見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2023年11月関西旅行:いぬねこ彩彩(大和文華館)、正倉院展(奈良博)

2023-11-15 22:46:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別展『いぬねこ彩彩(さいさい)-東アジアの犬と猫の絵画-』(2023年10月7日~11月12日)

 関西旅行初日、京都から移動して奈良方面へ。本展観では、中国、朝鮮半島、日本における、12~20世紀に制作された犬図・猫図を通して、東アジアにおける多彩な動物画の一様相を紹介する。2018年の特別企画展『生命の彩-花と生きものの美術-』を見逃したことを激しく悔やんでいたので、本展は絶対見に来ようと思っていた。冒頭、白っぽい画帖が出ていると思ったら、八大山人の『安晩帖』でびっくりした。第9図「猫図」である。これは見覚えがある、と思って記録を探ったら、2011年に泉屋博古館の『住友コレクションの中国絵画』で見ているらしい。以前、『安晩帖』の実見した図を数えたときは落としていた。全20図のうち、まだ「2.瓶花図」「4.山水図」「6.魚図」「7.叭々鳥図」「9.猫図」「10.蓮翡翠図」「12.冬瓜鼠図」しか見たことがないのだ。このネコちゃん、背中を丸めた黒白ブチなのか、2匹いるのか判然としない。ふわふわした丸顔はちょっとブサカワ系。八大山人は、もう1点『睡猫図』(久保惣記念美術館)という初見の作品を見ることができた。丸木のように細長い岩の頂上で眠る猫。黒白ブチの柄が岩と一体化している。

 伝・李迪筆『狗図』は、前向きにうずくまる子犬と、背中を向けて寝そべり見返るポーズの子犬の2幅がセット。どちらも小さな画面に子犬だけを大きく描く。図録の解説によれば、明時代の模本である可能性も高いとのこと。しかしこの2匹のポーズは、かわいい子犬を描く定型表現として広まっていく。今春、府中市美術館の『江戸絵画お絵かき教室』でも同様の指摘がされていたと記憶する。蘆雪の足投げ出しわんこも、この伝・李迪筆『狗図』のバリエーション(正面を向かせてみた)ではないかと思う。

 ネコ図では、明・宣宗皇帝筆『麝香猫図』に再会できて嬉しかった。昨年、神戸市博の『よみがえる川崎美術館』で見て、あっけにとられた作品である。額に黒い斑点を載せた、愛嬌たっぷりのネコ。同じように額に黒い斑点・黒い尻尾を持つ白猫が丸くなってうずくまる作品『「徽宗皇帝猫」模本』(狩野惟信『唐画手鑑』より)は初めて見た。こちらは金目でちょっと顔がおじさんぽくて怖い。解説に「この原図とみなせる、水戸徳川家に伝来していた伝徽宗『猫図』は、現在も伝わっている」とあった。しかし残念ながら原図は本展には出ていなかった。見たいなあ…。中国絵画では、清末や民初の猫図が可愛くて魅力的だったことを覚えておきたい。

 日本絵画は、応挙、蘆雪、若冲、蕪村など(みんなイヌ図)を見ることができた。宗達のウナギイヌみたいな黒白わんこも来ていた。

奈良国立博物館 特別展『第75回 正倉院展』(2023年10月28日~11月13日)

 近鉄奈良駅に着いたのは午後4時頃。今夜は奈良(新大宮)泊で、2日目の朝イチに正倉院展を見る予定だったが、奈良博に行ってみる。「奈良博メンバーシップカード」では、同じ特別展を2回まで見ることができるのだ。今日は下見をして、明日また見に来てもいいと思って入館することにした。今年は(メンバーシップ会員は)事前予約が免除されているのもありがたい。

 会場内は、ちょっと驚くくらい空いていて、第1展示室からゆっくり見ることができた。今年の見ものは『楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんのそうのびわ)』だろう。撥受けに「騎象奏楽図」が描かれたものだ。天平のむかしを偲ぶというより、国際都市・長安に思いを馳せてしまう。『九条刺納樹皮色袈裟(くじょうしのうじゅひしょくのけさ)』は見たことがあるように思ったが、奈良博サイトの「出陳宝物一覧」によれば、前回出陳は1999年とのこと。「天皇として史上初めて出家し」と解説にあって、まあそうなんだけれど、聖武天皇としては、中国の皇帝の先達に倣う気持ちだったんじゃないかなと思う。

 『尺八』や『横笛(おうてき)』など礼楽関係の資料は、地味だけど興味深い。『唐古楽安君子半臂(とうこがくあんくんしのはんぴ)』など、大型の布製品が目立っていたのは、進化した保存・修復技術の成果ではないかと思う。『布作面(ふさくめん)』も2件出ていた。シックな『斑犀如意(はんさいのにょい)』の美しさは、高貴な大人の持ちものを思わせる。柄に「東大寺」の刻銘あり。これは、翌日、法華堂を拝観した折に思い出すことになる。

