見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

街の美味しいもの/京都 奥の迷い道(柏井壽)

2016-01-15 21:47:02 | 読んだもの(書籍)
○柏井壽『京都 奥の迷い道:街から離れて「穴場」を歩く』(光文社新書) 光文社 2015.10

 今年最初の京都行きの前に、京都案内本を多数執筆している著者の本を久しぶりに読んだ。半日くらいの散歩、ハイキング程度の道歩きコースが5つ紹介されている。洛中の「金閣寺から」「京都駅の南と西」に加えて、少し郊外の「洛北大原」「嵐電沿い」「嵯峨野」歩き。各コースに「食べる愉しみ」が紹介されているのがうれしい。

 正月に著者の柏井壽さんが出演する『京都の食 8つの秘密』という番組をやっていて、私は大原の「しば漬け」を紹介する下りだけ見たのだが、本書の「洛北大原里歩き」にほぼ同じ内容が載っていた。建礼門院に里人が献上したのが始まりという伝説があるのだという。本書には、以前の著者の本に比べると、京都の歴史に言及したところが多い。ただ、歴史といっても、特産品のパッケージに印刷されているような、民話伝説の範疇を出ないので、正直、あまり面白くない。

 著者の京都案内の魅力は、地元暮らしだから書ける、生活に密着した細部なので、無理に守備範囲を拡げないでほしい。それでは、他のライターの京都案内と何も変わらなくなってしまう。やっぱり、本書で面白いなあと思うのは、『里の駅大原』の『花むらさき』で日曜の朝だけ食べられる朝膳とか、太秦の『キネマ・キッチン』で食べられるカツライス(勝新太郎と市川雷蔵にちなむ)、金閣寺に近い『おむらはうす』など。京都のオムライスはふわとろ系より、きちっと巻いたほうが人気が高いそうで、私の嗜好に合ってうれしい。京都八条口はよく利用するので『喫茶なかむら』、うどんの『殿田』覚えておこう。

 気になった寺社は、仁和寺近くの立本寺。東山以外にも幽霊飴の伝説を持つ寺があるのは知らなかった。嵐電沿いに「安倍晴明公嵯峨御墓所」があるというのも知らなかった。この墓所、室町時代の『臥雲日件録』にも登場する。もとは天龍寺の塔頭である寿寧院の境内にあったが、あまりに荒廃したため、晴明神社が土地を買収し、新たな墓を建立したのだそうだ。

 梅林寺も興味深い。土御門家の菩提寺である。私は一度塀の前を歩いてみたことがあるが「拝観するにはあらかじめ申し込んでおく必要がある」という。逆にいうと、予約すれば拝観できるのか! 知らなかった。土御門家は、一時は京都を逃れ、若狭に身を寄せていたが「関ヶ原の戦いの後、徳川家康に見出され、復権を果たして梅小路に邸宅を構える」。「きっと土御門家は秀吉に快く思われていなかったのだろう」と著者は推測している。もっとよく知りたい。

 めったに知っている人はいないと思うが、私は行ったことがあって、なつかしく思い出したのは、「妖怪ストリート」と呼ばれる一条通。平清盛の西八条邸の跡と伝える若一神社など。嵯峨野の湯豆腐の店『西山艸堂』は、学生の頃「嵯峨野に行くなら湯豆腐を食べなくては」みたいに気負って食べに行った記憶がある。もう30年くらい経つが、確かに美味しかった。なつかしい。食べもののために京都に行くなんて、絶対しないと思っていたが、そういう旅行もいいと思うようになってきた。
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殿様の書物と珍品/コレクションが語る蓬左文庫のあゆみ+知られざる徳川美術館コレクション

2016-01-14 23:31:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
徳川美術館 企画展示『知られざる徳川美術館コレクション-珍品・奇品・迷品-』(2016年1月5日~1月31日)+蓬左文庫 徳川美術館・蓬左文庫開館80周年記念『コレクションが語る蓬左文庫のあゆみ』(2016年1月5日~4月10日)

 三連休最終日は、名古屋の徳川美術館に寄った。常設展示は、気のせいかもしれないが、初春らしく華やかな茶道具・文具・能装束などが出ているように感じた。「大名の雅び」の展示室に、琉球楽器が並んでいたのも面白かった。島津家から献上されたもので、寛政10年、島津家の家臣が尾張徳川家の江戸戸山屋敷で演奏した記録があるそうだ。細身の琵琶は「ヒイハア」、横笛は「ホンテツ」などの名称は中国読みに近い。あと『小朝拝・歳旦冬至図』という江戸期の屏風があって、「歳旦冬至」というのが、旧暦11月1日と冬至が重なることで、およそ19年に一度あり、吉祥とされる、ということを初めて知った。調べたら2014年の冬至が「歳旦冬至」だったらしい。あと18年は来ないのか!

