見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

成り上がりの軌跡/女帝 小池百合子(石井妙子)

2020-06-11 23:43:05 | 読んだもの(書籍)

〇石井妙子『女帝 小池百合子』 文藝春秋 2020.5

 めったに読まないベストセラー本を読んでしまった。5月半ばだったと思うが、神田の三省堂に行ったら、小池百合子の笑顔を表紙にした新刊書を見かけた。げっと思って素通りしてきたのが、その後、ネットに次々と感に耐えかねたような読者の感想が流れ、特に近藤大介氏が、著者の石井妙子氏にインタビューした長文記事(現代ビジネス2020/6/5)を読むに至って、ガマンできずに書店に走り、即日読了してしまった。

 小池百合子(1952-)は兵庫県の芦屋に生まれた。ただし「芦屋令嬢」のイメージには程遠い。父・勇二郎は、学生時代はスメラ塾(国家主義団体)の一員で、戦後は自民党右派の有名政治家に積極的に接近した。自ら選挙に出たこともあるが失敗。商売では中東の有力に近づき、石油で儲けようとした。そんな父の影響で、小池はエジプトのカイロへ留学することになる。

 著者は、カイロで小池の同居人だった早川玲子さん(仮名)への取材を通して、エジプト留学時代の小池の実像に迫ろうとする。少し年上の早川さんは、小池のわがままに振り回されながら、若い同居人を暖かく見守っていた。しかし小池がカイロ大学を卒業できたとは信じていない。にもかかわらず、帰国後の小池が「カイロ大学首席卒業」を看板にマスコミに就職し、政界に転じて大臣にまでなったこと、学歴詐称がささやかれてもカイロ大学がそれを否定し続けていることに、困惑と恐怖を感じているという。

 1976年に帰国した小池は、日本テレビ「竹村健一の世相講談」のアシスタント、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」のメインキャスターを経て、1992年、細川護熙が立ち上げた日本新党の候補者として政界入りする。そうなのかー私はテレビキャスター時代の小池は全く知らない。あまりテレビを見なかったせいもあるが、田丸美寿々、小宮悦子、宮崎緑などは覚えているので、当時の多士済々の女性キャスター勢の中で、小池は目立っていなかったと思う。しかし、そこからの「のし上がり」方はすごい。

 細川政権で総務政務次官をつとめ(日本新党)、細川下ろしに加担、小沢一郎に接近し(新進党)、また離反、小泉外交を批判(保守党)していたかと思えば、自民党入りし、郵政選挙で小泉のための刺客をつとめる。あらためて閲歴をたどると無節操ぶりがすごい。小池にとっては、より高い地位に立ち、華やかなスポットライトを浴びることが重要で、政治家としてやりたいことがあるわけではない、というのはよく分かる。ただ、クールビズとか打ち水とか、イメージ戦略は巧いし大好きだ。そして、ちょっと見栄えのいい女性政治家に、オジサンたちがころころ転がされる図は芸術的で、感嘆する。ただし、安倍晋三首相は小池百合子を苦手にしている、という記述に笑ってしまった。安倍首相に共感したのは初めてである。

 興味深いのは、オジサンばかりでなく、物事をわきまえているはずの中高年女性たちも、しばしば小池に騙されることだ。アスベスト被害者の家族の会の女性とか、築地女将さん会の女性とか。築地のおかみさんが「女性だからと信じてしまった」と歯噛みしているのが印象的だった。気持ちは分からなくもない。そのくらい、この国の男女の溝は深いのである。4年前の都知事選挙のとき、私はまだ茨城県民で投票権がなかったが、身近にいた、比較的仕事のできる女性が「小池さんがいい」というのを、黙って死んだ目で見ていた。