 文書類は、東大寺開山・良弁僧正1250年御遠忌にあわせてか「良弁」の署名のあるものが多数出ていた。個人的に嬉しい驚きだったのは「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」で、現在の東京都葛飾区と江戸川区付近を本拠地とした人々の戸籍だという。私は江戸川区の小岩の生まれで、小学校の社会科(郷土の歴史を学ぶ授業)で「小岩」はむかし「甲和里(こうわり)」と呼ばれていたと習った記憶があるのだが、その「エビデンス」を見たことは一度もなかった。それが、目の前の正倉院文書の冒頭に「甲和里」の文字があったのである。小学校で教わった先生の顔が浮かんで、感動してしまった。

 1時間くらい参観して、私が会場を出るとき(17時過ぎ)はまた混んでいたので、ラッキーな時間帯に入ったのかもしれない。仏像館もひとまわりして、旅行初日の日程を終えた。

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2023年11月関西旅行:東福寺(京博)、東寺宝物館

2023-11-13 21:05:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 特別展『東福寺』(2023年10月7日~12月3日)

 春に東博で見た展覧会だが、もう一回見て来た。はじめは開山の聖一国師・円爾と、その師匠である無準師範を中心に東福寺創建の歴史を振り返る。東博の展示構成も同じだったと思うのだが、京博のほうが雰囲気が落ち着いていて頭に入る。国宝の『無準師範像』(東福寺像、南宋時代)を見ることができたが、ちょっと俳優の王勁松さんに似てる、と思った(ちなみに無準師範像にはいろいろあるので、この肖像画限定である)。見た感じこわもての円爾さんは、非常に弟子たちから慕われた。円爾が収集した書籍には「普門院」の印が見られるという。古典籍ではよく見る印だが、円爾と結びつけたことがなかったので驚いた。無準師範と円爾、それぞれの遺偈を見ることができたが、どちらも禅僧らしい筆跡と内容でしみじみよかった。師弟の絆は臨終のときまで途切れないのだな。

 展示空間としては、1階の彫刻ギャラリーが楽しかった。中央には巨大な本尊・釈迦如来の実物大バナー。その前に置かれた『朱漆塗牡丹唐草文透彫前卓』がまたデカい。舶来品ではなく日本製らしい。釈迦如来の左右に迦葉・阿難立像、その外側に金剛力士立像、さらに外側に二天王立像。夏に「東福寺先行展示」で二天王立像を見たときは、控えめな和風の仏像と並んで、やや違和感を醸し出していたが、今回は全体が豪快でエネルギッシュな「東福寺カラー」一色でわくわくした。

 東博で見どころの一つだった虎関師錬の『虎一文字』は、ここでも見ることができた。ミュージアムショップでは、胸に大きな『虎一文字』(動物の虎に見える漢字一文字)を配した黄色いTシャツが、「アレ」(阪神タイガース優勝)記念にお薦めされていて笑ってしまった。猫がいることでも有名な『大涅槃図』は、部分複製のバナーしか展示されていなくて、なんだ、本物は来ないのかあ、と思ったら、いま東福寺で令和の大修理完成記念・特別公開(2023年11月11日~12月3日)をされているらしい。紅葉の時期だし、混むだろうなあ。

東寺(教王護国寺)宝物館 真言宗立教開宗1200年記念『東寺の宝物をまもり伝える-修理の軌跡、継承の志-』(2023年9月20日〜11月25日)

 東寺は2023年に真言宗立教開宗1200年を迎えるにあたり、2010年に発願し、10年以上にわたって境内一円の史跡整備、建造物・絵画・彫刻・工芸品・古文書などの修理をおこなってきた。本展ではその修理の成果を一挙公開しており、文書や彫刻に「ここを修理した」という解説が加わっているのが面白かった。特別公開の弘法大師尺牘『風信帖』には、もと5通あったが1通は盗まれ、1通は豊臣秀次に召し上げられて3通が伝わった、という解説があって、どんな顔をしていいものか、困った。

 なお、宝物館の千手観音像の足元には、2021-22年度に修理された夜叉神像2躯も展示されていた。このまま宝物館に常駐になるのかな。保存のためにはそのほうがよいのかもしれない。ちなみに夜叉神堂の扉の貼り紙は「雄夜叉神立像は修理を終えて宝物館に御遷座しています」「雌夜叉神立像は修理のため御遷座しています」のままだった。宝物館の千手観音立像は、戦前、火災に遭ったが旧国宝の指定は解かれず、修理を経て再び重要文化財の指定を受けた。修理は大事、という気持ちで館内の諸像を眺めた(食堂の四天王像にも会ってきた)。

 京都はこれだけにして、慌ただしく奈良へ向かう。

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2023年11月関西旅行:奈良・陰陽町

2023-11-12 22:50:26 | 行ったもの(美術館・見仏)

 週末に有休を1日足して、関西大旅行(京都~奈良~大阪~和歌山)をしてきた。2日目は朝から奈良博の正倉院展を見るつもりだったが、1日目にうまく見ることができてしまったので予定変更。先月、歴博の展示『陰陽師とは何者か』を見て以来、ずっと気になっていた奈良町の陰陽町(いんようちょう・いんぎょまち)を訪ねてみることにした。

