三連休は関西方面に出かけてきた。初日が京都、二日目が岡山と尾道、三日目が名古屋。この連休は、東京の展覧会めぐりで過ごすつもりでいたのだが、どうしても見たいものができて、上洛してしまった。↓その理由がこれ。
■京都国立博物館 『若狭国と絵巻』(2016年8月30日~10月2日)
常設展示(名品ギャラリー)の一室の小さな特集展示なのだが、重要文化財『若狭国鎮守神人絵系図』を中心に、若狭国にまつわる絵巻物を紹介するという。私がこの絵巻の存在を意識したのは比較的最近で、2014年7月、リニューアルオープンした若狭歴史博物館で複製品を見たとき。それ以前も以後も、原品を見たことはないと思う。これは…見たいと思ったら、いても立ってもいられなくなった。
今回の展示作品は4件。まず『彦火々出見尊絵巻』(4巻のうち巻4)は京都・曇華院所蔵。若狭国松永庄新八幡宮に伝わった原本は失われたが、明通寺に江戸時代の模本が残る。これは明通寺本をさらに写したもの。人の姿が大きく、面長な特徴も古風(鎌倉の絵巻はちまちましている)。場面は龍王の姫君が従者に守られて海を渡るところ。
次の『若狭国鎮守神人絵系図』は若狭彦神社旧蔵、2年間の修復作業が2013年に完了して初めての公開だという。つまり、少なくとも2011年以降、公開されていなかったと考えられる。はじめに若狭彦神が節文(たかふみ)という名の眷属(人?神?)を連れて遠敷(おにゅう)郡に姿を現す。山の中に黒と赤の縞模様の幕がめぐらされ、壮年の厳めしい男神の前で横顔を見せているのが節文。この仮の御座所には、のちに神宮寺が建立された。
場面が変わり、白馬にまたがった若狭彦神と後ろに従う節文が青雲に乗って空を駆けている。はるか下に山並み。衣服や帯紐のなびき方、馬の姿態、節文の足の跳ね上げ方に軽やかな躍動感がある。描線は細くて緻密。絵師のわくわくしている気持ちが伝わってくるようだ。こうして選ばれた地に社殿が建てられた。次の場面に神の姿はなく、木々に囲まれた社殿の前で、節文が幣をとって拝礼している。これが若狭彦神社だ。社殿の図の外れ(回廊の外)に小さな社と「黒童子社」という墨書があって、何かと思ったが、調べたら、節文自身が「黒童子神」として祀られたらしい。
次に若狭姫神が天女たちを引き連れて高い岩の上に現れる。岩の下には黒い鵜が二羽描かれている。若狭姫も社殿に鎮座し、節文がこれを礼拝する。若狭姫神社である。このあとは、歴代社務職をつとめた笠氏の肖像が、二人ずつペアで描かれる。奇数代は礼盤に座し、偶数は上げ畳に座しているのは「一代は神と為り、一代は凡と為る」という伝承の視覚化だとか。初代の節文は明らかに特別な風貌に描かれているが、その後も個性をよく描き分けている。13代以降は後補。
この数年、毎年、小浜に行っていることもあって、若狭彦・若狭姫神社といえば、そうか、あそこか~と風景が思い浮かぶので、とても興味深かった。チャンスを逃さず、この作品を見に来て、本当によかった! ほかに『伴大納言絵詞』模本(原本は若狭国松永庄新八幡宮に伝わった)と『日蓮聖人註画讃』(京都・本圀寺所蔵、若狭・長源寺で制作された)。
※参考:e国宝『若狭国鎮守神人絵系図』
■京都国立博物館 特集陳列『生誕300年 与謝蕪村』(2016年8月23日~10月2日)
通常「中世絵画展示室」と「近世絵画展示室」となっている二室を使って行われている。特に屏風と俳画に着目し、屏風の名品が多く出ている。所蔵者が空欄になっているものが多く、たぶん個人蔵なんだろうなあと想像していた。中国の山水画の学習成果を消化して、独自の世界を切り拓いていく様子がとても面白いのだが、まだうまくその魅力を言葉にできない。現場でいいなあと思ったのは、明和元年(1764)の『山水図屏風』。いま図録で見ていると『竹渓訪隠図』が好き。
■楽美術館 秋期特別展・重要文化財指定記念『三代 楽道入・ノンカウ展』(2016年9月10日~11月27日)
京都でもう1箇所くらい寄れそうだったので、慌てて探したら、ノンカウ(ノンコウ)展をやっていると分かって行ってみた。先だって、日本橋三越の『千家十職の軌跡展』で、やっぱりノンコウが好き!と再認識したばかりだったので、嬉しかった。冒頭に特別展示で長次郎の『万代屋黒(もずやくろ)』があり、最後の方に光悦の白楽茶碗『冠雪』があったのを除くと、全て道入の作品。茶碗だけでなく、香炉や灰器、めずらしい置灯籠もあった。高台の異様に高い、馬上盃形の茶碗には笑ってしまった。いろんな大胆な試みをしながら、最終的には「茶碗屋らしい」造形に落ち着いている気がする。自由すぎる光悦の楽茶碗を思いあわせると興味深くて、どちらも好き。