 なお、本書は「カイロ大学卒」という嘘が、嘘(あるいはパフォーマンス)で固めた小池の人生の起点になっていると考える。さらに遡ると、小池は生まれつき顔に赤いアザがあり、アザを隠すこと、アザを気にしていない振りをすること、期待される人格を演じることが習い性になっているのではないかと推察する。興味深い解釈だが、眉唾な感じもする。それよりも印象に残ったのは、早川さんの証言の中で、小池が「よくエジプト人なんかと付き合えるわね」と露骨に蔑み、嫌がっていたこと。都知事である今の姿勢と、見事に一貫しているなと思った。

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おもてなしのレガシー/客室乗務員の誕生(山口誠)

2020-06-09 21:49:28 | 読んだもの(書籍)

〇山口誠『客室乗務員の誕生:「おもてなし」化する日本社会』(岩波新書) 岩波書店 2020.2

 客室乗務員とは、旅客機の客室において乗客への接客サービスに従事する乗務員。私が子どもの頃はスチュワーデスと呼ばれ、女子の憧れの職業だった。今は「CA(シーエー)」という呼称が定着しているそうだが、もとの「キャビン・アテンダント」が和製英語であることを初めて認識した。

 客室乗務員が初めて日本の空を飛んだのは1931(昭和6)年春で、アメリカのスチュワーデスの初飛行と10か月しか違わない。アメリカでは、エレン・チャーチという飛行機好きの女性が、スチュワード(男性乗務員)に代わって、看護師の資格のある自分を雇うことをボーイング・エアトランスポート社に提案し、実現させたものだった。チャーチは7人の仲間を誘い、世界初のスチュワーデス(オリジナル・エイト)として旅客機に乗り込んだ。

 日本のエアガールの産みの親は、東京航空輸送社の相羽有で、世間の好奇と「エロ」のイメージを裏切って、高等女学校卒の教育エリートの少女たちを採用した。仕事は飲食給仕と機窓の名所案内だった。しかし、生計を維持できない安月給に悲嘆した彼女たちは、次々に辞職してしまう。

 日本の空に転機をもたらしたのは戦争で、国策会社のもとで、エアガールも増員され、愛国心に満ちた先端的な職業婦人のイメージを喧伝していく。しかし長引く戦争で航空燃料や機材が枯渇すると、エアガールはいったん日本の空から消滅する。

 敗戦後、しばらくの間は、すべての飛行、航空技術の研究開発が禁じられた。1951年1月、民間航空の禁止を解除するGHQの方針が示され、藤山愛一郎を代表とする日本航空が誕生する。戦後初のエアガール募集は100倍を超える倍率で、良家の才媛、さらに英会話が条件とされたことから進駐軍関係者が多かったという。

 やがて国際線に就航した日本航空は、パンナムをはじめとする強力なライバル会社と国際競争を争うことになる。アメリカの「訓練された客室兵」に対して、同社は、着物、おしぼり、幕の内弁当など「日本調のサービス」を次々に開発し、売り物にしていく。うーむ、「きめ細かい日本調サービス(おもてなし)」のルーツはここにあったのか。いや、淵源はもっと遡れそうだが。著者いわく、「欧米のアジアに対する偏見を内包したオリエンタリズムのまなざしを自ら身にまとうこと、いいかえればセルフオリエンタリズムの『着物サービス』をあえて主体的に実演することによって、国際線の後発組としての活路を見出していった」。その着物は、客室乗務員が好みの図柄を選ぶことができたが、ただ一つ、天皇家に由来する菊をあしらった意匠であることが規則だったという。

 1970年は大阪万博の年だが、ジャンボジェットの登場が「空の旅」のありかたを一新した年でもあった。飛行機旅行の大衆化とともに、客室乗務員の不足から、採用条件が大幅に緩和された。しかし、たちまち新たな状況が出現する。万博以後、「モーレツからビューティフルへ」「ディスカバー・ジャパン」現象によって鉄道旅行がブームになり、オイルショック、多発するハイジャック、成田闘争など、日本の航空会社は苦境に立たされる。