 今回は徳川美術館の展示が目的で、蓬左文庫にはチェックを入れてこなかったのだが、来てみたら非常に興味深い展示をやっていた。まず蔵書印。印影は何度も見たことのある「御本」(尾張徳川家初代藩主・徳川義直の蔵書印)は鈕(つまみ)が玉を弄ぶ獅子になっている。「尾陽文庫」(藩祖義直と二世光が使用)の鈕は三巻の巻子本を積んだ姿。

 さまざまな書物(冊子)を積み上げ、並べた展示ケースは圧巻。『周易』は濃茶色(柿渋?)の表紙。『倭玉篇』はピンク色っぽい。『礼記』は黄色、『続日本紀』は水色。花色(はなだ色)というのか。『続日本紀』(江戸・17世紀)は写本なのだな。『今昔物語集』(江戸・17世紀)の写本もめずらしい。中国本では、明清の皇帝が用いた「広運之宝」印の押された『歴代君鑑』。医学書も多く、オランダ本や奈良絵本もあった。また藩士の蔵書が尾張徳川家の文庫に加えられることもあった。神村正鄰(かみむら まさちか)は、跡継ぎがないまま蔵書を残して病死したそうで、藩に接収されてよかったんじゃないかな。論語コレクションはたいへん貴重なもの。

 明治5年の御書籍払で一部の蔵書は整理されたが、大正元年(1912)頃「蓬左文庫」という名称が誕生する(※公式ホームページでも時期は曖昧)。その後、東京で開館、戦争中の疎開、戦後は名古屋市の「市民の文庫」となるなど、紆余曲折が興味深い。世界地図や中国地図を含む絵図コレクションも貴重で、『清朝中外輿図』の原本は中国になく、日本にも数点しかないものだそうだ。よく見る「蓬左文庫」の印には、読みやすい字体のものと、古風な字体で読みにくいものがあって、実は前者の使用が早く(大正初期)、後者が遅い(昭和初期)というのは覚えておこう。

 再び徳川美術館ゾーンに戻る。今回の企画展は、ふだん公開の難しい作品や、開館以来一度も展示されたことのない作品を取り揃えて紹介するもの。期待したほどの珍品はなかったが、確かに見た記憶のないもの『馬面・馬鎧』とか『簞笥仕掛け銃』には笑ってしまった。秀吉所用の品と伝える『真珠付純金団扇』はきれいだったなあ。近代ものでは、桜井清香筆『米騒動絵巻』。「小中学校の歴史の教科書や教材などで紹介される機会が多い人気作品ですが、展示の機会がほとんどありません」という説明に、なるほどなあと思った。米騒動の様子そのものよりも、カブトビールや仁丹の広告など、街の風俗がよく描かれていて面白い。

 徳川義親の収集した郷土玩具のコレクションを見て、そうだ、北海道の木彫り熊の生産を奨励したのもこのひとだったなあと思い出す。しかし「象の足」の剥製はどうなんだろ。ゴミ箱にしていたそうだが。
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関東人の大阪初春散歩

2016-01-13 23:04:36 | なごみ写真帖
初春三連休の中日。朝から今宮の戎神社に行ってみる。京都祇園のゑびす神社には行ったことがあるが、大阪では初めて。神社のまわりも境内も朝から賑やか。参拝者は拝殿で福笹をいただき、縁起物(飾り)は自分で選んで購入する。外の露店で売っているのは「熊手」よりも「箕」が多い。東京の酉の市では、このタイプ見ないなあ。



日本橋(にっぽんばし)の黒門市場で大阪寿司のお弁当を購入し、国立文楽劇場へ。黒門市場は中国人観光客だらけだった。外国の市場歩きは楽しいよね~。



劇場1階ロビーに鏡餅。橙の下には一列に連ねた干し柿! NHKドラマ『朝が来た』にも登場した大阪ふうの飾りつけ。東京では見たことがない。ネットで検索したら、干し柿は「見向きもされない渋柿でも、修練の末には床の間の飾りにもなる」という意味なのだそうだ。



本物の「にらみ鯛」もあった。色がきれいなので鮮魚かと思ったら塩鯛だった。三が日のお膳に並べられる縁起物で、三が日の間は決して箸をつけないのだそうだ。また「掛け鯛」といって、かまどの上に供え、6月1日に下ろして羹(あつもの)にする風習もあったそうだ。



↓こちらは恒例、舞台正面のにらみ鯛と干支の大凧。今年の「申」は春日大社の花山院弘匡宮司の揮毫である。※2015年は「羊」



公演が終わって、まだ明るかったので、大阪商工会議所に行ってみる。左端が、いま朝ドラで人気沸騰の五代様こと、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚像。私以外にも、立ち止まって見上げたり、写真を撮ったりする人々を見かけた。※銅像の説明



五代友厚の銅像は、北浜の大阪証券取引所前にもある。去年の正月、中之島あたりを散歩したとき、妙にシュッとした見栄えのいい銅像を見て、誰だろう?と思い、わざわざ近寄って確認したのでよく覚えているが、まさか1年後にこんなブレイクしてるとは思わなかった。

今回、大同生命メモリアルホールの特別展示と大阪企業家ミュージアムの『大阪の恩人・五代友厚』を見てきたかったんだけど、前者は土日祝日16:00まで、後者は日月祝休日が休館で見られなかった。企業ミュージアムって、営業日でないと開けてないことが多いので仕方ないけど、残念~。

最後に、心斎橋の大丸へ。ヴォーリズ建築事務所の設計による本館が12月30日に閉館した。ここも一度(建築を見に)来たことがあるが、そのとき、うまく写真に撮れなかった孔雀のレリーフをここに残しておこう。外壁を残して2019年に新装開店する予定だというが、この孔雀、どうなっているかなあ。


