○今野浩『工学部ヒラノ教授』 新潮社 2011.1
東大工学部応用物理学科を卒業後、筑波大、東工大、中央大で教鞭をとった著者が、40年間の体験をもとに綴った「工学部実録秘話」。タイトルは、1990年代はじめ、文学部教授の生態を白日の下にさらしてベストセラーとなった、筒井康隆の『文学部唯野教授』に捧げられている。
私の仕事は大学の一事務職員であるが、就職してはじめて配属された先が工学部だった。私自身は文系出身だったので、ギャップに戸惑うことも多かったが、少し慣れると、「工学部カルチャー」はとても居心地がよかった。そうそう!と大きく膝を打ったのは「工学部の教え7ヶ条」。あまりにも素敵なので、ここに再録しておく。
第1条 決められた時間に遅れないこと(納期を守ること)
第2条 一流の専門家になって、仲間たちの信頼を勝ち取るべく努力すること
第3条 専門外のことには、軽々に口出ししないこと
第4条 仲間から頼まれたことは、(特別な理由がない限り)断らないこと
第5条 他人の話は最後まで聞くこと
第6条 学生や仲間をけなさないこと
第7条 拙速を旨とすべきこと
一見、つまらないことばかりだが、この7ヶ条こそが「エンジニア集団を被覆する大原則」であると著者はいう。いや、エンジニアだけではなくて、これだけ守れたら、大概の機能集団の一員として立派にやっていけると私は思う。
東大生時代、2年間の教養課程を終えて工学部に進学した著者が体験した武藤清工学部長の訓辞もいい。のちに文化勲章を受章する大エンジニアは「これから訓辞を述べるから、良く聞くように。エンジニアは時間に遅れないこと、以上」と言ったきり、椅子に腰を下ろしてしまった。そして、2年後の卒業式、学科主任の森口繁一教授は「諸君にはなむけの言葉を贈ろう。納期を守ること。これさえ守っていれば、エンジニアは何とかなるものだ」と述べた。若きヒラノ青年は、その「格調の低さ」にショックを受けたという。
笑えた。だが、昨今流行りの「人間力」とか「生きる力」とか、空疎な言辞を弄して、若者を翻弄する大学教授たちに比べたら、「時間に遅れないこと」という訓辞のほうが、ずっと真率だし、生涯を通じて役に立つと思う。チームで仕事をすることの多いエンジニアは、時間に遅れると、仲間の貴重な時間を奪うことになり、これを繰り返すと、仲間の信用を失ってしまう。このように、上記の7ヶ条がなぜ大事かについては、本書の詳しい解説を読むと、さらに深く納得できる。
「後世恐るべし」は、東工大の凄い学生たちの思い出話。著者は「若くて優秀な学生とともに過ごせること」を工学部平(ヒラ)教授の役得の一に挙げている。もちろん、そうした優秀な学生の協力を得て、共著論文を執筆できるという実利的な役得もあるが、「バケモノ」に近い天才を身近に見て過ごすというのは、無条件で楽しいことではないかと思う。
優秀な研究者の集まりである東工大にも、何らかの事情で「怠け蟻」が発生することがある。しかし彼らは仲間の激励によって、いつかまた立ち上がる。この終章はちょっと感動的だ。著者によれば、アメリカでは、若い時から勝って勝って、勝ちまくる強者でなければ、理系研究者として生き残れない。一方、日本では、大器晩成や敗者復活が可能だった。前述の7ヶ条の一「学生や仲間をけなさないこと」も、二流でも(頑張れば)やっていける、日本の工学部カルチャーと関連している。だが、研究者に短期的な成果を求める風潮が加速すれば、日本はアメリカの亜流になり下がっていくだろうと著者は憂慮する。本書を読むと、専門教育の重点は、卓越した強者を生み出すことよりも、「二流でもやっていける」カルチャーに置かれるべきではないかと感じる。それでも強者はちゃんと育っていくのだから。