 一方、1970年代後半から80年代にかけて、客室乗務員の意識やイメージもじわじわと変わっていく。「未婚条項」(そうだ、そういう時代だった)が撤廃され、昇進制度も改善され、長く勤めるスチュワーデスが増えていく。また「容姿端麗」でも「良家の才媛」でもなく、厳しい訓練と実務で磨かれた「マナーの専門家」のイメージが定着していった。ここまでは分かるのだが、「マナーの達人」が即ち「自分磨きの達人」に変換されるのが、私にはよく分からない。

 よく分からないのだが、解説によれば、CAが先導する日本の「おもてなし」は、自身の品格を磨くために対価を求めない無償奉仕である。否、個人的な「自分磨き」を超えて、「美しさ」や「豊かさ」などの集合的で伝統的な審美的な価値に向けて、終わりなき同化に励み続けることが期待されるという。気持ち悪い。著者のせいではないが、これでは日本の「おもてなし」は、集合的で伝統的な価値を共有しない人々に対して効力を持たないのではないだろうか。

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少しずつ再開/東京国立博物館・常設展

2020-06-08 21:29:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 常設展(2020年6月2日~)

 2月27日から6月1日まで休館していた東博が、ようやく再開したので行ってみた。最後に行ったのは、2月初めに『出雲と大和』展を見に行ったときだと思う。長かったなあ。

 当面はオンラインによる事前予約制になる。10:30から1時間刻みの指定。前日に申し込もうと思ったら、午前中は完売だったので、14:30を申し込んだ。メンバーズパスなど、各種無料券を持っている場合でも事前予約をしなければならない。入館時に検温あり、マスク着用は必須である。

 ちゃんと案内を読まずに常設展は全て開いたのかと思っていたら、まだ一部だけだった。本館は1階の11(彫刻)12(漆工)13(金工・刀剣・陶磁)16(アイヌと琉球)18(近代の美術)室のみ。14(特集)15(歴史の記録)室はカラで、通り抜けるだけだった。15室の、いつも古写真を支えている展示具がむき出しになっていて、内部はこうなっているのか…と興味深く眺めた。

 11(彫刻)室を入って最初にいらしたのは、鎌倉時代の端正で美麗な菩薩立像。東博を代表する名品である。振り返ると、見覚えのある平たい影が目に入った。飛鳥時代の木造の菩薩立像で、2階「日本美術の流れ」の「飛鳥・奈良」に展示されていることが多く、彫刻の部屋で見るのは初めてのような気がした。このほか、鎌倉時代のやはり美麗な愛染明王坐像、文殊菩薩騎獅像および侍者立像セットなど、東博リピーターにはおなじみの仏像が並ぶ。

 確か2月には、この部屋に室生寺の釈迦如来坐像と十一面観音菩薩立像、地蔵菩薩立像がまだいらしたように思う。昨年夏~秋の特集『奈良大和四寺のみほとけ』が終わったあとも、室生寺の仏さまだけは残っていらして、年末も年始も、あ、まだいらっしゃる、と嬉しく眺めていたのだ。新型コロナ騒ぎの中でそっとお帰りになったのだろうか。室生の里に無事にお着きだとよいのだけれど。

 ほかの部屋も、だいたいおなじみの作品が多かった。18(近代の美術)室で今村紫紅の『熱国之巻(朝之巻)』を見ることができたのは、とびきり嬉しかった。あと、中村彝筆『海辺の村(白壁の家)』がよかったなあ。明治の洋画はなんでもない風景画が好きだ。

 東洋館は休館中、平成館の「日本の考古」は次回にして、法隆寺宝物館(1階のみ開館)を眺めて帰った。伎楽面の部屋(金・土のみ公開)を見たのは久しぶりかもしれない。

 東洋館は6月24日再開。本館2階については再開の情報がまだない。展示替スケジュールなど、いろいろ調整が必要なんだろうなあ。※参考:2020年度国宝室スケジュール(WANDER 国宝)