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京都初春散歩/さるづくし+刀剣を楽しむ(京都国立博物館)、他

2016-01-12 21:35:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 新春特集陳列『さるづくし-干支を愛でる-』(2015年12月15日~2016年1月24日)

 京都国立博物館では初めての干支づくし特集。東京国立博物館の「博物館に初もうで」は13年目を迎え、「申」から始まった企画が二周目に入ったというから、ちょうど一周(12年)遅れの参入である。しかし、さすが京博ならではの名品がたくさんあって、面白かった。3階の陶磁および考古はふつうの常設展。陶磁は、仁清、乾山など京都らしい焼きものが出ていて目の保養だった。法金剛院に伝わる「色絵蓮華香炉」(伝・野々村仁清作)は、大きな蓮の花に蓮の葉を蓋にしている。尾形乾山の「色絵氷裂文角皿」が常設展で見られるのだから、京都がうらやましい。

 2階の5つの展示室は全て「さるづくし」。杉本哲郎が制作したアジャンタ壁画模写のサルとか、伝・貫休筆『十六羅漢』(高台寺)の中のサルとか、展示作品を選ぶの楽しいだろうなあと思う。来迎院に伝わる『日本霊異記』の写本(平安後期、国宝)も展示されていた。修行僧のもとに現れた白猿が「我は東天竺国大王(の生まれ変わり)」と名乗る。西遊記みたいというか、むしろ『西遊妖猿伝』みたいだと思った。『高祖大師秘密縁起』(安楽寿院本)のサルは、弘法大師に薯蕷(山芋?木の実に見える)を献上するのを日課にしていた。可愛いなあ、と思ったら、次の場面で頭から穴に落ちて(?)後ろ足を逆さに立てて死んでいたので、噴き出してしまった。哀れな話だが絵が可笑しい。

 小さな「牧谿猿(もっけいざる)」が群れ集う、式部輝忠筆『巌樹遊猿図屏風』に加えて、雪村、白隠、若冲、蕭白、森狙仙など個性派絵師の描いたサルが勢ぞろい。蘆雪の『群猿・唐子図屏風』はいいなあ。三匹のサルの乗っている岩山、黒い岩肌にへばりついた植物の赤・青・緑が映える。子供を失った母猿の姿だという『猿猴図』もいい。蘆雪の描く小動物や鳥はみんないい表情をしている。中国絵画は少なかったが、斉白石筆『偸桃図』が面白かった。

 1階は、書跡(仮名)、染織、漆器と特集陳列『獅子と狛犬』(2015年12月15日~2016年3月13日)。一部屋まるごと狛犬だらけで、密度が濃すぎて可笑しかった。サルの特集にあわせて、わざとイヌを並べたみたいにも思えて。

■特集陳列『刀剣を楽しむ-名物刀を中心に-』(2015年12月15日~2016年2月21日)

 さて、お客さんがものすごいことになっていると噂に聞いていた特集展示。1階いちばん奥(彫刻ギャラリーの隣)の特別展示室を会場にしているのだが、 入室待ちの列が反対側の四室を縦断して折り返す状態になっていた。一時は270分待ちとか。それほどの熱情はないので、とりあえず展示室の前まで行ってみた。室内は壁に沿ってコの字型にケースが並んでおり、その最前列(縄で仕切られている)で見るには、おとなしく列に並ぶしかない。しかし、部屋の中央に単立の展示ケースが二つあって、源氏の重宝『髭切・鬼切』(北野天満宮)と『膝丸・薄緑』(大覚寺)だけは、列に並ばなくても間近に見ることができた。刀剣のことはよく分からないが、後代の剣に比べると細くて長いように思った。振りまわして斬るより、刺すのに適している感じ。刃文は目立たず、シンプルだった。

 彫刻ギャラリーは、金剛寺の不動明王坐像の隣りに京都・安祥寺大日如来坐像(平安時代)が来ていたことを記録しておこう。高く結い上げた宋風の髷、四角張った顔で、鼻はあまり高くない。ちょっと首が短すぎるが、胸が厚く堂々としている。山科の安祥寺、行ったことあったかなあと記憶を探ったが、はっきりしなかった。

■京都大学百周年時計台記念館歴史展示室 企画展『京都帝国大学文学部の軌跡-教養と国策のはざまで-』(2015年11月10日~2016年1月17日)

 京都大学文書館の展示。ちょっといいタイトルだったので、足をのばして覗きに行ったが、展示資料は少なく、あまり面白いものも出ていなかった。吉田神社に初詣をして、初おみくじで「大吉」を引いたのでいいことにする。

京都文化博物館 企画展『日本のふるさと 大丹後展』(2015年12月5日~2016年1月17日)

 なるほど、丹後には多くの古代遺跡があって、銅鐸や銅鏡、埴輪や勾玉が発掘されていることを初めて認識した。羽衣伝説や浦島伝説も伝わっているし、日本海を通じて中国大陸や朝鮮半島との交流もあっただろう。ただ、やっぱり歴史時代以降は(隣りの若狭に比べて)影がうすい感じがする。地場産業の丹後ちりめんの歴史は面白かった。
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嶋大夫引退狂言を見る/文楽・関取千両幟、他