 場所はGoogleマップですぐに見つかる。元興寺の南西あたりなので、猿沢の池の西側、柿の葉寿司の平宗の前の道(伊勢街道)をぶらぶら南下する。久しぶりに歩く懐かしい道だが、ずいぶん新しい住宅やお店が増えていた。バスも通る「ならまち大通り」で一区画西に進んで、さらに南下。このあたりは脇戸町・高御門町で、しばらく行くと再び西に入る道があるはずなのだが、一度は見逃して通り過ぎてしまった。慌てて戻って、陰陽町の入口となる細道を見つける。なんだか住宅街の中の隠れ里みたいである。

 陰陽町は、このわずか100メートルほどの細道(西側は下り坂になる)と、真ん中あたりで南に向かう袋小路(歩いてみたが抜けられなかった)のT字路を囲む一画なのだ。

 T字路の要の位置に鎮宅霊符神社がある。説明書きには「陰陽師の鎮守として祀られた」とあり、歴博『陰陽師とは何者か』のチラシも貼られていて、うれしくなってしまった。「鎮宅」霊符神の解釈として、新しく建てた家屋に入居するときにお札・お守をいただくとよいと書いている観光ガイドも見たが、どのくらい信じてよいものか。鎮宅霊符神といえば、道教の最高神(玄天上帝)である。よくある図像は、垂髪のおじさんが足元に玄武(亀と蛇)を置いているヤツ。

同社のご朱印は御霊神社でいただけると観光ガイドにあったが、寄らなかった(御祭神が御霊フルメンバーで怖そうだったので)。

T字路の要あたりから西を望む。何の変哲もない、少しもの寂びた住宅街である。

 せっかくなので、久しぶりに元興寺さんにも寄った。「浮図田」と呼ばれる石仏・石塔を集めた区画、桔梗の季節に来たことはあったが、この季節はこんな感じ。華やかで美しい。法輪館(宝物館)で『菅原遺跡と大僧正行基・長岡院』(2023年10月21日~11月12日)という興味深い展示も拝見することができた。

 帰りは、下御門商店街・餅飯殿センター街を通って、近鉄奈良駅に向かった。このあたり、駅直結の東向商店街に比べると、観光客の少ない地元民の商店街という印象だったが、すっかり様変わりしていて、外国人観光客の姿も多かった。

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二人の天才皇帝/隋-「流星王朝」の光芒(平田陽一郎)

2023-11-09 23:23:56 | 読んだもの(書籍)

〇平田陽一郎『隋-「流星王朝」の光芒』(中公新書) 中央公論新社 2023.9

 581年の建国から618年の滅亡まで、約40年、実質的にはわずか二代という短命王朝の隋を中国歴史学界では「流星王朝」と評することがあるそうだ。なかなか洒落た命名である。私は隋の皇帝家の人々も、この時代の文化(彫刻・工芸)も好きなので、本書の刊行を楽しみにしていたが、そもそも新書1冊分も書くことがあるのか?というのを心配していた。しかしその心配は無用で、本書は、隋の建国に先立つ南北朝後期の動乱から説き起こす。しかも、東魏・西魏・梁から北斉・北周・陳へという「中国」内部の政権交代とともに、「中国」の外=草原地帯では柔然が衰退し、突厥が勃興してきたことに注意を喚起する。

 その後、北周の重臣だった楊堅が帝位の簒奪に成功して隋の文帝となる際にも、二代皇帝・煬帝の治世後半に起きた大乱にも、突厥は大きな影響を与えている。突厥内部にも対立・抗争があるので、どの集団と提携してどの集団を牽制するかは、「中国」の王朝の存亡を左右する重要な決断だった。同時に突厥の側も「中国」内部の勢力対立に付け込み、うまく利用するように立ち回っているように思われる。本書を読んだことで、少し突厥可汗の系図に親しみができた。中国古装ドラマにときどき登場する「阿史那」って突厥の姓(?)なのだな。突厥史についての簡単な本はないかなと思って探したが、手ごろなものはなさそうである。

 隋の皇帝一家のうち、楊堅・楊広(煬帝)のことはまあまあ知っているのだが、その先代・楊忠、および楊忠の兄貴分であった独孤信とその娘たちのことは初めて詳しく知った。長女は北周明帝に嫁ぎ、四女は李昞に嫁いで李淵を生み、七女は楊堅に嫁いで楊広を生む。これはドラマにしたくなるシチュエーションであるなあ。私は『鋼鉄紅女』の独孤伽羅を思い出しながら読んでいたけれど。

 ドラマ作品では、煬帝のキャラが立ちすぎているので、凡庸な皇帝に扱われがちな文帝だが、外交力も政治構想力も史上に抜きん出た人物だったのではないかと思う。突厥からは「天可汗」の称号を得、仏教を保護することで「海西の菩薩天子」(聖徳太子の国書)と尊称された。つまり儒教に基づく一元的な支配体制だけではカバーしきれない、多元的な統治のあり方を具体化したのである。隋こそは、北方に広がる草原世界、華北中心の中華世界、東南海域に連なる江南世界に発する三つのストリームを、はじめて束ねた帝国だったという。

