見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

「朝鮮」表象の文化誌

2004-05-25 22:49:04 | 読んだもの(書籍)
○中根隆行『「朝鮮」表象の文化誌』新曜社 2004.4

 最近の政治情勢の話ではなくて、これも本の話。先週末に読み終わった。

 近代日本の文化的記憶において「朝鮮」が意味するものとは何か、なぜ日本人は「朝鮮」に対して、怠惰、汚穢、貧乏、停滞といったマイナスの記号を欲望し続けてきたのか、その根底には、日本人の裏返しの自己像が投影されているのではないか...といった話。

 本書は、いくつかの独立した論文を基に博士論文を構成し、さらに加筆修正して成立したものである。そのため、全体のまとまりには欠けるが、細部には、これまで全く知らなかった興味深い事実がいろいろとちりばめられていた。

 例えば、1930年代の朝鮮では、公共図書館が朝鮮人学生に読書空間を提供していたこと(朝鮮半島における公共図書館の開設はいつから始まるのだろう? 日本の植民地支配とともに?)。

 当時の小説によれば「日本人は金があって自分で本を買って読むのだらう。図書館に来るのは大てい朝鮮人だった」とある。さらに「日曜には総督府図書館に行って見ると、おれ等のやうな高等普通の生徒や、専門学校の生徒が開館前からつめかけていた」とある。へぇ!

 この総督府図書館って、帝国議会図書館(今の国立国会図書館)の支部だったのだろうか? (以下、その仮定で書いておくが)図書館員なんて平和な仕事だと思っていたけれど、やっぱり政府機関の一員である以上、植民地政策の一端を担っていたんだなあ。

 このことについて、今の国会図書館はどういう見解を持っているのだろう。寡聞にして知らないのだが。できれば触れずにすませようという態度かしら。それと、現在の韓国中央図書館と総督府図書館の関係ってどうなっているのだろう...と思ってちょっと調べてみたら、蔵書は受け継いでいるらしい。

 そのほかにも、日本語文芸誌の朝鮮における読まれ方・売られ方とか、日本語文壇における朝鮮人作家の登場とか、正統的な「近代日本文学史」は決して触れてこなかった研究課題がたくさんあることを知った。

 もうひとつ、太平洋戦争の末期、日本人になじみの「蛍の光」と同じメロディが、朝鮮では「愛国歌」として歌われていたらしい。

 日本の敗戦が決まると、朝鮮人は祖国の独立と解放を祝い、禁じられてきた「愛国歌」を歓喜とともに歌った。それは、まもなく朝鮮半島から引き揚げを始める日本人入植者たちの耳には、別れを惜しむ「蛍の光」のメロディとして聞こえていたという。なんという皮肉か。

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渤海国

2004-05-25 06:31:12 | 読んだもの(書籍)
○上田雄『渤海国』講談社学術文庫 2004.4

 今日は本の話。週末の旅行に持っていって読んでいた1冊。

 渤海国は7世紀から10世紀にかけて中国東北部に存在した東アジアの古代国家である。当時の日本とは頻繁な往来の記録が残っているにもかかわらず、教科書での扱いも小さく、その存在を知る日本人は少ない。そこで著者は、渤海国と日本のかかわりを多面的に紹介しようと努めている。
 
 読みやすくて飽きさせない本なんだけど、あまり新鮮味はない。平安初期の漢詩文集に収録された渤海使と日本の文人の作品を手がかりにして、両国人の交流のありさまを、できるだけ具体的に掘り起こそうとしてるんだけど、歴史家が文学資料を扱う手さばきって、なんか粗雑なんだなあ。

 あと、史料のところどころに「舞姫」とか「女楽」とかいう単語が出てくると、別に自分が助平な想像をほしいままにしているわけではないという言い訳をつらねながら、男女入り乱れた”華麗な宮廷絵巻”をいっしょうめけんめい読者の前に描き出そうとするのだが、ぜんぜん失敗している。その貧乏くささが、歴史家らしくてほほえましいんだけどさ。

 ちなみに私は数年前、中国東北地方の観光ツアーで渤海国の上京龍泉府遺址を訪ねたことがあるので、この本の写真や記述は懐かしかった。

 それから、3月に京都の島原の角屋を訪ねたとき、そばに「鴻臚館址」を見つけた。平安京の鴻臚館だから、来ていたのは渤海使だね、と同行の友人(日本史好き)と話しあった。この本の末尾にも載せられている「白梅や墨芳しき鴻臚館」という蕪村の句碑が立っていた。

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