2016-01-11 22:08:56 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成28年初春文楽公演 第1部(1月10日、11:00~)

・新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)・座摩社の段/野崎村の段

 この狂言、「野崎村の段」以外の段を見るのは初めてのように思う。恋は思案の外とはいいながら、お染久松のむこうみずが私はあまり好きではなかったのだが、だんだん若い恋人たちに同情を感ずるようになってきた。初めて「座摩社の段」を見て、いっそうその気持ちが強くなった。若い二人のまわりが悪いヤツらばかりなのだ(大坂では)。座摩神社は、正式には「いかすりじんじゃ」という古い神社だが通称で「ざまじんじゃ」ともいう、と先日読んだ『大阪府謎解き散歩』に出てきた。狂言では「ざま」と読んでいた。「野崎村」の切は咲大夫さん。和生さんのおみつちゃんは相変わらず可愛い。

・八代目豊竹嶋大夫引退披露狂言:関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)・猪名川内より相撲場の段

 30分の休憩(ロビーでお弁当で昼食)のあと、開演のブザーが鳴って席につくと、床に嶋大夫さんと三味線の鶴澤寛治、呂勢大夫が現れ、呂勢大夫さんが嶋大夫の引退について口上を述べる。それから、英大夫と津国大夫(かな?)が嶋大夫の隣りに座って、幕が開く。呼び出しが妙にたくさん大夫の名前を並べると思ったら、このあと、もう四人くらいが入れ替わり立ち替わり、役に応じて床に上がるのである。なんか落ち着かない狂言だなあ。嶋大夫さんは、関取猪名川の女房おとわの役。女役なので高めの声音だが声はよく聞こえる。でも嶋大夫さんの語りの量が少なすぎる~。人形は猪名川を玉男さん、おとわを蓑助さんで、万全の配置なのは分かるが。

 そして場面が一段落すると、床がまわって、嶋大夫も他のみなさんも引っ込んでしまう。これだけかい! 中途半端な舞台で呆然としていると、舞台は浅葱幕で目隠しされたまま、床に三味線の鶴澤寛太郎さん登場。「このところ櫓太鼓曲弾きにて相勤めます」の声が入る。私は2013年2月にもこの狂言を見ていて、そのときは鶴澤藤蔵さんと鶴澤清志郎さんが二人で曲弾きを見せてくれた。寛太郎さん、基本的に無表情で生真面目なんだけど、失敗しかけたときにちょっと笑顔が見えた。

 とても面白かったけど、櫓太鼓が終わったところで、再び嶋大夫さん登場。え?引退披露はまだ終わっていなかったのか。気持ちの切り替えができなくて、何重にもとまどう。舞台上では、相撲取役の人形が廻し姿で裸体を見せるのがめずらしい。金の工面に迫られて八百長を考えていた猪名川は、贔屓から祝儀金が入ることを知って鉄ヶ嶽を倒す。その祝儀金は、女房おとわが自ら身売りしてこしらえたものだった。駕籠でゆくおとわを見送る猪名川で幕。まだ物語の途中なのかもしれないけど、ものすごくあっけない幕切れ。こんな引退狂言ないだろ。正直ガッカリした。この記事のタイトルは「嶋大夫引退狂言を聴く」にしたかったのだが、全然聴けていないのだ。

 しかし引退狂言に多くを期待してはいけないのだと思う。一期一会の芸は、聴けるときに聴いておくべきなんだろう。いま自分のブログを検索しながら、ああ『本朝廿四孝』の「十種香の段」よかったな、『摂州合邦辻』も『ひらかな盛衰記』も嶋大夫さんで聴けてよかった!と回顧にふけっている。今の私にはいちばん心に残る大夫さんでした。お疲れさまでした。

・釣女(つりおんな)

 狂言『釣針』をもとに明治期に歌舞伎舞踊に移され、昭和に文楽となった。詞章が狂言そのままなのが面白い。大名と太郎冠者は、西宮の恵比須神社に祈願し、釣竿を授かり、おのおの妻となる女性を釣り上げる。初見のような、どこかで見たような曖昧な記憶があったのは、札幌の「あしり座」のオリジナル狂言『祝い唄』も元ネタがこれなのではなかろうか。咲甫大夫さんの明るい声を新年のはじめに聴けて満足。
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平安京地図(京都市)と画像コレクション(NYPL)

2016-01-09 00:37:06 | 見たもの(Webサイト・TV)
これはいい!と思ったWebサイトの話題を二つ、久しぶりに。

平安京オーバレイマップ(京都市平安京創生館)

 京都市平安京創生館で公開されている「平安京跡イメージマップ」を、現在の地図上に配置したもの。立命館大学アートリサーチセンターのサーバで公開されている。特定の時代と現在を重ね合わせた地図は、これまで紙媒体の出版物にはあったし、Web上で公開されている画像もいくつかあった。しかし、これほど精緻で、縮小拡大が自在なものはなかったように思う。私は京都の町を歩くとき、だいたい平安時代の地図を思い描いているので、自分の頭の中が可視化されたような気がする。