 しかし、やっぱり私は煬帝が好きだ。新洛陽城の造営、大運河の開削、大規模な穀倉の建設。民に負担を強いた暴挙と批判されるが、目的は間違っておらず、またその先見性は図抜けていたという著者の評価は嬉しい。もう少しお遊び寄りの造営では、一度に数千人が着席できる大テント「大帳」とか、移動・組立式の宮殿「観風行殿」とか、移動式要塞「六合城」なんてのもある。楽しい。そして、親征の連続でどこか首都なのか分からない状態だったのは、運河と街道のネットワークによって、どこにいても常時執務を執ることが可能なシステムを構築しようとしたのではないかというのも面白い。

 この煬帝に「煬帝」という廟号を与えて、暴君のレッテルを貼ったのが唐太宗・李世民で、このおかげで唐はしばらく平和と安定を享受することができたというのは納得できる。まあ楊広と李世民、どちらもワルだし、あの世で並んで笑っているんはないかと思う。

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安田雷洲に注目/激動の時代 幕末明治の絵師たち(サントリー美術館)

2023-11-07 21:14:05 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 『激動の時代 幕末明治の絵師たち』(2023年10月11日~12月3日)

 幕末明治期の江戸・東京を中心に活動した異色の絵師たちを紹介し、その作品の魅力に迫る。たまたま私が目にした宣伝ビジュアルが、国芳と芳年らしかったので、またこの二人か、変わり映えしないなあ、と思って、あまり期待していなかった。それが、会場に来てみたら、冒頭に狩野一信の『五百羅漢図』から、とびきりいいセレクションの6幅(第21、22、45、46、49、50)が並んでいて感心した。第45幅は室内で羅漢たちが米のおにぎり(!)をこしらえており、別の羅漢が窓の外の餓鬼たちに施している。よく懐いた森の動物に食べものを与えるような自然な雰囲気である。東博の『やまと絵』展で『餓鬼草紙』を見てきた直後だったので、なんだか可笑しくなってしまった。幕末の絵画は「狩野派」と「文晁一門」が二大潮流ということだが、「やまと絵」の伝統も確実に受け継がれている。

 狩野一信の『源平合戦図屏風』や『七福神図』は見たことがあると思ったら板橋区立美術館の所蔵で、そのほかにもけっこう板美から作品が来ていた。谷文晁は人物画『柿本人麻呂像』と小品の山水図が出ていたが、なんでも描ける画人だったことはよく知っている。仏教の賢者になぞらえて「八宗兼学」と呼ばれていたというのがすごい。服部雪斎の『葡萄と林檎図』は、ピンクとブルーの縞模様のようなリンゴが現実離れして愛らしかった。

 続いて「幕末の洋風画」のセクションには、なんだか変な絵が並んでいるなと思ったら、安田雷洲の『水辺村童図』(九博)で、その隣もそのまた隣も雷洲だったので、ええ、どういうこと?と慌ててしまった。雷洲の絵画、本展には全12件出陳されており、展示替えがあるので、一度に見られるのは6件である。『赤穂浪士報讐図』(本間美術館)は、かつて見たことがある気がしたものの、自信が持てなかった。あとでブログを検索したら、2006年に府中市美術館の『亜欧堂田善の時代』で見ていた! 私が「雷洲」の名前に出会った最初の展覧会である。ただ、このときのメモには書き留めていないことを、本展の解説で知った。本作は西洋の銅版画『⽺飼いの礼拝』を元にしたと見られており、聖母マリアの抱く幼子イエスが、吉良上野介の首級に替えられているのだ。詳細は、以下の記事に詳しい。安村敏信先生、大好き。

※TokyoArtNavigation:江戸アートナビ No. 9「違和感の塊! 忠臣蔵でメリー・クリスマス?」(2014/12/14)

 そして肉筆画以外にも、雷洲の版画(小品が多い)が、いくつもの展示ケースに渡って多数集められており、誰なの、この企画者は!とひとりで興奮していた。江戸近郊や東海道の名所絵のほか「新田よしさだかまくらをおとす」などの歴史画(?)、それに丁未地震・武江地震・東都大地震を描いたものがある。老眼にはつらいと思ったが、「文化財オンライン」を「安田雷洲」で検索すると、けっこうヒットして嬉しい。いい時代になったものだ。

 ほかに洋風画では、府中市美術館で見た『虫合戦図』の春木南溟に再会。隅から隅まで洋風の銅版画『市街戦争図』の松本保居も気になったが、調べたら「初代・玄々堂」の人か! この頃の人は名前がいくつもあって厄介である。

 後半は国芳・芳年を中心とする幕末浮世絵の世界。国芳の『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』の摺りが非常に美しく、鰐鮫の背中を食い入るように眺めてしまった。鯰絵、開化絵、横浜絵などもあり。珍しく菊池容斎が推されていたのが面白かった。このひとも『呂后斬戚夫人図』など、あやしく血腥い絵を描いているのだな。これ、静嘉堂文庫美術館所蔵らしいが、展示しにくいだろうなあと思った。

