の幅広い事蹟を紹介すると「あいさつ」にうたわれている。展示資料は44件。私はこれまで、大学図書館を中心に、田中の著書あるいはノート、スクラップブックなどはよく見てきたが、科博の資料には、田中が採集した植物や貝の標本、あるいは田中が関わった博物館天産部旧蔵の化石やキウィ(鳥)の剥製もあって、物持ちのよさにびっくりした。あと胸像と油彩の肖像画も伝わっているのだな。
個人的には、やっぱり文書資料に関心が向く。明治15年(1882)3月15日の日付のある「博物館開館式始末書」は、上野博物館(現在の東京国立博物館)の開館式に関する資料で、町田久成博物局長(初代館長)が招待状を送った二人目に農商大書記官・田中芳男の名前がある。開館式は3月20日に執り行われた。町田と田中の名前を並べて見ると、関秀夫『博物館の誕生』(岩波新書、2005)が思い出されて、感慨深い。
東京大学総合図書館所蔵の『捃拾帖(くんじゅうちょう)』と『外国捃拾帖』も出ていた。どちらも田中のスクラップブックで、引札・ラベル・包み紙など、屑のような資料を大量に集めて保存してある(※詳細は、モリナガ・ヨウ『東京大学の学術遺産:捃拾帖』参照)。しかし、全96冊の『捃拾帖』が2冊しか出ていないのは物足りない。『農業館陳列掛図写真帖』(明治24年/1891)も東大総合図書館の蔵書。ふつうの刊行図書のようだが、写真が貼り付けてあり、かなり劣化が進行している。これ、目録を確認したら貴重書にも指定されていないようだけど、早く処置をしたほうがいいように思う。老婆心ながら。
※おまけ:ついでに日本館の常設展示をひとまわり見て来た。日本列島の地質・気候・動植物・人間の歴史などを紹介する同館は、徹頭徹尾「博物ワールド」で、子供の頃から私が科博の中でいちばん好きだったエリアである。田中芳男の精神とすごくシンクロしていて、楽しかった。
手前の白犬は忠犬ハチ公。意外と大きい。飛びつかれたら重そう。後列右のもふもふした黒犬は南極に行った樺太犬のジロ。そうか、ここにいたのだったか。タロには札幌の北大植物園で何度か会っている。後列左の黒犬は日本原産の甲斐犬。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e7/7fbc10dd042284d3b8da76353fa14ef9.jpg)
ニワトリが並ぶと、どうしても若冲。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/73/06888d107798358b3893fe88e5ce49ed.jpg)
日本近海の生きもの。こういう多様性と物量の「博物学ワールド」大好き。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/a9/80fd944ce0bea8ddbc0b07ce480c5b17.jpg)
企画展といっても常設展エリアの展示である。確か始まっているはずだと思って行ったのだが、館内に入ってしまったら何も案内がなくて、どこでやっているのかよく分からない。慌ててスマホを取り出して「日本館地下1階、多目的室」であることを確認し、ようやく会場を見つける。
田中芳男(1838-1916)は、幕末から明治期に活躍した博物学者・植物学者。蘭方医伊藤圭介に学び、新政府の官僚として、パリやウィーンで開催された万国博覧会に参加し、内国勧業博覧会の開催を推進し、数々の著作を残し、農林水産業のさまざまな団体、東京上野の博物館や動物園の設立にも貢献した。国立科学博物館の「設立者ともいえる人物」であるところから、没後百年を記念して、田中の幅広い事蹟を紹介すると「あいさつ」にうたわれている。展示資料は44件。私はこれまで、大学図書館を中心に、田中の著書あるいはノート、スクラップブックなどはよく見てきたが、科博の資料には、田中が採集した植物や貝の標本、あるいは田中が関わった博物館天産部旧蔵の化石やキウィ(鳥)の剥製もあって、物持ちのよさにびっくりした。あと胸像と油彩の肖像画も伝わっているのだな。
個人的には、やっぱり文書資料に関心が向く。明治15年(1882)3月15日の日付のある「博物館開館式始末書」は、上野博物館(現在の東京国立博物館)の開館式に関する資料で、町田久成博物局長(初代館長)が招待状を送った二人目に農商大書記官・田中芳男の名前がある。開館式は3月20日に執り行われた。町田と田中の名前を並べて見ると、関秀夫『博物館の誕生』(岩波新書、2005)が思い出されて、感慨深い。
東京大学総合図書館所蔵の『捃拾帖(くんじゅうちょう)』と『外国捃拾帖』も出ていた。どちらも田中のスクラップブックで、引札・ラベル・包み紙など、屑のような資料を大量に集めて保存してある(※詳細は、モリナガ・ヨウ『東京大学の学術遺産:捃拾帖』参照)。しかし、全96冊の『捃拾帖』が2冊しか出ていないのは物足りない。『農業館陳列掛図写真帖』(明治24年/1891)も東大総合図書館の蔵書。ふつうの刊行図書のようだが、写真が貼り付けてあり、かなり劣化が進行している。これ、目録を確認したら貴重書にも指定されていないようだけど、早く処置をしたほうがいいように思う。老婆心ながら。
※おまけ:ついでに日本館の常設展示をひとまわり見て来た。日本列島の地質・気候・動植物・人間の歴史などを紹介する同館は、徹頭徹尾「博物ワールド」で、子供の頃から私が科博の中でいちばん好きだったエリアである。田中芳男の精神とすごくシンクロしていて、楽しかった。
手前の白犬は忠犬ハチ公。意外と大きい。飛びつかれたら重そう。後列右のもふもふした黒犬は南極に行った樺太犬のジロ。そうか、ここにいたのだったか。タロには札幌の北大植物園で何度か会っている。後列左の黒犬は日本原産の甲斐犬。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e7/7fbc10dd042284d3b8da76353fa14ef9.jpg)
ニワトリが並ぶと、どうしても若冲。
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日本近海の生きもの。こういう多様性と物量の「博物学ワールド」大好き。
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