 今週末は関西行きの予定だが、大阪泊と名古屋泊なので、京都に長居はできない。ぜひ気候のいいときに、この地図を持って京都の町を歩きたい。そろそろ思い切って、タブレット買わなきゃ。

京都新聞「平安宮の中心施設、謎深まる。調査3回、建物跡未発見」(2016/1/5)

 ついでに関連記事を貼っておく。平安京の大極殿の位置は、湯本文彦(1843-1921)によって「千本丸太町北西」と推定され、以後、発掘調査を積み重ねてきた。1994年には千本丸太町北西角で大極殿初の遺構となる基壇や階段跡を見つけ、湯本の推定はおおむね正しいと証明された。大極殿を囲む回廊跡も確認でき、周辺では屋根を飾った緑釉瓦の出土も多い。しかし、柱の遺構はまだ見つからないのだそうだ。2015年11月、大極殿跡の碑が立つ千本丸太町の内野児童公園での発掘調査も空振り。「いまも確認できない羅城門跡とともに京都に残された大きな命題だ」と記事にある。

 発掘調査の進展状況(確認されたものと推定にとどまるもの)を頭に入れながら、上記のマップを眺めると、また趣きが加わるように思う。

The New York Public Library: Digital Collections

 ニューヨーク公共図書館が所蔵資料の18万点のパブリック・ドメイン画像を公開して話題になっている。写真、ポスター、地図、楽譜、博物画、ファッション画などさまざまだが、「Book Art and Illustrations」のカテゴリーには、浮世絵(東海道五十三次)など日本由来の資料も入っている。個人的には、神坂雪佳(1866-1942)の『百々世草』や大蘇(月岡)芳年(1839-1892)の『月百姿』の高精細画像が公開されていて、小躍りしたくなった。どなたか知らないが、チョイスが素晴らしい。

 「Book Art and Illustrations」のサブカテゴリー「Ehon: the artist and the book in Japan」には、さらに多数の日本の資料が公開されているが、こちらは必ずしも全冊撮影ではなく、画像サイズもあまり大きくない。私は、2006年11月にニューヨーク公共図書館を訪ねていて、そのとき、この「Ehon(絵本)」というタイトルの展覧会をやっていた。今回、公開された画像は、展覧会のために撮影されたものの二次利用と思われる。いま若冲の『乗興舟』の画像を見つけて、懐かしかった。

 なお、ツイッターには、「日本の宝」がなぜニューヨークに?と鼻白んでいるものもあったけど、資料自体はそれほどのものじゃない。江戸ものっぽい源氏物語絵巻はあったが、ほとんどは版画や版本(複製芸術)だし。ただ、これだけの高精細画像をパブリックドメインで(利用に許諾の必要なし)公開してくれる姿勢はさすがアメリカで、うらやましい。『百々世草』や『月百姿』の画像、どんどん使っちゃうぞー。
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国家を越える法/憲法の条件(大澤真幸、木村草太)

2016-01-08 21:07:58 | 読んだもの(書籍)
○大澤真幸、木村草太『憲法の条件:戦後70年から考える』(NHK出版新書) NHK出版 2015.1

 年末に読んだ大澤真幸さんの『日本人が70年間一度も考えなかったこと』に、憲法学者の木村草太さんと対談したことが書かれていた。読みたいと思っていたら、正月に本書を見つけた。大澤さんは自分の問題意識として、憲法を成り立たせる条件は何か、憲法の精神を実現するにはどうしたらよいか、日本人は憲法のどのような性格につまずいているのか、日本人が憲法を本当に自分のものにするのはどうしたらよいのか、という問いを「まえがき」に挙げており、これに憲法学者の木村さんが応答するかたちで対談は展開する。大澤さんの(に限らないけど)「分からないことを他人に聞いてみる」スタイルの著作が私はわりと好きだ。

 はじめに二人は「法の支配」という普遍的問題について語る。まともな国であるためには「法の支配」が絶対必要条件であるが、日本にはそれが十分確立していないのではないか。中国的な「人の支配」とは違うけれど、「空気の支配」が法の支配を蹂躙しているのではないかと大澤氏。日本人にとって法は、校庭で遊んでいる子どものところに職員室から飛んでくる先生みたいなものだ、と木村氏。つまり、空気だけでは場の調整がつかなくなったとき、「外部からやって来る」のが法の支配だと思われている。法の本来の精神というものが共有されていないから、恣意的な解釈に無防備に開かれてしまう危険性がある。

 それから日本憲法の歴史的条件について、大澤氏が「敗戦の否認」を指摘する。これに対し、木村氏が、自分より上の世代の憲法学者は、まさに否認の結果として「日本国憲法の普遍主義に逃げた」が、自分たちの世代は、歴史的文脈を無視して「日本国憲法に書いてある普遍的な価値を、当然の基本原理として理解してしまっている」と語っているのはすごく面白かった。いま若い世代の護憲運動に感じるすがすがしさも、同じ状況から来るのかもしれない。私は改憲派の主張には賛成できないが、古い護憲派が憲法を絶対不可侵視するのにもしらける。日本国憲法は、立憲主義の標準におおむね沿った「普通」の憲法である、という木村氏のドライな判定が、いちばん素直に飲みこめる。