 展示を見終わってから、開催趣旨を読み直すと「幕末明治期の絵画は、江戸と明治(近世と近代)という時代のはざまに埋もれ、かつては等閑視されることもあった分野です。しかし、近年の美術史では、江戸から明治へのつながりを重視するようになり、現在、幕末明治期は多士済々の絵師たちが腕を奮った時代として注目度が高まっています」というあたりが腑に落ちる。『やまと絵』展からの流れで見たのも正解だったと思う。

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王朝の美学の光と影/やまと絵(東京国立博物館)

2023-11-06 22:23:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展『やまと絵-受け継がれる王朝の美-』(2023年10月11日~12月3日)

 千年を超す歳月のなか、王朝美の精華を受け継ぎながらも、常に革新的であり続けてきたやまと絵を、特に平安時代から室町時代の優品を精選して紹介する特別展。出品245件。「すごい展覧会」であることは間違いないのだが、出品リストを眺めると、だいたい見たことのある作品で、どうしてもこれを見たい!というものはなかった。なので、どの時期に行くか決めかねていたのだが、神護寺三像が見どころの第2期に行ってきた。

 土日祝日は予約制なので朝イチのコマを取ったが、会場に着いたときは、開館時間を少しまわっていた。なので混雑を避けて、鎌倉時代から見ることにした。鎌倉時代(第2章)の冒頭、細長い展示室の短辺の展示ケースに神護寺三像が掛けてあり、その存在感は圧倒的だった。この会場でこの作品を見ることができてよかったとしみじみ思った。

 この展示室(第1会場の中間)の主要部分は、平安時代(第1章)の後半に当たり、後白河院の蓮華王院宝蔵に関連する独特な作品が並ぶ。『辟邪絵』は「神虫」、なぜか『華厳五十五所絵巻断簡』を挟んで(口直し?)『病草紙』は「不眠の女」「屎を吐く男」(これは初見かも)「痣のある女」「眼病治療」「霍乱の女」(英文タイトルがHeatshockだった)の5点も出ていてテンションが上がった。『地獄草紙』『餓鬼草紙』もあり。『地獄草紙』の「勘当の鬼」は、僧侶を抱えて走る赤鬼がちょっと可愛い(福岡市美術館所蔵)。

 これでもう来た甲斐があったと満足してしまったので、『源氏物語絵巻』「柏木二」は観客の肩越しにチラ見だけでいいことにする。次の『信貴山縁起絵巻』「飛倉巻」は、やっぱり好きなので、列に並んで一番前でじっくり見る。ちょうど隣りに中国人の女性二人組(母子?)がいて、絵の内容について会話をしながら楽しそうに見ていた。ぺったり地面に座り込んだ登場人物について「蹲」「陝西」って言っていなかったかな。今の日本人はこういう格好はしない、みたいなことも。ほかに『粉河寺縁起絵巻』と『鳥獣戯画』乙巻。

 次の展示室に移って、鎌倉時代を続ける。まず前半は人物画。『近衛兼経像』(高山寺)は記憶にない作品だったが、写実的に容貌を再現した手練れの肖像画だった。歌仙絵『佐竹本三十六歌仙絵』からは「小大君」「小野小町」「壬生忠峯」で、これもかなり貴重で豪華なラインナップである。

 後半は『西行物語絵巻』(徳川美術館)『一遍聖絵』『男衾三郎絵巻』などが並ぶのだが、物語そのものではなくて、その「風景」表現に着目する。武士の暴力的な一面を描いたことでも知られる『男衾三郎絵巻』に、こんな愛らしい、紅葉や水鳥の描写があったなんて! 『虚空蔵菩薩像』(東博)は、密教的な装飾を身にまとった美麗な尊像が円光の中に浮かぶが、画面下部の風景、なだらかな山並みと三角形の糸杉はまさに「やまと絵」である。

 第2会場も鎌倉時代の続きで、多様な絵巻、王朝追慕の美術など。『紫式部日記絵巻』は東博でときどき見るのではないものが出ていてびっくりした。図録には「阿波・蜂須賀家伝来」とあるのみで所蔵者表記なし。『なよ竹物語絵巻』も初めて見ると思ったが、香川・金刀比羅宮の所蔵だった。『平治物語絵巻』の「信西巻」「六波羅行幸巻」を並べて見ることができたのも嬉しかったが、同絵巻の断簡(2葉1幅、所蔵者表記なし)が出ていたのも想定外。1葉は、黒い壁のようなものの脇で抜刀前の刀を構える腹巻姿の武士。別の1葉は、馬上で横を向く武士の後ろ姿、冑を被り、大弓を持つ武士、馬を引く武士の三者が切り取られている。全体に淡い色彩、細い描線で、比較的本来の姿を保っているように感じられた。

