○京都文化博物館の「白隠・禅と書画」展
4月からずっと気になっていた「白隠」展に、ようやく、最終日ぎりぎりに行ってきた。
ビギナー向けの日本美術史の解説書が、鳥獣戯画をマンガの元祖と呼びたがるのは、内実のない、お決まりごとに過ぎないけれど、私の見るところ、白隠の絵は、ほんとに現代マンガと一直線につながっている感じがする。現代マンガというのは正しくないかも知れないが、私が子供の頃(昭和時代)に読んだマンガの匂いが濃厚にするのだ。
白隠には、墨で輪郭を描き、かつ彩色を施した作品がかなり多い。それも、品のいい水墨画みたいな、色彩の「一点乗せ」ではなくて、僧侶の衣や袈裟、肌などを、淡い水彩とはいえ、はっきりした色目でベタ塗りしている。黒い線描ですでに十分描き切れているキャラクターに、さらにカラフルな色彩を載せた感じが、あまり印刷のよくない少年マンガ誌の巻頭カラーページの「プチ贅沢」な記憶を呼び覚ますのだ。
あと、びっくりしたのは毘沙門天だか何かのバックを墨で全面ベタ塗りしたものがあった。余白の美なんてあったものじゃない。この感覚は、やっぱりマンガである。
もちろん斬新なデザインとか、哲学的な主題とか、大人を喜ばせる「美術作品」も無いわけではないが、この人の基本路線はマンガ。そうして70歳や80歳の高齢になっても、ものすごくうまいマンガを嬉々として描き続けている。いいな。このおじいちゃん。
今月は前半に根津美術館の「南宋絵画」展を見にいき、実はそのハイレベルな芸術性に圧倒されてしまったのである。いや、すごいよ、南宋絵画。牧谿とか梁楷とか、純粋芸術として一点非のうちどころがない。でもこれだけレベルが高いと、見るほうも生気横溢してないと、ちょっと負けちゃうんだよね...
なので、比べるわけではないんだが、今日の私は白隠でいいかな、なんて気分である。
4月からずっと気になっていた「白隠」展に、ようやく、最終日ぎりぎりに行ってきた。
ビギナー向けの日本美術史の解説書が、鳥獣戯画をマンガの元祖と呼びたがるのは、内実のない、お決まりごとに過ぎないけれど、私の見るところ、白隠の絵は、ほんとに現代マンガと一直線につながっている感じがする。現代マンガというのは正しくないかも知れないが、私が子供の頃(昭和時代)に読んだマンガの匂いが濃厚にするのだ。
白隠には、墨で輪郭を描き、かつ彩色を施した作品がかなり多い。それも、品のいい水墨画みたいな、色彩の「一点乗せ」ではなくて、僧侶の衣や袈裟、肌などを、淡い水彩とはいえ、はっきりした色目でベタ塗りしている。黒い線描ですでに十分描き切れているキャラクターに、さらにカラフルな色彩を載せた感じが、あまり印刷のよくない少年マンガ誌の巻頭カラーページの「プチ贅沢」な記憶を呼び覚ますのだ。
あと、びっくりしたのは毘沙門天だか何かのバックを墨で全面ベタ塗りしたものがあった。余白の美なんてあったものじゃない。この感覚は、やっぱりマンガである。
もちろん斬新なデザインとか、哲学的な主題とか、大人を喜ばせる「美術作品」も無いわけではないが、この人の基本路線はマンガ。そうして70歳や80歳の高齢になっても、ものすごくうまいマンガを嬉々として描き続けている。いいな。このおじいちゃん。
今月は前半に根津美術館の「南宋絵画」展を見にいき、実はそのハイレベルな芸術性に圧倒されてしまったのである。いや、すごいよ、南宋絵画。牧谿とか梁楷とか、純粋芸術として一点非のうちどころがない。でもこれだけレベルが高いと、見るほうも生気横溢してないと、ちょっと負けちゃうんだよね...
なので、比べるわけではないんだが、今日の私は白隠でいいかな、なんて気分である。