○出光美術館『古今和歌集1100年記念祭-歌仙の饗宴』
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkantop.html
例によって、あまり予習もしないで会場に来てしまった。なので、佐竹本三十六歌仙が出るとは聞いていたものの、ずらり、7点も並んだ姿に、えっこんなに!と、すっかり気圧されてしまった。
佐竹本は、秋田藩主の佐竹家に伝来したもので、明治維新後、海運業者の山本唯三郎が買い取った。しかし、第一次大戦後の不況のあおりで、山本がこれを手放すことになったとき、高額過ぎて、誰も買い手が付かなかった。そこで、三井財閥の創始者にして茶人の益田鈍翁が世話人となり、絵巻を切断して、一片ずつ売り払うことになった。配分は公平を期して、くじ引きで行われたという。
以上のような経緯を私が初めて知ったのは、1983年に放送されたNHKの番組『絵巻切断~秘宝36歌仙の流転~』を見てのことである。当時、私は大学生だった。懐かしいなあ~(昨年『NHKアーカイブス』で再放送されたらしい)。くじ引きの結果など、詳しいことは下記のサイトを参照。全点画像も付いている。
■佐竹本 三十六歌仙 絵巻(個人サイト)
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~tsujido/36kasen/
切断された絵巻の所有者は、その後も変わり続けているらしい。別のサイトによれば「現在までに歌仙絵を手にした人は160人あまりにのぼる」そうだ。現在の所有者については、下記の情報が比較的新しいのではないかと思う。まことに「流転の絵巻」の名にふさわしいが、それだけに、十枚程度といえども、並んだ姿を見るのは、なんだか嬉しいものだ。
■幻の国宝絵巻~佐竹本三十六歌仙~(個人サイト)
http://niigata.cool.ne.jp/izumi1201/private/36kasen.htm
さて、この展示会は、「画」の歌仙図と「書」の古筆を同時に楽しむことができる。「書」では、伝紀貫之筆『高野切』が絶品。私は、重文の『高野切・第一種』よりも、重要美術品の『高野切・第三種』のほうが、墨の濃淡に緩急が感じられて好きだ。古筆って、流れる時間を凍結させたような芸術だと思う。
また、昨年の展覧会『
平安の仮名、鎌倉の仮名』にも出ていた、国宝の古筆手鑑『見努世友(みぬよのとも)』にも再会! もちろん、前回とは違う箇所が開けてあり、テーマの「歌仙」にあわせて、「後鳥羽院本三十六歌仙絵」の源順の絵を見ることができる。背を丸め、うつむいて沈思しているところが、学者歌人っぽくていい。私は、いちおう国文学を専攻して和歌史を学んだ経験があるので、紀貫之にしろ、源順にしろ、その人となりが記憶によみがえってきて、なんとなく嬉しく、懐かしくなる。
「画」では、佐竹本のほか、鎌倉~室町に定着する歌聖・人麻呂像、江戸初期に人間臭い歌仙図で人気を博した
岩佐又兵衛(この人は大好き!)、さらに琳派の諸作品を見ることができる。
めずらしく気に入ったのは、土佐光起・光成・光高の土佐派三代が描いた『人麿・伊勢・小町』の三幅対である(ふだん、土佐派はあまり好まないのに)。顔も姿勢も爺さんっぽい(でも血色はいい)人麻呂が、孫娘のような女房二人を左右に従えている。はじめ、右側の、着物の色が明るくて、より若やいだ雰囲気の女性が小町かと思ったが、よく見ると、左側のうつむき加減で大人びた女性が角盥(つのだらい)で草紙を洗っている。ということは左が小町か。どっちにしても、真ん中の人麻呂は、若い女性に挟まれて幸せそうである。
歌仙たちは、もともと時代も身分も異なる人々だったから、古い歌仙図は、ひとりひとりを単独で描いていた。岩佐又兵衛には、三十六歌仙を2枚の屏風に分けて、18人ずつ描き込んだものがあるが、まだ歌仙どうしは、微妙な距離感を保っている。それが、伝光琳の画稿になると、歌仙たちは、出番を待つ大部屋の俳優みたいに肩を寄せ合い、目を見交わし、時にはしなだれかかって、とても楽しそうだ。鈴木其一の『三十六歌仙図』は、さらに狭い画面にぎゅうぎゅう詰めになり、あざやかな色彩が、祝祭気分を感じさせる。
実際の彼らは(閲歴が判明している者たちは)中下級の官人が多くて、官位の上がらないことをいじいじと嘆き続けたり、世をはかなんで出家してしまったり、あまり幸せではなかったように思う。後世、こんな祝祭的なイメージに描かれていると知ったら、本人たちはびっくりするのではなかろうか。でも、こんなふうに古き世の詩人(歌人)に親しみ、尊崇した江戸文化というのは、ありがたいものである。