 『一遍聖絵』巻7(京都での踊り念仏)は隅々まで楽しくて、子供の頃、手塚マンガのモブシーンが大好きだったことを思い出した。これ、描いているほうも絶対楽しんでいるだろうなあ。『仏鬼軍絵巻』(京都・十念寺)は、むかし京博で見て、大好きになったもの。これは仏菩薩とか地獄の牛頭馬頭とか、既存のキャラを自分の絵で動かしてみたいと思った絵師が描いたのではないかと思う。『百鬼夜行絵巻』(真珠庵本)が東博で見られたのはとても嬉しかった(会場に赤い妖怪の巨大なバナー!)。が、全編公開ではなかったので、最後の赤い太陽は見られず。巻替えするのかもしれない。時代を下って『年中行事絵巻』の「住吉本」(彩色)と「鷹司本」(白描)も眼福だった。住吉本を見ていて、老若男女かかわりなく、人物の頬に紅を置くのが、やまと絵の伝統なのかな、と思った。

 最後に第1室(序章)もしっかり参観したが、序章は古筆や古記録(「倭絵」の初出=権記など)が多いので、斜め見して先に進むのが正解だと思う。あと、グッズ売り場がめちゃくちゃ魅力的な展覧会である。ぐっと我慢して図録の購入だけに留めたけれど。

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鎌倉・宝物風入れ2023(円覚寺、建長寺)

2023-11-05 21:45:06 | 行ったもの(美術館・見仏)

臨済宗・円覚寺派本山 円覚寺(鎌倉市山ノ内)

 先週の洪鐘祭りと二週連続の鎌倉詣でになるが、久しぶりに宝物風入れ(曝涼)を見に行った。天気にもめぐまれ、西洋人の観光客の姿が多かった。仏殿の軒下には、先日のパレードで使われた洪鐘のレプリカが置いてあったり、特別拝観の国宝・舎利殿に向かう人もいたが、私は宝物風入れの会場である方丈を目指す。

 靴を脱いで中に建物の中に入ってから、宝物風入れの拝観料を払っていなかったことに気づく。あれ?脇から入ってしまったのがいけなかったのかな?と思って、慌てて、いったん外へ。しかし正面にも特に受付はない。あれれ?とキツネにつままれた気持ちで中へ。

 すると玄関を入ってすぐ左手の部屋に絵画等が飾ってあるのが見えた。目立っていたのは彩色の羅漢図。比較的小さな画面に羅漢1人とさまざまなタイプの従者1人を配したものが16幅。室町時代、伝・兆殿司筆の『十六羅漢図』である。また、大きめの画面に10人の羅漢を描く『五百羅漢図』も2幅出ていた。1幅は、元代、伝・張想恭筆とあり、もう1幅は、室町時代に補作されたものだという。補作の羅漢のほうが、やや濃い顔をしてるように思った。江戸時代の『無学祖元図』は着彩で、左右に墨画の龍虎図を従える。無学祖元の椅子の肘掛と足元に鳩を見つけて、以前にも見たことがあるのを思い出した。

 廊下を先に進むと、3室ぶち抜きのお座敷があって、中央に低い台(卓)を置き、左右にぐるりと絵地図や文書(書状・太政官符・御教書など)を掛け並べている。台上には『円覚寺洪鐘祭絵巻』がちょっとだけ開けてあった。奥の床の間には、洪鐘祭行列の板絵や善光寺式三尊像、工芸品もあった。

 そして廊下に出ると、これ以上、巡路の表示がない。座っていらした若いお坊さんに「これで終わりですか?」と聞くと、にっこり笑って「はい」という答えが返ってきた。え?マジか。私は、2011年、2014年、2018年に来たときの会場の地図を記録に残しているが、これまでは、方丈全体が展示会場だったのである。それが今年は、小書院と大書院のみに大幅に縮小されている。まあ文化財の安全などを考えるとこの程度の公開が妥当で、昔の展示方式が狂気の沙汰だったのかもしれない…。今回は、解説プレートも整備されていて「展示」としては分かりやすかった。あと、以前は風入拝観料が設定されていたが、入山料のみでこれらの宝物を見せてくれるのは大変良心的だと思う。60年に一度だという「洪鐘」のご朱印をいただいて帰った。

■臨済宗・建長寺派大本山 建長寺(鎌倉市山ノ内)

 続いて建長寺へ。庭園・方丈の拝観入口を入るとお坊さんに「宝物風入れはこちらの2階で~す」と声をかけられ、客殿(得月楼)の2階へ誘導される。

 広いお座敷を2部屋、見たと思う。緋毛氈の上に載せられた北条時頼像は小さなおじいちゃんみたいで可愛かった。見覚えのある伽藍神、地蔵菩薩(心平寺地蔵)なども。小さな銅造羅漢像は山門(三門)に安置されているものだと分かったが、実はこの群像には、羅漢以外も含まれている。大きな奪衣婆が二匹の小鬼を従える姿や、広い床(しょう)でくつろぐ文殊居士像が出ていて面白かった。

 建長寺の開山・蘭渓道隆ゆかりの品と伝わる横笛・払子・数珠・直綴(じきとつ)・袈裟なども並んでいた。「開山箪笥」に収められており、年1回、多くの僧侶が見守る中で開けられるのだそうだ。真偽はともかく尊い伝承である。絵画では、伝・顔輝筆『十六羅漢図』が印象に残った。いかつい風貌だが妖怪的ではなく、人間味を感じさせ、肉体の描き方が西洋絵画並みにリアルに感じられた。なお、建長寺も以前より規模は小さめで、風入拝観の追加料金はなかった。