 ただ、日本国憲法には国民が共有できる具体的な歴史物語がない(敗戦は否認されているから)。「普遍」を手放してはならないけれど、具体的な物語がないと憲法は空疎な経典になってしまう。そこで二人は憲法を駆動させるパワーを探して議論し、「未来の他者の、いまだなき願望」を受け取るという考え方が大澤氏から示唆される。

 続いて「ヘイトスピーチ」を取り上げる。木村氏は、これが「定跡では解けない憲法問題」であることを認め、その社会的背景を考えることを勧める。彼ら(ヘイトスピーチをする人々)は「普遍」が嫌いなんです、という指摘が面白かった。彼らは正義や人権などの普遍的な価値を攻撃する一方、自分たちの主張が間違っていることを、ある程度わかっているのに、敢えて「アイロニカルな没入」をしていく。違憲とわかっていながら集団的自衛権の行使を目指す人々にも、同じ構図が認められる。

 木村さんは「集団的自衛権の行使は憲法違反である」ということを、常識的な法学者の立場から理路整然と説くと同時に、普遍が嫌いという人々は、普遍的視点から承認されることに自信がないのではないか、自傷行為ではないか等、社会学者のような洞察をおこなっていて、面白かった。

 そして、日本の議会制の不調について語り、最後にもう一度、日本国憲法に命を吹き込む方法を考える。木村氏は「憲法は他者との共存のためにこそ存在している」といい、「国際的公共価値」に論及する。大澤氏は「憲法というものは、普遍的な妥当性を目指さなくてはならない」といい、「理性の公共的使用」について説く。この「公共」は、日本という国家を越えて「普遍」に開かれた概念である。でも、私は普遍について語りなおす言葉に何度でも勇気づけられるのだが、真逆な反応を示す人々が現実にたくさんいるという状況は、解決が難しいなあと思う。
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権力とアートと大衆/北京をつくりなおす(ウー・ホン)

2016-01-06 20:12:55 | 読んだもの(書籍)
○ウー・ホン;中野美代子監訳・解説;大谷通順訳『北京をつくりなおす:政治空間としての天安門広場』 国書刊行会 2015.10

 全402ページのハードカバー。重くて持ち歩きには向かないが、正月休みに寝転がって読むには最適の本だった。米国シカゴ大学で中国の美術(古代~現代)を研究している著者が、北京の天安門広場について論じたもの。社会学、人類学、建築、都市計画、歴史、さらに政治の領域にも踏み込むが、中心テーマは「アート」である。

 本書の第一の魅力は、ページをめくるごとに目に飛び込んでくる多数の図版である。普通の日本人が見たことのないような珍しいものも多い。たとえば、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言したとき、見ていたはずの天安門広場の古い地図。当時はまだ清代の官庁の配置が色濃く残っていた。あるいは1989年の学生デモの生々しい写真。文字どおり天安門を埋め尽くした人々の頭。まだ人民帽姿が多い。学生たちが広場に建てた「民主の女神」が政府の戦車で破壊される場面の、ぼやけた連続写真もある。歴史をさかのぼって、1925年6月や1947年5月の天安門広場でのデモの写真も掲載されている。前者は日本の侵略、後者は中華民国政府に対するもので、広場の政治性の長い伝統をあらためて感じ、原武史さんの『皇居前広場』を思い出した。

 それから、共産党の威信を表現するためのアートとモニュメントの数々。建国後、天安門広場を中心とする北京の旧市街は一気に作りかえられた。中国歴史博物館や人民大会堂を含む「十大建築」は、1958年9月の決定から約1年で設計・建設・竣工が行われた。これだから中国の建築って、今でも無理を押し通すんだな。北京の街は、その後も成長と発展を続け、さまざまな新建築が加わっているけれど、実は天安門広場には、1977年に毛主席紀念堂が完成して以来、いかなる永久的建築構造物も加わっていない。なるほどそうだ。私が初めて北京を訪ねたのは1980年代のはじめで、考えてみると、北京の街はどこもかしこも恐ろしい変貌を遂げているのに、天安門広場のたたずまいだけは変わっていないのだ。

 中国には、一方にプロパガンダ的な官製アートがある。天安門上の毛沢東を描いた董希文の『開国大典』や孫滋渓の『天安門前』。天安門に今も掲げ続けられている毛沢東の肖像画(これ、当初は毛沢東の顔の向きなどに試行錯誤があり、正面向きで固定してからも毎年描きかえられてきたのか)や人民英雄紀念碑のレリーフなど。その一方、中国には明確な「対抗(カウンター)アート」が多数存在するということも本書から学んだ。書店で本書のページを開いたとき、これら毒にあふれた中国現代アートとパフォーマンスの迫力に心をつかまれて、私は本書を買ってしまったのである。個人的には王勁松の『天安門前』とか洪東禄の『チュンリー』とか、明るい毒のある作品が好き。