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この人この作品/奇才 江戸絵画の冒険者たち(江戸東京博物館)

2020-06-06 23:30:17 | 行ったもの(美術館・見仏)

江戸東京博物館 特別展『奇才-江戸絵画の冒険者たち-』(2020年6月2日〜6月21日)

 ほぼ3か月ぶり、自粛明け初の展覧会を見て来た。北は北海道から南は九州まで、全国から奇才絵師を集め、その個性溢れる作品を紹介する。登場する絵師は、「京」俵屋宗達、尾形光琳、狩野山雪、伊藤若冲、円山応挙、長澤蘆雪、曽我蕭白、池大雅、与謝蕪村、祇園井特、狩野永岳。「大坂」中村芳中、耳鳥斎、林閬苑、墨江武禅。「江戸」葛飾北斎、加藤信清、谷文晁、鈴木其一、狩野(逸見)一信、歌川国芳。「諸国」蠣崎波響、菅井海関、林十江、河鍋暁斎、佐竹蓬平、高井鴻山、白隠、田中訥言、岩佐又兵衛、浦上玉堂、絵金、仙厓、片山楊谷、神田等謙。だいたい知っている顔ぶれである。

 ただし会期が短縮された影響で、浦上玉堂と神田等謙の作品の展示はなし。1作品か2作品だけという絵師も多かったので、このひとはこれで来たか!?という選択に賛同したり首を傾げたりするのも楽しかった。曽我蕭白の1点が『楼閣山水図屏風』(近江神宮)の左隻(金山寺)だったのは嬉しかったなあ。琵琶湖文化館の、人の少ない冷え冷えした展示室で向き合ったことが忘れられない。祇園井特は3点とも知らない作品だった。『公卿と官女図屏風』は千葉市美術館所蔵。まだデロリの雰囲気は控えめ。そして本居宣長の肖像画『鈴屋大人像』『本居宣長七十二歳像』2点があるのを初めて知った。撫で肩、細面の柔和な学者顔だが、高い鼻が意志の強さを表しているように思える。

 中村芳中についての解説「一見ヘタウマの愛嬌ある画風は、ようやく近年になって受け入れられ、コアなファンが多い」には笑ってしまった。そうか?私、コアなファンなのか。墨江武禅の『月下山水図』は、すぐに記憶がよみがえった。2009年と2012年に府中市美術館で見ているようだ。「中景から近景に到る神経を逆なでするような描写」という解説は、この作品のことだろうか。やはりモノクロの『雪中図』、西洋の淡彩写生画のような『花鳥図』もよかった。

 葛飾北斎は西新井大師總持寺の『弘法大師修法図』でテンションがダダ上がりする。黒い背景に浮かぶ赤鬼の異様な迫力。小布施の祭屋台の天井絵『女浪』と『鳳凰図』が来ていたのも嬉しかった。小布施の北斎館に行ったのは、もう何年前になるだろうか。

 ボスやブリューゲルを思わせる、独特の妖怪画を墨画や著色で描く高井鴻山は信州・小布施の生まれ。北斎を小布施に招いた人物であることを初めて知った。彼の作品は、2016年に江戸博の『大妖怪展』で見ていた。田中訥言は抽象化をきわめた金地面屏風『日月図屏風』(名古屋市博物館)1点だけだが、見る価値があった。ほっこりした大和絵の絵師だと思っていたのでイメージを裏切られた。水戸の林十江も好きな画家なので、取り上げていただき、ありがとうございます。そして絵金の屏風が4点!土佐の絵金が東京で見られるなんて(しかも図録の表紙になっている!)なんと夢のような幸せ。

