展覧会めぐりの合い間に、朝の東大寺を散歩した(10/10)。
立派な角の雄ジカ。しかし、10/10-11の2日間、恒例の「鹿の角切り」行事が行われ、今年は32頭の角が切られたというから、これが最後の雄姿だったかもしれない。
めずらしく人の姿のない裏参道。一瞬だったけど。
二月堂参籠所食堂の排水溝に掛け渡されていた小さな札。東大寺の境内にもアライグマが出るんですね。
二月堂の納経所に掛っていた木札。
昨年、西国三十三所の満願を達成したが、東大寺二月堂が「番外札所」だという認識は全くなかった。「西国三十三所巡礼の旅」公式サイトにも掲載されていないし…。ご朱印を書いていただいた方にお尋ねしてみたら、「昔は番外に数えられていたんですよ」とおっしゃって、小さな紙片をいただいた。それによると「西国三十三ヶ所観音霊場巡拝 番外」は
・華厳宗 東大寺二月堂
・真言宗 高野山
・単立 善光寺
・和宗 四天王寺
・真言宗 豊山 法起院
・天台宗 華頂山 元慶寺
・真言宗 東光山 花山院
へえー。長野の善光寺まで入っていたとは初耳。でも西国なのか?信濃は。
三月堂(法華堂)にも寄った。最後に来たのはいつだったろう。実は、この度の須弥壇解体修理のニュースを私が知ったのは、拝観停止が始まってからだった。8/1から拝観は再開。ただし、右から、梵天→日光菩薩→不動明王→弁財天→地蔵菩薩→月光菩薩→帝釈天の順で一列に並んだ諸像をガラス戸越しに拝観するのみ。お堂の外の案内板には「内陣には入れませんが、礼堂からご尊顔を間近に拝することができます」とある。まあその通りだ。
現状および今後の予定は、東大寺公式サイトにも掲載されているが、
・不空羂索観音像、四天王像、吉祥天像は順次修復?
・金剛力士像ニ体…特別展終了後も引き続き、奈良博で公開中。
・日光、月光、弁財天、不動、梵天、帝釈天…三月堂で公開中。
・日光、月光、吉祥天、弁財天…平成23(2011)年10月以降、新設の「東大寺ミュージアム」で公開。※三月堂は不動、梵天、帝釈天だけになる?
・不空羂索観音像…平成24(2012)年12月以降、三月堂に復帰公開。
・四天王像…修復後の去就未定。お寺は「一体でも戻ってくれば…」と願っている模様。
長い目でみれば、たとえば不空羂索観音と日光、月光は、もともと一具としてつくられたわけではないのだから、分離を躊躇する理由はないのかもしれない。しかし、仏像に興味を持ってこのかた、30年余り、ずっと一体の風景として眺めてきた三月堂の諸像が、こんな簡単にバラバラになってしまう日に立ち会おうとは、「諸行無常、会者定離」が身に沁みて、ちょっと泣ける。和辻哲郎の『古寺巡礼』も知的に構成しなおさなければ、追体験できなくなるんだなあ。
立派な角の雄ジカ。しかし、10/10-11の2日間、恒例の「鹿の角切り」行事が行われ、今年は32頭の角が切られたというから、これが最後の雄姿だったかもしれない。
めずらしく人の姿のない裏参道。一瞬だったけど。
二月堂参籠所食堂の排水溝に掛け渡されていた小さな札。東大寺の境内にもアライグマが出るんですね。
二月堂の納経所に掛っていた木札。
昨年、西国三十三所の満願を達成したが、東大寺二月堂が「番外札所」だという認識は全くなかった。「西国三十三所巡礼の旅」公式サイトにも掲載されていないし…。ご朱印を書いていただいた方にお尋ねしてみたら、「昔は番外に数えられていたんですよ」とおっしゃって、小さな紙片をいただいた。それによると「西国三十三ヶ所観音霊場巡拝 番外」は
・華厳宗 東大寺二月堂
・真言宗 高野山
・単立 善光寺
・和宗 四天王寺
・真言宗 豊山 法起院
・天台宗 華頂山 元慶寺
・真言宗 東光山 花山院
へえー。長野の善光寺まで入っていたとは初耳。でも西国なのか?信濃は。
三月堂(法華堂)にも寄った。最後に来たのはいつだったろう。実は、この度の須弥壇解体修理のニュースを私が知ったのは、拝観停止が始まってからだった。8/1から拝観は再開。ただし、右から、梵天→日光菩薩→不動明王→弁財天→地蔵菩薩→月光菩薩→帝釈天の順で一列に並んだ諸像をガラス戸越しに拝観するのみ。お堂の外の案内板には「内陣には入れませんが、礼堂からご尊顔を間近に拝することができます」とある。まあその通りだ。
現状および今後の予定は、東大寺公式サイトにも掲載されているが、
・不空羂索観音像、四天王像、吉祥天像は順次修復?
・金剛力士像ニ体…特別展終了後も引き続き、奈良博で公開中。
・日光、月光、弁財天、不動、梵天、帝釈天…三月堂で公開中。
・日光、月光、吉祥天、弁財天…平成23(2011)年10月以降、新設の「東大寺ミュージアム」で公開。※三月堂は不動、梵天、帝釈天だけになる?
・不空羂索観音像…平成24(2012)年12月以降、三月堂に復帰公開。
・四天王像…修復後の去就未定。お寺は「一体でも戻ってくれば…」と願っている模様。
長い目でみれば、たとえば不空羂索観音と日光、月光は、もともと一具としてつくられたわけではないのだから、分離を躊躇する理由はないのかもしれない。しかし、仏像に興味を持ってこのかた、30年余り、ずっと一体の風景として眺めてきた三月堂の諸像が、こんな簡単にバラバラになってしまう日に立ち会おうとは、「諸行無常、会者定離」が身に沁みて、ちょっと泣ける。和辻哲郎の『古寺巡礼』も知的に構成しなおさなければ、追体験できなくなるんだなあ。
ちょうど『古寺巡礼』を読んでいたところなので、もっとはやく見ておけばよかったと後悔してます。
こういう体験をすると、仏像も書画も、多少の無理をしても機会のあるときに見ておこうという気持ちになります。
※札所の最後が岐阜県の華厳寺であるのも同じような理由からのような気がします。
東国からの上洛コースというと、どうしても現代人は東海道を考えてしまいますが、調べてみたら「巡礼の場合、行きは東海道、帰りは中山道が定番」とか「女性は東海道より難所の少ない中山道を選んだ」とかの記述に行きあたりました。なるほど。