鎌倉国宝館 特別展『国府津山 宝金剛寺-密教美術の宝庫-』(2023年10月21日~12月3日)

 ついでに国宝館を参観。小田原市国府津の真言宗寺院・宝金剛寺の寺宝を紹介している。全く忘れていたのだが、ブログを検索したら、私は2005年に宝金剛寺を訪ねて、寺宝は拝見できなかったが、ご住職にお茶とケーキをご馳走になっていた(!)。18年ぶりにお会いする(いや、前回はお会いしていないのか?)金泥塗の薬師如来さまをしみじみ眺めてしまった。平安・鎌倉の古仏のほか、雰囲気のゆるい大威徳明王や、マッチョな誕生仏、初期西洋画の童子像(白い衿、赤い服)など、バラエティに富んだ寺宝が出ていた。

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2023東京国際映画祭で『ゴールド・ボーイ』『満江紅』を見る

2023-11-03 22:04:40 | 見たもの(Webサイト・TV)

■金子修介監督『ゴールド・ボーイ』(10月29日、ヒューリックホール東京)

 東京国際映画祭で気になる映画が上映されるのを知って見てきた。『ゴールド・ボーイ』の原作は、中国・紫金陳のベストセラー小説『壊小孩』。2020年に『隠秘的角落』(バッド・キッズ)のタイトルでドラマ化され、日本にもたくさんファンのいる作品である。これを日本人監督が、どのように換骨奪胎して映像化するのか、とても興味があった。「ガラ・セレクション」で1回限りの上映だったが、運よく抽選に当たって見に行けた。

 舞台は沖縄に設定されており、ドラマ(中国南方)の雰囲気によく似ていた。登場人物の名前も原作を参考にしているのが面白かった。ドラマで秦昊が演じた陰険な殺人犯・張東昇役は岡田将生。いつカツラを外すのかと思って見ていたが(笑)こちらは最後まで美意識を崩さない役柄だった。主人公・朝陽(あさひ)を羽村仁成、普普にあたる夏月を星乃あんな、厳良にあたる浩を前出燿志。オーディションで選ばれたということだが、3人とも巧かった。夏月は、ドラマの普普に似せつつ、普普よりも重要な役柄になっている。逆に浩は、ドラマの厳良ほど深い描かれ方をしていないのが残念だったが、尺の関係で、朝陽の物語に絞らなければならないのは仕方のないところだと思う。

 映画は、途中からドラマとは異なる展開に向かうが、これはこれで面白かった。最後まで緊張感が途切れず、楽しめたと思う。ドラマで好きだった葉おじさん(蘆芳生)にあたる警官を演じたのは江口洋介。ドラマとは違うかたちでだが、ある意味、朝陽を救う役割だったと思う。

■張藝謀(チャン・イーモウ)監督『満江紅(マンジャンホン)』(10月31日、シネスイッチ銀座2)

 本作も「ガラ・セレクション」だが、週末のチケットを取り損ねて、火曜の夕方、定時で在宅勤務を終えてダッシュで見に行った。中国では今年の春節映画として大ヒットした作品である。南宋の紹興年間、岳飛の死から4年後、岳飛の政敵であった宰相・秦檜は、宿営地で金国の使者と会談に臨もうとしていた。その前夜、金国の使者が殺害され、密書が失われてしまう。宰相府の総管・何大人は、二人の兵士、張大と孫均に捜査を命じる。密書には、秦檜が金国と通じている証拠が書かれているのではないかと思われた。

 ここからが、謀略・かけひきの連続。敵の多い秦檜には、忠義な部下と見せかけて、実は秦檜の失脚を狙い、命を狙う者が多数しのんでいたのである。(途中省略して)ついに秦檜にまみえた孫均は、秦檜の命を奪うことはせず、代わりに岳飛の辞世の詩(詞)を暗唱することを強要する。岳飛が牢獄の壁に書き残した詩を知るのは秦檜だけだったのだ。楼上で秦檜が吟ずる「満江紅」は兵士たちの隊列に伝えられ、彼らは声を揃えてこれを復誦した。こうして岳飛の絶唱「満江紅」が今に伝わったわけだが、映画の中では、さらに一ひねりした展開が加わっている。

 ネタバレは控えるが、剣で脅された秦檜が、しぶしぶ「満江紅」の暗唱を始めると、次第にその詞に酔って愛国の情が激していくのが面白かった。雷佳音は、こういう情けない小者を演じるときが大好き。中国の歴史ドラマ・映画を見ていると、最大の見せ場が文学作品の名作(主に韻文)と結びついていることが多いのが、とてもうらやましい。日本の文学(韻文)は、こういう述志・述懐の伝統が弱いと感じる。

 登場人物はどんどん死ぬが、機知に富んだセリフや演技の応酬で笑えるシーンも多い。いや、客席からは笑いが絶えなかったように思う。何大人(張訳)と武大人(岳雲鵬)はずっとお笑い担当。張大(沈騰)も真面目にやっているのに笑える。どう見ても年下の孫均(易烊千玺)を「三舅」と呼ぶ関係なのも面白い。ドラマでおなじみ、郭京飛、余皑磊が出演していたのも嬉しかった。易烊千玺くんは22歳か~すっかり大人の男性を演じられるようになっていて刮目した。