 ところで、本来なら展示を予定されていた作品は約230件。図録を見ると、うお、こんな作品もあんな作品も展示予定だったのか!と唸る。監修者の安村敏信先生、さぞ残念なことだろう。このラインナップなら全作品見るために、たぶん3回は通っていたところだ。同じように多数の絵師を紹介した展覧会に、2018年、千葉市美術館の『百花繚乱列島-江戸諸国絵師(うまいもん)めぐり-』があったことは、時々思い出していた。重なる絵師も、重ならない絵師もいるのが興味深い。

 しかし新型コロナ騒ぎがなければ、もっとお客が殺到して、ゆっくり見られなかったのではないかと思う。入館時は検温、会場内はマスク着用必須だった。会話が制限されているので、会場内が静かなのもよかった。しばらくこのままでもよいな。

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固い体制と長い衰退/陸海の交錯(檀上寛)

2020-06-03 23:17:18 | 読んだもの(書籍)

〇檀上寛『陸海の交錯:明朝の興亡』(シリーズ中国の歴史 4)(岩波新書) 岩波書店 2020.5

 中国四千年の歴史を5巻にまとめた本シリーズの中で、わずか三百年の明代(1368-1644)に1巻を費やすのは、普通ならおかしい。しかし1-3巻で「中華と夷狄」「華北と江南」「草原を含む大陸中国と沿海部の海洋中国」のせめぎ合いを見てきた読者なら、ここでいったん「小括」が必要なことは理解できるだろう。

 加えて、グローバルな視野でいえば、地球規模の気候の寒冷化に伴う世界的な経済の停滞と収縮、災害、飢饉、社会動乱や戦争が続けざまに起こったのが14世紀と17世紀であるという(最近読んだ『ペスト大流行』によれば、14世紀と17世紀に世界規模のペスト大流行が起きたことも想起される)。明とは、14世紀と17世紀という二つの危機の間に存在した王朝なのだ。

 まず、14世紀、明の太祖洪武帝・朱元璋は、きわめて窮屈な固い体制(明初体制)をつくり出すことによって、元末の混乱と危機を乗り切った。官僚機構については、大獄・粛清・弾圧を繰り返してこれを弱体化させ、皇帝への権力集中を徹底した。民間に対しては、在地の地主が農民を管理する里甲制を全国に施行した。また、科挙の受験資格を官立学校の学生に限ることで、これまで社会(郷党)に軸足を置いていた「士」身分が国家の側に取り込まれることになった。身分の固定化による秩序維持は、一面では元末の混乱に疲弊していた社会の側から要請されたものでもあった。

 明朝初期の最大の課題は、江南地主の影響の大きい南人政権から脱却し、南北同等支配を実現することだった。そのため朱元璋は、南北両京制度、文教面での南北格差改善、北人の官吏優先採用などさまざまな施策を用いている。税の現物納入義務付け、大明宝紙鈔(不換紙幣)の発行も、江南における銀の流通抑止を目的とした経済政策だった。

 なお、元明革命を民族革命とみなすこともあるが、朱元璋は一度として漢民族国家の復興を主張したことはなく、彼が唱えたのは「中華の回復」であるというのは重要な指摘だと思う。また朱元璋は、中華の天子として華夷統合、国際秩序の確立にも意欲を示したが、民間の海外貿易を厳しく禁じつつ国家間では熱心に朝貢を求めるという「海禁=朝貢システム」はうまく作動せず、次第に内向きになる。朱元璋の事業を継続したのは永楽帝で、国内的には北京遷都を成し遂げ、国際的にはモンゴル・オイラートを臣従させ、ベトナムを内地化し、「華夷一家」の真天子としての面目を確立した。

 しかし明初体制はたちまち弛緩・動揺して、短い明中期が過ぎる。印象的なのは「これほど無軌道で支離滅裂な皇帝はいない」と言われる正徳帝と、その合わせ鏡のような思想家・王陽明。