東大工学部応用物理学科を卒業後、筑波大、東工大、中央大で教鞭をとった著者が、40年間の体験をもとに綴った「工学部実録秘話」。タイトルは、1990年代はじめ、文学部教授の生態を白日の下にさらしてベストセラーとなった、筒井康隆の『文学部唯野教授』に捧げられている。
私の仕事は大学の一事務職員であるが、就職してはじめて配属された先が工学部だった。私自身は文系出身だったので、ギャップに戸惑うことも多かったが、少し慣れると、「工学部カルチャー」はとても居心地がよかった。そうそう!と大きく膝を打ったのは「工学部の教え7ヶ条」。あまりにも素敵なので、ここに再録しておく。
第1条 決められた時間に遅れないこと(納期を守ること)
第2条 一流の専門家になって、仲間たちの信頼を勝ち取るべく努力すること
第3条 専門外のことには、軽々に口出ししないこと
第4条 仲間から頼まれたことは、(特別な理由がない限り)断らないこと
第5条 他人の話は最後まで聞くこと
第6条 学生や仲間をけなさないこと
第7条 拙速を旨とすべきこと
一見、つまらないことばかりだが、この7ヶ条こそが「エンジニア集団を被覆する大原則」であると著者はいう。いや、エンジニアだけではなくて、これだけ守れたら、大概の機能集団の一員として立派にやっていけると私は思う。
東大生時代、2年間の教養課程を終えて工学部に進学した著者が体験した武藤清工学部長の訓辞もいい。のちに文化勲章を受章する大エンジニアは「これから訓辞を述べるから、良く聞くように。エンジニアは時間に遅れないこと、以上」と言ったきり、椅子に腰を下ろしてしまった。そして、2年後の卒業式、学科主任の森口繁一教授は「諸君にはなむけの言葉を贈ろう。納期を守ること。これさえ守っていれば、エンジニアは何とかなるものだ」と述べた。若きヒラノ青年は、その「格調の低さ」にショックを受けたという。
笑えた。だが、昨今流行りの「人間力」とか「生きる力」とか、空疎な言辞を弄して、若者を翻弄する大学教授たちに比べたら、「時間に遅れないこと」という訓辞のほうが、ずっと真率だし、生涯を通じて役に立つと思う。チームで仕事をすることの多いエンジニアは、時間に遅れると、仲間の貴重な時間を奪うことになり、これを繰り返すと、仲間の信用を失ってしまう。このように、上記の7ヶ条がなぜ大事かについては、本書の詳しい解説を読むと、さらに深く納得できる。
「後世恐るべし」は、東工大の凄い学生たちの思い出話。著者は「若くて優秀な学生とともに過ごせること」を工学部平(ヒラ)教授の役得の一に挙げている。もちろん、そうした優秀な学生の協力を得て、共著論文を執筆できるという実利的な役得もあるが、「バケモノ」に近い天才を身近に見て過ごすというのは、無条件で楽しいことではないかと思う。
優秀な研究者の集まりである東工大にも、何らかの事情で「怠け蟻」が発生することがある。しかし彼らは仲間の激励によって、いつかまた立ち上がる。この終章はちょっと感動的だ。著者によれば、アメリカでは、若い時から勝って勝って、勝ちまくる強者でなければ、理系研究者として生き残れない。一方、日本では、大器晩成や敗者復活が可能だった。前述の7ヶ条の一「学生や仲間をけなさないこと」も、二流でも(頑張れば)やっていける、日本の工学部カルチャーと関連している。だが、研究者に短期的な成果を求める風潮が加速すれば、日本はアメリカの亜流になり下がっていくだろうと著者は憂慮する。本書を読むと、専門教育の重点は、卓越した強者を生み出すことよりも、「二流でもやっていける」カルチャーに置かれるべきではないかと感じる。それでも強者はちゃんと育っていくのだから。