■京都国立博物館 『若狭国と絵巻』(2016年8月30日~10月2日)
常設展示(名品ギャラリー)の一室の小さな特集展示なのだが、重要文化財『若狭国鎮守神人絵系図』を中心に、若狭国にまつわる絵巻物を紹介するという。私がこの絵巻の存在を意識したのは比較的最近で、2014年7月、リニューアルオープンした若狭歴史博物館で複製品を見たとき。それ以前も以後も、原品を見たことはないと思う。これは…見たいと思ったら、いても立ってもいられなくなった。
今回の展示作品は4件。まず『彦火々出見尊絵巻』(4巻のうち巻4)は京都・曇華院所蔵。若狭国松永庄新八幡宮に伝わった原本は失われたが、明通寺に江戸時代の模本が残る。これは明通寺本をさらに写したもの。人の姿が大きく、面長な特徴も古風(鎌倉の絵巻はちまちましている)。場面は龍王の姫君が従者に守られて海を渡るところ。
次の『若狭国鎮守神人絵系図』は若狭彦神社旧蔵、2年間の修復作業が2013年に完了して初めての公開だという。つまり、少なくとも2011年以降、公開されていなかったと考えられる。はじめに若狭彦神が節文(たかふみ)という名の眷属(人?神?)を連れて遠敷(おにゅう)郡に姿を現す。山の中に黒と赤の縞模様の幕がめぐらされ、壮年の厳めしい男神の前で横顔を見せているのが節文。この仮の御座所には、のちに神宮寺が建立された。
場面が変わり、白馬にまたがった若狭彦神と後ろに従う節文が青雲に乗って空を駆けている。はるか下に山並み。衣服や帯紐のなびき方、馬の姿態、節文の足の跳ね上げ方に軽やかな躍動感がある。描線は細くて緻密。絵師のわくわくしている気持ちが伝わってくるようだ。こうして選ばれた地に社殿が建てられた。次の場面に神の姿はなく、木々に囲まれた社殿の前で、節文が幣をとって拝礼している。これが若狭彦神社だ。社殿の図の外れ(回廊の外)に小さな社と「黒童子社」という墨書があって、何かと思ったが、調べたら、節文自身が「黒童子神」として祀られたらしい。
次に若狭姫神が天女たちを引き連れて高い岩の上に現れる。岩の下には黒い鵜が二羽描かれている。若狭姫も社殿に鎮座し、節文がこれを礼拝する。若狭姫神社である。このあとは、歴代社務職をつとめた笠氏の肖像が、二人ずつペアで描かれる。奇数代は礼盤に座し、偶数は上げ畳に座しているのは「一代は神と為り、一代は凡と為る」という伝承の視覚化だとか。初代の節文は明らかに特別な風貌に描かれているが、その後も個性をよく描き分けている。13代以降は後補。
この数年、毎年、小浜に行っていることもあって、若狭彦・若狭姫神社といえば、そうか、あそこか~と風景が思い浮かぶので、とても興味深かった。チャンスを逃さず、この作品を見に来て、本当によかった! ほかに『伴大納言絵詞』模本(原本は若狭国松永庄新八幡宮に伝わった)と『日蓮聖人註画讃』(京都・本圀寺所蔵、若狭・長源寺で制作された)。
※参考:e国宝『若狭国鎮守神人絵系図』
■京都国立博物館 特集陳列『生誕300年 与謝蕪村』(2016年8月23日~10月2日)
通常「中世絵画展示室」と「近世絵画展示室」となっている二室を使って行われている。特に屏風と俳画に着目し、屏風の名品が多く出ている。所蔵者が空欄になっているものが多く、たぶん個人蔵なんだろうなあと想像していた。中国の山水画の学習成果を消化して、独自の世界を切り拓いていく様子がとても面白いのだが、まだうまくその魅力を言葉にできない。現場でいいなあと思ったのは、明和元年(1764)の『山水図屏風』。いま図録で見ていると『竹渓訪隠図』が好き。
■楽美術館 秋期特別展・重要文化財指定記念『三代 楽道入・ノンカウ展』(2016年9月10日~11月27日)
京都でもう1箇所くらい寄れそうだったので、慌てて探したら、ノンカウ(ノンコウ)展をやっていると分かって行ってみた。先だって、日本橋三越の『千家十職の軌跡展』で、やっぱりノンコウが好き!と再認識したばかりだったので、嬉しかった。冒頭に特別展示で長次郎の『万代屋黒(もずやくろ)』があり、最後の方に光悦の白楽茶碗『冠雪』があったのを除くと、全て道入の作品。茶碗だけでなく、香炉や灰器、めずらしい置灯籠もあった。高台の異様に高い、馬上盃形の茶碗には笑ってしまった。いろんな大胆な試みをしながら、最終的には「茶碗屋らしい」造形に落ち着いている気がする。自由すぎる光悦の楽茶碗を思いあわせると興味深くて、どちらも好き。