 そして長い「明末」が始まる。一般に嘉靖帝(1522-66)以降を明末と呼ぶそうだが、滅亡まで、まだ皇帝6人、1世紀を超える期間が待っているのだ。その間には、一時的にせよ真面目に政務に取り組んだ皇帝もいたし、首輔大学士・張居正(秦の始皇帝と太祖・朱元璋の信奉者だったといわれる)による改革・財政再建の試みもあった。しかし全体としては、長い長い下り坂を滑り落ちてゆく感じ。どこまで行っても決定的な破綻が来ないのがつらい。中国史の中で、いまの日本の状況にいちばん似ている時代ではないかと思う。

 明の衰退を決定づけたのは、無軌道な贅沢を続けた神宗・万暦帝で「明の亡ぶは実は神宗に亡ぶ」という評語が『明史』にあるそうだ。末代皇帝の崇禎帝は比較的ましなイメージがあったが、筆者によれば、疑い深く短気で忍耐心に乏しいことが致命的な欠点だったという。成果が上がらない官僚を取っかえひっかえするので、さらに現場が混乱するって、身近に思い当たりすぎる話だ。なお、凡庸と考えられていた嘉靖帝の治績が、最近少し再評価されているというのは面白かった。

 こんな未来のない王朝でも「日常が続く」ことに価値はあるもので、本当に明が滅亡したときの社会の動揺、特に官僚・知識人が受けた衝撃は大きかった。このあとに来る清朝は、基本的に明の専制体制を受け継ぎつつ、国内的にも国際的にも、明の「固い体制」を排して「柔らかい体制」へと軌道修正を図ったとされる(岸本美緒氏の表現)。その結果、さらに約三百年の専制体制が続くわけだが、清の統治政策がもっと拙劣だったら、中国はもう少し早く近代にジャンプしていたかもしれないと想像した。

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2020新型コロナ禍・行かれなかった展覧会(続)

2020-06-01 18:23:16 | 行ったもの(美術館・見仏)

 5月8日に記載した「行かれなかった展覧会」の続報を書いておく。

◇【開催中止】国立歴史民俗博物館 企画展示『昆布とミヨク-潮香るくらしの日韓比較文化誌』(2020年3月17日~5月17日)

◇【開催中止】東京国立博物館 ユネスコ無形文化遺産 特別展『体感! 日本の伝統芸能-歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界-』(2020年3月10日~5月24日)

◇【開催中止】東京藝術大学大学美術館 御即位記念特別展『雅楽の美』(2020年4月4日~5月31日)

◇【開催中止】国立科学博物館 特別展『和食~日本の自然、人々の知恵~』(2020年3月14日~6月14日)

 たぶん無理だろうと予想していた展覧会の中止が続々決まった上に、緊急事態宣言が解除されたらすぐ開くだろうと気楽に考えていた、小さい美術館もなかなか開かない。小規模だから、対策が難しいのだろうか。だいたい7月以降の開館を目指している雰囲気である。

◇【開催中止】根津美術館 特別展『国宝燕子花図屏風-色彩の誘惑-』(2020年4月18日~5月17日)

◇【開催中止】根津美術館 企画展『茶入と茶碗-「大正名器鑑」の世界-』(2020年5月30日~7月12日)

◇【開催中止】三井記念美術館『知られざる芸術と文化のオリンピック展』(2020年4月24日~6月16日)

◇【開催中止か?】五島美術館 開館60周年記念名品展I『筆跡の雅び-古筆・古写本・近代書跡-』(2020年4月4日~5月10日)

◇【開催中止か?】五島美術館 開館60周年記念名品展II『絵画の彩り-歌仙絵・水墨画・日本画-』(2020年5月16日~6月21日)

 開催期間が変更になった展覧会も多い。大きく後ろ倒しになったものもあるが、江戸博の『奇才』展は会期の大幅短縮になってしまった。絶対面白い展覧会なのに、次回展が決まっているから動かせないのかな?と思ったら、このあと山口県立美術館(夏)、あべのハルカス美術館(秋)への巡回があるためらしい。作品の展示替え情報をチェックして、できれば巡回展にも遠征したいものだ。