 日本語、英語に加えて中国語字幕があったのはありがたかった。見せ場の「満江紅」、やっぱり原文の文字を追いたかったので。

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少年たちの運命/中華ドラマ『繫城之下』

2023-11-02 23:55:23 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『繁城之下』全12集(騰訊視頻、2023年)

 おそらく2022年の制作で、長く放映が待たれていた作品。明の万暦37年、江南に位置する蠹県(とけん)で連続殺人事件が発生する。最初の犠牲者は、捕快(警官)の長である冷捕頭。案山子に擬せられた冷捕頭の遺体に差し込まれた木の板には「吾道一以貫之」(吾が道は一を以て之を貫く)という「論語」の語句が鮮血で記されていた。次いで、書堂(寺子屋)の教師である王夫子が殺され、その遺体には「童子六七人」という、やはり「論語」の語句が残されていた。

 冷捕頭を師父と慕う捕快の曲三更、その同僚の高士聡、王夫子の甥である鳳可追らの若者たちは、犯人を求めて奔走するが、事件は続く。蠹県の裏社会の顔役たちと悶着が起きたり、冷捕頭の後任の易捕頭、そのまた後任の夏捕頭と衙門(県政府)の中の権力争いで対立したり、サルの化けもの(猴妖)騒ぎがあったり、いろいろあるが、曲三更らは、連続殺人の犠牲者が、20年前に起きた大火災と何らかのかかわりを持っていることに気づく。

 【以下、ややネタバレ】万暦17年、蠹県の県城には陸家の邸宅があり、資産家の陸遠暴は、翠華楼の林四娘を情婦として、わずかな従僕たちと暮らしていた。少年・陸直は、もと身寄りのない浮浪児だったが、目端の利く聡明さを気に入られ、周囲から「幹少爺」(義理の坊ちゃん)と呼ばれる身分を獲得していた。しかし、本当に義理の息子になれると信じた陸直の無邪気な思い込みに、陸遠暴は激怒する。陸家の家令である忠爺は、陸遠暴が陸直を殺そうとしていると陸直に告げる。陸直は、忠爺ら従僕仲間と語らい、殺される前に陸遠暴を殺害し、その財産を奪い取ることを計画する。

 計画実行の直前、陸遠暴の弟・陸近信が妻と子供たちを連れて陸家に引っ越してくる。陸遠暴の甥にあたる陸不憂は心優しい少年で、歳の近い陸直や、翠華楼の使い走りの小宝子と、身分を超えて親しく交わり、平和なひとときが過ぎる。しかし忠爺は、陸直に計画の実行を迫る。陸家の人々を薬で眠らせた上で火が放たれ、陸遠暴と弟一家は焼死したことが確認された。けれども、20年後、この無慈悲な放火殺人犯の一味は復讐に遇う。

 復讐者は誰か、という謎解きが本作最大の醍醐味。あわせて、冒頭に殺された冷捕頭は、曲三更にとっては尊敬する師父だったが、なぜ「復讐される側」すなわち事件に加担する側になったのかも、じわじわと明かされていく(近松の世話物浄瑠璃みたいに美しく哀しい物語だった)。冷捕頭の家に大金が蓄えられていた理由、王夫子がひそかに学童たちに打たれたがった理由、それから惨劇の場に「論語」の語句が残された理由も、最後はきれいに氷解する。

 けれども、やっぱり重たいものが胃につかえたような感覚が残った。無邪気で幸せであるべき(あってほしい)少年たちが、加害者や被害者・復讐者になる物語はつらい。陸直役の于垚くん、底抜けに無邪気な子供らしい表情と、運命に裏切られたときの歪んだ表情が、どちらも印象に残っている。何度か劇中で語られる「公道」という概念は、中国人にはとても大事なのだろうな、と思われた。「正義」とは微妙に違う気がする。「公道は繞遠(遠回り)な道だ」とか「遅すぎる公道はもはや公道と言えない」などの科白の意味を今も考えている。

 いわば「公道」に対する懐疑を象徴する存在が宋典史(寧理)なのかな。詩画の才能に恵まれ、将来を嘱望された若者だったにもかかわらず、政治闘争に巻き込まれて投獄され、右手には二本の指しか残らず、筆を握ることもできなくなってしまい、嗜虐的な拷問だけを楽しみにしている(ように見える)。宋典史が、特に取り柄の無い平凡な妓女の春杏に、美しい詩を贈るエピソードがとても好き。

 曲三更(白宇航)は、はじめ必死に師父の仇討ちを追い求めるが、最後は断念する。彼の苦しい決断を見守る仲間たち、高士聡(劉怡潼)や鳳可追(張昊唯)の存在に癒された。高士聡、あまり目立つ活躍はないのだが、このためにいたんだなあと最後に思った。陰惨な犯罪の連続にもかかわらず、根底に抑制された抒情が流れる、格調高いドラマである。

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