 あらためて述べておくと、著者ウー・ホン(巫鴻)は、中華人民共和国の建国(1949年)少し前の生まれと思われる(1955年に北京郊外の小学校四年生だった、と文中にある)。本書は、客観的で学術的な記述の間に、ところどころ著者の私的な回想の断章が挟まれている(両者は視覚的なレイアウトで区別できる)。「大躍進」を背景に原始的な溶鉱炉で鉄を溶かすことに夢中になった中学時代。国慶節パレードの興奮。ソ連展覧館の感動。「ソ連の今日は、われらの明日」だった時代。客観的にはイデオロギーとプロパガンダに支配された時代であっても、少年時代の思い出には独特の甘酸っぱさがつきまとう。そして、文化大革命の恐怖と憂鬱。中央美術学院の学生だった著者は「人民の敵」と認定される。刑務所生活を経て、1972年に北京に帰った著者は、故宮博物院の職員としてしばらく紫禁城の内で暮らした。1976年、天安門広場に周恩来首相を哀悼する人々が集まったときは、著者もその中にいた。1979年、渡米し結婚。1989年の天安門事件をアメリカで知る。こうした著者の個人的な閲歴は、時系列のとおりには語られない。まず主題としての天安門広場があり、学術的なアプローチに応じて、明るい幼年時代や、つらく苦しい文革時代の思い出が、ランダムにフラッシュバックする。

 1977年1月、中国歴史博物館で周恩来の命日を記念する写真展覧会が開かれた。前年の天安門広場における大衆集会「四・五運動」は反政府運動というレッテルを貼られたままだったが、展覧会(政府後援)の最後の部分に約20枚ほどの大衆集会の写真が掲示されていた。このエピソードは著者の「回想」部分で語られてるが、自分の抱いた感情については注意深く言及を避けている。にもかかわらず、抑制された叙述からは、抒情とも憂愁ともつかない文学的な情緒が流れ出していて、現代中国の良質な映画を見ているように感じた。

 1989年の天安門事件(六・四運動)のあと、中国の外に住む何人かのアーティストは迅速に反応した。劉虹の『トラウマ』も印象的な作品。これは大きな壁画らしいので、実物を見ると感じがまた違うだろうな。その後は冷笑的なアーティストと、学生デモの悲劇を深刻に受け止め続けるアーティストに対応が分かれていく。後者からは、奇想天外な(←ほめている)実験パフォーマンスの数々も生み出されている。巨大な権力、過酷な政治文化とアートの関係について、いろいろ考えることはあるけれど、まずはその一端を知ることができて、貴重な経験だった。
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憲法九条の活かし方/日本人が70年間一度も考えなかったこと(大澤真幸、姜尚中)

2016-01-04 22:51:19 | 読んだもの(書籍)
○大澤真幸、姜尚中『日本人が70年間一度も考えなかったこと:戦争と正義』(大澤真幸THINKING[0/オー]013) 左右社 2015.11

 年末なので、都心の大きな書店に行ってみると、いろいろ珍しい本を見つける。というか、地方都市に暮らしていると書籍の流通って不十分だなあ、ということを痛感した。本書は、2010年4月に創刊された大澤真幸さんの個人思想雑誌の13号にあたる。

 はじめに2015年8月14日に行われた姜尚中氏との対談を収める。国会ではまさに安保法案の審議(あれが審議と呼べるならば)が行われていた時期。対談のテーマは敗戦と憲法九条に集中している。ただし、二人の立場に大きな隔たりはないので、大澤真幸のモノローグに近い感じがする。対談のあと、二人で安倍総理の談話を聞いたそうだが、その感想は本書にない。それから、参議院で安保法案が可決された直後に執筆したという大澤真幸の論文一編を収める。これも主題は憲法九条である。

 著者は九条削除論に反対する。それは九条が敗戦の教訓のほとんど唯一の痕跡だからである。日本人は敗戦の事実を否認し、その意味を十分思考してこなかった。もし九条を削除してしまえば、日本人はますます完全に敗戦を無効化してしまうだろう。

 敗戦の否認には二面性があって、対アジア(中国、韓国、北朝鮮)に関しては、きわめて単純な拒絶である。だから、これらの国々が戦勝国として振舞うと一部の日本人は激怒する。対アメリカに関しては、さすがに「お前に負けたつもりはない」とは言えないが、アメリカを救世主とみなすことで敗北を否認している(何から救済してくれたのかは曖昧である)。しかし、これは「アメリカは日本に好意を持っている」という前提がなければ成立しない。うう、面倒くさいなあ。空想癖の抜けない小娘の脳内恋愛みたいだ。

 情けないのは政権側ばかりではない。九条を守りたいリベラル側も、日米関係は不問にしたいと著者らは指摘する。最大野党の民主党もアメリカにフラれたくないと思っている点は同じ。だから両者の議論は、急所を外しながらのボクシングでしかない。これはたぶん当たっている。そして護憲派は、日本人の血を流したくないとか、喧嘩に巻き込まれたくないという利己主義を唱える者になってしまった。社民党の失墜は「国民が護憲の自己欺瞞に付いていけなくなったから」って、姜氏もはっきり言ってしまっている。

 著者らは、この状況を変えるために、リベラル側が日米関係について抜本的に再考しなくてはならないと指摘する。沖縄に基地がなくてもいいと言えるのか。日米安保に頼らない平和と安全保障の選択肢はあるのか。アメリカと同盟していなければ平和はない、というのは標準的なリアリズムだが、「どうせ日本にできるのはここまでだ」という認識だけでよいのか。この夏、イランと西側主要国の核問題協議に努力したドイツの外交を例にあげて、政治の価値とは「不可能だと思われていたことが実は可能だということを人々に確信させることにあるのではないでしょうか」と論じているのが印象的だった。