◇【開催期間変更(短縮)】江戸東京博物館 特別展『奇才-江戸絵画の冒険者たち-』(2020年4月25日〜6月21日)→(2020年6月2日〜6月21日)

 東博は『きもの』展の会期を確保したのはいいが、『聖林寺』『鳥獣戯画』が大幅延期になったことにびっくりした。私は東博のメンバーズプレミアムパスの特別展鑑賞券をまだ1枚残していて、期限が7月初めなのだが、臨時休館期間96日分延長してくれるそうだ。

 奈良博のプレミアムカードも期限を延長してくれるらしいが、こちらはもっぱら特別展鑑賞のために買ってあるので、『毘沙門天』も『よみがえる正倉院宝物』も見られないとすると、ちょっとがっかりである。まあ、こんなこともあると思っているけれど…。

◇【開催期間変更】東京国立博物館 特別展『きもの KIMONO』(2020年4月14日~6月7日)→(2020年6月30日~8月23日)

◇【延期/未定】東京国立博物館 特別展『国宝 聖林寺十一面観音-三輪山信仰のみほとけ』(2020年6月16日~ 8月31日)→1年ほどの延期を予定

◇【延期/未定】東京国立博物館 特別展『国宝 鳥獣戯画のすべて』(2020年7月14日~8月30日)→2021年春を予定

◇【延期/未定』奈良国立博物館 御大典記念特別展『よみがえる正倉院宝物-再現模造による天平の技-』(2020年4月18日~6月14日)

 そのほか、開催期間の変更が公表されている主な展覧会は以下のとおり。大和文華館は『コレクションの歩み展 II』を5月30日~7月5日に開催し、『同I』をその後に開催するという「奇策」に出た。忙しいけど、どちらも行きたい! 6月末なら関西旅行ができるだろうか。心配だなあ。

◇【開催期間変更】大和文華館 大和文華館開館60周年記念『コレクションの歩み展 I』(2020年4月10日~5月17日)→(2020年7月10日~ 8月16日)

◇【開催期間変更】京都国立博物館 西国三十三所草創1300年記念特別展『聖地をたずねて-西国三十三所の信仰と至宝-』(2020年4月11日~5月31日)→(2020年7月23日~9月13日)

◇【開催期間変更】大阪市立東洋陶磁美術館 特別展『天目-中国黒釉の美』(2020年4月25日~8月16日)→(2020年6月2日~11月8日)

◇【開催期間変更(延長)】中之島香雪美術館 企画展『茶の湯の器と書画-香雪美術館所蔵優品選』(2020年6月13日~8月10日)→ (2020年6月13日~8月30日)

 「延期」後の日程が未公表の展覧会も多くて、気がかりである。

◇【延期/未定】日本民藝館 特別展『洋風画と泥絵 異国文化から生れた「工芸的絵画」』(2020年3月31日~6月14日)

◇【延期/未定】MIHO MUSEUM 『MIHO MUSEUMコレクションの形成-日本絵画を中心に-』(2020年3月14日~6月7日)

◇【延期/未定】京都京セラ美術館 館開館記念展『京都の美術 250年の夢.第1部 江戸から明治へ:近代への飛躍-江戸の綺羅星(スーパースター)から明治の京都画壇へ』(2020年4月18日~6月14日)

◇【延期/未定】永青文庫 財団設立70周年記念『新・明智光秀論-細川と明智 信長を支えた武将たち-』(2020年4月25日~6月21日)

 今後、大規模な展覧会は基本的に予約制か、1日当たりの人数制限制にしてもよいと思っている。そのほうが入館者にとっては快適だろう。しかし、日本の美術館や博物館の場合、入館者数が減ると経営が厳しくなるんだろうなあ。つらい。

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