 著者は一種の思考実験として、たとえば積極的中立主義というものを構想し、提案する。A国とB国が紛争状態にあるとき、どちらにも加担しないという従来の中立主義ではなくて、どちらも援助する(ただし非軍事的なものに限って)というアイディアである。政治をリアリズムで考える人からは一笑に付されるかもしれない。でも政治は、どこかでリアリズムを越えたものと接続していなければならないんじゃないかと思う。

 本書でも何度か言及されているカントの「永遠平和」論について、初めて聞いたときは馬鹿馬鹿しくて呆れてしまった。正直、哲学者の空理空論だと思った。しかし、このアイディアが参照され続けるのは、やっぱりそこに実質的な意味があるからだろう。我が国の憲法九条も、著者のいうように、放棄するのではなく、むしろ欺瞞から解放し純化することによって真価を高めることができるのではないかと思う。
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びっくりぽんな街歩き/大阪府謎解き散歩(橋爪紳也)

2016-01-03 23:33:08 | 読んだもの(書籍)
○橋爪紳也編著;大阪検定1級合格者+α、大阪旅∞チーム執筆『大阪府謎解き散歩』(新人物文庫) 中経出版 2013.4

 NHK朝ドラ『あさが来た』が面白い。10月の放送開始から(オンデマンドを使って)完走中である。11月に関西に出かける機会があったときは、ぜひ物語の舞台や関連の史跡めぐりをしてみたいと思ったのだが、もう少し物語が進んでからにしようと考えて、思いとどまった(無料配布の地図だけはGETしてきた→大阪「あさが来た」推進協議会が作成)。

 さて、1月の三連休には、大阪の文楽公演(嶋大夫の引退公演である)を聴きに行く。そのついでに、少し街歩きをしたいと思い、下調べのつもりで本書を読んでみた。内容は「風土・地理編」「歴史編」「文化・民俗編」など5章に分かれるが、章ごとのテーマはあまり明確でない。各章には10~20くらいの項目が収められている。各項目はカラー写真つきで2~4ページほど。編著者の弁によれば、他の都道府県では歴史学や郷土史の専門家が分担執筆しているケースが多いそうだが、本書は「なにわなんでも大阪検定」の上級合格者や、街歩きのアテンドをしているプロのガイドさんが執筆している。そのせいか、語り口がとっつきやすく、魅力的で面白い。

 歴史的に、古くは、なぜ「なにわ」と呼ばれたかという説明がある。「浪速(なみはや)」の転訛だというのは聞いたことがあったが、「魚庭(なにわ)」説もあるそうだ。大阪湾は「チヌ(黒鯛)」が多くいることから「茅渟(ちぬ)の海」と呼ばれたとか、記紀万葉の言葉だと思うがよく覚えていなかった。それから、難波宮の発見・発掘の話。仁徳天皇の高津宮はまだ特定されていないのか。堺の千利休屋敷跡は行ったなあ。家康の墓があるという南宗寺も。安倍晴明生誕地(阿倍野)は未見なので、今度行ってみたい。今年、話題になりそうな「真田丸」の位置については諸説あるそうだ。

 私の最近の関心でいうと、やはり近代史が面白い。大久保利通が大阪を日本の首都にする建白書を出していたというのは知らなかったなあ。今年の朝ドラにも出てこなかったし。その後、前島密が江戸遷都案を出したことで消えてしまったようだ。明治の一時期には大阪府が現在の奈良県を統合していたというのも初耳。しかし大阪の行政は人口の多い摂津・河内・和泉地方に重点投資され、大和国(奈良県)への支出は抑えられたので、奈良県復活の運動が進められたという。行政の思惑と住民の利害は一致しないというのは、今の大阪都構想を思い出すような話。

 御堂筋沿道のビルの高さは、もと31メートル(百尺以下)に統一されていたが、バブル期に50メートルに緩和された。橋下市政下でさらなる見直し検討が発表されたと本書は書いているけど、その後、どうなったのだろう。大阪府環状線が、建設の経緯や年代の異なる鉄道を組み合わせてパッチワーク的につくられたというのも興味深い。今でもその痕跡は随所に見ることができるそうだ。JR大阪駅のコンコースの床に「迷路」が描かれているというのも全然気づいていなかった。大阪人は誰でも知っているのかなあ。

 この数年は、けっこう大阪に出かけているので、本書を読みながら、これ見た!知ってる!と記憶がよみがえるものもずいぶんあった。たとえば、毎年10月1~8日に大阪水上バスの淀屋橋港の桟橋に開設される「ご来光カフェ」。この時期だけ、東方の生駒山系から昇る朝日が拝めるのだという。私はこの季節に大阪中心部のホテルに泊まって「ご来光カフェ」のポスターを見た記憶があるが、なんのことだか分からなくてスルーしてしまった。残念。それからミナミにある「大阪名物 五階」の看板も、なんだろうと呆れて見た気がする。

 食べ物関係の少し物足りなかった。もっと美味しいものは多数あるだろうにと思ったが、キリがないんだろうな。とりあえず「北極星」のオムライスは食べてみたい。心斎橋かー。
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